首都スティンブルグ

 動物だらけの、しかし人気のない部屋の中にふいに一陣、風が吹いた。

「いいのかィ? お嬢たち行っちまったぜィ?」

 頭上で停滞した風が、無遠慮に投げてくる言葉にミズガルドは嘆息した。

「うるさい風だ」

「ひゃっひゃ。ならもっとビュンビュン吹いてやろうかィ?」

「やめろうるさい」

 見上げて睨むと、白髪の風の少年はにやりと笑った。

「オイラァ、アンタがここに住み始めた理由知ってるゼ」

 風はこういった情報には聡い。言葉は風に乗るから当然だった。普段は、たいして気にも留めていない。しかし、今日に限ってはわずらわしさを覚えた。

 もちろん、風はこちらの事情など汲みはしない。

「スレヴィの天災の噂を、確かめるためだ。だろ?」

 否定する気はなかった。ただ、手にしていた栗鼠の餌を床にまいた。ちいさな栗鼠たちが走りよってきて、食べ始めるのを無表情に見下ろす。風はまだ、頭上にある。

「偶然にしろ拾ったンだ。あンのまま置いときゃァ良かったのに、アンタ、判んねェなァ」

「俺が」

 思わず声が出た。一瞬口を噤んで、しかし吐き出すようにミズガルドはそのまま続ける。

「俺がそんなことをしたところで意味がない」

「意味ねィ」

「……街なら、カーラの目がある。悪いようにはならんだろう」

「どっちにしろ心配性なんだァなァ、ミズガルドは」

 けけっ、と笑われて、ミズガルドはまたも小さく息を吐く。ふ、と風が動いた。見上げると、天井近くにまで昇っている。

「けどさ、ミズガルド」

「なんだ」

「街には、おっかねェアイツもいるんだぜィ?」

 誰の事を指しているのか。

 ミズガルドには容易に知れた。だからこそ、目を細める。

【国王の為の七人】キングズ・セブンは、一般の者には手を出すまい」

「だといいけンどなァ」

 ふわっと、風が揺れた。そのまま、一瞬にして姿が消える。気まぐれな風だ。いつも思うが、しかし何故かなつかれているのも理解していた。あれはあれで、自分のことも心配してくれてはいるのだろう。そして昨日拾ったあの少女――スレヴィの天災のことも。

 風のいなくなった部屋を見渡し、ミズガルドはまたひとつ、息を零した。

 部屋は何故か、寒々しさすら纏っている。



 華々しさと賑やかさと喧騒とが交じり合う雑多な雰囲気に呑まれて、トスティナは目を大きく見開いたままその場に棒立ちになっていた。

 グレシス王国の首都スティンブルグ。国土の西北に位置し、アーゼス海に接する街だ。面積自体は国内のほかの街に比べても小さいほうではある。それでも、首都らしい華やかさと賑やかさは他に敵うものはない。

 石造りの街門を抜け、通りをまっすぐ進むとすぐ、開けた広場に出る。【カロリアの願い】カロリアズ・ウィッシュと名付けられたその広場の中心に、大きな噴水がある。噴水の真ん中には少女――カロリアの祈りを捧げる像が陽に照らされて輝いていた。そして広場には、露天商が立ち並び、そこからさまざまな通りへ道が放射線状に伸びている。

 その広場の中心で、行きかう人々の中で、カロリアさながらに固まったまま、トスティナは街を見渡している。

「……ま、驚くのは無理ないけど。ちょっと邪魔かしらね。トスティナ」

 カーラは微苦笑し、トスティナの腕を引いた。はっ、と呪縛から解かれたかのように、トスティナがわたわたと辺りを見渡し噴水に寄る。はぁ、と息を吐いた彼女の頬がわずかに色付いているのをみて、またカーラはひとつ微苦笑を零す。

「圧倒されてる?」

「はいー、人がいっぱいです!」

 きらきらとした目で大きく頷く姿は、聞いた十五という年齢よりずいぶん幼く見える。低い背も、凹凸の少ない華奢な体つきも、腰まで伸びるさらさらとした細い金の髪や大きく丸い緑玉の瞳も、仕草に輪をかけて幼く見せている要因に思えた。

 けれど、とカーラは胸中で呟く。

 彼女はスレヴィの天災だ。スレヴィの天災が、この歳まで生きてきたとするならば、ただ見た目通りの幼さだけですむはずはない。そう思える。

「ティナ、貴女お菓子は好き?」

「あ、はい。好きですー」

「じゃ、食べましょう。少し先に美味しいお菓子を出す店があるわ。奢るわよ」

「えっ、そそそんな、悪いですっ! わたしちょっとならお金持ってきてますっ」

 と、トスティナが持っていた麻布の袋を掲げる。見る限り、彼女はそれしかもっていない。財布もその中なのだろうか、とカーラは思わず顔をしかめた。

「財布は身につけておきなさいね。村じゃそうでもないかもしれないけれど、こういう大きな街は何かと物騒だから」

「あ。そうでした!」

 トスティナが慌てた様子で袋から財布を取り出した。紐のついた、ただの小袋だ。小額しか入っていないのは外からでも見て取れる。それを首から提げ、身に着けている麻の繋ぎ服の下にしまう。そして満足そうに頷いた。

「大丈夫ですっ!」

「……まぁ、それもずいぶん危なっかしい行動なんだけどね」

「え……そうですか?」

「人前で財布なんて出さないのよ。あたしがいるから平気でしょうけどね」

 肩をすくめ、そっと襟の印章を指差した。トスティナがこく、と短く頷く。【国王の為の七人】の連れに手を出す人間はさすがにいないだろう。自警団や治安警察どころか、宮廷審理会よりも立場としては上だ。【国王の為の七人】に手を出すのは、そのまま国や王への反逆ととられても仕方ない。

 この赤い長衣は印章とともに自らの身を示すものだ。長衣は外套なので正式な場で身につけるものでもないが、逆に言えば街中ではその姿のほうが知られている。実際、今もトスティナとカーラの周りは雑多な人の流れが少しばかり遠巻きになっていた。

「行きましょう」

 ぽんと、細い肩を叩いて歩を進める。ぱたぱたとどことなく危なっかしい動きでトスティナが横に並んできた。ほんのわずか、人の流れが変わる。

「そうそう。さっきの続き」

「はいー?」

「奢らせなさい。少しはいい仕事していて、お金もそこそこ持っているし、そもそもあたしは貴女より十も年上なんだから」

 ね、と軽く片目をつぶってみせる。彼女は戸惑ったように表情を二転、三転させたあと、ややあってから困ったように微笑んだ。

「ありがとうございます」

「奢ってから言って貰わないとね」

 小さく笑い返す。素直な子だ。噂通り、彼女がスレヴィの天災ならば、なおのこと彼女をこうまっすぐに育て上げた養父というのは、なかなかの手腕だと言わざるを得ない。

 石畳の道をゆっくりと歩いていく。【カロリアの願い】からまっすぐ北に伸びるこの中央大通りは、特に人の流れが多い。視線を上げれば夏の青空を背景に、細い尖塔が組み合わさった王宮が見える。中央大通りは王宮の反対側にも続いていて、この街の主要な通りだ。王宮からは東西南北に通りが延びていて、その通りにはそれぞれ【カロリアの願い】と同じく主要広場が設けられている。広場からはさらに道が延びていて、街全体は王宮を中心とした放射状に構成されている。街の中心部には石造りの家が多く、外に近づくほど新しい煉瓦造りの家が目立つ。石畳の道も通りごとに模様が敷かれていて華やかな街並みだ。とはいえそれは陽の部分ではある。

 ふと、カーラは隣を歩いているトスティナが、視線を横に向けているのに気づいた。

「ティナ」

 小声で、注意する。トスティナはまた短く頷いて、正面を見た。浮かない顔だ。

 大通りから少しでもずれれば、そこには街特有の陰がある。

 路地には、見るからに粗暴そうな子供たちが屯していた。トスティナが小さく呟く。

「ご家族の方、お困りじゃないのでしょうか」

「さあね。孤児の可能性もあるし」

 トスティナが目を伏せる。

「この街には孤児院もいくつかあるけれど、まぁ、合わない子も多いでしょうし、入れるかどうかも判らないしね。親がいても、子供に興味がないってこともあるし」

「……そう、ですね」

 沈んだ声に、カーラは思わず苦笑した。

「ティナ。貴女もご両親はいないんじゃないの?」

「そ、そうなんですけど。でもわたしにはおじいちゃんがいました」

 また、養父だ。よほど好きだったのだろう。追い出されてなお、この物言いが出来るのは。

 カーラは細く長く息を吐いた。自身の短い銀髪を指で弄んでから、軽く告げる。

「戦争孤児なんて、あたしから貴女ぐらいの世代だと、珍しくもなんともないのよね。嫌な世の中だけど」

 戦争。今の時代でその言葉が指すのは、九年前に休戦したままの民大戦のことだ。休戦からまだ十年も経っていない。戦が始まったのはカーラがまだ幼い頃だったが、トスティナにとっては生まれる前の話だろう。だからこそ、傷跡はまだ濃い。このスティンブルグにしても、外に行くほど新しい家が多いのは幾度か戦火で失われた過去があるからだ。

「わたし」

 トスティナがぽつりと呟く。

「戦争のこと、よく知らないんです。物心つく頃には終わってたみたいで。ただ、なんとなく嫌だなって思うだけなんです」

「それでいいのよ。今生きてる貴女ぐらいの歳の子が、そう思ってくれるのがたぶん一番大切なのよ」

 カーラよりずっと年上の世代には、知らないことを恥としたり蔑んだりする人間もいる。だがカーラは、知らないならそれでいいと思っていた。いい思い出でないものを下の世代にまで押し付けてどうなるものでもないだろう。

 視界の端で、先ほどの子供たちが動くのが見えた。カーラは半歩、歩みを遅らせて完全にトスティナと横並びになった。トスティナが目を瞬かせるが、カーラは気づかないふりをする。男が三人。年齢的にはトスティナと変わらないだろう。彼らが視界から消える。後ろへ行った。大丈夫そうだ。ほっと胸をなでおろした瞬間、背後で悲鳴が上がった。

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