第四話-⑤
「よっ」
気絶した男を、邪魔にならないように通路の横へと蹴り飛ばす。
すでに落ちた敵などに、いちいち構っている余裕はない。宗一郎が一瞬だけ姿をかき消し月夜にトドメを譲り渡した瞬間、彼はもう別の敵と対峙していたからだ。
「あんだよ、殺すのはこええってか?」
大戦斧を担ぐ巨漢が挑発する。
すでに言った。合わせてやる理由などない。
「榊くん、やっぱり大丈夫そう?」
「ああ、だいじょぶ、へーき。朧さんは?」
「わたしも大丈夫そう。案外、これも特典のひとつなのかなって思う」
「確かにありそうだなあ、それ。俺も思った以上に、人に向かって武器を振り回して傷つけても、特に何も感じなかったし」
巨漢の挑発を完全に無視して、二人は他者から見てかなり暢気な雑談を交わし始めた。さらに二人は、わざとらしく巨漢から明確に視線を外している。
感覚としては、ゲームをしているときの戦闘に近い。相手が確かにひとつの生命として存在しているのは理解できる。人と触れ合うときの感覚は地球、日本で普通に暮らしていたときとまったく差異はない。だがいざ戦闘に突入したら、魔物を相手にしているときや、いまのように武器を持った人間を前にして、明確に感覚が塗り替わった。
現実感はそのままに、罪悪感が希薄化する。あるいは割り切りの先行。相手によるが人を害する際の嫌悪感もほぼない。
「まあそうでもないと、早いうちに立ちいかなくなりそうだったから、ありがたいんだけどね」
「確かにな。まあそれでも、やっぱ深く考えないほうがよさそうだわ」
「そうだね、気を付けよう」
おそらくは、敵の強さに対して自然に脅威度を段階的に設定しているのだろう、と月夜は考察している。
実際、『根』に生息している最下級の雑魚であるレッサーゴブリンを前にして、宗一郎も月夜も脅威には思わなかった。
攻撃を食らえばもちろん痛いことに変わりはなく、肌が傷つき出血もあり得る。だが、野良猫や小型犬を前にしてそういったことはあり得るとして、脅威に感じるかという話だ。罪悪感に目をつぶれば、どうにでもできてしまう。訓練された警察犬や軍用犬のほうが、下手な魔物よりも恐ろしいということだ。
宗一郎と月夜は同時に目で合図を送り合い、直後に通路の左右へそれぞれバックステップ。
直後、樹木でできた通路を破断する勢いで振り下ろされる大戦斧。
木片が大量に飛び散り、その向こうに豪快に歯をむき出しにして口角を釣り上げる巨漢の姿。
「ずいぶんと余裕見せてくれんじゃあねえかよ! ナメてんのか、ああ!?」
木屑で視界が半分潰れようが関係ない。大戦斧で木屑ごと吹き飛ばしてやる。巨漢の目と表情はありありとそう語っていた。
「【
黒髪の少年による
視界に散る木屑がすべて、白く冷ややかな雪へと変質した。
しかし、決して攻撃魔導ではなく。これは周辺の大気にまで影響を及ぼすほどの威力を誇る、付与魔導である。
吐く息を白くさせるほどの厳冬は、黄金の美姫が持つ、湾曲した片刃の武器に凝縮する。
刃から流れる冷気。
雪片が消えるとほぼ同時、
――来る。
状況と月夜の構えを見て、巨漢は瞬時に、今日まで鍛えてきた戦闘経験と直感を駆使してそう判断を下し、大戦斧を盾にして防衛の構えを取った。
「させねえよ」
その音は、木こりが木を伐る音に似ていた。
場にそぐわないような、ある意味では酷く正しいようなその音は、巨漢が大仰に構えた大戦斧の柄を発生源とした。
巨漢の鼻先に突如姿を見せる鋭利な刃先。男の手から大戦斧だったものが落ちる。
宗一郎が斧刃側を蹴り飛ばし、自身もすぐさま離脱する。役目を終えた以上、いつまでも射線を塞いでいるわけにはいかない。
「……《
宗一郎に報せる、技の発動の宣言。
通路の温度がまた、下がった。
「《
刺突と斬撃による強攻撃。二種の剣撃が暴れ回り、巨漢の全身を一切合切の容赦なく斬り回る。超極小の猛吹雪は切り傷からの出血を凍結させ、関節を縛り、体温を強奪し、最後に、巨漢の意識を遮断させた。
「……わあ」
自分の技の威力にドン引きする月夜。
氷漬けにされた巨漢から後方の通路は、見えている範囲すべてが凍結状態となっていた。
「あっ、あの刺青の男は!?」
「逃げられた。そこの……臭いがひでえおっさんをブチのめした直後くらいにはもう姿消してたわ。わざわざ後を追う理由はないし、放置でいいんじゃないかな。そんなことよりも、もっと重要なこと、できたし」
「……そう、だね」
通常状態の通路側を見やれば、そこには宗一郎と月夜が通う高校の制服を着た人物と、そしてもう一人、まったく見慣れぬ衣装を身にまとう、銀髪紅眼の少女の姿があった。
「で、どうしよっか?」
「昇格試験の依頼、潜るのは最大でも二層までって条件だからなあ。ここ確か五層だっけ」
「うん。だから、バレると面倒なことになるかも」
「まあ昇格試験用の依頼内容を変えてきてる時点で、あっちも強くは言えないとは思うけど……」
「でもなんか、それはそれ、これはこれ、みたいな感じで言ってくると思うんだよね」
月夜のその指摘で、二人は同時にあの瘦せぎすの事務長を思い出す。妙に口が達者であったり、強引に話を変えたりしてくる話術のせいで、こういった有事や問題に絡むと途端に相手にしたくなくなる手合いだった。かなり正直な心情を吐露するならば、言いたくない、の一言に尽きる。
「しばらくの間は、内緒にしとこうか」
「そうだね。落ち着いたら報告ってことで」
二人の意見は、そんな子どもっぽい理由に着地した。
「んじゃ朧さん、悪いんだけど、コレを四角形に地面に刺しといてくれないかな。俺はその間にちょっと用事済ませっちゃうわ」
「ん、分かった。広さはどのくらいとかある?」
「あーそうだな。とりあえず俺たち四人が入れるくらいの広さだったら大丈夫」
「オッケー」
ささっと役割を分担し、宗一郎は月夜に道具を渡してから、通路の端で未だに気絶したままの悪臭男のもとへ移動した。
「……ぅえぇ、すっげえ臭いだなほんと。自覚なかったんかコイツ」
発泡現象が起こっている肥溜めを覗いている気分に陥り気が滅入りつつも、宗一郎は倒れている男の手首を取る。関節部に親指を当てれば、問題なく脈打っていた。
「えーと、確かこの辺りか」
ベルトに巻いておいた麻紐を男の二の腕に縛り付け、前腕部の肘側に注射針代わりの細い鉄針を刺す。
小瓶に男の血液を回収。
「……あっちのやつも一応やっとくか」
真っ白に凍結して仰向けに倒れている巨漢の血液も同様の手順で回収。
とりあえずこの二名については、なんだかんだで挑発して暴力を振るってきたということで、宗一郎はそのまま放置することにした。
急いで月夜のもとへ移動すると、彼女は宗一郎の指示通り、かつ五人ほど入れそうな余裕を持って正方形に例の道具を地面に刺し終えていた。
「ごめん待たした、ありがとう」
「ううん大丈夫。あと、榊くんにちょっと見てほしいものがあるんだ」
「ん?」
「この子の首に巻かれてるチョーカーみたいなやつ。なんか呪いみたいなのが刻まれてるっぽいんだけど、今のわたしじゃ解呪道具がないとどうにもできなくって」
「どれどれ」
月夜が促す先にいる銀髪紅眼の少女。
月夜に負けないほど長い髪を湛える少女の首には、歪で粗雑な首飾り。月夜はチョーカーと表現したが、どう見ても扱いとしては動物にする首輪だろう。
「ごめん、ちょい触るよ」
宗一郎が許可を求めると、少女は黙って頷いた。
先ほどから言葉を発しないことと、取り付けられている濁った宝石からして言葉を奪っているのだろうということが推察できる。帯部分を指でなぞってみれば、裏側にも微量な魔力の気配を感じ取れる。呪紋が彫ってあるのだろう。
「一度戻ってからかな。ここで解呪できなくもないけど、安全を確保できる場所でやったほうが安心できるだろうし」
「ん、それもそうだね」
月夜も宗一郎の提案を了承する。
宗一郎からしても、これ以上こんな場所でまごまごしていたくはない。何しろ、先ほどから触れないようにしているが、これ以上無視していられない案件がもう一つあるのだ。
「それで、これからどうすればいいの?」
「うん、それなんだけど」
宗一郎の説明では、この四方の地面に刺した道具は複数人用の簡易転移道具なのだという。そのうちダンジョンに潜ることを想定していた宗一郎が、協会東区支部の修理作業の合間にこそこそ作っていたらしい。
目的は緊急脱出用。転移先はすでに指定済みで、あとは魔力を流すだけという仕組みだ。転移先は当然ながら宗一郎と月夜が住んでいる接ぎ家の台所で、自分たちを含め最大六名が転移することを想定している。
とのことだった。
「それじゃ、魔力はわたしが通すよ」
「オッケー了解。警戒は任しといて」
「うん、お願い」
四方の道具に繋がる魔力を右手にまとめ、逆流させるような感覚でそれぞれの道具に一気に魔力を通す月夜。直後、四人を囲むように呪紋が正方形に流れ出し、続いて重なるように菱形に呪紋の帯が伸びる。陣が完成し、帯から光が四角柱状に立ち上り天井に届いた瞬間、四人の姿がかき消えた。
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