第四話-⑥



 接ぎ家に直接転移して帰還した一同は、宗一郎の部屋に集まっていた。

 現在は諸々の道具を整えて、銀髪紅眼の少女の首に嵌められた呪具の解呪作業に勤しんでいる。


「そいじゃあ、ちょっとだけ顎上げててくれなー」


 という注文に、少女は疑う素振りすら見せずに白い喉を宗一郎に向かって晒す。露わになった粗雑な革帯と濁り石。

 魔力を集めた指先で革帯をなぞる。


「ああ、これならすぐ終わるわ」


 宗一郎は先端が丸みを帯びた、金属製のペン型の道具を取り出し、革帯になにかを文字のようなものを書き始める。インクもなにも付けていないそれは、ペン先から光の線が描き出されていた。


「え、と……別の魔導で上書き?」

「そうそう。構成が穴だらけだから、別の魔導を上に重ねて残留してる魔力を空転させてる。まあ魔力焼けしないように支えておく必要はあるんだけども」

「あーなるほど。それ聞いたことあるよ」


 少女の首に優しく手を添えて、空転を始めた魔力を受け止めている様子を見ながら、そういえばそんな方法もあったなと連想から思い出す月夜。


「最初はバグだったらしいよ、コレ。公式が面白いからって採用したとかなんとか。かなり格下の魔導相手じゃないとできないらしいけどね」

「え、そうだったのこれ?」

「うん」


 いかにも生活の知恵のような解呪方法だが、宗一郎もその由来までは知らなかったらしい。

 異世界でバグ由来もなにもあったものではないが、それでも、生活系の知識で宗一郎が知らないこともあることと、宗一郎に教えることができたこと、この二つで月夜はなんとなく嬉しくなってしまっていた。

 そうこうしている間に、少女の首にまとわりついていた粗雑な革帯が音もなく崩れ、塵となって消え失せる。


「もう、声も出せると思うよ」

「もし喉痛くなったら、このお茶飲んでね」


 その前に、と呟いた月夜はケトルから入れた茶を自分のコップに少しだけ注ぎ、口に含んでみせた。どうやら毒の疑いを晴らすための行為らしい。

 銀髪紅眼の少女はその様子を見てから自分の喉に指先を当てつつ、口を遠慮がちに開く。


「…………ぁ、ぁあー、ああー、けほっ」

「慌てないで大丈夫だよ」


 月夜が器用に少女の背中に手を回してさすっている。色合いはまったくの正反対なのに、どことなく姉妹っぽく見えるところが微笑ましかった。


「大丈夫?」

「……はい、ありがとう、ございます」


 銀髪紅眼の少女の声は、女性らしく高く柔らかなものだった。宗一郎は一瞬、声の音色に早朝の山間を流れる清流をイメージする。


「よかった。それじゃあ、自己紹介、していこっか」


 まずは月夜が名乗り、次に宗一郎が名乗る。方式はトール一家やドゥーヴル工房の面々にしたのと同じだ。

 新たな客人でまず最初に挨拶をしたのは、高校のブレザー制服を着た人物だった。


「え、えと……僕は紲、遥香、です。あの、センパイや朧先輩と同じ高校で……い、一年後輩です」


 チラチラと宗一郎側に視線を送る遥香。既知の間柄であるためか、内向的な性格の遥香は無意識のうちに宗一郎に助けを求めているらしかった。


「あれ? わたしたちのこと知ってるの?」


 月夜は(宗一郎もだが)今は異世界で作られた普段着を着用している。学校の制服は丁寧に折りたたまれ、現在は最初に配布された支援物資であるレザーザックの中に大切に仕舞われている。

 見た目だけの問題で言えば、月夜は割と高レベルで異世界の庶民事情に溶け込んでいる状態なのだ。同じ学校の、それもある意味で宗一郎以上に接点を持ち得るはずもない後輩に知られていることは……。


「いやほら、朧さんめっちゃ目立つから」

「…………ああ、そうだった。こっちに来てからはそんな視線なんてほとんど飛んでこなかったから、すっかり忘れてたよ」


 急に遠い目になる月夜。

 不本意とはいえ、学校生活から離れてすでに数週間。初手で異常な廊下と保健室、宇宙空間からスカイダイブ、河原でサバイバルしたと思ったら異世界で冒険者稼業に精を出し、やれ仕事だ戦いだという日々。この短期間でよくもまあ、と言えるほどには濃密な生活を送っていた。

 そのせいなのか、月夜は今まで普段の生活で常々感じていた視線から解放されていたことに気付いていなかったのだ。

 宗一郎は月夜と目を合わせて話すが、普段からじろじろと見てくるような真似は一切しない。それもまた余計に、月夜が視線を意識しなくなる要因となっていたのである。


「それで、榊くんとは面識があるみたいだけど、ひょっとしてこないだ話してた後輩さん?」

「そうそう。まあ詳しいことはあとで」

「ん、そうだね。それで、そっちの……」

「あっ。お二人とも、助けてくれて、どうもありがとうございました」


 銀髪紅眼の少女は正座に近い座り方をしたまま、深々と頭を下げる。


「わたし、名前はリサって言います。家の名前とかそういうのはなくて、ただのリサです。あの、ただの村娘、だったんです、けど……」


 リサと名乗った少女は、表情を困惑の色に染める。

 リサを追っていたあの三人の男のうち、顔半分に刺青を入れていたあの男はリサを指して、鍵という単語を使っていた。あれほど追い回しておいて、手を出すな、とも。

 それらを材料に考えていけば、自己紹介をするには言いにくい内容が含まれている可能性が高い。

 月夜はそこまで考え、宗一郎は感覚的に「言いにくいことでもあるんだろうな」程度に捉えていた。



「それで、二人はどうしてあんな場所にいたの?」


 一度茶を啜り小さな間を空けてから、客人二人に対して核心となる質問を投げる。

 宗一郎と月夜は緊急事態と人命救助という名目こじつけで突入したが、本来であればダンジョンとして扱われている『根』に一般人が入ることはできない。二人にしても戦闘力が知られているからこそ、速効性のある特例という形で侵入を許されていただけだ。


「ええと、紲さん? から教えてくれるかな」

「は、はい」


 指名された遥香が、少々驚きを見せながら、たどたどしくも説明していく。

 といっても遥香の主観で言えばやはり、突然あの通路にいた、以上のことは言えない。帰宅後、靴を脱ごうと玄関に座り革靴に指をかけたところで、あの場所にいた。


「てことは、移動した瞬間の感覚とか、あるいは変な感じがしたとかいう前兆とか、そういうのは感じなかった、か」

「う、うん。少なくとも、そういうのはなかったかな。僕もなんか、嗅ぎ慣れない匂いがするって反射的に思って顔を上げたら、もうあの場所にいたから」

「そうか……」


 遥香の応答に、宗一郎も月夜も唸る。

 かなり経緯は違っているが、妙な状況に移動した瞬間を感じられなかったのは、二人も同じだったからだ。

 二人の場合はなぜか奇妙な廊下と保健室を経由しているし、着弾した場所もマグナパテルから大きく離れた森の中ではあったが、そもそも、あの奇妙な廊下に移動した瞬間というものは、二人とも一切感じ取っていない。


「あのう」


 宗一郎、月夜、遥香の三人が唸り始めた直後、横で三人の話を聞いていたリサが声をかける。一瞬だけ彼女の存在を忘れかけていた三人は、その声を聞きハッを顔を上げた。


「みなさんはやっぱり……遥かなる星界からの旅人様……なんですね?」

「あ、あー……」


 いざ指摘されると答えに困る。

 隠していたことは確かだ。自分たちが遥かなる星界からの旅人に該当するであろうことも、おそらく間違いではない。遥香はまだ予断を許さない状況ではあるが、少なくとも宗一郎と月夜は、あの保健室でそう言われ出迎えられたのだ。合ってはいるのだろう。

 そして、状況も経緯も違うが、同じ場所からやってきたという意味では、遥香も旅人であろう可能性は非常に高い。

 つまり、否定できる余地は限りなく皆無。


「あ、大丈夫ですっ。みなさんが旅人様であるということは、わたしからは誰にも言うつもりはないんです。ただ、そうなのかなって思って、つい言っちゃって……」


 リサは、急に困惑の色を見せ始めた三人を見て、両手をぱたぱたと自分の前で左右に振りながら慌てて弁明する。


「いやあでもこれ、割と確信持たれちゃってるよなあ」

「だよねえ。となると隠すのは逆に失礼だよね」


 現状、二人が遥かなる星界からの旅人であることを隠す理由は、実はあまりない。ただドゥーヴルから聞いた話からして、変な騒ぎが起こる可能性があった。そのとき二人は揃って「なんか面倒なのやだよねー」という、実に雑な理由でなんとなく言わなくなったのである。

 それにある面では、隠すほうが逆によろしくない可能性すら出てきていた。

 二人は頷き合い、同時にリサに視線を戻して白状した。


「たぶんって付いちゃうけど、その遥かなる星界からの旅人で合ってると思うよ。まあ自分たち自身が、まだ本当にそうなのかよく分かってないんだけどね」

「聞いた話から推測してるだけだしなー」


 あっはっは、などと暢気に笑う宗一郎。


「えっと、僕も……?」


 遥香に至っては、そもそもそういった情報を得る機会がまったくの皆無であったため、遥かなる星界からの旅人という言葉の意味などまったく分からない状態だ。


「要するに、こっちの人たちにとっての異世界人を指す言葉なんだと思うわ、遥かなる星界からの旅人。だから俺も朧さんもそうだし、おまえだって同じなわけだ」

「はあ、なるほど?」


 いまいちよく理解できていなさそうな遥香ではあるが、宗一郎たちもそこまで詳細は把握していないので、実は知識量は遥香とあまり変わらなかったりする。


「まあほら、たぶん無意識にやってんだろうけど、おまえだって……あー、君のことはリサって呼んで大丈夫?」


 話を振られたリサは、にっこりと微笑んで頷き、了承した。


「ありがとう。とまあ、リサが喋ってる言葉を理解できてると思うんだけど、どう?」

「……あ、そういえば確かに」


 悪漢に追われ、宗一郎たちが駆け付け戦闘になり、その光景を見て呆然としている間に戦いが終わってこの部屋に飛んだ。突然こんな世界に来てしまって混乱しているところにそんな怒涛の流れが襲い掛かってきたため、遥香はいつの間にか、言葉の懸念をすっかり忘れていた。


「そういう、言葉が通じるところも旅人の特典っぽいんだわ。まああって不便でも邪魔でもないわけだし、そういうもんだって思っておくといいと思う」

「う、うん。分かった」


 今の名前呼びのやり取りを、遥香は確かに聞いて理解していた。宗一郎にその点を指摘され納得できた遥香は、言われた通りにそういうものだと頷いた。

 話者は交代。銀髪の少女は宝石ルビーのような瞳を瞬かせて、己が語る番だと察した。



「わたしがあの場所にいたのは、あの時にソウイチロウ様とツクヨ様が戦った三人の男の人に攫われてしまったからなんです」


 リサは当時、護衛二名、神官四名の計六名の大人に囲まれながら、マグナパテル中央樹のとある秘密の経路から、とある場所へと向かって歩を進めていた。

 星屑の間と呼ばれるその場所は現在……いや、古今東西、特定の人物しか入室は叶わない。

 入室資格を有する人間は星の神薙カギ、そして遥かなる星界からの旅人である。


「その日は、その星屑の間で新たな旅人様をお迎えする日でした。その日もわたしは、いつも通りに旅人様をお迎えにあがるために、その星屑の間へと向かっていたんです」


 大樹国家マグナパテルにおいて、遥かなる星界からの旅人が下りてくることは吉兆とされている。過去に世界に姿を見せた旅人たちはみな、記録を見る限り例外なく、なんらかの超常的な力を備えている。中には現在も連綿と続く巨大な技術大国を興した人物さえもいる。

 しかし、旅人を出迎えるには然るべき場所で然るべき人物が応対せねばならない。これはヒトが定めたものではなく、世界が定めたルールだ。

 星屑の間に下りてくる旅人たちを出迎える役目を負うのは、星の神薙と呼ばれる人物。

 神薙カギは星……この惑星の主宰神である女神に指名され誕生する。

 今代の神薙はリサだった。

 いつも通り、星屑の間の入り口に到着した一行は、リサの暫定解錠を待つ間、神官は儀式補助を、護衛は文字通りにリサたちを守護するために周辺を警戒し始める。


「閉められている鍵を開こうと、扉に手を伸ばしたときでした。突然、後ろから大きな手で口を押えられて、あの首輪を巻かれたんです。いきなりでほとんど何も分からない状態だったんですけど、一瞬だけ、護衛の人たちが倒れているところだけは見えました」


 その後、ほとんど腕力だけで脇腹に挟み込まれるようにして拉致されたリサは、あっという間にその場からどんどん遠ざかっていく。


「それ、どうやって逃げられたの?」

「こうなる可能性もあるって、護身用の護符を持たされてました」

「ああ……なるほどね……」


 リサが手元から、焼け焦げて破れた札を取り出す。なんらかの魔導文字が書かれていたようだが、すでに判読不能な状態になっているため、読めない。


「んーでも聞いてる限り、リサちゃんの立場とか考えると付けてる護衛って弱いはずはない、よね?」


 月夜の当然ともいえる疑問に、リサは首を振り、露骨に視線を泳がせ始めた。


「強そうな人たちだな、とは思っていたんですけど、どれくらいなのかは分からなくて」


 恥ずかしげに頬を染めて白状するリサに、ささやかな笑いが起こる。確かに言われてみれば、戦闘のセの字にも関わらないような人間が、見ただけで強さが分かるわけがなかった。


「それで、あの道を逃げ回っている間に、えっと、ハルカ様に出会ったんです」

「なるほどなあ。リサが狙われてる理由とか、その辺もすげえ納得だわ」

「だよね。問題は、誰が狙って来たのかってとこだけど」

「ま、そこら辺はなんとかできると思う」

「できるんだ……」


 宗一郎のできる発言に月夜は即座に頷いてみせるが、遥香は半信半疑な態度を隠せずにいる。


「まあ、おまえにも手伝ってもらうことになると思うわ。こっちはほんと、色々と勝手が違うからさ」

「う、うん。分かった」


 話は決着。さてこれからどうしましょうと話の流れが移り変わる。

 やることは山積みで、まずこの部屋で四人は難しくねー? と宗一郎が頭を悩ませる。


「……あ、あのう。ちょっと言いにくいこと、なんですけど」


 小さく遠慮がちに挙手するリサ。

 相変わらず恐縮しきりで、今まで以上に小さく縮こまりながら、銀髪紅眼の少女は、


「あ、あの、実はですね。わたしを護衛してくれたお二人が、遥かなる星界からの旅人様、でして……」


 実に申し訳なさそうな態度で、まったく聞き流せない言葉を口にした。

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