すみません。胃薬ってあります?

「7回裏、日本代表の攻撃は………1番、ショート、平柳」



残すはあと3イニング。



1点差。




しかし、いまだチームでノーヒット。




重苦しい雰囲気だが、ファンがこの人こそなんとかしてくれるだろうと思っている、1番の選手の打席を迎えて、期待と不安が入り交じる混沌とした不思議なムードが高まっていた。



その空気感を察してか、韓国のマウンドに立つソンという投手はさらにエンジン全開。



それまでもねじ伏せるような全力投球を見せていたのだが、平柳君の打席を迎えると、メーターが振り切ったようなピッチングを見せた。



今日の自己最速を立て続けに連発させて、1ボール2ストライクとする。



平柳君もファウルで粘りながらも9球目。



真ん中低めに落ちるスプリットにバットが回り三振。スタンドからどよめいた、ため息が漏れた。






「2番の藤並は4球目を打ちました!………いい当たり!右中間の真ん中へ上がりましたが………ライトがやや前進して掴みました。………んー、これで2アウトです」



「ちょっと難しい状況ですねえ。ストレートを左右に投げ分けられて、さらにスライダーとカットボールで厳しいところを攻められる。それでいて低めにしっかり落ちるボールもありますからね」






「3番、ライト、下林」






「大原さん。今、3番の下林が打席に入るところですが、まずノーヒットノーランを阻止するためにはどういったバッティングが必要になるでしょうか」




「まあ、何度も言ってますが、まずは狙い球ですよね。真っ直ぐに張るのか、スライダーに張るのか。チームとしての狙いが必要なことと、1球でも多く粘る。簡単にアウトにはならないことですね。


打てるボールというのは1打席の中で、どこかでは来ますか、それをひと振りで捉えていきたいですねえ。


ただの1点差ならともかく、完全試合ペースなわけですから、守備陣も相当守りにくい状況ですからね。特に下林君は足も速いですから。内野ゴロでも何か起こる可能性は十分にありますよ」




「なるほど。しかし、バッターボックスの下林、今大会はまだ14打席でヒットがありません。なんとかここでまずは完全試合中の相手を挫くようなヒットが欲しいところではありますが…………初球打ちました、ファウル!速いボールを積極的に振っていきました、下林です」



「いいですね。少し甘く入ったボールだったんですが、初球が振っていくのは正解ですよ。ヒットは出ていませんけど、いいスイングしてますよ。後は力まないことですね」





「オッケー、オッケー!いけるよ!」



「いいスイング、スイング!!」



日本ベンチに、いよいよヤバいという危機感が蔓延してきた。5回くらいまでは、まあそろそろヒットが出るだろうとベンチに座り込んでいた連中。


今は皆が立ち上がり、ベンチの前の柵に身を乗り出すようにして打席に入っている下林君に声援を送っている。



試合に出ている選手も、出ていない選手も。登板予定のないピッチャーも、さっきアウトになったばかりの平柳君も皆だ。追い詰められてから慌ててというわけではないが。


追い詰められながらも、まるで自分が打席に立っているかのような集中力を放っているのだ。



誰1人として、このままノーノー食らって負けるかもなんて考えていない。



居るとすれば俺くらい。



みんな後がない高校球児のような顔つきに戻っている。



プロに入るとどうしても忘れがちになるそんな姿。



今まで誰よりも声を出して盛り上げていた俺は逆に今、ベンチで皆が必死になっているその時に、すっと後ろに下がってベンチに腰かける。



余裕を見せているわけでない。




さっき後ろのケータリングにあった、サンドイッチとボイルしたウインナーを食べ過ぎて気持ち悪くなってしまったのだ。





面目ない………。





みんな、頑張れ。







と、ぽこっと出たお腹を擦りながらベンチにふんぞり返っていると、打撃コーチからの鋭い視線を感じた。



監督とヘッドコーチの横で、帽子を被り直しながら俺のことを睨み付けており、少し時間が過ぎた後に、顎でベンチ裏にいけと合図を出した。



後ろでバットを振っておけという意味か。



俺はヘルメットだけすぐ取れる位置に置いといて、バットとバッティンググローブを持って重たいお腹を持ち上げるように立ち上がると、カツーンと気持ちいい打撃音が響いた。



振り返ると、ベンチにいた誰もがおおっ!っと声を出しながらライト方向を見上げていた。



「高め打った! ライトに上がった!! 大きな当たりだ! ライトバックする、バックする! フェンス際ジャーンプ!




…………入ったー!!同点! 同点ホームラーン!! 値千金のホームランが飛び出しました!!3番、下林の1発です!!」




打球がスタンドに入った瞬間、ベンチにいた選手達が全員グラウンドに飛び出し、稲木監督をはじめとして、首脳陣達もびっくりして飛び上がるようにして喜ぶ。



ベンチ裏に向かおうとしていた俺も例外ではなく、その場にバットとバッティンググローブを置きっぱなしにしてチームメイトの列に飛び込んでいった。

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