新井さん、おでん屋さんになる。
11月の寒空の下。プレーしていない選手はグラウンドコートと手袋をはめている。
大陽の眩しさはあるから、サングラスをしながらネックウォーマーやスポーツマフラーなどをしている選手もたくさんいるくらい寒い中での詰まされなので、痛いは痛い。
非常に痺れる。温かいお湯に手を突っ込みたい気分。
地団駄踏むくらい痛い。
しかしそれ以上に、ライト前へ抜けていく打球を見るのが気持ちよい。
痛気持ちよい。
右打ちとは痛気持ちよいのだ。
そうでなかったとしたら、俺は右打ちなんてしていなかったかもしれない。
ともかく芯を多少外されてもヒットコースに飛ばす技術をさらけ出していく。
「ファーストランナー、新井に代わりまして、大野」
そして俺に代走が出される。
今日は5イニングのお遊び試合で全選手がどこかで顔を出さないといけないからね。俺の出番はここまで。
しかし、先発ピッチャーを務め、打っては2安打。しかも、好守でトリプルプレーを生み出した。
MVP級の活躍といって差し支えない。
試合はその後も、すったもんだ、盗塁合戦があったり、擬似乱闘があったりと、終始賑やかに進み、チーム阿久津の桃ちゃんと代打オレの阿久津さんにホームランが飛び出して、6ー4でチーム阿久津の勝利に終わった。
紅白戦が終わると、ビクトリアガールズとかいうチアリーディングがあったり、ホームラン競争があったり。
順調にプログラムを消化していって、時刻は正午過ぎになった。
お昼休みの時間である。
すると場内に……………。
ダッダッダッダダン!
ダッダッダッダダン!
ダッダッダッダダン!
などど、どこかの映画で聞き覚えのある音楽が流れ、バックスクリーンにはとある映像が流れ始める。
「このまんじゅううめー!」
「新井さーん!桃菓堂サイコーっすね!!」
とか言いながら、目元に黒い横棒が入ったユニフォーム姿の男2人がまんじゅうを頬張っている映像だ。
ユニフォームの背番号でバレバレ。まんじゅうを食べるその男2人は、俺と柴ちゃんに違いない。ファンも選手も確信する。
試合前に宮森ちゃん率いる広報チームに撮影されたものだ。
学芸会レベルの編集がされたそんな映像が他の選手の分も流れて、映像の最後は宮森ちゃんがまんじゅうを盗み食いされましたと、しくしく泣き真似をしている姿。
最後に、WANTED!WANTED!と表示され、ビクトリーズファンに告ぐ! スタジアムに隠れた10人の選手を確保し、グラウンドに連行せよと出て、お昼の催し物が始まった。
つまり、見つけた選手をグラウンドまで連れてくると、その選手のサイン入りグッズがもらえるわけですね。
えーと、なになに。さっき宮森ちゃんからもらった用紙を見ると、俺が隠れるのは1塁側スタンドの通路にある販売ブースのおでん屋台らしい。
おでん屋台の赤いエプロンと三角巾を装着して、マスクをしてメガネをかけ、変装もバッチリ。せっかくのイケメンがもったいなくはあるがまあ仕方ない。
とはいえバレるかどうかと、ちょっとドキドキしながら、関係者出入口から一旦外に出て、ファンがたくさんいる1塁側スタンド裏の通路に潜入する。
お昼休憩の時間になり、スタンドへ上がる階段からは続々とお腹をすかせたファンが降りてくる。
老若男女たくさんのファンとすれ違うが、誰1人として俺に気付く者はいない。
聞き耳を立てるに、選手を探しに行こうとかそんな話がチラホラ聞こえるが、多くのファンはそれよりも、お腹の虫の方が気になっている様子。
俺が向かう食べ物系のお店が並ぶ通路にどんどん人が群がっていく。
阿久津さん監修のお弁当が並ぶお店や、ホットドッグや肉巻きおにぎり屋さん辺りがどうやら人気。
そんな食べ物の屋台がずらっと並ぶ奥の方に、俺と同じ真っ赤なエプロンと三角巾を付ける女の子が2人いるのが見えた。
おでんつゆのいい匂いが漂うその屋台に俺はハローと声を掛けながらズカズカと入っていった。
俺が声を掛けると、おでん什器の前で作業をしていた女の子2人が顔を上げる。
「あ、新井選手! お疲れ様です!!」
「お疲れ様です!すごい、本物だ!」
俺の笑顔に合わせるようにして2人の女の子も朗らかに微笑む。
1人は仕事に慣れている雰囲気20代後半くらいの子。もう1人の方は20歳くらいの子は、まだ少しあたふたしている様子だか、がなんとかお客さんとのやりとりをこなしている。
もちろん球団の方から俺を匿う話は聞いていたみたいで、俺もアルコールで手を消毒して、スムーズに彼女達の間に入る。
「俺は何をすればいい?」
「え? 何かします? 新井さんは立っているだけでも………」
と、若い方の女の子が少し困った顔をした。
「ほら、ただ立ってるだけだと、すぐファンに気付かれそうだし、これからお客さんがいっぱい来る時間でしょ? 俺に出来ることがあったら手伝うよ」
俺がそう言うと、今度は年上の方の女の子がこちらを向いた。
「それでは新井さんは、盛り付けたおでんにお箸と辛子の小袋を付けてお客様に渡してもらいましょうか」
「オッケー! 任せてといて」
俺は辺りを見渡し、袋に入った大量の割りばしと、辛子を側に寄せて屋台の右側に立つ。
するとちょうどお客さんがやってきた。
「いらっしゃいませー!!」
俺は満面の笑顔で出迎える。
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