第4話 無償で奉仕は誰から言われた

 全員が幸せを感じるなどということは有りえるのだろうか。


 価値観は人それぞれだし、稼ぐ金や世間的な地位、家族や恋人の有無、幸せの定義はあまりにも難しい。


 だから僕が取材場所として選んだのは、病院と養老院だった。孤独と死が漂う場所でなら本音を聞けると思ったからだ。その後で、今夜は町で飲んで酔っ払いから、明日帰る前には市長から、取材をして帰る予定だった。たぶんその時、僕は心から思うだろう。この世にはユートピアなどないと。


 市営のバスに乗ってみる。このバスも無料で、30分おきに運行されており、市内全域100%をカバーしているという。


「とても便利で、私のようにまだ歩ける者にとっては、バスで病院に通うのも楽しいのよ」

 偶然乗り合わせた六十代の女性に取材する。この女性の右手にも例のリストバンドがあったので、リストバンドの事を聞いてみた。


「この街の人は必ずそれをつけていますね」

「ええ、これで病院やお買い物の支払いが出来るの」

「そうですか。でも番号とか書いてないし、ICチップが入っているのかな。それで病院の費用も無料って本当ですか?」


 女性は微笑み、指を差す。

「ほら、もうここが病院だから、詳しいことはそこで聞いてね」

 病院の大きなロータリーには、タクシーとバスが整然と並ぶ。そこで降りてくる患者には病院の者が付き添う。エレベーターを二十機も完備して、老人や身体の不自由な人が車から簡単に移動できる。


 病院に入るとまた、穏やかな笑顔が僕を迎える。市立病院の看護師の女性。年齢は30代後半くらいか。


「東京からわざわざ、こんな田舎まで取材ですか。特別なものなど何もないですよ」

 僕に向けられた少し緊張した笑顔に、また違和感が大きくなる。

「ありすぎですよ。交通機関、公共サービス、病院、養老院も全て無料だなど、他の都市にはありませんよ」


「そうですか? でも、みんなが健康で働けるわけではないから、無償で公共サービスが受けられないと困りませんか? お金がないから病気の治療が出来ないとか、おかしいでしょう? 北欧では同じようなサービスも行われているっていうし」


(だけどここは日本だ)


 日本の今の制度で全てを無料にするには、原発や特別な公共事業の補助金でもなければ実現できないはず……そうか、何か裏で行われている公共事業があるんだな。危険な投棄物の保管とか……僕が物思いに耽っていると看護師が急に立ち止まった。


「どうかしましたか?」

「ここです。そのまま進むと病室の扉に頭をぶつけてしまいますよ」

 初めて自然な表情で看護師が笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る