大好きだから、君へ。

水硝子

大好きだから、君へ。


 あぁ、もう駄目だ。

 その日、私は直感的にそう思ってしまった。携帯に目を向け、小さくため息を零す。

 ずっと振動し続ける私の携帯は、電話が来ているわけではない。ましては、私の誕生日なんかでもない。ずっと同じ人からのメッセージを受信し続けている携帯は、睡眠というものを拒否するかのように、ずっと存在を示していた。

 ディスプレイに表示される“実早みはや”という文字。通知件数はとうに五十を超えていた。それだというのにまだ増えていく右上の数字。スタンプを連打されているならわかるが、そういうわけではない。すべて短い文だ。

「……はぁ」

 日付が変わろうとしているというのに、めげず送ってくる送り主に関心はするが、さして嬉しくはない。これでもし自分がアルバイト終わりでなかったら今頃は寝ている時間だ。寝ているときにやられていたら、フラストレーションでいっぱいになっていたところだろう。

 再度ため息をつきながら、送り主のアイコンの上へと親指を動かす。しかし私はアイコンを押すことなく携帯の電源を落とした。



「ごめんね。別れたい」

「……え⁉」

 翌日の大学内のカフェテリアの端にて。高めのテノールボイスが高らかと響き渡った。

「しっ! 実早声大きい!」

「ああぁ、ゴメンゴメン」

 椅子から離れてしまった身体を正すように座りなおせば、汗をかいているコップへと手を伸ばし、口に含む。目の前には、子犬のようにふわふわな髪をいじりながらも私も見つめている実早の姿があった。

「あのね。私昨日なんて言った?」

「え? えと……“バイトだから連絡は我慢してね”……?」

「うんそう。ちゃんと伝わってて何より。……で、これは何?」

 彼の前に突き出す携帯の画面。そこには昨日のひどい通知の画面が映し出されているはずだ。

 しかし彼は私の画面を数秒見た後、小さく首を傾げた。

「……だからオレ、待ったよ?」

「…………何時間?」

「三十分!」

 ……誰かコイツの首を締めあげてくれ。

 手に持ったままのアイスグラスを撫でながら、私は栗色の綺麗な瞳を見つめた。

「あのね? それは“待った”って言わないから」

「えぇ? だってチカと話しできないのはちょっと……」

「ちょっと……、じゃないよ。さすがに分かって。あと私チカじゃなくて千栢ちかや

「えぇ? いいじゃんチカ。可愛いよ?」

「そういう問題じゃないんだよ……」

 そういうあだ名をつけてくれるのはうれしいのだが、実早はこの大学で結構な恰好良さだ。……良さ、らしい。私にはわからない。実早と付き合ったのだって、最初は告白されたから、に過ぎなかった。告白されるまで実早がどれだけ有名なのかも知らなかったから、仕方のないことだったのかもしれないけれど。

 しかし、人気のある人だからか、本当に可愛いとかそういうもので済まされるものじゃない。大学の情報を掲示する公式掲示板では、実早が“チカ”と呼ぶことが増えたから、ニックネームが“チカ”系の名前で溢れかえっている(無論私はカヤという名前にしている)し、SNSの名前すらチカにしている人だっている。勘弁してほしい。だが実早はまったく気にしていない、というか知らないのか、人懐っこい犬のように私の周りで笑っているだけなのだ。それに白羽の矢が立つ先は私なのだともわかっていないのだろう。きっと。

 彼も目の前のアイスグラスに手を伸ばしながら、長いまつげを下に向けた。

「……でも、別れたいって急に、なんで? 確かにオレ、連絡すっごいまめだし、それで嫌だったのかも、っていうのは…………、分からないけど、分かりたい」

「おい」

「でも! チカ嫌だったらいつも “イヤ”って、蹴り入れながらでも言うじゃん! ……そこで泣いたらもっと可愛いんだけど」

「体育館裏来るか?」

「それは嫌。だから今回はすごい謎なの。……ねぇ、なんで急に?」

 今までのほほんとしていた瞳が鋭くなる。どこか寂しそうなのだが、絶対に離さない。そういわれているような気がして、思わず視線を逸らした。

 実早はそんなことを気にもしていない、というような様子で、ずっと私のことを見つめていた。私が言葉に詰まるといつもこうして待ってくれる。すごく優しい彼。まめすぎる連絡がなかったらきっと。……いや、まめな連絡も好きな人と一緒になれば、もっと幸せそうに笑うのだろう。

 私は雑念を追い払うように頭を左右に振れば、実早の持つアイスグラスに視線を落とした。

「……ウザかったのは事実だよ。もう、やめてほしい」

「……うん」

 やっぱりか、というように実早の口から息が零れた。

「でも……、実早じゃないのがもっと嫌だ」

「……はぇ?」

「あと私、留学制度取ってるから。これから二年は留学だし」

「ちょっとまってチカ。今理解できない言葉が聞こえたんだけど」

「私が離れてる間に、きっと実早は他の女の子に取られちゃうだろうし」

「待ってチカ留学!?」

「そろそろ女の子からの悪口もエスカレートしてきて、最早イジメみたいだし」

「まって離れないよ!? って待って待って待って!? チカ女の子から悪口受けてんの!?」

 今の今までテンポ遅れで反応していたチカの瞳に鋭い光が宿った。

「いやごめん言い方間違えた。陰口」

「いやどっちでもあまり変わらないよ……」

 カフェラテの入ったグラスのせいで冷え切った右手に、まだ暖かい実早の手が触れる。彼もずっとグラスを持っていたというのに、なぜこうも暖かさが違うのだろう。

「いやでも、それは別に気にしてないからいいんだ、別に。……問題はその二年の留学。もう実早は大学の課程修了しちゃうでしょ? でも私はその後また二年大学に居ないといけないんだ」

 留学制度は取得できる単位が増えるだけで、実際は取得する人の方が少ない。何せ大学に在学する期間が二年増えて、六年になるのだ。医学部でもないのに、留年したわけでもないのに、好いて居ようとするものは少ない。よって、その年に二人いればいい方だといわれている。

 私ははその二人のうちの一人なのだ。

 つまり、実早は自分より早く卒業してしまう。社会人と大学生では、空いている時間も日にちも、違うことの方が多い。すれ違いが、沢山増える。


――すれ違うのが、それが、当たり前になるのは、嫌だ。


「正直実早のことはウザいと思ってる」

「えっ」

「私の言葉ちゃんと聞かないし、なつっこすぎるせいで友達と遊べないし」

「うっ」

「課題すらギリギリだし」

「ぐさっ」

 そういう傷を声に出していってしまうところとかも。

「でもね」

 学食の中の景色が、まるで留学先に旅立つ前の空港のように見えて、思わず視界がゆがんだ。

 でも歪んだままなのは嫌で、私は目元を思いっきり擦った。

「私。そんなクソ面倒くさい実早が大好きなんだ。……初恋、なんだ」


――大好きだから、別れよう。もしかしたら。もしかしたらあるかもしれない未来のために。


 実早は驚いたような表情も、傷ついた表情も見せることなく。ただ、いつも通りの柔らかく、犬のような表情だけを浮かべ、こう言った。


「うん。知ってる」

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