1章 強者、集う

1章1話:初めましてのご挨拶

 現地に到着して北雷の部員がバスから降りると

「うおっ、でか!」

 と川村が声を上げた。数人が反応してそちらを見ると黒塗りの車体に青で

「静岡青嵐」

 と書いてある大型バスがあった。学校の修学旅行の移動に使いそうな大きさだ。銀の縁取りのせいで威圧感が増しているのはきっと気のせいではない。

「これ静岡青嵐のバスなの⁈」

「はぁ〜……、強豪すげえわ……」

「静岡青嵐は春高とインターハイの常連校です」

 その声に能登が振り向く。涼しい顔の海堂は淡々と話し続けた。

「他にもサッカーではインターハイと冬の選手権、野球は甲子園、吹奏楽部は全国大会の常連ですから、必然的に県を跨ぐ遠征も多いんでしょう。相当な大所帯ですからいちいち電車で動くよりもこういうの持ってた方が効率がいいんじゃないですかね」

「詳しいな」

「さっき調べました」

「なるほど」

 二人が話していると箸山が神嶋のほうを指差して歩け、と促した。


 集合場所、と言われていた場所は駐車場だった。まだプレオープンの段階のため一般客はいない。そういうわけで駐車場に並んでも大丈夫なのだった。

「北雷はここに整列!」

 神嶋がそう言うと全員が背番号の順で二列に整列する。すると、隣に並んでいた白と若草色のジャージを着た一団が

「おはようございます!」

 と声を張った。それに返してから、両校の間に会話は無い。

「なあ、海堂」

 海堂のすぐ前に並んだ火野はヒソヒソと話しかける。

「何?」

「隣って、甲斐南第一ってとこ?」

「うん。背中に書いてある」

 隣に並んだ甲斐南第一の部員たちのジャージの若草色の背中を目線で示す。確かに

「甲斐南第一」

 と白で名前が刻まれていた。

 人数は北雷と全く同じだ。それに気がついた海堂は内心首を傾げる。全国区レベルの強豪が十人と少しのわけが無い。隣の火野も同じように気がついているらしく

「少なくない?」

 と聞いてきた。それに頷いて返しつつ、海堂は考える。

(もしかして絞って来たのか……?でもおかしい。何でそんなこと)

 そこまで考えたとき、拡声器越しの声が駐車場に響いた。

「高校生諸君、おはよう」

 誰が話しているのかは分からないが、周りと同じように挨拶を返す。

「後ろの方の人たち見えるかな?」

 と言っているのが聞こえたので海堂は心の中で首を横に振る。そもそも目の前に一八〇センチ代と一九〇センチ代がいるのに見えるわけがない。

「初めまして。埼玉県立鹿門寺工業高校の監督の氷川裕次郎です。今回の参加校の指導者の中で一番年配ということで総責任者を務めます。よろしくお願いします」

 拡声器を通した声は確かに年齢を感じさせる。

「今回は四校が同じ施設を使うということで合同で練習をすることになりました。でも、単に普通にやるんじゃ面白くない。これだけ色々な学校がいて、どこも相応の実力がある。これを活かさない手は無いだろうということでね、ちょっと面白いことを考えたんですよ」

 面白いこと、というフレーズにその場に疑問符がたくさん浮かぶ。それを察したらしい氷川はこの上なく楽しそうに続けた。

「全部で四校いるので、各校を二つのチームに分けます」

 するとその場が一気にざわつく。海堂も驚いて開いた口が塞がらない。

「AからHに分けた八つのチームで六日間練習を行ってもらいます。そして、最終日とその前日の午後を使ってリーグ戦を行います」

 さらにざわめきが大きくなる。

「各校十二名までだから、中には普段はベンチにいるために活躍の機会が無い人もいるでしょう。ぜひこの場で力をつけ、夏以降の大会では使ってもらえるように研鑽を積んで下さい。以上!」

 氷川がそう話を締めると、各校の指導者たちが動き出した。

「宿舎に荷物置きに行くぞ!北雷はA棟四階、一号室な!間違えンなよ!その後は第一体育館だからな!」

 設楽がそう言うと、直前のざわつきを残したまま北雷の部員たちはゾロゾロ動き出す。

「荷物置いたら必要なモン持って体育館?」

 火野の問いかけに海堂は頷く。

「お前も四階?てか絶対部屋違うよな?」

「うん。三階の六号室だって」

「お前こそ部屋間違えンなよ」

「大丈夫」

 そう答えた海堂は、少し重そうなスポーツバッグを揺らして歩き出した。


 宿舎はちょっとしたマンションのような佇まいだった。外壁は白く、各部屋にベランダがついている。一階のエントランスのところにはベンチと自動販売機があり、その正面にエレベーターが三台あった。最上階はどうやら五階らしい。二階にはミーティングなどに使えそうな部屋が並んでいる。

 意外と高さは無いんだな、と思いつつ海堂は三階まで一気に階段を駆け上がった。移動時間ですらも惜しい。

 三階の階段のすぐ近くの部屋は八号室だった。どうやら奥に行けば行くほど番号が若くなるらしい。途中で壁が窪んでいるところに自動販売機があり、便利そうだと内心喜ぶ。

「ここだ」

 ドアのプレートに「306」と数字が刻んである。黒いドアは半開きになっていた。物音がしないので、中には誰もいないのかもしれない。

 海堂がドアを開くと中は畳ではなくフローリングの、よく見かける普通の洋室だった。雰囲気は海堂の自宅に近い。ちょっと目を見開いてその場で立ち止まる。

 頭の中で「合宿=和室=布団で雑魚寝」の等式を持って生きてきた海堂にはいささか新鮮であった。

 だが部屋は部屋である。玄関口のようなスペースで靴を脱いで中に入った海堂は、また立ち止まった。

「いや、二段ベッドなの」

 ドアのすぐ横からでは見えなかった死角の部分に二段ベッドが二つ据えてある。これまたよくある白いパイプの二段ベッドだ。弟二人がこんなベッドで寝ていた気がする、と思いながら部屋を見渡す。

 ベランダには窓から出られるようになっている。スポーツをすることが前提の施設のためか、物を干せるようにしてあるらしい。部屋には机も二つある。コンセントは全部で八つ。洗面所とシャワールームがついていて、それとは別でトイレもある。

(けっこう良い設備だな……)

 多少殺風景なのを除けばホテルと言っても騙せるだろう。想像とは違ったが清潔感はあるし良い意味で違ったので文句は無い。

 海堂はその場にスポーツバッグを下ろし、中から必要なモノだけを取り出す。それ以外を机に置いて外に出ようとしたとき、ドアが開く音がした。

「失礼しま〜す……」

 控えめな声に海堂はそちらを見る。するとそこには、若草色のジャージを着たショートカットの女子がいた。

「……おはようございます」

 挨拶すると、相手は感じ良く笑って返す。

「おはようございます!甲斐南第一のマネージャーの三笠晴!三年です!よろしくお願いします!」

「北雷高校一年の海堂聖です。こちらこそ一週間よろしくお願いします」

 すると三笠はカバンを下ろしてからマシンガンのように話し出した。

「他に女の子いると思ってなかったからすごい嬉しい!てっきり大部屋に一人かな〜って思ってたし、それちょっと寂しいよねって思ってたの〜。あ!部屋すごいキレイだね!」

 三笠を横目で見ながら海堂はスニーカーを履こうとした。その瞬間にドアが開いて開いた相手とバッチリ目が合う。

「おはようございます。北雷高校一年の海堂です。一週間よろしくお願いします」

 もう面倒だからさっさと名乗っておこうと思った海堂は、定型分をそのままコピーしたような挨拶をする。

「鹿門寺工業高校二年の神田円香です。よろしくお願いします。ウチの人たちすんごいうるさいから何かあったら言ってね!」

 愛想の良い笑顔に軽く会釈して海堂は部屋を出た。

 階段を下りて宿舎を出る。そこから見える四つの体育館を目指して歩いていると、静岡青嵐や甲斐南第一、鹿門寺のジャージが目に入った。

(カラフル……)

 全く知らない学校の全く知らない人ばかりが周りにいて落ち着かない。何となく居心地が悪い。

「海堂〜」

 後ろから声をかけられて振り向くと見慣れた北雷の同級生がいる。

「お前ンとこも和室?」

 長谷川の言葉に首を横に振った。

「二段ベッド」

「え⁈マジで⁈」

「うん」

 話しながら歩いていると、火野が後ろから押し出されるように蹴つまずいた。その襟を隣の水沼が慌てて掴む。

「あっぶね……!ヌマヌマありがとう!」

「どうしたの?」

「いや、後ろからぶつかられた?のかも?」

「って海堂⁈」

「え、何……。え⁈何してんの⁈」

 二人の目線の先には小柄なジャージ姿の少年の襟を鷲掴んでいる海堂がいた。

「待って待って。アレ甲斐南第一じゃね?」

「アイツ何してんの⁈」

 すると海堂は相手を引きずって火野の前まで連れて来る。

「ぶつかったの、コレじゃないの?」

「コレって言うな!てか離せ!力強すぎ!首絞まる!」

 文字通り本当にズルズル引きずって来た普段から凶悪な目つきの海堂と、その手の下でジタバタと暴れている小柄な少年。絵面は完全に犯罪だ。

「人にぶつかっといて謝らないってどういう神経してるわけ?山の中の動物?」

 襟を掴んで持ち上げそうな勢いで海堂はそう問う。

「ハァア⁈何だよお前!ケンカなら買うぞコラァ!」

「怪我しなかったから良かったけど何かあったら責任取れる?」

「急いでたんだよ!分かった!謝るから!手離せ!」

「モノを頼む態度がなってない」

「分かりました!謝りますので離してください!お願いします!」

 そう言われてようやっと手を離した海堂はじっと相手を見る。小柄な少年は、海堂よりも小さかった。

「あ〜……、ぶつかってすいませんでした」

「いやいや、こっちもウチの凶暴なのがすいません……」

 何でオレが恐縮して謝らにゃならんのだと内心火野は思ったが、他校生相手にケンカ騒ぎを起こしたと神嶋にでも知られたら怒られる。ここは穏便に済ませることにした。

「お〜い、司竜〜?何してんの?」

 立ち止まっていた火野の後ろから声が聞こえてそちらを見ると、同じジャージを着た青年が立っている。

「由宇!」

「由宇じゃなくて酒井さんだろ」

「首絞められた」

 司竜、と呼ばれた少年は海堂を指さす。

「えっ⁈」

「ちょっと、語弊のある言い方すんの止めてもらえる?」

 それに敏感に反応した凉が威嚇したが、当の本人の海堂は何食わぬ顔でスタスタと歩き出していた。それを慌てて高尾が連れ戻す。

「そもそもお前が火野にぶつかって謝らなかったのが悪いんじゃん。何を偉そうに被害者面してんの?」

「確かにぶつかったよ。謝るのが遅くなったのも悪かった。だけど首絞めなくたっていいだろ!」

「アイツが本気で首絞められるわけないじゃん。話盛りすぎ。アレで女子だし、性格から考えても選手に怪我はさせないはずだし」

「でも締め上げて来た!」

「証拠は?」

「んぐっ……」

「証拠も無いのに自分が一方的に被害受けたって主張するんだ。大した頭だね」

「あんだとデカブツ!」

「身体と同じくらい頭も小さいのか。話し合う価値も無いや。じゃあね」

「その頭も身体も小せえヤツに張り合う気概もねえのかよ!」

 最後の一言に凉の眉がピクリとする。

「……いいよ、そのケンカ、買った」

 明らかなケンカの気配が漂い、両者が腕まくりをする。

「ねえ、誰がボクのバッグ持っててよ。このクソチビ、音速で潰すから」

 両手の指の関節をパキパキと鳴らした凉は準備体操と言わんばかりの動きを見せた。

「由宇、先に体育館行って。すぐに追いつく」

 相手も臨戦態勢に入り、吊り目がちな目をさらに吊り上げて、眉を跳ね上げる。強気な顔で凉と向き合い、両者は互いの顔から目を離さない。

 その険悪な様子に周囲がざわつく。

「何だ?」

「ケンカだって」

「うわ、片方小さくね?」

 そして凉の右手が相手の胸ぐらを引っ掴んだ瞬間。

「凉!」

「司竜!」

 と低い怒声が二つ雷のように響く。長い腕が二人の間に割り込み、すぐさま黒いジャージと若草色と白のジャージが壁を作った。

「神嶋さん⁈」

「金橋さん!」

 驚いて二人が声を上げると、神嶋の長い指が凉の白い額を弾く。

「いでっ!」

「何してるんだ。お前らしくもない」

「だってあのチビが……!」

 額を押さえたまま怒気を隠さない凉の一言に応じるように吠える。

「誰が何だって⁈デカブツ!」

「司竜ッ!」

 金橋は鋭く叱りつけた後にその頭を押し下げる。

「ウチのが済まない。どうにも気が強くて手が出るのが早いんだ」

「いえ、こちらこそ。すぐに頭に血が昇る連中が多いもので」

 同じくグイッと頭を下げさせられた凉は不服そうな顔で神嶋を見たが、その視線の鋭さに押し黙った。

「司竜、やらかすのも良い加減にしろ。俺だってそう何度も何度もかばいきれんぞ」

「でも金橋さん……」

「でももだっても無い」

 有無を言わせぬ声音で黙らせた金橋は神嶋のほうを見る。

「コイツはウチの一年の唐草司竜という。あんまり気が強くてトラブルが絶えないから俺も苦労してるんだが、まさかこんなことをしでかすとは思わなかった。よく言って聞かせておくので、ここは俺の顔に免じて許してやってほしい」

「とんでもないです。多分こっちも何かしているので……」

 そう言いながら神嶋は自分の後輩たちに目線をやる。

「誰が初めに何をした?」

「唐草ってヤツが火野にぶつかって、それを追いかけた海堂が締め上げたとか締め上げてないとかって話になって……って感じです」

 長谷川の説明に神嶋は海堂に目線を移し、鋭い目つきで三白眼を捉えた。だが、その視線はするりと神嶋の目から離される。

「……あんまりごちゃごちゃは言わないが、常識的に言って謝るのが筋だろうな」

 海堂は唐草を見る。それから

「スイマセンデシタ」

 と明らかに納得のいっていない顔で言う。

「コチラコソ、タイヘンモウシワケゴザイマセンデシタ」

 唐草も納得いっていなさげな顔で返す。金橋は苦い表情で口を開いた。

「これで収まったということで……」

 双方の上級生がそう言えば口を出す者はいない。金橋は唐草を引きずって体育館に向かい、神嶋は未だに不服そうな海堂を見てため息をついた。

「お前、少しは猫を被れないのか」

「……被ったとこでバレるものはバレます」

「じゃあせめてその馬鹿正直な口を何とかしろ」

「素直すぎるとよく言われるんですよね」

 明らかに納得のいっていない海堂の生意気な反応に、神嶋の額に青筋が浮く。

「神嶋〜、ステイ」

「絵面が犯罪」

「アウトだね」

 二年生の声に振り向くと、能登、久我山、瑞貴がそこにいた。

「海堂も少し大人しくしろよ?お前マジで怖いんだから」

 川村がそう言い、野島が神嶋の背中を押して体育館に向かわせる。

「人を数人は殺してそうだもん」

「殺しませんよ。捕まるじゃないですか」

「そうじゃないでしょ」

 半笑いの瑞貴の一言に海堂は不満そうな顔のまま続けた。

「でも中途半端なのは嫌いなので、やるならちゃんと殺しますね。それに変に半殺しなんかにしたら、私がやったっていうことがバレちゃうでしょ」

「え、そっち?」

「やるならば徹底的に。すり潰すなら内臓まで、切り刻むなら神経まで、止めるなら息の根まで、です」

 真顔での一言に数人が唾を飲む。これが軽めの冗談だったと知って胸を撫で下ろすのは数日後のことになる。

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