第一章

第一話

第一話-①

 高度四万メートルからの強制スカイダイビングを体験させられ、異世界に着弾してから約三十分後。


「……なんで生きてんだろう」

「保健室の扉を開いたら宇宙だったよ……」


 森林の中にぽっかりと開いた広場の中央で、宗一郎と月夜は仰向けになりながら、そんなことを呟き合う。

 実際、月夜はあの瞬間、心臓が口から飛び出るか、もしくは破裂する思いだった。

 いよいよ保健室の使用制限時間も間近に迫り、さあこれから異世界に旅立つぞという瞬間。宗一郎がアルミドアを慎重に開いたと同時に保健室そのものが消滅。このとき、月夜は無意識に宗一郎のブレザーの裾を摘まんでおり、自由落下に切り替わった瞬間に思い切り抱き着いた。

 月夜は結局、悲鳴を上げて気付けばこの状態だった、というくらいには恐怖に飲まれていた。

 その後、二人揃って早鐘を打つ心臓が収まるまでの三十分間、ずっと広場で大の字仰向け状態で放心状態にあったのである。


「とりあえず、ここが異世界ってことでいいんかな?」

「そうだと思うんだけど……なんていうか、地球とあんまり変わらないね?」

「だよなあ。外国の森にこういう場所ありそうな感じするわ」


 割と平坦な大地に、それなりに間隔を空けてそびえる木々。咽そうなほどの圧倒的な緑色と森の匂い。日本の山々とはまた違った雰囲気の森ではあるが、異世界、という雰囲気も特に感じない。せいぜいが国外の森林といった印象だ。


「まあでも、落ちてるときに見た感じだと、ユーラシア大陸の形状はしてなかったし日本もなかったから、ちゃんと異世界ではあると思うよ」

「……あの状況で大陸の形とか見てたのか。朧さんすげえなマジで」

「一瞬だけだったけどね。それにほら、横にあったアレ、どう考えても地球には存在しないものだったから」

「ああ、確かに。あれは俺も一応見えたしなあ。ちゃんと眺める余裕はなかったけども」


 もそもそと起き上がった二人は、そのまま背中に背負っていたことも忘れていたレザーザックを取り外して、口を開きながら雑談に入る。


「うう、髪がぼさぼさだよ……」

「朧さん、髪長いもんなあ。手櫛でも大変だろそれ」

「たぶん音速で落ちてたのに五体満足なんだから、そっちに感謝しとかなきゃいけないんだろうけどね」

「生身で音速行って生きてるほうがおかしいからな、ほんとは」


 ザックをごそごそと漁る。

 中に入っていたのは粗末なナイフ、フード付きの裾長なレザーマント、それぞれの革靴、小さなランプ。


「なんで革靴ローファーなんか入ってんだ?」

「ね、なんでだろ。……って榊くん、わたしたち上履きのまんまだよ!」

「え、うわマジだ!」


 今まで上履きであったことにこの場で初めて気づいた二人は、いそいそとザックの中から出てきた革靴に履き替える。


「でも山の中で革靴ローファーって逆に辛いよ……」

「せめてスニーカー欲しかったよな。あとは何入ってんだこれ」

「それ以前にわたし、こういうのってこう、異世界っぽい服装一式が入ってるものだと思ってたよ」

「異世界に制服って確かになんか違和感あるよなあ。……てかあれじゃね? 修学旅行先で迷子になった二人って感じ」

「ああー。……もう駄目だよ榊くん、そんな自由気ままに行動しちゃあ」

「……ん、んん? あれ? あ、いや、なんかすいません……」

「ううん、いいよいいよ、気にしないで。じゃあとりあえず、どこかで合流しよっか」

「うん、サンキュ。ところでちょっとさ、朧さんのほっぺつねっていい? 全力で」

「全力で!?」


 毛布。松明たいまつ手斧ちょうな。麻紐の束。中身入りの革製の水筒。火打石ひうちいし火口ほくちセット。

 榊宗一郎向けの魔導説明書。

 朧月夜向けの魔導説明書。


「……ねえ榊くん、なんかおかしくない?」

「絶対に小学生のランドセルよりも容量はないんだけどなあ」


 プロテクター付き指ぬきグローブ。ポーチが複数取付られ、左腰側に謎の輪が装着された革製のベルト。

 レザーザックから取り出された物は以上であるが、明らかにザックの容量以上の物資が次々と飛び出してきた。

 そして極めつけが。


「魔導説明書って、なに」

「俺が聞きたい……。けどまあ、これも含めて支援物資ってやつなんだろうなあ」

「じゃあやっぱり、これも読んでみたほうがいいってことだよね」

「それにしてはなんかすっげえ薄いけどな。ハガキ一枚分程度で何を説明するつもりなんだ」

「……ええと、あ、裏面に書いてあるよ。当用紙を額に当ててください、だって」

「まあ、うん。もう四の五の言わずにとっとと当てたほうがいいよな」


 さっさと話を進めるために、二人はなんの躊躇いも見せずにハガキ状の紙をすぐさま額に当てる。

 なんとなく目を閉じて紙を額に当てると、瞼を貫くように眩い光が二人を包んだ。同時に紙は無数の光の粒子となり、二人の頭の中に吸い込まれる。

 二人の頭の中に、既知の知識が流れ込む。その知識の感触は二人にとってよく知ったものであり、その内容は確かに〝説明〟足りえるものだった。


「……ああ、特殊展開ってそういう?」

「そう、なのかなあ。まさかZLOのステータスが反映されるだなんて思わなかったよ。魔導もそういう意味だったんだね」

「スラング対応してるとか思わないもんなあ、普通。ご丁寧に使用感覚まで突っ込んでくれるとは思わなかったわ」

「あとでステータスとかスキルの摺り合わせもしないとだね。……本当ならゲームのほうでちゃんとやりたかったよ」

「まさか異世界で、だもんな」


 思わず苦笑いを浮かべる宗一郎。

 とりあえずこの場にいても仕方がないと、二人はいそいそとザックから取り出した荷物を仕舞い直す。明らかに容量に合わない量の荷物のうち、グローブとベルトはその場で装着し、他はザックの側面にぶら下げたり内部に仕舞った。


「とにかく、まずはあそこを目指すべきだよね。これ以上ないほどこれ見よがしだし」

「今はそれしか目的がないしな。てか改めて見るとやばい高さだよな、あれ……」

「わたしたちが宇宙に放り出された時には先端っぽいのが真横にあったから、成層圏まで届いてそうだよ」

「軌道エレベーターかな?」


 二人がいる場所からは相当に距離があるはずなのに、見上げても頂点がまったく見えず空に霞む、凄まじく太い柱のようなもの。

 形状があまりに現実離れし過ぎていて、だからこそ肉眼で捉えているにも関わらず実感に乏しい、その存在。雲を跳ね除け空を貫き、青の天蓋をも裂いて屹立している正体不明の巨大な柱を、二人は目的地と定めた。


「大きすぎて遠近感狂うなあ。これ思ったよりもすごく遠くにありそう」

「街道に出られればいいんだけどな。せめて人通りがある道に出られれば、それなりにやりようもあるんだけど」

「方角については……まあ間違えようがないよね。あんなに分かりやすい目印があるわけだし」


 木々の葉によって作られた屋根の隙間からでも、巨大な影という形で存在感を示し続ける巨大な柱。


「【妖精の導きフェアリーガイド】で近くにある道までの経路割り出せないかなって思ったんだけど、俺覚えてなかったや。朧さん覚えてる?」

「ううん、わたしも覚えてないんだ。東西南北が分かる【方位測定コンパス】なら覚えてるんだけど……」

「オッケーオッケー。まあアレがある限り方角を見失うことはないだろうし、東西南北についてはルールが地球と同じなら大雑把には出せるだろうし、魔導を使うまでもないか」

「そういうやり方知ってるの?」

「狩猟関係のクエストも結構触ったからさ。あとはほら、日時計とかもあるし」

「あ、なるほどね」


 宗一郎はそのまま空を見上げる。

 枝の隙間から見える空は青色で、ちらほらと雲の白が散って見えている。空気の感触と温度、湿気や雰囲気からして、現在時刻は朝だろうと当たりを付ける。

 日本とそれほど差異がないのであれば、季節は夏かそれに準ずるものだろうと推測。森林内はある程度涼しいだろうし、日暮れまでの時間も長いだろう。

 そして、それ以前の問題がある。


「ザックの中、金銭っていうか、そういうのは入ってなかったよな?」

「うん。さっき中身を確認してたときにザックの奥のほうまで漁ってみたけど、そういうのは見当たらなかったよ」

「つまり、無一文と……」

「だね。町に入るにも税金とか取られるとしたら、何か換金できるものを用意したいところだけど……」

「うーん、金目のものか」


 金目のもの、という自分の発言をきっかけにして、宗一郎は改めて周囲を見渡した。

 希釈された拡張現実のそれではない。

 濃厚な、五感に直接訴える圧倒的な物理的情報量。

 色彩鮮やかな森の光景。鼓膜に届けられる柔らかな葉擦れの音を運ぶ風は、肌を撫で、森の香りで鼻腔をくすぐる。

 高校生としての宗一郎は、植物について大した知識は持ち合わせていない。だというのに、見渡して視界に入る植物のほとんどを知っている。それどころか、それぞれの植物の使い道までもが明確に頭に浮かんでくる始末だ。


「んー、河原とか見つかればなんとかなるかも」

「かわら? かわらってあの、屋根の?」

「んふふ、朧さんそれガチ質問?」

「……やっ、やだなあ榊くん、ちょっとしたジョークですよジョーク」


 ガチだったんだなあ、とちょっと遠い気持ちになる宗一郎。彼の中で、朧月夜は割と天然の気質があると認定された瞬間だった。


「それでえっと、河原って川だよね。なんでそこへ行くとどうにかなりそうなの?」

「ちょっとポーションとか作れそうだからさ。水が必要になるし、あと俺たちが飲める水だって確保できるからな」

「あっ、なるほど。なら近くに川があったのは見えたよ。ちょうどあの柱方向」

「……いやほんと、朧さん記憶力すごくねえ? 落下時間は結構あったけど、あの状況で地表をそこまで細かく見る余裕はないと思うんだけども」


 そう問われると月夜は、照れくさそうにてへへと笑い後頭部をかきながら頬を赤らめた。


「昔から、記憶力には自信があるんだ。具体的には〝記憶の想起力〟がすごいんだって」

「へええ~。想起力ってことは、思い出す力がすごいってこと、だよな?」


 感心しきりの宗一郎の反応に、月夜はひたすら照れくさそうにしている。

 月夜の記憶力は、HSAM、もしくは超記憶と呼ばれる症状に近い。だがそれを患ってしまい、忘却能力を喪失してしまった彼らのものとは違って、月夜のものは正確に表現するのなら〝記憶の超想起力〟とするのが正しい。とにかく、再生、再認、再構成に優れているのが月夜の記憶能力なのだ。

 そして一瞬でも記銘できれば、月夜は完璧かつ欠損皆無で想起できる。


「と、とにかくえーと……うん。あの柱のほうに向かって歩けば川に出るよ。森もちょうどその辺りで切れるみたい」

「そっか、いやほんと助かるよ。じゃあとりあえず、日が高いうちにその河原目指そうか」

「うん、オッケー」


 まるで昼休みに学食に連れ立つ友人同士のように。二人は気軽に森の広場を立ち上がり、レザーザックを背負い、巨大かつ遠大すぎて青く霞む巨大な柱に向かって歩き出す。

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