新井さんの初めて。

「さあ、バッターボックスには2番の新井が入ります。………1打席目は、ライトへのタイムリーツーベースを打っています。……大原さん、ここは新井のバッティングに期待したいですね」



「ええ。非常にね、しぶといバッティングしますからね。ここを3人で攻撃が終わってしまうのと、点が入らなくても新井君が出て、3番4番に打順が回るのは全然違いますからね」




「その新井に対して第1球………。インコース高め! ……おっと危ない! 新井の肩口をかすめるような速いボールでした」



「まあ、新井君はアウトコースを打つのが上手いというのは、どのチームも分かっているでしょうから。こういう攻め方にはなりますよ」







あぶなっ!ちょっとヒット打たれたからってビーンボールを投げやがって。


バックネット方向に背くようにして、俺はなんとか避けた。


バッテリーの様子を察するにもう少しストライクゾーンに近いコースを狙っていたみたいだが、それが俺の体の近くギリギリを通る球になった。



しかし、このある意味最高のボールを生かさない手はない。



次のボールは同じ速い球よりかは、落ちるボール。



そっちの方が可能性は高そうだ。



1打席目は一応ストレートをヒットにしているしね。






そんな風に狙い球を絞って、俺は水道橋ドームの眩しいライトを受けてテカテカするピンクバットを構える。



キャッチャーからのサインに頷いたピッチャーがグラブの中でボールを握り直し、投球モーションに入る。



そこからはなんだか不思議な感覚だった。



周りには相手チームの選手がいて、スタンドには4万人を超えるたくさんのお客さんがいて、テレビを通しては、みのりんがいてギャル美がいてポニテちゃんがいて、普段からそんなことばっかり考えている俺であったが、


この瞬間だけはなんだか無になった。何にも考えていない。



ピッチャーすらも見えない。



見えるのはそれらしき何かから浮き出てきた白いボールだけ。



コースとかスピード感とか球種なんかもよく分からない。よく分からないが、その白いボールの方から俺のスイングの中に飛び込んできた。




それだけは分かった。





カアアアンンッッ!!




いつもは打球音なんてあんまり聞こえない。



しかし今だけははっきりと聞こえた。



木のバットと硬球が激しく衝突するまるで破裂したような音。



その音が俺のスイングから聞こえたのは初めて。



こんなに打った手応えのない感覚も初めて。



そんな打球が左中間に向かって高く、遠く舞い上がった。






「レフト、左中間に上がった! 新井の打球です……。高く上がりました新井の打球が……?左中間伸びていくぞ! レフト、センターは?


レフトセンターがバックする! なおもバックして、バックして、まだ向こう向き! フェンス際見上げる!!



…………は、入ったー!! 入ってしまった!!な、なんと! 新井の打球が左中間スタンド、最前列へ! なんと、新井の勝ち越しホームランです!!」





「いやあ、ほんとうですか!?」







俺の打球が左中間スタンドの1番前、フェンスギリギリにすっと消えるように入った瞬間、俺はひっくり返っていて、視界にあるのは水道橋ドームの白い天井と眩しいライト。



打球の行方を気にするあまり、1塁ベースを踏み損ねて盛大に転んでいたのだった。



打球を見ながらなんとなく走っていて、あれ?俺の打球どこにいった?


と、思った瞬間にはもう1塁ベースの土が見えて、ベースを踏まなきゃと足先で探した時にはもう躓いていた。



それくらい、俺にはあり得んくらい滞空時間の長い打球、ホームランだった。




人生初のホームランだ。小学生の時から考えても。ホームランなんて記憶にない。ランニングホームランすらない。



とはいえ、盛大にコケてしまったので、すげー恥ずかしくなりながらも、そっと立ち上がって1塁ベースを踏み直し、2塁に向かって走り出す。







「なんともこれは驚きました! 間違いなく、ビクトリーズ、新井時人のホームランです。……第1回アジアベースボールカップ2017、大会第1号のホームランは、今シーズン、1本のホームランもなかったビクトリーズ新井の一振りから生まれました!


………ざわめき、そして喚き立つような雰囲気の中、今新井がホームインしました。3ー2! 3回裏、日本が1点を勝ち越しました!」



ホームランを打ったのに、右肩と背中と膝小僧を土で汚しながらダイヤモンドを1周した俺を3番バッターの下林君と1塁ベースコーチおじさんが出迎える。



2人揃ってお化けでも見たような、驚きの表情だ。



「すごいですね、新井さん」



これから打席に立とうとする下林君が半にやけだ。



「まあ、ちょいと本気だしたらこんなもんよ」



パチンと普通にハイタッチした後に、少し忘れていたような間を置いて、下林君とコーチに俺のお尻は叩かれた。



その先、4番の棚橋君も。



稲木監督も、ヘッドコーチも、打撃コーチも、ピッチングコーチも、皆口を開けっ放して、帰ってきた俺に向かって、今までに気に入った女の乳を散々揉んできたであろう右手を出している。



ホームランを打ったのが初めてなら、こうやって出迎えられるのも初めて。



なかなかこっ恥ずかしいものであるね。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る