第7話 貧しいから笑えと俺に言うのか

僕は次の取材場所のケアハウスを目指した。

山の中腹にある緑豊かな所で、心地よい風が吹いていた。


 入り口で待っていたのは係りの人間ではなく、村尾登世子、今回の取材相手本人だった。年齢は七十歳。五年前から、この施設に入所している。


「どうやら市の職員達には嫌われたかな」


 僕の独り言を聞いていたのか、村尾登世子は可愛いらしい、年齢を経た女性特有の微笑みを僕にくれた。


「病院で大きな声を出したみたいね。この街は静かな時間が環境音楽のように流れているからね。その流れを乱されたくないのよ」


「僕にはレクイエムが流れているように思える。確かに全てが揃っていて、便利だよ。このケアハウスもとても清潔で変な臭いもしない。前に別の市の施設を取材したときには、排泄物の臭いが立ち込めていた。そこでは無表情な職員が、人形のように動かない老人達をベッドに縛り付け、ロボットのようにおむつを替える作業を繰り返しているだけだった。あんな目に合うなら、僕はケアハウスなんかに入りたくないと思ったくらいさ」


 村尾登世子は悪戯っぽい目で僕を見た。


「あら、人形に向かってハッキリ言うのね。それが若さ、生きる力の強さ。私も昔はあなたと一緒だった。人の世話になるくらいなら、死んだ方がましってね。でもね、怖いのよ、とてもとても」

「死ぬことが怖いのは普通ですよ」


 知的で雰囲気の良い目の前の年輩女性は僕の目をじっと見て言った。


「死ぬことなんか、ちっとも怖くないわ。もう七十年も生きてきて、孫まで出来て。連れ合いには先にいかれちゃったけど、十分面倒もみた。私が怖いことは、死んだ後、人に迷惑をかける事よ。子供には、私という荷物から解放されて、自由に幸せに生きて欲しいの」


 登世子に連れられ、登世子の室へ向かう。独特な嫌な臭いはせず、時々笑い声が聞こえてくる。このケアハウスにもゆったりとした時間が流れていた。しかし、どこか冷めた心が感じられ、違和感は大きくなる一方だった。


 今日は「訪問DAY」なるものが実施されていた。八畳ほどの登世子の部屋には、四十台後半の女性と十代の前半、まだ中学生の少女がいた。


 二人は僕に頭を下げて自己紹介をした。登世子の娘と孫だった。登世子は元々横浜に住んでいたが、連れ合いを無くしてこの施設に入居した。横浜に住む娘と孫は時々遊びに来るらしい。


「本当に助かっています、本当は私が母の面倒をみないといけないのは分かっていますが、旦那は自分の親たちには興味もあり時間は割くのですが私の母親には……。こうしてここを訪ねることさえ、もし補助が無かったら許してはくれないでしょう」


 登世子の娘が語った老人への扱いは、どこの家庭にも有る問題だろう。自分たちが生きるのに精一杯の現代人は、その事を理由に年寄りに対して「しょうがない」を押し付ける。


「ところで補助ってなんです? どこかから何かが支給されるのかな?」

 僕の問いに、一瞬、恥ずかしそうにうつむいてから、登世子の娘は小さな声で答えた。

「お金です……この施設の入所者の家族には介護代として月に二十万円が支給されます。今日のような訪問DAYが月に二回あるのですが、そのときは旅費と宿泊代が支給されます。お恥ずかしい話ですが、うちの旦那はそのお金を当てにしています。こうして訪問して、そこそこのホテルに泊まっていれば、十万円以上の差益も出るんです。そのおかげで旦那は、上機嫌で私と娘を送り出してくれるようになりました。本当は私達が自力で面倒を見なければいけないのに……でも、恥ずかしくても、こうして母親に、孫をおばあちゃんに会わせる事が出来るのは幸せなことです。この市の制度にいつも感謝しています」


 うんうんと頷く登世子は、おばあちゃんの顔で十三歳になった孫の髪を撫でた。


「こんなに穏やかな生活が出来るなんてね。いつお迎えが来ても私は満足しているよ。昨日誕生日を迎えて七十歳になったのよ。この施設で一番の年長者よ」


 登世子の娘が顔をしかめる。

「何を言っているのよお母さん。もっと長生きしてもらって、この子の結婚式にも出てもらって、ひ孫を抱いてもらうんだからね」


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