平柳君の結構デカかった。ピッチングコーチも。

とはいえ、普段からスカイスターズとやるわけだから、超満員の中で試合をするのは最近ではまあまあ慣れてきた頃合いなわけですが。



俺のあまのじゃくな性質上、そのほとんどが敵チームのファンだったから案外気楽にプレー出来ていた部分があるわけで、今日はまたそれとは全然違う。


少々ながら台湾を応援する方々もいるわけだが、ドームを埋め尽くした4万人以上の観客のほとんどがこちらサイドの人間ですから、下手なことは出来ない。



いつも通り、いつも通りと意識すればするほど緊張してしまう。




といわけで、試合が始まる前にもう1回だけトイレに行こうと俺は立ち上がった。



「俺も行きます!」



ベンチで俺にべったりとくっついていた平柳君もスクッと立ち上がった。



「いやー、早く試合したいっすねー」



さすがはスター選手というか。今シーズンのMVP男というか。


緊張やプレッシャーなんてどこ吹く風といった感じ。


ベンチ裏の廊下を歩いている時も、小さい頃よくやった電車ごっこのように、後ろから俺の両肩に手を置いてはしゃいでいる。



そんな感じでトイレに突入すると、そこには少し難しそうな顔をしたピッチングコーチの姿があった。



送り込んだピッチャーがボコボコに打たれてしまったような顔をもうこの段階でしているのだ。






「お、おー、平柳と新井かー。お前ら緊張してるか?」



ピッチングコーチのおじさんはそう言いながら、ズボンのチャックを下ろして小便器の前に立つ。


俺はその横、1度俺の背後に立つというしょうもない小ボケをした平柳君はさらにその横に立った。



「まさかぁ、今さら緊張なんてしないっすよー」



と、平柳君が返す。




平柳君は高校生の時から日本代表に選ばれるくらいの逸材だし、こんなプロに入ってからも代表戦には常に出場して活躍しているからね。



確かに今さら緊張するような選手ではないだろう。



「コーチ、何かありました?」



俺はそう訊ねてみた。



すると、ピッチングコーチおじさんは、俺と平柳君に言おうか言わまいか少し悩むように口をもごもごさせてから話し出した。



「実は先発の添田がかなり緊張しているみたいでな。代表戦は初めてだが、シーズン後半では1番いいピッチングをしていたから、開幕戦の先発に抜擢したんだが………。今ブルペンを見に行ったらストライクに投げられないくらいになっていてな……」



コーチは最後、聞き取れなくなるくらいに尻ごむようにして口を閉じた。



「新井も代表は初めてだと思うが変に気負うなよ。いつも通りやってくれたら十分なんだ。いつも通りやれば……」






ピッチングコーチは唱えるようにそう言いながらトイレを後にしようとする。本当に先発の添田君のことが心配で仕方ないらしい。


普通のチームのピッチングコーチとは違って、預かっているし、あまりコミュニケーションも十分ではない状態だからね。気持ちは凄い分かる。



そんなコーチに俺は、手を洗ってませんよ!



と、遠慮なく指摘するスタイルを披露しながら、平柳君と顔を見合わせる。



「どうします? なんか飲み物でも持って、ブルペンに行きますか?」



平柳君はそう提案したが、俺は首を横に振った。



「いや……。変に俺達が行ったところで余計なプレッシャーになるかもしれないから止めておこう」



いくら緊張しているといっても、今シーズン12勝して、防御率も2点代のピッチングをしていた投手だ。



ブルペンと試合のマウンドは別物だし、実際にゲームが始まってやらなきゃいけない状況になれば気持ちも入り直すだろう。



野手の俺達がやいやいと気を揉むようなことではない。



しかし、念には念をだ。




「じゃあ、どうするんですか?」




「俺にいい考えがあるから。まあ、期待しててくれよ。それに野手である俺達は援護点を取ってあげるのが1番の励ましだろ?」




「は、はあ………まあ、そうですけど」




「さあ、試合だ。試合! 相手は台湾だぞ! 頑張るぞ!」







試合開始20分前。



最後のグラウンド整備が終わり、スタンドのどこもかしこもギッチギチに観客で埋まり、アジアなんちゃらカップがいよいよ始まるという雰囲気になった。



「長らくお待たせ致しました。ただいまより、両代表のスターティングメンバー及びベンチ入り選手をご紹介致します」



ウグイス嬢のそんなアナウンスが場内に響いて緊張感のある歓声が上がる。



水道橋ドーム全体の照明が少し落とされて、台湾代表が入る3塁側ベンチの出入口にスポットライトが当てられる。


「まずは、先攻の台湾代表………1番、センター、リン・ウェンジュ。背番号3」



スポットライトに追いかけられるようにして、台湾代表のスラッとした選手が軽やかなステップを踏みながら、3塁ベンチを飛び出して3塁線のホームベース近くにたどり着く。



スタッフの案内を受けて、微妙に立ち位置を直し、帽子を被り直した。




「2番、ショート、チェン・ジーウェイ。背番号1」



ウグイス嬢にアナウンスされて、1番バッターから順々に選手が現れ、3塁線まで行くと、先にいたチームメイトとハイタッチをして列の後ろへ。




スタメン野手9人。控え野手が呼ばれてずらりと並ぶと、次は台湾の投手陣がグラウンドに現れる。



そしてその中に…………。



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