地の民
◇
かちゃかちゃと音を立てながら、慣れた手つきでカーラが薬を作っていた。
その様子をぼんやりと眺めながら、トスティナは渡されたミルクの入ったカップを握り締める。
その場にいたのは五人だった。トスティナ。カーラ。ミズガルド。アグロア。そして、ネロ。初めて街に来た日に会った、あの医師の診療所にトスティナたちは来ていた。
あの後、ミズガルドは何も言ってはくれなかった。重い沈黙をやぶるように、カーラが場所を移そうと言い出した。結局、言われるがままついてきたのがこのネロの診療所だったのだ。
その間も、師は何も言ってはくれなかった。
最低限の言葉だけでカーラとネロは会話をし、カーラはアグロアからルーシャの実を受け取って、診療所の一室に入っていった。なんとなくその後ろを追って、全員が部屋に入る。そこは薬の調合室だったようで、カーラは無言で薬の調合を始めた。
ミズガルドは、動かない。部屋の隅で椅子に座ったまま、じっと、何かを考え込んでいるようだった。
出来上がった薄い橙色の液体を数滴、ミズガルドの頭に残ったままの切り株へと振りかける。カーラのその手順はひどく無機質で、作業的だった。カーラもまた、必要以上の言葉は発していないのだ。もちろん、トスティナの問いかけにも答えない。
しゅう、と何かが溶けるような音とともに切り株が縮んでいった。やがて、消える。その様子は、ほんの少しだけトスティナの心を軽くした。
「さて。と」
緩やかな声音で、カーラが言った。空気が揺れる。
「いい加減辛気臭くてやってらんないわね。ミズガルド、話しちゃいなさい」
ミズガルドが顔を上げた。感情の読めない、薄い表情をしていた。
「先生……」
「君は」
平坦な声で、師が告げた。
「俺の言うことを、信じられるか」
「……」
カップを手近な調合台に置き、トスティナはゆっくり息を吸った。静かに、ミズガルドを見つめて告げる。
「信じます、先生」
少しの沈黙の後、ミズガルドが軽く頷いた。
「――どこから……話せばいいのか。君は何から聞きたい」
「……えと、じゃあ……あの人のことが知りたいです。さっきの、怖かった、人のことを」
カーラも、アグロアもネロも、誰も喋らなかった。静かに、それぞれ壁に背を預けたり手近な椅子に座ったり、宙に浮いたりしたまま、沈黙を保っていた。
「あれは、マイセルという。俺の双子の兄だ。今は宮廷魔法師の第一位……カーラの上官にあたるな」
「お兄さん」
呟きに、首肯が返ってきた。あの瓜二つの容姿はそういうことだったのだろう。ひとつ疑問が氷解し、トスティナはまた少し、ほっとする自分に気づいた。訳が判らない、理解できない。それは、知っていて判る恐怖よりずっと不安になる。知らないより、知るほうがいい。
「判りました。じゃあ……あの人の、言っていたことを知りたいです。……わたしの、ことを」
誰かが息を吐いた音が聞こえた。ふっと、師が微笑んだ。柔らかで、けれど何かを諦めたかのような笑みだった。
「歴史の講義とでも思って聞いてくれ。昔、俺が生まれた頃に戦争が始まった。民と人の間でな。きっかけはいろいろ言われているが……まぁ、始まってしまえばどうしようもないものだろう。俺とマイセルはまだ子供だった頃に街も親も失った。正直なところ、君が生きていくために魔法を、という気持ちは良く判ったんだ。俺もそうだった。マイセルは判らんが」
懐かしそうに、痛ましそうに、少し目を伏せてミズガルドは続ける。
「馬鹿だったな。無理やり詰め込んで、ものにした。正直汚い手も使ったが、とりあえず宮廷魔法師にはなった。それがどういうものかも判らずに」
膝の上に組んだ指を見下ろしながら、ミズガルドはどこか自虐的な笑みを浮かべている。
「まだ、戦時だった。当然宮廷魔法師は戦にも赴く。派遣された村は……地の民の村だったんだ」
「地の……民」
「火はいずこ」
アグロアが言葉を割り込ませてきた。目をやると、なぜか少し泣き出しそうな面立ちで、アグロアは口を開いていた。
「知ってッかな、ティナ。そういう歌」
「知ってます。おじいちゃんも、時々口にしてました」
「そっかァ。……火はいずこ、地は絶えた、水はまだある、風はやまない。……あれサ、時代とともに
「そう、なんですか?」
「うん。オイラ、さっきは民の言葉で歌ってたンだけどさ。こンな歌詞なんだぜィ」
アグロアが泣きそうな顔のまま続けた。
火はぬくもりを
地は萌ゆる
水は輝き
風はやまない
「……だからサァ、地だって、ちィと前まではいたんだ」
ミズガルドが頷く。
「いたんだ。確かに。いや、いる、だな。――君だ、ティナ」
見つめられ、ティナはきゅっと胸元を握り締めた。思わず視線を逸らしたくなったが、その衝動を押さえつけ、ミズガルドと正面から視線を交差させた。
「わたし」
「地の民だ。その髪色も、瞳の色も。君は確かに地の民なんだ。――噂は前からあった。俺は、確かめこそしなかったとはいえ、マイセルの言葉を否定できない。知っていた、ことになるんだろう。黙っていてすまなかった」
言葉が上手く出て来なかった。トスティナは自らの鼓動の音を聴きながら、ゆっくり口を開く。
「先生は……」
(――その時のお仕事をどうされたのですか?)
続けたい言葉はあったのに、言葉が音に乗らない。乗れば、それは痛みを伴って返ってきそうだった。
しかし、ミズガルドは音にならない言葉を察したのだろう。すっと立ち上がると、こちらに背を向けるように窓から外を眺めた。背中で、答えてくる。
「俺とマイセルは、仕事を遂行した。その時からあの歌で地は――地は絶えた、と歌われ始めた。スレヴィの森にも死化が広がった。理由は判るだろう」
判る。判るが、理解りたくはなかった。何も言えず、トスティナは俯いた。
地の民。何の事なのか判らない。唐突に足場がなくなったかのような不安定な感情が、ゆらゆらと揺れ動いていて形を成さないようだ。
「せん、せい」
震える声が、聞かないほうがいいであろう事を聞こうとして口をついた。止められなかった。
「わたしは、人じゃないんですか?」
「……民だ。しかし民もまた、人と同じだ。詭弁のように聞こえるかもしれないがな」
ミズガルドが振り返った。緩やかな笑みが痛くて、トスティナは俯いた。言葉がもう、出てこない。
俯いたトスティナの頭に、誰かの手が触れた。驚いて振り返ると、ネロが困ったような顔で微笑んでいた。
「混乱しているでしょう」
「……ネロさん」
にこりと、やさしく微笑まれた。
「カーラ、それから引きこもり坊ちゃんと風の子」
「……誰のことだ」
「あんたですよ、ミズガルド。部外者がこういうのもあれですけど、いろいろ、急すぎるんじゃないですか。大人はいつも、事をいそぎすぎますから。ね」
ね、と微笑まれ、トスティナはあいまいに笑って見せた。笑えるだけの心が残っていたことが、少し自分でも驚いた。
そのまま、ネロは頭をくしゃりと撫でて来た。
「ティナ? 大丈夫ですか?」
「えと……」
「もし良かったら、一晩うちに泊まりますか?」
唐突な申し出に、トスティナは思わず目を見開いた。
「ミズガルドの家にいるのがつらいなら、です。どうですか? ミズガルドは?」
「……そうだな。少し、時間をおいたほうがいいだろうな。俺は今、普通に接することが出来そうにない」
あいまいに微笑まれた。カーラも、アグロアも何も言わない。トスティナは、自分に決定権が託されていることを理解した。目を閉じ、茹るような頭をそっと手で押さえながら呟いた。
「ネロさん」
「はい」
「……おねがい、しま、す」
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