ラーメンとみのりんの出会い

「美味しいね!」




一瞬だけ俺の方を見てそう言ったみのりんの表情は実に充実していた。




彼女が箸を動かす度に、俺の腕や脇腹に肘でガンガン攻撃を加えてくる。ラーメンのスープをこちらに遠慮なく飛ばす勢いで、唇を尖らし、口をすぼめて、勢いよく麺をフードインしている。




なかなかの吸引力だ。




その吸引力を是非味わってみたいです。






しかしそれは別として俺はあることに気付く。




「ズルー!! ズルズル! ズゾゾゾ!!」





みのりんの眼鏡が微塵も曇っていない。




ラーメンを食べる度に、麺をスープから持ち上げる度に、顔全体に湯気を浴びているのだが………。





「ズゾゾゾー! ……ンフッ!? ゴフッ!」





麺を勢いよく啜り過ぎて、気管にコーンが入りそうになってしまったのか、そんな風にむせることはあれど、彼女の眼鏡は全く曇らない。



それがちょっと不思議だった。



むしろ、眼鏡もラーメンの湯気を楽しんでいるように思えるくらい。



もしかしたら、ラーメンが好き過ぎて、そういう特殊能力を得ているのかもしれない。




俺は咳き込む彼女の背中を優しく擦りながらその理由を聞いてみた。




するとみのりんは、スープをヒタヒタに吸わせたチャーシューを頬張った後に……。





「これ、ラーメン用の眼鏡だから」






そう答えた。







ラーメン用の眼鏡って何?




という疑問が俺と店主であるおじさんの頭の中を渦巻く。



みのりんはさも当たり前のようにそう口にしたけど。



そしてすぐに何かを返せなかったことによる微妙な空気が3人の間を眺める。




「すみません!2人いいっすか?」




「いらっしゃい!」




俺達と同じくらいの年齢のカップルラーメニストが現れ、俺達の時よりも幾分かキレいい、いらっしゃいでラーメン用の眼鏡発言による不穏な空気から脱却した店主。



メニュー表を見上げたそのカップルは、互いにみそラーメンを注文し、彼氏さんの方は、コーンとチャーシューを追加でトッピングしていた。




そんな注文を受けて店主はまた同じように、引き出しから、中華麺を取り出して早速ラーメン作りに取りかかる。





まあたしかに、仕事用の眼鏡とか。運転用の眼鏡とかは聞いたことはあるけど。野球選手でも、デーゲームになるとサングラスをする人はたくさんいるし。



しかし、ラーメン用の眼鏡とは。



俺は少しの間、ラーメンを啜りながら考えて、レンゲでスープを1口2口飲んでからさらに訊ねてみた。




「山吹さん、ラーメン用の眼鏡ってさ。レンズに曇らないような加工をしているってこと?」







「……しょうゆこと」






まさかのギャグまで飛び出してしまった。









あの物静かな。あの控えめな。




干してある下着をクンクンと嗅ぐわせて頂いても決して怒ることはなく、いつも俺のことを1番に考えてくれているみのりんの口から、しょうゆことなんて、何年ぶりに聞いたか分からないダジャレが飛び出した今、もうこの屋台はみのりんの独壇場であるとも言える。


だからこそというわけではないが、俺はみのりんに聞いてみたいことかあった。




「どうして山吹さんは、そんなにラーメンが好きなの?」





そう訊ねると、スープを一口すすった彼女がおもむろに夜空を見上げる。




「あの日は、よく覚えているよ。確か、小学5年生……いや、6年生の時だった。………待って。もしかして4年生の時だったかも……」




「よく覚えてるんじゃなかったのかよ!」





そう言った瞬間、隣のカップルが2人して同時に吹き出すようにして笑った。




そしてみのりんはシメシメという顔をして語り始める。




「寒い1月の末の頃。その日は、遠い親戚の法事に行っていて、帰る頃には雪がちらついていた。


帰り道は渋滞。夜になっても、なかなか高速から降りることが出来なかった。



明日は月曜日なのにと、ため息をつく私。


ようやく渋滞から逃れるようにして一般道に降りたところで、運転していた父が………ラーメンでも食べてくかと、ハンドルを左に切った。



家族全員で車から降り、ラーメン屋に入っていったが、そのお店はなんだか古めかしい佇まい。風か吹くとガタガタ揺れる戸。赤色のテーブルと椅子。古雑誌がお座敷の端に積み上がっていて、なんだか床もベタベタだった」




ポケットから出したティッシュで彼女は鼻を拭いた。






「でも、出てきたラーメンは本物だった。何時間も車の中にいて、イライラしていて、雪が降っていて寒くて。でも、そのラーメンを食べたら全ての負の感情が吹き飛んだ気がしたの。


私はひたすらに、ラーメンをすすった。途中、お姉ちゃんの分をぶんどりながら、一心不乱にラーメンを食らった」




「いや、姉のラーメンをぶんどるな」




「食べ終わった後、私は何故だか泣いていた。………明日提出の宿題を全くやっていなかったことを思い出して………」




「しょうもないオチ」



真面目に話しているのか、笑わせたいのかもうどっちだが分からない。



分かるのは今食べているラーメンも最高に美味いということだけ。








「ごちそうさまでした」




「ごちそうさまでーす!」




「はーい、どうもー」




ちぢれ麺をズンゾズンゾ啜って、チャーシューをバクバク頬張って、最後は思い出話をしながら、どんぶりを両手で抱えるようにしてゴクゴクスープを飲み干したみのりん。




普通女の子がラーメン食べた時って、パスタ食べてるみたいに静かに食べ進めていって、最後はスープをちょっと残してそっとごちそうさまって思うんだけど。



スープを最後まで飲み干したら、空になったどんぶりにスコーンとレンゲを放り込むからね。いもりんさんは。



しかし、脱いでいたコート羽織ながらのその表情は幸せそのもの。




今日1幸せそうな表情をしている。




またゆっくり歩きながら旅館に向かう間、隣でみのりんは鼻歌を奏でる。






「新井くん、ラーメン美味しかったね」




「なー。しょうゆのキレを感じるスープだったよね」






「本格派右腕の外角低めに決まった高速スライダーみたいに?」





「山吹さん、どうしちゃったの?」





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