1章3話:もう一人のユース
第二体育館のドアを川村が開くと、中から薄らと冷気が溢れて来た。
「おい!エアコンついてんぞ!」
「マジですか⁈」
「マジ!」
感動しつつ中に入る。普段の練習環境とは全く違う整った設備に高尾は思わずため息をついた。
「ウチがどれだけオンボロか分かっちゃいますね……」
「まあ、学校で一番ボロい体育館だから仕方ねえわ。練習場所の体育館がちゃんとあるだけマシだと思えよ。オレたちは去年のこの時期は外コートでやってたからな?」
シューズとスクイズボトルとタオルだけ入れたスポーツバッグを床に置いた川村は倉庫と思しきドアを開く。
「外コート⁈」
「そうだよ。球技大会で使うとこ」
中に入ると間宮の言った通り必要なモノは大方揃っていた。
「ポールはあっちか。アレがボールのカゴで……、ビブスもあるのか。へえ〜。カラーコーンもある。持って来る必要無かったかも」
一人で喋っていると川村の隣で高尾と火野が作業を始める。
「川村さん!一人で何か喋ってないで手伝ってくださいよ!」
長谷川が声を張りながらネットを持って行く。
「はいはい、分かった」
ちょっとくらい遠慮しろよ、オレ二年だぞ、と言いたかったが言ったところで暖簾に腕押しだということは分かりきっていた。海堂は生意気で、他は先輩を先輩と思っていなさそうな態度を平気で取る。全く末恐ろしい後輩達だと思いはするが、なぜか怒れない。
(困ったモンだね〜……)
半ば呆れつつ、川村はネットを張るのを手伝うことにした。
自分達のネットを張るついでに隣のコートのも張っておくかと言う話になり、六人であれやこれやとやっているとガラリとドアが開いた。逆光でジャージの色や顔は分からないが三人ほど人間が入って来る。
「あれ、ネット張ってくれたみたいですよ」
「ホントだな」
するとバタバタと一人が走って来て勢い良く頭を下げた。
「ネットありがとうございます!後は自分達でやりますんで大丈夫です!」
そう言ってから顔を上げたのは、紺のジャージに身を包んだ少年である。胸元には
「瓜生」
と苗字だけが入っている。
「二メートル四十で張ったんですけど、それでいいですか?」
長谷川の問いに彼は頷き、後ろから歩いて来ていた人影に声をかけた。そのときに見えたジャージの背中には
「静岡青嵐男子排球部」
と赤で刻まれていた。
「六平さん、北雷の人達がネット張ってくれたみたいです。二メートル四十で」
六平、という名前に数人がピクリと反応する。
(アレが全日本ユース登録選手、六平幸也……)
神嶋は六平と目が合った。すると向こうから近づいて来る。
「静岡青嵐副主将の六平幸也だ。ネットを張ってもらって助かった。準備は北雷にやってもらったわけだから、今日の片付けはウチがやる」
身長で言えば神嶋とさして変わらないが、身体の厚みが全く違った。首から肩にかけてのラインも太く、全体的に威圧感を与えるような体格だ。どこかで見たような雰囲気だと考えて、世界史の資料集に載っているギリシャの彫像に似ているのだと気がついた。
「北雷の主将の神嶋直志です。そういうことなら片付けはお願いします」
「……神嶋?」
太い眉が寄る。その反応に川村の背筋が凍った。
(頼むからここで兄貴の話だけは出してくれるなよ……)
全日本ユース登録選手、と言うあたりで警戒はしていた。ユースの合宿も行われているようだし、その二人の間に面識が無いとは考えにくい。
だが、神嶋にとって本人の兄の話は間違いなく地雷だ。詳しいことは一切知らないが、あの兄弟の間に何か拭いきれない確執があることは火を見るよりも明らかである。
この場で神嶋が何かするとは思えないものの、彼の精神状態を考えると掻き乱すのは止めてほしい。
「北雷ってどこにあるんだ?」
「神奈川県の横須賀です」
「俺の知り合いに神奈川の緋欧にいる神嶋堅志ってヤツがいるんだが、もしかして親戚か?顔は似てねえが同じ神奈川県で神嶋って苗字が被るってなかなか無いだろ」
(言いやがった〜〜〜!)
この野郎、と内心で罵りながら川村はヒヤヒヤしつつ見守る。
「……親戚、というか俺は弟です。アホな兄がお世話になりました」
川村の位置からでは神嶋の顔は見えない。だが声音はいつもと変わらなかった。
「しかしまあ、顔似てねえなぁ……」
「アイツは母方に似たので、ぱっと見だと兄弟には思われません」
「なるほど。そういうことか。……ん?てことは、もしかして二年生?」
その問いに神嶋は頷く。
「去年部を立ち上げたばかりなので、最上級生は俺たち二年です」
「だから敬語だったのか。納得した」
「一週間よろしくお願いします」
当たり障りのない挨拶で締めた神嶋が北雷側に戻って来る。彼のいつも通りの落ち着き具合に、川村は密かにほっとした。
しばらく経つと、北雷の方はチームのメンバーが全員揃う。練習前のストレッチをしていると、隣のコートから声が聞こえた。
「痛ッ!もう曲がらないです!無理!」
「何だよ。身体硬えなあ……」
同じようにストレッチに入っていた静岡青嵐の瓜生が、六平の手の下で文句をつけている。
「いや、これはちょっと……!」
「分かった、分かった。じゃ、交代」
悲鳴を上げる後輩が面倒になったのか、六平は役割を入れ替えた。床に開脚したまま上半身を前に倒す。
「……あの、おれの手伝いいります?」
六平の上半身はぺったりと床についていた。瓜生の言葉も最もである。
「上から体重乗せろ。何か乗ってるくらいの方が、気持ち良いから」
「はあ……」
複雑そうな顔で広く分厚い背中に腕を突っ張り、瓜生は体重を乗せた。
「いつまでやります?」
「もうちょっと」
悠然とした声でそう答え、六平は微動だにしない。あまりの静かさに不思議に思った瓜生が顔を覗き込むと、半目でうつらうつらしている。
「何で寝かけてるんだよ!アホか!」
盛大に言われた方は、ハッとした顔で首だけを回して瓜生を見た。
「気持ち良かったから……」
「アンタ何でそんなこと出来るんですか⁈体育館の冷たくて硬い床で寝られます?」
「俺はどこでも寝られるぜ。その証拠に、授業中はいつも爆睡してる」
身体を起こした六平はぐうっと背中を後ろに反らす。
「自慢げな顔で言うことじゃないっすね」
「あと風呂でも寝る。実家の風呂だと足伸ばせないから、ストッパーになって溺れねえ」
まるでノーベル賞でも受賞したかのようなドヤ顔をした六平に、瓜生は渋い顔をした。
「止めてください。アンタ一応日本の宝でしょうが。風呂で寝て溺死とか恥ずかしすぎます」
「デキシって何」
「溺れて死ぬことです」
「へえ〜。初めて知った」
二人して床に座り、両足の足の裏をピッタリ合わせて話し出す。
「刑事ドラマとか見てると溺死とか言ってません?」
「難しいからいつも見てる途中で寝ちまうんだわ」
「刑事ドラマくらい持ちこたえてくださいよ……」
周りがまだ終わっていないのを良いことに、二人はテンポ良く話続ける。
「それ姉ちゃんにも言われた」
「えっ⁈お姉さんいるんですか⁈」
「名古屋の出版社で働いてるから、あんまり会わねえけどな」
「おれもいます。二つ上の姉貴。受験だから毎日予備校通いで忙しいって」
「すげえな。一般?俺絶対無理」
「アンタは無理でしょうね。バカだもん」
「四浪しても受からない気がする」
「でも中等部は受験したんですよね?」
「したけど多分かなりギリギリだったんじゃねえの?試験本番、途中で寝たし」
「ええ〜……、それ受かる気無かったでしょ」
その様子を見た長谷川がぼそりと言った。
「よくあんな口聞けるな……」
「オレ達だと川村さんに向かってああやって喋る感じだよね」
火野が隣でそう言い、長谷川は黙って頷く。それを聞いていた川村が
(お前達もなかなかだけどな)
と内心突っ込んだことは、誰も知らないのであった。
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