第7話:俺と死神の邂逅

シルバーが譽を送り出して、事務所へ帰って来てからのことである。


事務所前の歩道に、アンラッキーが立ちすくんでシルバーを出迎えていた。


「なんだよ。俺がバックレるとでも思ってやがったのか?」


シルバーはいつものように悪態をついたが、どうにもアンラッキーの様子がおかしい。


シルバーの顔色を窺うように、チラチラと視線を送って何も言わないのである。


「おい。あんま気色悪ィ真似してると切り刻むぞ?」


シルバーが威嚇すると、ようやくアンラッキーは言葉を選ぶように話し始めた。


「おやっさんが呼んでる……大事な話だから、絶対に逃がすなって」


「あぁん?ジジィが?」


シルバーは妙な顔をしたが、アンラッキーの萎縮したような立ち振る舞いを見る限り、用件が只事でないことだけは分かる。


(単なる説教でも無さそうだな……)


考えるより体が先に動くタイプのシルバーは、瀧がいるであろう二階事務所へ、いつもの足取りで登っていった。


「おうジジィ、帰ったぞ。俺になんか用だって?」


乱暴に事務所のドアを開けたシルバーは、その奥に鎮座する瀧を見た。


着物の袂の中で両腕を組み、シルバーを睨みつけている。


「よう、帰ってきたか腰ぬけ。またとっとと逃げ出したかと思ったぜ」


開口一番、瀧はシルバーに酷い罵倒を浴びせた。


「あ?何言ってやがんだ、ジジィ」


シルバーも、その露骨な言動の変化に眉を顰める。


常の瀧からも、理不尽な罵倒は頻繁にされているため、今さらそれをどうこう言うつもりはない。


しかしこの時の瀧の物言いは、あまりにも脈絡がなさすぎてシルバーですら違和感を覚えた程であった。


「腰ぬけを腰ぬけと呼んで何が悪ィ。てめぇは俺に敵わなねぇから逃げた、へっぴり虫だろうがよ」


そこまで聞いて、短気なシルバーが黙っているはずがない。


「誰が腰ぬけだって?何なら今すぐケンカして、俺が誰か分からせてやろうか?」


シルバーは抜き身の刀の如き、凄まじい殺気を放った。


「威勢だけで物言ってんじゃねぇぞ、クソガキ。ヤクザに負けるはした怪人が、一丁前の口聞くんじゃねぇ」


瀧はそれを聞き流し、アンラッキーは傍らで冷や汗をかきながら二人のやり取りを見つめている。


「上等だよ……老い先短ェ命、今ここで捨ててぇみたいだな?」


完全にキレたシルバーが、怪人体になろうとしたその時、瀧の口から思わぬ言葉が零れ出た。


「とはいえ、だ。てめぇが人様に迷惑かけちまったのは、俺が決着を先延ばしにしてたせいでもある」


「おめぇみてぇな馬鹿がいつかまともになると思って、野放しにしてたのが間違いの元だったってぇことよ」


シルバーは話の急展開に、ついていけない顔をしていた。


「譽の言うとおり、お前に関しちゃ俺の監督不行届よ。そこは認めるしかあんめぇ」


「シルバー、一週間だ。一週間後に、俺ァもう一度お前のケンカ相手になってやらぁ」


シルバーは意味が分からないという顔になり、アンラッキーがわたわたと泡を吹きそうになったいた。


「おやっさん!それって、シルバーと本気で戦りあうってことッスか!?」


そのリアクションを聞いて、ようやくシルバーの頭に理解が追いついた。


「どういう風の吹き回しだよ。これまでまともに俺とケンカなんざ、しなかったじゃねぇか」


シルバーが薄ら笑いを浮かべながら、瀧に言い放った。


瀧の言葉を、まだ本気で受け取っていないのだろう。


「今言ったろうが。てめぇが改心して持ち直すなんてぇ甘い考え、今宵今晩今日限りで捨てたのよ」


「勝った方が負けた方を従える、てめぇは俺を殺せりゃ万々歳。それだけの簡単な果たし合いだ」


「世のため人のためにもならねぇ徒花なら、せめて俺が摘んでやろうって親心だ。有り難く頂戴しろぃ」


そこまで聞いてようやくシルバーは、瀧が本気なのかもしれないと思い始めた。


「見え透いてんな、ジジィ。譽に発破かけられたのがバレバレじゃねーか」


シルバーはやれやれとでも言いたげに、両手を顔の横に持ち上げる。


「黙れ三下が。やるのかやらねぇのか、今すぐ腹ァ決めてみせやがれ」


そんな言い方をされて、ノーと答えるシルバーではなかった。


「やるに決まってんだろ?てめぇの体切り刻んで、ミンチにしてやんよ」


「一週間後に、その首がまだ胴体と繋がってると思わねぇこったな!!」


シルバーは瀧を親指で指差し、その首を落とすかの如く、真っ直ぐ横に薙ぎ払った。


「了承したな。んならてめぇ、一週間後の果たし合いの日まで、絶対に人様を襲ったりすんじゃねぇぞ」


「あぁ?なんだその条件は?」


「もしもその約束が守られなかった時ゃ、俺がおめぇと戦うことは金輪際なくなったと思え」


シルバーは瀧のその台詞を、嘲笑してみせた。


「んな口約束、怪人が守ると思ってんのか?逆に一週間暴れまくって、てめぇのメンツとことんまで潰してやってもいいんだぜ?」


その答えに、瀧は懐からドスを取り出すと、白い鞘を素早く払った。


「やってみな、坊主。その時俺がどうするか、今ここで教えてやるからよ」


静かな迫力を湛えた瀧に、こみ上げるものを隠さないシルバーが応える。


「ハッ。一週間なんて言わず、今ここで殺ろうってか?望むところだ、ジジィ!!」


部屋の温度が上がるほどの狂ったやり取りに、アンラッキーだけが顔を真っ青に染めている。


しかしその次の瞬間、瀧はシルバーの思いもよらない行動に出た。


瀧は鞘を払ったドスを己の首に向け、シュッと空気の音をさせて横に薙いだのである。


「はっ……はぁ!?」


「おやっさん、何を……!?」


ドスは瀧の首の皮一枚だけを綺麗に裂き、赤い血の線を浮き彫りにした。


「おめぇがもし約束を違えたなら、俺はこの腹カッ捌いてお天道さんに詫びるつもりだ」


「それでいいんなら今すぐ外に出て、赤の他人を襲って来いや?」


その眼に一切の光はなく、闇色の瞳孔が穴のように広がっているのみである。


シルバーはこの時初めて、本物の極道の迫力に畏怖を感じ、心胆を寒からしめた。


「……チッ、クソが!!死ぬなら勝手に死にやがれ!!」


シルバーは苛立ち、その場にどすりと腰を下ろす。


勝手にしろとシルバーが言えなかったのは、闘争本能が強すぎる故の彼の弱点である。


シルバーにとって彼我の優劣をつけられないままに敵が死ぬのは、ただ負けるより遥かに忌むべきことなのだ。


それはシルバーの、いずれは自分が勝てるという自尊心を、大きく傷つける行為だからである。


そこを突くため、瀧は一命を賭して博打を打ったと言える。


あるいはそれは、シルバーを抑止するために、己の命を的に掛けるという覚悟だったのか。


いずれにせよこれで、一週間の間はシルバーが人間を襲うことはなくなったことになる。


「一週間後の正午、このビルの屋上に来い。決着は、そこでつける」


「但し、今言ったようにその間、てめぇは騒ぎを起こさず大人しくしとけ」


瀧はそれだけ告げると、今度はアンラッキーの方へ向き直る。


「アンラッキー、てめぇはシルバーのお目付け役だ。その馬鹿が悪さしたり逃げたりしたら、俺に一報入れろ」


「へっ……お、俺がですかい!?」


「おめぇはシルバーと一等仲がいい、他に適任はいねぇ。おめぇも怪人なら、ちったぁシャンとして見せやがれ」


アンラッキーはあからさまに、荷が重すぎるという顔になった。


それは言い換えるなら、アンラッキーの電話一本で瀧が死んでしまうということである。


「それよりおやっさん、早く首のケガ止血しねぇと……」


「こんなもんは掠り傷だ。別にどってことねぇよ」


瀧は指の腹で雑に血を拭い、シルバーと向き合った。


「それともう一つ。おめぇ、譽の奴に迷惑かけんじゃあねぇぞ」


「アンラッキーから聞いたが、譽はお前がどうにもならなくなったら、自分を呼べと言ったそうじゃねぇか」


「まさかたぁ思うが、天下の怪人様が魔法少女と馴れ合おうなんざ、思っちゃいねぇよなぁ?」


瀧のその言葉は、シルバーにぐさりと突き刺さった。


今まさにシルバーは、考案したルールの実験台として譽を呼ぼうと思っていたからである。


「だぁれがそんなことするかぁ。ジジィてめぇ俺を見くびるんじゃねーぞ?」


瀧は鼻をふんと鳴らし、椅子の上でふんぞり返った。


「ならいいがな。これは俺とお前のサシの喧嘩だ。他の誰も巻き込むんじゃねぇ。分かったか!?」


最後に瀧は恫喝するように怒鳴り、それで話は終わりだった。


シルバーは憎々しい面構えで部屋のドアを乱暴に開け、捨て台詞を残す。


「一週間後に吠え面かかねぇように、その首よ〜く洗って待っときやがれ、クソジジィ!!」


ずかずかと音を立てて立ち去るシルバーの後ろを、慌ててアンラッキーが追っていく。


瀧はそれを見届けると、着流しの袂から煙草を一本取り出し、マッチで火を着けた。


「さぁて、鬼が出るか蛇が出るか……」


その言葉は暗に、瀧でさえ戦いの先が見えていないことを示していた。


一方のシルバーは、事務所を飛び出したものの行く当てなどない。


それまでのように適当な場所で寝起きすることは可能だが、アンラッキーがいる関係上、一週間もそれをする訳にはいかないだろう。


さりとて事務所に戻るのもダサいと思い、シルバーは一週間の行動を決めかねている。


「なぁ〜……お前、本当におやっさんとやり合うのかよ〜……?」


アンラッキーはシルバーの横に並んで、不安げに聞いてくる。


「あっちが売ってきたケンカだろが。文句ならジジィに言えダボ」


口が悪いのは今に始まったことではないが、それにしてもイライラした口調で、シルバーはアンラッキーを睨んだ。


その苛立ちの原因は、ほぼぶっつけ本番で瀧に対してルールを試さなねければならないことにあった。


運良く怪人と鉢合わせでもしない限り、誰かと戦うことは禁じられている。


譽にそれを試すつもりだったが、瀧は先んじてそれすらも封じてしまった。


今さらシルバーに出来ることといえば、無駄に出歩いて闘争本能を刺激しないことである。


一週間もの間、果たして彼にそんなことが出来るのか、本人にさえ定かではない。


「カァ〜、だるぅ〜。何かの事故でジジィ死なね〜かな〜」


もちろんそんなことになれば困るのはシルバーの方だが、アンラッキーはそれをため息と共に聞いている。


「なぁアンラッキーよぉ、お前本番までに俺のケンカの練習相手になるつもりねぇ?」


「んなことしたら戦闘型じゃない俺が死ぬだけだろ!!」


「だよな〜……じゃあ、お前のツイてなさで怪人を呼ぶ作戦は?」


「またスカージオみたいなのが来たら、今度こそケンカどころじゃなくなるぞ?」


「そうなるよな〜……」


アンラッキーの不運はあくまでランダムであり、望むようなレベルの怪人、魔法少女と出逢えるとは限らない。


ダービードールのような危険度の高い怪人とかち合うのは願ったりだが、瀧と戦う前に死んで逃げたと思われるのも、シルバーとしては癪だった。


また、不運の発生するタイミングも任意ではないため、一週間待とうが何も起きないということも十分にあり得る。


不完全な要素に身を任すよりは、一週間の間に何か別の方法を探す方が、まだ賢明と言えた。


「ま、ぐだぐだ考えてもしゃ〜ねぇかぁ」


シルバーは大きく伸びをしてから、不意に怪人体へと体を戻す。


「おいっ、シルバー!?」


アンラッキーが止める間もなく、シルバーは手指を刃物に変じ、近くの雑居ビルの壁に貼りついた。


「別に逃げやしねーよ。屋上で待ってっから、お前は階段使って着いてこい」


蜘蛛のような早さで、シルバーはその壁面を登る。


そしてあっという間に、雑居ビルの屋上へとたどり着いた。


ここはシルバーが放浪している間、寝泊まりに使っていた場所である。


代田組の事務所と同じく三階建てだが、全ての階がテナントとなっている空きビルだった。


まさか魔法少女も、こんなところにシルバーが潜んでいるとは思いもしないだろう。


街中を彷徨って怪人を探しても良かったが、派手なケンカをして通行人が巻き込まれでもしたら本末転倒である。


下手に闘争本能を刺激されないよう、シルバーはしばらくここで大人しくしていることにした。


時刻はとうに夜を迎えており、星の見えない都会の空が闇を生み出している。


天に穿った小さい穴のような月が、遠い彼方に浮かんでいるのみである。


シルバーは屋上でごろりと横になり、頭の後ろで手を組んだ。


一週間の後に、自分は瀧と本格的に雌雄を決する。


一度負けた相手に再度負けるつもりは、シルバーには毛頭ない。


(問題は、ルールがちゃんと機能するかどうかだけだな……)


シルバーの懸念事項といえば、それだけである。


本能的な直感ではあるが、シルバーはそのルールが、己に適しているという確信めいた自信があった。


そして怪人においてその直感は、往々にして正解であることが多い。


「お〜い……シルバー……」


やがてシルバーの想定より長い時間をかけて、アンラッキーが屋上まで登ってきた。


「遅ぇっつーの、何タラタラやってんだ」


「鍵のかかったビルなんか登れるかっ!非常階段なかったらおやっさんに電話するとこだったぞ!」


アンラッキーからのクレームも右から左へ受け流し、シルバーは軽く目を閉じた。


「お前、ここで寝るつもりか?」


「おう。どうせお前もヒマだろうし、明日まで横になっとけ」


「何が悲しくてこんなとこで寝なきゃならないんだよぉ……」


アンラッキーは膝を抱えてすすり泣いたが、そんなものに動じるシルバーではない。


いつの間にかうつらうつらしながら、シルバーはこの決して良いとは言えない環境で、本当に眠ってしまった。


それから数時間が経過し、泣き濡れたアンラッキーもようやく眠りについた頃。


シルバーは、何かの不穏な気配を感じて目を覚ました。


例えるならそれは、今自分のいる場所に火の手の気配を感じたような、そんな些細な不穏さである。


シルバーは寝ぼけ眼で上半身を起こし、辺りを確認する。


そこは間違いなく、自分が眠っていた雑居ビルの屋上である。


ただ一点、暗い闇夜になお暗く際立つ、一つの影が存在する以外は。


「何だぁ……?」


シルバーは目を擦り、その影を凝視した。


影は微風にはためき、形を変える布のように見える。


そしてよくよく見れば、その影は禍々しく鋭利な何かを握っているようである。


「やぁ、こんばんは。初めましてになるかな?」


その影は、人懐っこささえ感じるような声で、シルバーに語りかけて来た。


影がシルバーに対して正面向きに立ったおかげで、シルバーはようやくその全貌を掴んだ。


影のように見えたそれは、全身を黒いローブで覆った人型の生物であった。


ずるりと長い長身を夜に馴染ませ、その手には身長と同じ長さの巨大な鎌を手にしていた。


「誰だテメー、怪人か?」


一気に警戒心を沸騰させたシルバーは、立ち上がって怪人体へと戻り、臨戦態勢を整えた。


「あぁ、落ち着いてくれ。私は怪人だが、君の敵じゃあない」


「私の名前はデスサイズ。君に分かりやすく伝えるなら、ワークショップの友人だよ」


闇そのもののような風貌のわりに、存外明るい声でデスサイズは話しかけて来た。


「あ〜?ワークショップのジジィの仲間かよ。道理で気色悪ィ奴だと思ったぜ」


「仲間とは少し違うかな。強い怪人は、徒党を組まず常に孤高の存在でいるものさ」


シルバーはいくら言葉を交えようと警戒心を解かず、デスサイズに対している。


「そんな怖い顔をしないでくれよ。私は君と、友達になりに来ただけなんだ」


胡散臭いにこやかさと共に、デスサイズはシルバーの元へ歩み寄った。


「バカなこと言ってんじゃねーよ。こんな夜中に声掛ける奴が、まともなはずねぇだろが」


シルバーにしては冷静な物の見方だが、デスサイズは変わらずローブを風にはためかせているのみである。


「まぁまぁ、落ち着いてくれたまえ。私は君に、有用な助言をしにきただけなんだから」


「助言だと?」


シルバーから数メートルの距離を空けて、デスサイズは立ち止まった。


「一週間後、君はあの瀧桜閣と戦うそうじゃないか」


「な、なんでそんなこと知ってやがんだ!?」


「ハハハ。この街の著名な人物の話なら、大概は私の耳に入ってくる。瀧のような有名人ならなおさらにね」


それにしても、瀧とシルバーの戦いは数時間前に決まったばかりである。


そのようなことまで把握し尽くしているなど、普通ではまずあり得ないことである。


さらにデスサイズは、シルバーが怒り狂うようなことを口にした。


「だが、惜しいね。先のある身でありながら、みすみす負けて瀧の下に着こうとは」


「あぁん?俺がジジィに負けるとは限らねぇだろうが!!」


「いいや、断言しよう。今の君では瀧桜閣はおろか、そこいらにいる一般人すら倒すことは出来ない」


シルバーは譽にも似たようなことを言われたのを思い出し、ギリリと奥歯を噛む。


「上等だァ……だったら俺が人間に負けるようなタマか、てめぇが自分で確かめてみるか!?」


しかしシルバーの真っ当な怒りに対して、デスサイズは妙なことを口走った。


「アハハハッ、勘違いしないでくれ。君が私と戦えば、百万回に一回ほどの確率なら君も勝てるかもしれない」


「だが、瀧桜閣含む人間との戦闘に関して言うなら、君の勝率は恐らく0%だ。その違いが分かるかい?」


無論、そんな戯言を真に受けるようなシルバーではなかった。


「俺は禅問答をするつもりはねぇんだよ。ワークショップといいうちのジジィといい、説教臭ぇのが年寄りの自慢か?」


「さっさと消えねぇと、脳天から足先までカチ割って干物にすんぞ!!」


シルバーの罵声に肩を竦めると、デスサイズは手にした鎌を地面に突いた。


「そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないか。私の持ってきた情報は、本当に君にとって必要不可欠なものなんだよ?」


「んなもん誰が信用するか!!とっとと俺の目の前から消えやがれ!!」


「そう言うだろうことも予測していたよ。だから、こういうのはどうだろう?」


デスサイズは鎌を持ったまま、器用にポンと手を鳴らした。


「君は戦う相手を探しているんだろう?だったら私が、君の練習相手になろうじゃないか」


「君が勝てば約束通り無償で情報を譲る、たとえ勝てなくとも死にさえしなければ情報は与えよう」


「せいぜい私に殺されないように、褌を締め直してかかってきたまえ」


黒い影は不敵に笑い、シルバーと相対した。


「なんだぁ、うちのジジィと似たようなことのたまいやがって。どこの老いぼれもケンカ大好きってか?」


「だが、勝ったら勝ち、負けたら負け、それ以上でも以下でもねぇってこった。分かりやすくていいじゃあねぇか」


シルバーとしても、頭にあるルールを試すまたとない機会である。


デスサイズと向かい合ったシルバーは、早速怪人体へと体を戻していた。


「交渉成立だね。それじゃあ、私から行かせてもらおうか」


デスサイズは、自分の身の丈ほどの大鎌を、手首の力だけで軽々とシルバーへ差し出した。


二人の間にある空気が、血色に染まるが如く重たいものとなってゆくのが、はっきりと伝わった。


「戦う前に、一つだけ忠告しておこう。ここから先、一秒たりとも防御は絶やさないことだ」


「君はまだ、本当の怪人の力を知らないのだから」


その言葉が終わらないうちに、デスサイズはシルバーの目前へと迫っていた。


「うおっ……!?」


シルバーは、デスサイズが動く気配さえ察知出来なかった。


まるで風に吹かれた黒い布が、宙を舞っただけのように存在感がない。


質量さえ感じさせないその動きに、肚を据えていたはずのシルバーすら冷汗をかいた。


絶妙な距離を保ち、デスサイズは大鎌を振りかぶり、シルバーへ力強く打ちつけた。


その大振りの動作さえ、シルバーの目にはほとんど映らなかった。


恐らくはそうしたのだろうと予想するしかないほど、動きが素早い。


刀と化した腕でガードは間に合ったものの、シルバーの体は易々と宙に浮かされていた。


まるでバッティングを受けたホームランボールのように、体は屋上の端まで大きく吹き飛ばされる。


そのとてつもない衝撃は、シルバーにある種の既視感を走らせていた。


(こいつ……まるでスカージオの頭突きみてぇな攻撃をしやがる……!!)


それは、シルバーより遥かに脆弱な体でありながら、シルバーを頭突きのみで制したスカージオの攻撃を彷彿とさせた。


身長こそ高いが、デスサイズは腕力で敵を圧するような見た目ではない。


ローブの隙間から見えるその腕は、棒のように細く頼りなかった。


だが、その細腕で、デスサイズは身の丈ほどもある大鎌を軽々と振り回している。


そしてデスサイズの攻撃は、想像より遥かに規格外にシルバーの体を吹き飛ばして見せた。


デスサイズは間を置くことなく、シルバーへ追撃の鎌を振るう。


シルバーはそれを転がって躱したものの、鎌は屋上に突き刺さり、コンクリートの床を大きく陥没させた。


「これが、ルールを得た本物の怪人だよ、シルバーくん。物理戦闘の不得手な私でさえ、これだけの力が出せるんだ」


床から鎌を抜き取り、デスサイズは担ぎ上げた。


「なっ、なんだ!!何の音だ!?」


床が陥没した破壊音で、アンラッキーもやっと目を覚ましていた。


「あぁ、すまない。起こしてしまったね、アンラッキーくん」


デスサイズは口元で微笑みを作り、アンラッキーに謝罪する。


そのアンバランスな表情が、余計に彼を混乱の淵へと立たせた。


「し、シルバー!!一体、何が……!?」


「うっせぇ!!死にたくなかったら黙って逃げろ!!」


シルバーの生半可でない剣幕に、アンラッキーは慌てて屋上の端へ走っていった。


(こいつを倒すには、俺もルールを使うしかねぇ……!!)


シルバーはついに、覚悟を決めた。


ここで考案したルールを使い、この怪人を倒す。それしか自分の生き残る術はない。


シルバーは、デスサイズの鎌の届かない距離まで一歩跳びのいた。


そして一時的に撹乱するため、デスサイズの周囲をあらん限りのスピードで駆け回る。


先ほどまでと一転して、デスサイズはそれを目で追うことしかしていない。


(よし、イケる!!)


シルバーはデスサイズの死角に回り込むと、忙しなく動かしていた足を止めた。


そして刃と化した右腕を、自分の左腕へとグッと押し当てる。


デスサイズはその動きに、反応しきれていない。


否。


正しく言うならそれは、『反応する必要さえなかった』。


「いいのかい、足を止めたりして。少々油断が過ぎるんじゃないかな?」


「私は言ったはずだよ、『一秒たりとも防御を絶やすな』とね」


死角に入ったシルバーを見ることもせず、デスサイズはその手の大鎌を、体の前方でくるりと一回転させた。


すると何の音もさせず、シルバーの足元のコンクリートに、円形の穴が出現していた。


「おあぁぁぁぁああああっ!?」


「シルバーッ!?」


アンラッキーもその異様な光景に、たまらず叫びを上げていた。


シルバーは穴に飲み込まれ、屋上から姿を消した。


(何っ……何が起こった……!?)


シルバーは、空間の穴を落下し続けていた。それも、ただ落下しているのではなかった。


デスサイズの作り出した屋上の穴は、普通に考えるならビルの階下へと通じていなければならない。


しかしシルバーの身が投げ出されたのは、寒々しく冷たい風の吹く、夜の空であった。


シルバーの眼下には、ネオンの灯りともる千仁町の夜景が広がっている。


シルバーは、穴を通じて暗い夜空に投げ出されていたのだ。


「う……おぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!!!????」


事態を理解してなお、シルバーは落ちることしか出来なかった。


夜風を切り落下する己の体を感じるのは、とても良い気分とは言えない。


果てどのない恐怖は、豪胆なはずのシルバーの臓腑を極限まで縮み上がらせる。


死出のダイビングはその後数秒続き、そして唐突に終わりを迎えた。


シルバーが落下する空中の先に、先ほどと同じような円形の穴が出現したのだ。


その穴に飲み込まれたシルバーは、元いた屋上のコンクリートの上へ、強く体を叩きつけられていた。


「がぁっ……!!」


骨の折れる音と臓器の潰れる音が脳内に響き、シルバーは体を動かすことが出来なくなった。


「どうだい、夜の空中遊泳の気分は。なかなか良いものだったろう?」


デスサイズは、横たわるシルバーの前に悠々と立っていた。


「今のがだいたい、ビルの五〜六階と同じ高さから落とされたに等しい衝撃だ。怪人とはいえ、少々厳しい高さだね」


「肉弾戦闘を得意とする相手とばかり戦っていたから、こういうトリッキーな魔法戦法はなかなか斬新だったろう?」


しかしシルバーは、頭だけをデスサイズへ向けて歯を食い縛るのみである。


意識はおろか命さえ失いかねなかった怪我を負って、顔を上げたことすら奇跡だった。


「うーん、しまったな……少しやり過ぎてしまったか。もう少し頑丈だと思っていたが当てが外れたね」


「シルバー君、声は出せるかい?君にはまだ話したいことが色々あるんだが……」


デスサイズは倒れるシルバーの前に座り、ぺちぺちと頬を叩いた。


それが合図だったかのように、シルバーの瞳がぐるりと裏返り、頭を落として気絶してしまう。


「あちゃー……これは完全に想定外だったなぁ。意識くらいは保ってくれると思ってたのに」


子供が虫の命を刈り取るような発言を、デスサイズは無意識にその口から漏らしている。


デスサイズがこれから先どうするかを思案している間、すかさずひとつの影が動いていた。


それは、アンラッキーであった。


アンラッキーはシルバーとデスサイズの間に立ちふさがると、両手を横に大きく広げた。


「て、て……てめぇ!!シルバーにこれ以上手ぇ出したら、ししし代田組のアンラッキーが黙ってねぇぞ!!」


膝は笑い、声は震え、全身に怯えが走っているのが分かる。


気迫とは程遠いその姿を見て、デスサイズはローブから見える口元だけで笑ってみせた。


「心配することはない。少し加減を間違えただけで、私はシルバー君を殺すつもりはないんだ」


それでも離れることのないアンラッキーに、デスサイズは懐から何かの小瓶を取り出す。


薄紫色の液体の入った小瓶は、コルクと紙帯で軽く封がしてあった。


「これ、僕の友人が作った怪人専用の強壮剤。良かったらシルバー君に飲ませてやってくれないか?」


「へ……?」


「少し弱らせて話しやすくするつもりが、こちらもつい楽しくなってしまってね。元から無償で怪我は治すつもりだったんだよ」


「ど、毒なんかじゃないだろうな!!もしも毒を飲ませたら、俺がタダじゃすまさねーぞ!!」


明らかに無理をしているアンラッキーを宥め、デスサイズはその手に小瓶を握らせた。


「毒だと思うなら君が毒味してみればいい。ただし味は不味いらしいから、そのつもりでね」


それを聞いて、アンラッキーはごくりと喉を鳴らし、小瓶の封を開けて一滴だけぺろりと舐めた。


「まっず!!!」


指につけて一舐めしただけで、凄まじい苦味がアンラッキーの舌に走った。


これを一瓶飲み干すには、相当な覚悟がいるに違いない。


「これ……本当に毒じゃないんだろうなぁ!?」


「それは保証しよう。あと、今のシルバー君じゃ飲むのは難しいだろうから、傷口にかけるだけでもいいよ」


なんとも都合のよい話だが、今はそれを信じる他に方法はない。


アンラッキーはシルバーの服を恐る恐る捲ると、死体と呼んでも差し支えないほど崩れた体に思い切ってぶちまける。


「うばぁっ……!!」


うめき声を上げて身をよじるシルバーに、アンラッキーはやはり毒だったかと顔を青くする。


しかし数秒の後、傷は白い修復煙を立ち上らせて、みるみる回復していった。


「良かった……毒じゃなかった……」


「君は友達思いだね。ともかく、疑いは晴れたようで良かったよ」


アンラッキーの心配を余所に、シルバーは十秒程度で意識を取り戻し、修復した体をがばりと起こした。


「……ここは?」


怪我で錯乱していたのか、ここがどこかも把握しきれていないようである。


「おはよう、シルバー君」


「シルバ〜……」


デスサイズとアンラッキーの二人に名を呼ばれ、ようやくシルバーは自分が何をしていたかを思い出した。


「そうだ、おいテメェ!!ケンカの続きを……」


「ハッハッハッ。まぁ待ちなさい。ここら辺で少し、勝敗の定義をハッキリさせておこうか」


デスサイズは細い腰に手を置くと、シルバーを煽るように緩く腰を振った。


「君は私の攻撃に倒れ、失神し、その間私はトドメを刺さずに君が起きてくるのを待った。正々堂々とね」


「さらに言うなら、さっきの私の『穴』、あれは確実に死ぬだけの高さから君を落とすことも可能だったんだよ」


「それをしなかったのは、君と話がしたかったからだ。最初に聞く耳を持たなかったのは、どちらだったかな?」


「手を抜かれ、命を救われ、怪我を回復してもらい、それでも君はまだ勝負はついてないと言える?私に負けてないと、断言出来るかい?」


ペラペラとまくし立てるデスサイズに、シルバーはついにキレてしまう。


「うっせぇ!!殺さなかったのも本気出さなかったのも全部テメェの都合だろうが!!」


「俺はタマァ握られたまんまはいそうですかと引き下がるほど、賢く出来てねぇんだよ!!」


シルバーは両腕をギラリとした刃に変化させ、デスサイズに踊りかかる。


しかしデスサイズは微動だにせず、それを止めようともしなかった。


彼はただ一言、シルバーにこう言った。


「シルバー君。君は人間を絶対に殺せない。それは情などという曖昧なものではなく、君に課せられた明確な『ルール』だからだ」


ルールという単語に、シルバーの攻撃の手がピタリと止まった。


「なんだと……?」


シルバーがその真意を問い質そうとするより早く、デスサイズはその答えを提示した。


「シルバー君。もしかしてなんだが、君は瀧桜閣と何か約束をしていないかい?」


「例えば、自分の下につくからには約束は守ってもらう、というような形でね」


シルバーは逡巡するまでもなく、即答した。


「……した」


「ではその中に、『今後人間を殺すことはまかりならぬ』という約束も、あったんじゃないかい?」


「……あった」


それは確かに、瀧に敗北してその下につく前に言われたことである。


瀧の言うことには絶対服従。


自分のケツは自分で拭く。


そして、『今後人間は絶対に殺さない』。


その三つが、代田組に無理やり入れられた際にシルバーが交わした、瀧との約束だった。


「ククク……やはりそうか。君が人を殺せないのは、そういうことだったんだね」


「違ぇわ!!ジジィとの約束なんざ、チリほども気にしちゃいねぇに決まってんだろ!!」


叫ぶシルバーに、デスサイズはチッチと舌を鳴らして人差し指を横に振って見せた。


「甘いよ。怪人のルールは君が思うより、遥かに繊細で根深いものだ」


「第三者と戦闘に関する約束を交わし、それに一度でも従ったなら、それはもう遵守すべき立派なルールとして成立してるんだ」


手にした鎌の刃部分を床に突き刺しながら、デスサイズはシルバーに教えを施している。


「ましてや君は、瀧桜閣に対して精神的に後れを取っている。そういう相手との約束は、無意識に自分を縛るものなんだよ」


「何故なら、『反物質力は常に怪人の意思に沿おうとする力』だからだ」


「君が瀧に対する劣等感を払拭しない限り、君の中の反物質力は人を殺すまいと内部から肉体を制御する」


「実際に君は、瀧桜閣と出会ってから一度も人を殺せていないんじゃないかな?」


シルバーは、その言葉に思い出す。


半井翔に絡んでいた不良たちを、半殺しにはすれど自分は殺していない。


格下と思って手加減したつもりだったが、そうでなかったとしたら。


輪島佐銀の時もそうだ。あれほどの難敵に、自分は最後手心を加えようとした。


以前の己ならば、まず考えられない失態である。


あの時輪島の腹を内臓まで裂くことが出来なかったのは、それがルールとして作用していたからなのか。


「そしてもう一つ重要なことなんだが……本来ルールには、遵守したリターンとして相応の力の上昇が約束される」


「しかし『人を殺さない』というルールは、君にとってさほどリスクのあるルールではないんだ」


すっかり黙ってしまったシルバーへ、デスサイズは独白のような教示を止めたりしない。


「瀧桜閣を除き、君にとって人を殺すことは、大して手間のかかることじゃないからね」


「ローリスクなルールを定めたところで、リターンは望めない。にも関わらず、君は瀧を殺せないルールを知らず認めてしまったんだ」


今にも風に吹かれ、飛んでいってしまいそうなほどに軽妙に、デスサイズは語った。


それに否を唱えたのは、シルバーではなくアンラッキーだった。


「で、でもおかしいじゃないか!シルバーは魔法少女に対しては、普通に戦ってたぞ!」


「そりゃ勝ってはないけど、魔法少女だって人間の中に含まれるんじゃないのかよ!」


アンラッキーは、怪人におけるルールの概要を知らない。


二人の会話を聞いて、シルバーが人を殺せないことを薄っすら察しただけである。


それでも彼が口を挟むのは、これ以上シルバーに人殺しをさせたくないと思っていたからだった。


魔法少女も人の範疇に含まれるなら、シルバーは怪人として決定的な弱点を背負う代わり、戦闘に携わらなくなるかもしれない。


しかしデスサイズは、薄い唇を指でもてあそびながら、空気のようにただ笑っていた。


「魔法少女は、人間とは違う。それはたぶん、シルバー君もそう思っているんじゃないかな」


「アレはもう人とは別種の生き物だ。でなければ、怪人と戦い渡り合うなんてことは不可能だからね」


「無意識下で人間とは別にカテゴライズされているから、シルバー君も彼女らを殺せるはずだよ」


デスサイズは、未だにこちらを睨みつけるシルバーと対峙した。


「これが、私の伝えうる情報の全てだ。約束通り有用なものだっただろう?」


「君はこのままだと瀧桜閣に勝てず、一生を人より劣る怪人として過ごさなければならなくなる」


シルバーは固まったまま、一言だけようやく絞り出した。


「俺は、どうすりゃいい?」


それに対するデスサイズの答えも、また明白なものだった。


「瀧を殺せぬまでも、負かせ屈服させることが絶対条件だ。精神的優位に立てれば、相手の了承なくルールを破棄することも、反故にすることも可能だからね」


「まずは今の実力で、人間の中で最も強いあの男に勝利する。君が大成するための条件は、そう容易くはないと知りなさい」


無論それを、黙って聞いているシルバーではない。


「話は分かったが、結局のところテメェが俺に協力する目的は何なんだ?」


デスサイズは、紙のように薄い笑みでシルバーを見た。


「私は一人でも多くの怪人に、強くなってほしいだけだよ。君の言葉で言うなら、ジジィのお節介だと思いたまえ」


シルバーはすっかり興の冷めた顔で、腕を刃から戻して人間体となった。


アンラッキーがハラハラと見守る中、デスサイズはローブの裾を翻してシルバーへ背を向ける。


「私の伝えるべきは、これで全て伝えた。一週間後、君の成長を楽しみにしているよ」


言いながらデスサイズは、大鎌を身体の前方でくるりと回す。


その鎌の軌跡と同じ大きさの空間の穴が、今度はデスサイズの目の前に現れた。


「次に会う時ゃあ、お前もぶっ殺すからな!!」


シルバーのその宣言をにこやかに受け止め、デスサイズは空間の穴の中へと消えていった。


後に残ったのはシルバーと、シンと静まり返った宵の空気と、不安げに立ち止まるアンラッキーの姿だけであった。


≪続く≫

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