第四話-④
とにかくこの場から急いで離れようと立ち上がり少女に手を差し出すと、少女側も応じるように遥香の手を取って立ち上がる。
遥香はもう一度、樹木の通路の前後を見渡す。いま自分が行きたくないのは……後ろのほう。
「こ、こっちに行こう」
できるだけ足音を立てないように意識しながら、前方と定めた方向へ歩き出す遥香と銀髪紅眼の少女の二人。
しかし二人の移動速度よりも、遥香が捉えた危険のほうが足が速かった。
「どこまで行きやがったぁ? あんのクソガキがよぉ!」
進行方向のはるか後方、暗闇の中からそのような大声が乱反射して遥香と少女の耳に届く。
思わず身体を跳ねさせ、遥香は大急ぎで銀髪少女を連れて薄暗い道を進む。
背後から迫りくる気配は、それほど時間を置かずに足音となった。ザカザカと乱暴に通路を踏みしだいている。
(二人……いや、三人いるかも)
分かれ道に出くわす。左側の道は上り坂、右側の道は真っ直ぐ、のように見せかけてかなり傾斜の緩い下り坂。
背後を振り返り、追いかけてくる気配との距離を体感で測る。
遠くない。
そう確信した遥香は、少女を連れて急いで身を隠した。
自分と、少女の口を押さえてできるだけ呼吸音を聞かれないようにしたところで、体格のいい人間が慌ただしそうに姿を見せた。数は三人。遥香の予測が見事に的中している。
「隠れたか?」
「そう遠くまで行ってねえはずだぁ」
「匂いは? テメエなら分かんだろが」
「ハハハハ残ってんぞ甘ぁい女のニオイだ。土の臭いに隠れやがったみてえだぁがオレの鼻は誤魔化せねえんぞーぉ」
酷く滑舌の悪い男のしゃがれた声が、恐ろしく気持ちの悪い言葉を垂れ流している。
少女とともに、すぐ近くにある大きな岩と根が絡んでいる場所の陰に隠れた遥香は、脈打つ自分の心臓の音まで聞かれていやしないかと、本気で恐れていた。
岩と根っこの隙間から、わずかな明かりを頼りに様子を窺う。松明を持っているらしい男たちの姿は、まるで中世の山賊、あるいは冗談抜きに世紀末の盗賊のようにさえ見えてしまう。
遥香に戦う術はない。一緒にいる少女だってそれは一緒だろう。もしここで見つかってしまえば最後、間違いなくろくでもないことにしかならない。
壁に男たちの影が揺れる。
心臓が跳ねる。胃が痛い。逃げたい。帰りたい。楽になりたい。もういやだ。
――見つかりたくない。
その一心で遥香はできるだけ身を小さくし、抱える少女と自分が見つからないよう、ただ祈る。
「次に隠れるときゃあもう少しくらいは上手くやれよぉ? なぁ?」
垂れ下がる根の隙間から、ドブのような口臭を放つおぞましい顔が、子どものように純粋に眼球を輝かせて遥香と少女を嗤って出迎えた。
「――や、やめ、離して!」
「なんだよ、そんなトコに隠れてやがったのか。小賢しい真似しやがって。まあ、オマケも付いてんならちゃんと遊んでやるか」
眼球を露出させているかのように見開き、男は実に器用な動作で遥香と少女の足首をそれぞれ掴み持ち上げ、引きずり出す。
道の脇にあった大き目の岩、その背後に垂れ下がる根が隠すように穿たれていた穴に隠れていた二人は、あっさりと見つけ出されてしまった。
背後で松明をかかげていた男が、ケージに囲まれた愛玩用動物を覗きこむような無遠慮な仕草で遥香を検分する。
「なんだよ、オマケにしては上物じゃねえの。もうこの際どっちでもいい、こちとら限界まで我慢してんだ。なぁオイ! 手ェ出しちまっていいんだろ!?」
男は松明を壁に突き刺し、ガチャガチャとベルトをいじりながら背後に向かって叫び問う。
「カギのほうには手を出すな、そう言われているだろうが。いつも話を最後まで聞かないやつだな、この愚物」
「おいぃどぉすんだよもういいや。やっちまぁうぞオレはぁよぉ。あぁあもぉめんどくせ、ハハハ、オイ、一緒にトンじまおうぜぇ、なぁ!?」
遥香と少女の足首を掴む男の口から、悪臭放つ唾液が撒き散らされる。
反射で顔をしかめてしまうほどの臭い、足首に込められる尋常でない握力、頭を下にさせられた無理のある体勢。どれもが容赦なく遥香たちを追い詰めていく。
抵抗の術などなく。
どちらでもいい、ともう一人の男は叫び。
遥香に手を出すな、とは言わない最後の一人。
足首を掴んでいた男が、もはや止めるつもりもない唾液を撒き散らして遥香を押し倒し馬乗りになり、ブレザーを剥ぎ取ろうと乱暴に手にかけた。
「ハハハなんだよおまえ甘いニオイすんなぁ! ハハハいいぜ長く使ってや」
「―――、ぁ」
視認できたのは奇蹟の一言。
頸部を断裂せんとする亜音速の一撃。
昏い通路の中でなお黒く、薄暗がりを裂く鉄の一振り。
回避どころか気付く素振りさえ見せず。
狂気に悦楽した男の首が〝く〟の字に折れ曲がり、冗談のように横へ跳ねていった。
◇
いまだ宙に舞う、黒に塗った鉄拵えの鞘を逆手に掴みベルトにかける。
着地と同時に体重移動、ざりざりと人体で通路をヤスリがけ。重心を上手く転がして中間を陣取り、思いっきり唾棄してみせる。
「いや、なんだ……。見るからに犯罪者相手にこんなことを言うのもどうかと思うけどな。せめて、あれだ。もっと上手くやれよ」
そんな無茶苦茶な苦情を、宗一郎は自ら吹っ飛ばした不審者に向かって叩きつけた。
「……わたし今、自分のやってる仕事に幻滅しそう」
「まあ、うん、すげえ分かる」
月夜の、心底から漏れるまっとうな形をした呆れに宗一郎も同じくらい賛同する。が、問題はまだ目の前に積まれたままだ。これを解決しなければ話が続行できない。
「ごめん榊くん、前衛お願い」
「オッケー、任しといて」
背で返答する宗一郎に盾役としての頼もしさを覚えながら、月夜は尻餅をついてしまっている人間に寄り添い、声をかける。
「うちの学校の制服、こんなところで見るとは思わなかったよ。話を聞きたいところだけど、ごめん、もう少しだけ待ってね」
薄暗い通路の中でさえ、目の覚めるような黄金の滝。戦闘の邪魔にならないようアップにまとめていてなお目を奪う、月の光のような髪。月夜は実に様になる所作で愛刀の鯉口を切る。
二度目の対人戦。
仰向けに打倒された嫌に細身の男が、首をくの字に折ったまま、支えも助けも要らずに脚力だけで立ち上がった。
辺りに漂う悪臭に、月夜は思わず、露骨に顔をしかめてみせる。
その様子が酷く気に入ったのか、立ち上がった男は醜悪な笑みをいっそう深く掘り下げる。
「ハハハなんだよオイ今日はアレか入れ口ってやつかぁ? イイネェ実にイイじゃねぇかよぉ。女三つに男一つたぁさすがのオレでも遊び尽くすにゃ時間がかかりぁ!」
言っている意味を理解し、月夜は当然、宗一郎も肌を粟立てた。
そこで露骨に健全な反応を見せる辺り、宗一郎も月夜もまだまだ普通の高校生。しかし状況は待たない。むしろ相手は、そういった
首の筋力だけで角度を戻す。
続いて男の肉体が鞭のようにしなる。
大袈裟なほどに仰け反り、一秒後、輪郭がぼやけるほどの速度で一歩を踏み出す。――前に火花が散った。
「
互いに大きく離れていた間合いを瞬時に詰め攻撃に入った宗一郎の一撃を、悪臭の男は嗤って止めた。
舌打ちし、改めて距離を取ったのは宗一郎の側。
支援魔導は充分に受けた。背後についてはすでに打ち合わせ済み。月夜が対応、もしくはこちらに報せてくれることを信じ切り、宗一郎は改めて正面の敵を見据える。
都合三人。
対峙する細身の悪臭男はショートソード程度の蛇行剣、ギミック無し。
背後に佇んでいる巨漢、肩に大斧を担いでいる。
最後尾にいる男、顔半分に刺青、武器確認はできない。蒸気を立てているのは魔導か。
巨漢の男が口を挟む。
「何級かは知らねえが、腕は立つんじゃねえか? テメエ確か、速度だけなら白銀に迫るんだろホラ。交代してやるか?」
「いらねぇよぇ」
好き勝手なことを言い合う二人を観察しつつ、宗一郎は構えを維持する。
「ところでバカだろテメエ、入れ口じゃなくて入れ食いっていうんだぜ?」
「――あそうか」
言葉が終わる前に、火花が再び炸裂した。
無拍子、初動二歩で宗一郎に迫る悪臭男。
迫る速度が悪夢のようだ。
首を狩り取る殺人独楽。順手と逆手、それぞれに持った蛇行剣が回転ノコギリのように頸椎を削り切ろうとする。雷光のように、火花で何度も何度も通路を照らしながら。
「ハハハなんだおまえ楽しいなあハハハハ」
暴風のような乱撃の嵐。独楽から暴風、台風へと規模を巻き上げ、悪臭男は哄笑した。攻撃の手を緩めることなく火花を何度も何度も咲かせ散らし、戦いを楽しみ続ける悪臭男。
男のテンションが最高潮を迎えようとした瞬間、宗一郎が唐突に後方へ退避。
男は宗一郎のその行動を見て激高しかけた。これだけ楽しいやり取りの最中に急に逃げ腰な動きしやがって。言葉にすればそのような内容になる。
だが、それを唾液を撒き散らしながら怒鳴り散らす前に、宗一郎の言葉に阻まれた。
「合わせねえよ、馬鹿」
宗一郎の姿がかき消える。
消えたことを視認し、理解し、驚き、かすかに追えた宗一郎の移動先に眼球だけでも合わせようとする。
男は失念していた。
宗一郎を視線で追う前にその切っ先を意識で捉えられたのは、偶然かあるいは誘導か。
回避が許されない。
身のこなしでどうにか避けようとする。動き自体は適った。が、相手も速い。仰け反りに捻りを加え、一回転し背中を打ち付ける。
眼球に鋭い熱を感じ、反射的に起き上がろうとして……胸部に重い一撃。肺の中の空気すべてが排出を強制させられる。先ほどまで火花を散らし合った少年が自分の胸部に着地していることを見た男は、その事象を理解しきる前に、意識を断絶させた。
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