芸能界という山の頂きにいる男。
「新井さんはアスリートチームに所属しまして。座る位置は、後ろの右側ですね」
「なるほど」
「新井さんはクイズとかは得意ですか?」
「うーん、まあ。雑学とかスポーツ関係のものなら好きですけど」
「そうですか。途中、新井さん用に、バットでパネルを抜くゲームがあったりしますので頑張って下さいね。…………それでは楽屋の方に行きましょうか」
どうやら俺の見せ場もしっかりと用意されているらしいわね。
もう少しスタジオを見学したかったのだが、案内されるままその場所を離れて、階段を上がって2フロア上へ。
そこには長い廊下にずらとドアが並んでおり、前を歩くスタッフはその真ん中辺りで足を止めた。
そのドアに張り紙がしてあり、プロ野球・北関東ビクトリーズ、新井時人様、控室と丁寧に書かれていた。
プロ野球って表記いちいちいりますかね。それだけ北関東ビクトリーズというチームの知名度が低いということでしょうか。
ガチャリとドアが開かれると、なんだかテレビとかで見たことあるようなないようなといった控え室。
部屋の右側には鏡が3面並んでいて、左側には小さなテーブルを挟むようにしてソファーが置かれていて、テーブルの上には飲み物とお弁当。あと、茶色の器にはいくつかの種類のお茶菓子が入れられている。
「まだしばらく時間がありますので、寛いでお待ち下さい。そのうち、打ち合わせでまたお邪魔しますので、その時はまたよろしくお願いします」
と言ってスタッフは台本を俺に渡して、部屋から出ていった。
「なんだか緊張しますねえ」
「なー。とりあえずお茶でも飲む?」
「私、カフェラテにしまーす!」
彼女は自分の役割をちゃんと理解しているのだろうか。
「という流れになりますね。………とりあえず新井さんは収録を楽しんで頂いて、バットでパネルを当てるところを頑張って頂ければいいんで………」
「いやー、そう言われるとプレッシャーになりますね」
「新井さんなら大丈夫ですよ。なんてったって打率4割なんですから」
台本を確認しながら、今回のバラエティ番組の収録の一連の流れを確認。
ここで新井さんが面白いコメント。
とか、ここで新井さんが会心の1発ギャグ!
とかそんな無茶ブリをされるんじゃないかと心配して色々用意してきましたが、そんなことはなさそう。
しかし、チャンスがあったら狙ってやろうと思う。
俺を呼んでしまったことを後悔させてやる。
収録が始まる時間まであと40分を切ったところ。
またちょっと暇になってしまったので、俺はスクッと立ち上がった。
「新井さん? 何処に行くんですか?」
「ちょっと挨拶周りしてくるよ。みんな近くの楽屋みたいだし」
「え? 挨拶周りですか? でも、さっきのスタッフさんは、アスリートの方はそんなことしなくてもいいって………」
「宮森ちゃん、俺がアスリートとやらに見えるかい?」
「全然見えません」
「でしょう? じゃあ、行ってくる」
さっき食ったばっかりなのに、楽屋に置いてあった焼肉弁当を開け始めた宮森ちゃんを置いて、俺は自分の楽屋を出る。
外の廊下はガヤガヤしているが、他の出演者の姿は見えない。
「まずは司会者のところに行こうかな」
俺がまず向かったのは、山のぼる。
元5人組の伝説的コントユニット、ヘリコプターズのリーダーであり、メインツッコミ。
舞台にテレビに俳優にと、マルチな才能を発揮しているお笑い界の生ける伝説。
もう70歳近い、いわばおじいちゃんだが、近年のお笑い番組の基礎を造ったとされるお笑い界の重鎮。
ヘリコプターズが解散してもう15年くらいになるが、その後はバラエティ番組を中心にさらなる活躍していた。
歯に衣纏わぬコメントや切り返しが特徴の名物司会者。誰と絡ませても面白い。
年末の歌合戦の司会を何度も経験しているようなすごい人。
俺も小さい頃はヘリコプターズの再放送番組をかじりつくように見ていた世代なので会えるのが楽しみ。
ていうかそれが今日のメイン。
それ目的。
山のぼるさんが司会じゃなかったら、今日の収録を断っていたかもしれない。
1枚写真を撮ってもらって、サインをもらえらたら今日はもういいや。収録なんてしないで帰りたいくらい。
「えーっと…………山のぼる………この部屋か」
ドアを目の前にするとさらに緊張する。1つ咳払いをして、深呼吸をして、俺は山のぼるさんの楽屋のドアをノックした。
いなかったらどうしようとか考えたが、しばらくして………。
「…………はーい! 入っていいよー」
中から声がして、俺はゆっくりとドアを開いた。
開いたドアの先。俺の楽屋よりもだいぶ広いその部屋には、テレビでよく見た憧れのお笑い芸人。山のぼるの姿があった。
「おー、新井くんかーい! よく来たねー!入って、入って!」
もうすぐ70歳とは思えないくらい若い。50歳くらいの脂が乗りきったような、他の実力派司会者と変わりない。
顔に多少のシワがあるものの、芸能人らしく健康的な白い歯が光り、前髪に少し混じった白髪にすらダンディな雰囲気が漂う。
細目な体に、白シャツに黒いスラックスと、わりとピシッとした格好をしていた。
俺が楽屋に入ると、まるで孫を見つけたように嬉しそうに笑った。
「俺、ビクトリーズファンなんだよー。握手してくれよ!」
山のぼるは、スリッパを引きずりながら俺がいるドアのところまでやってきて、俺の両手を包み込むように強く握った。
しわしわの手だが、ところどころで血管が浮き出ていて、握力もしっかりしている。まだまだ若そうだ。
山のぼるは、群馬県の出身。つまりは北関東ファミリー。大の野球好きとして知られていたから、もしかしたら今年からはビクトリーズのファンになるかもと期待していた。
「君はよく頑張ったなあ! 君のユニフォーム持ってきたんだよ! ほら、夏に出た限定のやつ!!あ、なんか飲む?ちゃーしかないけど」
結構グイグイと来る感じで、賑やかな人だ。
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