2章 敵情視察

2章1話:行動開始

 部員達が練習を始めた頃、海堂は宿舎の一階にいた。

「え〜、では、この四名で合宿中の雑務を回してもらうことになります。四人だから顔は分かるよね?とりあえず軽く自己紹介しとこうか」

 そう言ったのは甲斐南第一のコーチの苗代だ。若草色と白のジャージに身を包んだ若い男である。

「じゃあ三笠から」

「はい。甲斐南第一の三年の三笠晴です。ハルって呼んでくださ〜い。よろしくお願いします」

 ウェリントン型の眼鏡フレームの奥でまろい形の目が優しく笑う。

「次は、え〜と、静岡青嵐の君ね」

 苗代がそう言うと、頷いた青年は信じられない声量で話し出した。

「静岡青嵐学園三年生の南野律です!臨時でマネージャーをやっているので不慣れなところがあります!分からないことを聞くこともあると思いますがよろしくお願いしアっす!」

 いかにも運動部、と言わんばかりのそれに残りの女子三人はあんぐりと口を開ける。それに気がついて、彼の顔がじんわりと赤く染まった。

「や、すんません……。その、クセ、で」

「アハハ!まあまあそんなもんだよ、気にしないで」

 軽く流した苗代が次に鹿門寺のオレンジのジャージに目線をやる。

「鹿門寺工業マネージャー、二年生の神田円香です!よろしくお願いしま〜す!」

 その次に自分だろうと踏んだ海堂は苗代から振られる前に自分から口を開いた。

「北雷高校一年の海堂聖です。よろしくお願いします」

「はい、みんなありがとう。今回は四つの体育館を使うので各体育館に常駐してもらう形になります。基本的に仕事はビブス洗濯したりドリンク作ったりって感じだから普段と変わらないと思います。後はアイシングの準備とか怪我人や急病人の対処。俺たち指導者も監督のために各体育館にいることにはなってるから、あんまり気負わないで平気」

 苗代がそう言い、それからさらにいくつか説明を受ける。

「最終日以外は夕飯前の一時間はプールでトレーニングを行います。それを見学してもいいし、その時間で違う仕事やってもいい。何なら先に風呂とか入っても全然大丈夫。それから夕飯の後に主将と副主将と指導者とでミーティングをする予定です。そのときに変更とかあるかもしれないからそれには出てくれな。こちらから言うことは他にはありません。体育館の割り振りは自分たちで決めていいよ。それじゃあ、俺はこれで」

 廊下の曲がり角を苗代が曲がるのを見届けてから神田がスマートフォンを取り出して提案した。

「あの、連絡用にグループ作りませんか?あったほうが何かと便利だと思うんですけど」

「あ、そうだね。作っとこうか」

 それに答えた三笠が自分のスマートフォンを取り出す。それから四人でコードを交換してグループを作っていると、フラリと設楽が現れた。

「お〜い、聖!ちょっといいか!」

「すいません、今無理です。手離せないです」

「何してんの」

 後ろから覗き込んで来た設楽にスマートフォンの画面を見せる。

「今の子すごいよな。すぐにこういうの作っちゃうもんな〜」

「コーチもまだ三十二じゃないですか。このくらい出来ないと困ると思いますけど」

「俺は機械音痴なの〜」

「機械音痴にも程があります。パソコンくらい使えてください」

「これから頑張るから」

「そんなテスト頑張るからみたいなノリ止めてくださいよ……」

 呆れた顔の海堂だったが、設楽はそれを華麗にスルーした。作業が終わったのを確認すると、設楽は海堂を引っ張って空き部屋に入る。空調を起動させていない部屋は蒸し暑い。

「で、お前の言う通りにチーム分けたけど、ホントにアレでいいのか〜?」

 壁に寄りかかった設楽に低めの声でそう問われ、海堂は無言で頷いた。

「そもそも合宿の目的は、チーム全体のレベルアップを図ること。そして、セッターのクオリティを上げることです」

「それは知ってるさ」

「チームの中でのレベルの格差は大きな問題です。サンショーに負けたのもそれが原因でしょう。どのみち緋欧と渡り合うなら、今のままじゃろくに点数も取れません。だからこそ、あえてこの分け方にしました。コーチなら、言わずともお分かりかと思いますけど」

 冷たい声に設楽は眉間を押さえる。

「とは言っても、お前の話を聞いた感じだと、そのやり方は相当な痛みを伴う。いくら時間が無いからってここまで荒療治をするこたァねえだろうよ」

「それについては以前お伝えした通りです。選手層が薄いから、手持ちの武器で何とかしなくちゃいけないんです。ですが、その手持ちの武器を磨く時間があまりに足りない。だからと言って突貫工事にして外側を作るだけじゃ、必ず負けます」

 海堂の強い目の光を受け止めてから、設楽は手元のチーム分けを書いた紙を見る。

「一静があのチームでやるのは性格的に相当厳しい。ここで潰れたらどうする?」

「高尾が潰れたらどうするって言うか、一回潰すつもりだって言ったじゃないですか」

「そうだけど、本当に完全に潰れっちまったらどうすんだ。立ち上がることすら出来なくなったら?ただでさえ薄い選手層を削るのか?」

「そうならないように上手くコントロールします。そこは任せてください」

 自信のある声だったが設楽は唇をグッと曲げて首を傾げた。その目の温度に海堂も同じ反応をして見せる。

「……何です」

 出て行こうとしていた海堂はその姿勢のまま設楽に目線をぶつけ返した。

「いや、な、俺はお前の親じゃねえからよ、あんまりごちゃごちゃは言わねえ。でも、これだけは言わせてくれ」

 ガシガシと頭をかいてから設楽は今まで聞いたことのなかった、諭すような声音で話し出した。

「お前、ちょっと人間の感情に疎すぎるぜ。ざっくり言うと、鈍くて冷たい」

 言われたことの無い言葉に海堂は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。

「常に現実的で様々な事態を想定していることは素晴らしい。計画性もあるし、変に楽観もしなければ悲観もしない。そこはお前の強みなんだろ。だがな、よく考えろ。お前が相手にしているのは生身の人間だ。意思を持たない将棋の駒じゃァないのさ」

「……すいません。いまいち分からないです」

「俺も同じように接したことがあった。でもなあ、そういうやり方の合う人間と、合わない人間がいるんだ。全員がお前のような人間なら合うかもしれねえけど、実際のところはそうじゃないだろ?」

 設楽の言葉はどうやら響いていないらしい。理解できない、という顔のまま海堂は設楽を見ているだけだった。

「ま、でも、決まったことだからアレコレ言わんさ。ほら、仕事して来い」


 宿舎を出て、海堂は機材一式をスポーツバッグに入るだけ入れ、第一体育館へ向かう。他校の映像資料は今のところほとんど無い。分析のための資料を増やす必要がある。そのため、学校から借りてきたビデオカメラを各体育館に仕掛けることにしていた。

 まずは第一体育館へ向かう。そこで練習しているのは、鹿門寺工業主将・寺田蒼司率いるCチーム。そして甲斐南第一主将・金橋飛鳥率いるEチームの二つだ。さらに神田が雑務の処理のために控えている。

 双方の主将に挨拶と説明を済ませ、ついでに仕事も受けてからカメラを設置する。次に向かうのは第二体育館だ。静岡青嵐副主将・六平幸也のBチームと北雷主将・神嶋のGチームが練習しているはずなので、説明が一度で済む。

 そう思いながら渡り廊下を渡ってドアを引き開けた瞬間、海堂のすぐ近くの壁にボールが激突した。その場に立ちすくんだ海堂の隣でボールはそのまま床に落ちたが、あと少し左に寄っていたら海堂の頭にぶつかっていた。バレー部にいればぶつかることもぶつけてしまうこともある。だが、海堂が動けなくなった理由はそれではない。

(六平幸也……!)

 コートの向こう、ネットを隔てた奥の濃紺のTシャツをまとう威圧感の塊に、目が離せなかったのだ。

「すまん!」

 六平は大声で謝り、そのまま走ってセッターの横を抜ける。

 どうやら静岡青嵐のBチームはスパイク練習をしているらしく、続けて別のスパイカーが助走に入った。海堂は慌てて二つのコートの間の通路に入る。今のBチームに話しかけると邪魔になるだろうと考え、先にGチームのほうのコートに向かった。

「カメラ設置するんで気をつけてください!昼に回収するので触らないで!」

 パス練習をしている彼らに声をかける、とまばらに返事がある。さすがにお互い慣れたモノなのでいちいち説明もしない。カメラを設置し終えた頃にはBチームのほうも一段落したらしく、全員でボール拾いをしていた。

「あァ〜……、ボール拾い終わったら一旦俺ンとこに集合な。指示出すから」

 めんどくさそうにそう言った六平は、到底少し前の機敏な動きを見せたのと同一人物には見えない。眠そうな顔で、動きも緩慢。全体的に全く覇気が無い。強豪校のエースと言われても正直なところ疑ってしまう。

(今なら平気かな)

 声をかけようとそちらへ向かうと、鋭い視線がいくつも突き刺さった。六平と目が合い、それに気がついた瞬間に向こうから近寄って来る。

「そこの、北雷の」

 ボールを片手に鷲掴んだ六平は間近で見ると遠目よりも凄まじい威圧感を感じる。身長は神嶋のほうがあるが、全体的に線が太い。険しい顔つきと、割り増しで大きく聞こえる声の低さも影響している。しかしツンツンと尖った量の多い髪が動くとわさわさと揺れるのを見て、大型の動物にしか見えなくなってしまった。

「あァ〜……、名前、何だっけ」

 忘れちまったわ、という六平に海堂はハキハキと返した。

「海堂です」

「海堂か。よし、覚えた。……多分」

「何でしょうか」

「動画の分析とかするんだろ?」

「はい」

「一つ依頼だ」

 六平は左手の人さし指を立て、そう言った。

「今日の……、そうだな、夜八時半までに静岡青嵐のもう片方のチーム以外の動画を分析して、その資料と動画を俺に渡してくれ」

 唐突な言葉だったが、海堂はそれに頷いて見せる。すると、その近くにいた一番背の低い少年が六平に声をかけた。

「それ無茶振りじゃないっすか、六平さん」

 口ぶりからして後輩なのだろうが、生意気な響きを伴う言葉を六平は全く咎めない。

「何がだ、瓜生」

 眉を寄せての問いに瓜生は話し出す。

「いくら何でも今日の八時半は無理でしょ」

「知らねえよ。そういうこと出来るって言われてるから頼んでンだろが」

「出た、無茶振りキング。おれ、アンタのそういうとこホント嫌いです」

「それが何か俺に関係あんのか?」

「いやいや、自分のこと嫌いって言われてんのにその反応は普通しないでしょ……」

 明らかに引いた様子の瓜生だが、六平はそれを気にしていないらしくまた海堂を見た。

「コイツの言ってることはどうでもいい。やれるんだろ?」

「やれますが」

「なら頼むわ」

 それからさっさと立ち去ろうとする六平を捕まえてカメラの話を済ませた海堂は、次の第三体育館へと足を向ける。そこにも北雷のチームがいるはずなので手間が省けるだろう。

 

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