新井さん、やらかす。

「僕がおかしいのはネタの中だけだから。……世間的にはね、こいつの方が頭いいと思われてるけど、この前ネタ作りで深夜のファミレス行った時に……」





セットの隙間から、声のする方向を覗いてみると、客席に向かって立つようにしてトークをしているわたぽんの2人の姿が途切れ途切れながら見える。




まさに収録前の前説中らしく、ネタ見せパートが終わり、フリートークの時間に移ったようだ。





前説とは、収録に訪れた一般の観覧者相手にネタやトークなどで盛り上げて、より温まった状態で収録を行うための大切な時間。




ここでの出来が番組の盛り上がりに繋がり、その頑張りがその芸人の評価に繋がる。





若手芸人が売れるための登竜門とも言われるものだ。





さっきちょこっと顔を合わせてだけだが、しかも自分そっくりな他人とは思えない同世代の人間が、これからの芸人人生がかかっているかもしれない前説に挑んでいるとあってハラハラしていたのだが。







「「アハハハハハ!!!」」




どうやら心配なさそう。




わたぽんの2人の軽快なやりとりで繰り広げられているエピソードトークには、観覧者の女性達から拍手笑いも起こるくらいの大ウケ。




スタジオは2人の活躍で大いに盛り上がっていたのだが……………。







なんだか前室近くにいたスタッフ達がにわかにそわそわと慌て出したのを感じ取った。





なんとなく慌てるスタッフの様子を伺っているとその中の1人が………。






「山のぼるさんが倒れたらしいです……」





と、誰かに報告する声が聞こえた。




それを聞いた瞬間頭が真っ白になった。さっき会ったばかりの山さんが倒れた………?




それと同時に、急にふらつき、顔色もよくなかったことも思い出した。



思わず走り出しそうになる感情を押さえながらセット裏から前室に引き返すと、楽屋から来る方向から、数人のスタッフに支えられるようにして、山さんが現れた。




両側に付いたスタッフにそれぞれ肩を貸すようにしている。もはや自分の力では歩くこともままならない。



スタッフの呼び掛けには反応しているが、少し頭をだらんと下げるような状況で、座らされたパイプ椅子にもたれ掛かるようにして、荒く呼吸をしている。





俺は思わず山さんの側に駆け寄った。





「だ、大丈夫ですか!?」





俺の呼び掛けに、山さんはゆっくりと反応するようにして右手の手の平を見せた。





「あ、ああ……。大丈夫だよ………。ちょっと今日は体調悪くてね………。なあに、いつものやつ。少し休めばよくなるさ」




と答えたが、言葉に覇気がなく、視線も虚ろな状態で明らかにちょっと体調が悪いとかそういうのではないと感じ取った。





しかし、俺の後ろからやってきたのは、態度と格好から察するにこの番組のディレクターの男。



黒いカーディガンを羽織り、ちょっと高そうな腕時計をしたその男がズカズカと歩いてきて、俺と山さんの間に入る。





そしてこう言った。






「とりあえずあと10分後に始めるんで、それまでに体調はなんとかして下さいよ」






その瞬間、俺の中にあった何かがぷつーんと切れた。




体調が明らかに優れない高齢の山さんに向かって、その一言は正直ないと思った。




山さんの体を一切気遣う様子がなく、ただ一方的に、まるで軽い風邪を引いたか、二日酔いの人間に対して述べるような、それこそ無神経な言い方に、俺は久々に本気で人を睨み付けてしまった。



確かに莫大なお金や尽力がかかっているテレビ収録なのかもしれないが。



野球で例えれば、日本シリーズの第7戦に、肩を痛めているエースを強行先発させるようなもの。




その人物の今後やビジョンのようなものが見えていない。人の上に立つ人間がそんな思考ではチームが崩壊してしまう。




全く知らない人間やタレントならいざ知らずというところも、もちろんあるが、それを差し引いても、さすがにその言葉はないだろうと、俺は一瞬で相当にイラついてしまった。





「何を考えてるんだ! 山さんはこのまま収録出来るわけないだろ! 中止だ、中止! 早く救急車を呼べ!!」







「……………」






「……………」






俺が怒鳴った瞬間、その場の空気がこれ以上なくシーンとなっていた。








あれ? そこまでのつもりはなかったんですけどね。




周りのガヤガヤしている中の1つくらいのつもりで言ったんですけど…………。





「…………」





「…………」





見渡さなくても、周りにいた20人30人という人間の視線が俺に集まっているのが分かった。






その中には、女性の眼差しもある。







興奮するぜ。






「なんだとこの野郎! 誰に向かって口聞いてんだ!!」





ディレクターの男は、興奮して唾を飛ばしながら、俺に掴みかかってきた。





俺にとってのこれ以上ない最高の一張羅。人生を変えてくれたと言っていい、ビクトリーズのピンクユニフォームの胸ぐらを掴まれるようにしても、やり返すことはなく、俺はわりと冷静であった。





「この番組にな! この番組にいくらかかってると思ってんだ! ちょっとやそっとじゃ止められねえだよ!」




と、ディレクターの男は言う。




しかしそれはあくまでお金の話。スポンサーがどうとか、ここまでの制作費がどうとかそんな話だ。





「そんなことよりもっと大事なことがあるだろう! 山さんにこのまま無理をさせて取り返しのつかないことになったらそれこそどうするんだ!


そうなったらテレビ局ごと終わりだぞ!今日はダメでも、また次の機会に撮り直せばいい話だろ!こんな状態でいい番組が作れるのか!?」




と、言ってはみたものの、ディレクターの男は興奮するばかり。ユニフォームを掴むに腕はさらにギリギリと余計な力が入り、歯を食いしばり、目は血走る。





「そんなことてめえに言われる筋合いはねえんだよ!!……ちょっとコントの大会で売れたからって調子に乗るなよ!!てめえの代わりになる芸人なんざ、今の時代いくらでもいるんだ!誰のおかげで前説の仕事もらえてると思ってんだ!」

















え?




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