あかん。腰やってもた。……でも、誰にも言えない。
なんて思いながら、おニューのピンクバットを手にして、気合いを入れてバッティングゲージに向かっていったのだが。
「監督、時間なんでそろそろ行きますか」
と、手にしていた資料をしまいながらヘッドコーチがそう言うと……。
「ああ、そうだね」
稲木監督もそう返して、両腕を伸ばして少し欠伸をしながら、バッティングゲージの裏から1塁ベンチに引き返していく。
そして俺とすれ違う。
その瞬間に、打撃コーチが一言。
「おっ、新井か。ちゃんとやれよ」
ファッ!!?
ちゃんとやれよってどういうこと!?
お前のバッティング練習なんて見る価値もないし、試合でも使わないけど、ビクトリーズの面子を保つ為に、なけなしで選んだわけだから、練習くらいはちゃんとやれよって、そういう意味かしら!?
何よ!せっかく気合い入れて代表首脳陣の前でいいところを見せよう思っていたのに!俺のバッティング練習を見ることよりも大事なことがあるってわけ?
頭にくるわね!
俺は顔を真っ赤にしながら誰も見ていないフリーバッティングを開始。
怒りに任せて全球看板直撃狙いのフルスイング。何ならドームの屋根を突き破って、試合出来ないようにしてやろうという思い。
我を忘れて、なにふり構わないフルスイング。
その結果、ちょっと腰を痛めてしまいました。
「さあ、日本シリーズもついに大詰めか!東京スカイスターズ、日本一までアウトカウント1つ! ピッチャー、セットポジションから第4球を投げました! ………打った! 打ち上げた、内野フライ!
ショート平柳が手を挙げている!………このフライをシリーズ大活躍の平柳が掴みました! ゲームセット!! 東京スカイスターズ、3年ぶり、25回目の日本一ぃ!」
テレビでは、グラウンドにいたナインのところに、ベンチから飛び出してきた選手達が幾重にも取り囲む。
お互い抱き合うように、喜びを爆発させるようにして、歓喜の輪が出来て遅ればせながらやってきた東京スカイスターズ中橋監督が選手達に体を持ち上げられる。
「わーっしょい! わーっしょい! わーっしょい!」
1回2回3回4回と、涙を流す中橋監督の体が宙に舞う。
グラウンドもスタンドも一体となって、日本一の味を噛み締めていた。
「平ちゃん、明日来ますかねえ」
そんなテレビ放送を横目に、俺のベッドで横になってスマホをいじる前村君。
長い足先がベッドから、少しはみ出している。
「どうかな? この後ビールかけで、その後どっか飲み終わったりするだろうし、早くても代表に合流するのはあと2、3日かかるんじゃない?」
「じゃあ、俺自分の部屋に戻りますね」
「おう、お疲れー。明日もよろしくな」
お菓子と少しばかりのお酒を持って俺の部屋に遊びにきた前村君が帰ってきて、まだひとりぼっち。部屋の中が静かになった。
日本代表の合宿は3日目を終えたところ。ようやく集まった選手達とは一通り言葉を交わすことが出来た。
2試合ある強化試合の1試合目がもうすぐだ。代表合宿も少し実戦モードの練習をこなしつつある。
日本シリーズは今ようやく終わったところなので、東京と福岡の選手が合流するのは、早くても強化試合の前日。
もしかしたら当日になってやっと水道橋ドームに来られるくらいの選手もいるかもしれない。コンディション的には難しい部分があるかもしれないから、早めに集まった選手達が率先して盛り上げていきたいですわね。
日本シリーズという、レギュラーシーズンやクライマックスステージとは比べ物にならない舞台で戦ったばかりの選手が、1日の中日もなく合流するなんてことはないだろう。
なんて思いながら、明日も練習があるから寝よ、寝よと、ベッドに入ってスヤスヤ眠っていたのだが。
「ぐがー! ぐがー!」
なんか、すごいいびきとビール臭さで俺はふと目を覚ましたのだ。
コンセントから伸びる充電ケーブルを引っこ抜きながらスマホを見てみると、寝落ちして見れなかったみのりんからのメッセージが1件と、朝の6時を回ったばかりなのを確認。
そんなことより何より、俺はぎょっとした。一瞬だったが、心霊体験キタコレ! みたいに、背中が冷たくぞわっとした。
都内の大きなホテルですから、そういった類いの話の1つや2つはあると思っていますから、ちょっと待ち構えていた分、一瞬で眠気など覚めてしまうぞわり感は半端なかった。
とにもかくにもその原因は、いないはずの隣のベッドに誰か寝ていたせい。
俺はビビりながらも、ぐがー!ぐがー!といびきをかきながら爆睡するそいつの顔を見ると…………。
あ。昨日日本一が決まる最後のフライをキャッチした男。
日本一のショートストップ。東京スカイスターズの背番号7、平柳裕太その人だった。
いつの間に部屋に入り込んできたのだろうか。
まあ、確かにここは彼と俺の部屋にだから、フロントでカギはもらえるだろうけど。
にしても、ビール臭い。
この部屋でビールかけでもやらかしたんじゃないかと思うくらいビール臭い。
窓は全開には出来ないので、エアコンで空気を循環させる。
「ぐがー!ぐがー!」
お腹をかきながら大の字になって、呑気に寝ていやがる。
俺はそっと彼の体に毛布と掛け布団を掛けてあげた。
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