第8話

 翌日は予定通りの時間、早朝五時三〇分過ぎに起床できた。


 昨夜は逃げるように早寝したので睡眠時間も十分だ。


 パンイチTシャツで寝たので、ハーフパンツを部屋の隅っこに置いてある衣装ケースから引っ張り出す。

 マンション我が家と違い整理整頓がしっかり出来ている。早めにあっちの片付けも済ませなければ……


 布団を片付けた後に軽くストレッチして階下に降りる。狭い部屋なのでベッドは流石に置けない。というか要らない。寝袋でもいいくらいだけど、それは父母に許してもらえなかった。『せめて布団で寝てくれ』と。


 ところでこの君島ジムはなんと五階建てのビルである。一階二階の二フロアはスポーツジムとして使っていて、三階はジムというより道場と残り半分のスペースに事務所がある。

 四階五階が居住空間になっていて、ここに俺の部屋もちゃんと確保してくれた。俺は五階の隅っこに四畳半ほどのスペースを貰っている。


 もっと広い部屋も空いているけど、父母に実子が生まれたらそっちを使って欲しいし、どの道成人したら俺は完全に独立するつもりなのでこのくらいが丁度いい。

 それを父母に言うともの凄く不機嫌になるので二度と口にしないけれど、心のなかではやっぱりそうするつもりではいる。


 水回りと父母の部屋のある四階を静かに通り抜け、三階もそのままスルーする。


 二階にあるマシンルームのメインスイッチを入れて必要な箇所だけLEDの照明を灯す。

 照明の真下にあるランニングマシンの電源を入れると微かな起動音を立ててランニングマシンのプログラムが起動する。


 俺は再度屈伸などのストレッチを行い、ランニングマシンのベルトの上に立つ。まずは散歩ほどのペースから始める。

 心拍数モニターが百をちょっと超えた辺りから徐々に小走りからジョギング程度の速度にまでマシンの調整を行う。

 心拍数をあげすぎても起きがけの空腹状態ではひっくり返ってしまう。丁度いい具合を見つけながら久しぶりのマシンでのランを楽しむ。




 一時間ほど走っていると萌々花が俺のことを呼びに来た。


「おはよう。随分早起きだね。お母さんにご飯ができたから呼んできてって言われたよ」

「おはよう、萌々花。ありがと。結構汗かいちゃったから、シャワーの後に食べるって言っておいてもらえるかな?」


「ん。分かったよ。今朝のご飯はわたしが殆ど作ったのだからちゃんと食べてね……」

 それだけ言うと萌々花は走るように階段を登っていってしまった。ほんのり頬が染まっていたような気がするのは気のせいか?




「いただきます」

「漣。シャワーを浴びてくるのでは無かったのかい?」

 誠治父さんがそんなことを聞いてくるが聞こえないふりをしておく。


「あらかた、萌々花ちゃんが朝ごはんを私と一緒に作ったからでしょ?」

「……」


「ありゃ、正解なの? 冗談のつもりだったのにね。漣くんも可愛いわね」

「佳子母さんうるさい。食事中は静かにする」


 ほら。余計なこと言うから萌々花の箸が止まって困惑しているじゃないか!

 もう、また変な汗かいちゃうよ。


「「クスクス」」

「「…………」」




「ごちそうさま。じゃあ、俺はシャワー浴びに行ってくる」

「どうでしたか、お味は?」


 佳子ぉぉぉぉ~


「お、おいしかたです」

 くそ!噛んだ!


「だって~ 萌々花ちゃん。よかったわね~」

 もう‼ なに? 何で萌々花も反論しないのさ! なんかそれじゃ、俺が美味しいって言ったから萌々花が嬉しいみたいじゃん!


 …………え? まさか? いや、流石にそんなことはないよな。ないよな? ……うむ。


 かたや男子に人気ありそうな小動物系ギャルの可愛らしい娘と初対面印象陰キャボッチのガリヒョロ色白さんでは釣り合うわけがない。

 いや自虐的にこういう風に言っているけど、俺は陰キャでもヒョロくもないんだけどね。ガリの部分は早々に解決するようにトレーニングを欠かさないようにして身体を大きくしよう。

 まあ、ただの第一印象だし……悲しくないからね!


 父母が調子に乗っていろいろと揶揄うからおかしな気分になってしまったけど、萌々花はいうなればただの同居人。ルームメイト、居候?

 萌々花には行くところがないから仕方なく空いている部屋を貸してあげるだけ。そういう関係以上にはなりっこない。


 そもそも、俺だぜ? 実親に捨てられて他人のことを信じられないすさんだ心の持ち主なんだよ。はあ、それを言ったら萌々花も似たりよったりなのか。



 うむ……シャワーを浴びながら物思いにふける。

「ま、余計なことは考えずに先ずは生活の基盤を整えるのが最初にやることだよな」

「え? 漣、何か言った? ごめん、聞こえなかったよ」


「うおっ‼ なんで萌々花がそこにいるんだよ!」

「お父さんがタオル置いてきてくれって」


「あーうん、ありがとう。助かったよ」

「いいえ~」


 パンツ一丁の姿にはアワアワするくせにドア一枚隔てると素っ裸の男がいても平気ってどうなっているんだよ。


 萌々花には男との接し方ってやつをもう少し教えてやらないといけないのかもしれないな。

 それには最初に俺が女の子との接し方を覚えないといけないのだろうな。オトナなビデオでは役に立たないのだろうな、絶対に。

 そうしたら何を教材にすればいいのだろう? みんなどうしているのだろう……今度拓哉にでも聞いて……いや、流石に聞けないな。



 ★+。。。+★+。。。+★+。。。+★+。。。+★



「じゃぁ、ありがとう。ここで良いよ。今日もジムの方は営業日だよね」

「お世話になりました。これからもよろしくおねがいします」

 玄関で父母に挨拶をする。時間は未だ九時前だけど、ジムのオープンがあるのでこれ以上の長居は出来ない。

 俺たちも帰ってから色々やらなくてはならないから、そうはゆっくりしていられないという事情もある。


「ももちゃんも漣くんのことよろしくね」

「はい。お母さん、ありがとうございました」


「では、二人共気をつけて帰るんだよ」

「っじゃ、今度はゆっくり来るよ」


「あ、漣。ちょっと……」

 父さんが俺のことを呼ぶ。


「私達は……信じている。ただ……だ。それでも漣は……。守ってやるんだぞ」

 勿論そのつもりしかない。


「当然だよ、父さん。俺の第一の目標は過去を越え断ち切ることだからな」

「分かった、さすが漣だ。じゃあ行って来い」


「どうしたの?」

「ううん。大したことじゃないから。さあ行こうか萌々花」


 ジムのスタッフさん達と入れ替わりに俺たちは帰宅の途に着いた。

 何となくだけど、帰るって考えるとあのマンションを思い浮かべるようになっている自分にちょっとおもしろく感じた。

 萌々花はどういうふうに考えているのだろうか?


「とっても良いお父さんとお母さんだね」

「そうだな。あの二人と家族になって未だ一月ちょっとしか経っていないなんて思えないよな。まあ、誠治父さんは生まれたときから知っているけどな」


 最寄り駅まで二人並んで歩く。


「誠治さんは元々、叔父さんなんだっけ?」

「そう、クソ父親の弟。佳子母さんとも付き合いだけは五年ぐらいはあるのかな?」


「へ~ あの二人が本当のご両親だったら良かったのにね」

「……ま。そしたら俺は生まれてくることなんか無かったんだろうけどな」


「あ、そういう意味じゃなくて……」

「あああああ! ごめん! 俺こそそういった意味じゃないから気にしないでくれ」


 言葉って難しい。伝えるって難しい。ちょっとした勘違いからすれ違いばらばらになることもあるんだよな。気をつけよう。


「わたしの両親もあんなだったら違っていたのかなってちょっと思ったの。わたしのところも……ほら、冷めた親子関係だったでしょ?」

「ああ……そういう。確かにな、俺も考えたことあるよ」


 楽しかったはずなのになんだか暗くなった! これは良くない傾向。タラレバ話は後ろ向き会話になりがちだから注意すべきもの。


 話を変えよう。


「そーいえば、萌々花はすげー馴染んでいたな。最初の頃の俺より自分ちみたいだったな」

「うん! ふたりが、わたしが緊張しないようにリラックスできるようにと導いてくれているのが分かったの。そういうのに気づくと嬉しくなっちゃって余計にお父さんたちに甘えて懐いちゃった気がする」


「まさか朝飯まで一緒に作るとは思ってなかったな」

「ねえ、本当に美味しかったの?」


「………」

「……え? 駄目だった?」

 ウサ耳がへにょんって折れた幻影が見えた気がした!


「控えめに言って美味かった。また食いたいからよろしくな」

「うん! りょーかい! 」

 耳がぴょんってなってスキップを始めた!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る