第6話:俺と孫娘


ダービードールとの戦いを経て、シルバーはより代田組と距離を取るようになっていた。


もとより納得づくで、代田組に籍を置いていた訳ではない。


全ては瀧に敗北したシルバーが、不肖不肖その言うことを聞く羽目になっただけである。


だがシルバーは、どれだけ瀧に無茶をされても、寝食だけは代田組のタコ部屋で行っていた。


それを、今はほぼ完全にしなくなった。


眠くなれば適当な軒下で眠り、腹が減れば雑草や石ころを食んでそれを癒やす。


生活のそれが、完全に野良怪人だった頃へと戻っているのである。


理由はただ一つ。瀧を殺せる算段が着いたためである。


怪人のルールという概念を知り、シルバーの脳内にはある一つの案が浮かんでいた。


リスクを負うという特性上、彼の考えるルールで十分に強くなれるはずだった。


しかしそれをいきなり瀧で試すのは、あまりにリスキーなのも事実なのだ。


相手はあの、瀧桜閣である。いくら慎重になっても、やり過ぎということはない。


戦闘におけるリスクが増えるということは、そこにつけ込まれる可能性も増すということだ。


まずは実戦形式でそのルールを試すことが出来れば、瀧に対しても有用かどうかの判断は出来る。


そのため彼は代田組を離れ、本格的に実戦でルールを試すため、新たな敵を探し続けていた。


しかしその頃になると、「代田組のシルバー」の名は、近隣でアンタッチャブルな存在として知れ渡ってしまっていた。


様々な怪人、魔法少女と戦い、戦績こそ敗北がほとんどだが殺されてもいない。


残忍かつ愚直、そして好戦的というシルバーの怪人像は、牙のない怪人ばかり集まる代田組の中では異端なものである。


加えて、瀧の抑止があまり効いていないというのも、シルバーが恐れられる一因となっていた。


実際は単に放任されているだけなのだが、傍目から見れば瀧の抑止を振り切っているように見えるらしい。


決して強くはないが弱くもなく、一度暴れ出すと手がつけられない乱暴者。


シルバーの評価は、概ねそのようなものと言って差し支えなかった。


それゆえに、銀髪の人型怪人と出会ったら、まず逃げるのが先決と皆が認識してしまっているのだ。


これではシルバーの望むような強敵が、わざわざ現れるはずもない。


戦う相手の見つからないイライラを、シルバーは発散しかねていた。


そもそもが常にケンカ相手を探しているような、危うい精神性の上に成り立っている怪人である。


瀧の目が届かなければ、その行き場は誰に対して向かうか予測がつかない。


一般人を襲うことがないのは、弱い人間を相手取ったところで満足しないのが分かりきっているという、それだけの理由である。


もう少しで瀧に手が届くかもしれない。


そんな状態で足踏みし、立ち止まらなければいけないのは、彼にとって初めて感じるストレスだった。


そして強い相手に飢えた彼は、自分でも何をしでかすか分からないような状態となっていた。


現に今、苛立ちが最高潮に達している彼は、バス停に設置されたベンチに座っている。


目的は、つい先日ダービーと戦った、市街地方面へ向かうためである。


近隣の怪人に顔が知れてしまったからには、遠出して自分を知らない怪人と戦うしか方法はない。


運が良ければ、再びダービードールと会敵し、戦うことが出来るかもしれない。


いや、それ以前に。


彼はバスジャックを起こし、魔法少女が呼び出されるのを待とうかという気にさえなっていた。


どちらにしろ、一文無しのシルバーには無賃乗車しか手が残されていない。


だとすれば、降車する時に運転手と揉めるのは必然である。


そのどさくさに紛れてバスジャックを開始し、魔法少女の到着を待つ。


そして現れるであろう魔法少女と戦い、自分のルールを確かなものとする。


シルバーの雑な目論見は、ざっとそのようなものだった。


傍目に見ても杜撰さしかない計画だが、当の本人はイライラに支配され、細かなところにまで気が回っていなかった。


そして運命のバスは、彼の待ち受けるバス停へとやってきた。


ドアが開くと、降車する客が数人、バスのタラップを踏んで降りてくる。


その数名の客と入れ替わりになるように、シルバーはベンチから立ち上がって、バスへ乗り込もうとした。


その時だった。


すれ違い様に、彼の服の裾を握り、強い力で引っ張る人物がいた。


シルバーはその力に引きずられ、ほとんど尻もちをつくように、ベンチまで戻された。


「止めといた方がいいよ。何するつもりかは知らないけど」


シルバーの袖を引いた人物は、シルバーの左隣に腰を下ろして正面を見ていた。


あまりに突然のことに、シルバーは思わずその横顔を睨みつける。


淡い、緑色の髪をした少女だった。シルバーより頭ひとつ以上、背が低い。


日焼け止めのためか、両腕には黒いアームカバーを着けており、指先は両手ともレースの手袋で覆われていた。


その折れそうな細腕には、シルバーをどうにか出来るような力が備わっているようには見えない。


にも関わらず、シルバーは袖を引かれただけで、抗うことも出来ずにベンチまで戻されていた。


切れ長の目は鋭く、それでいてそこに宿された光は柔和そのものである。


不思議なことに、彼女の声を聞いたシルバーは、自分の中のイライラが解れていくような感覚を覚えていた。


「お兄さん、どうしたの。何か嫌なことでもあった?」


少女はシルバーの方を向くと、まるで自分の友達にでも尋ねるかのような声音で、シルバーに事情を聞いてきた。


むろん、シルバーと彼女は初対面である。そのような気遣いをされる覚えは全くない。


「なんか、懐に包丁でも忍ばせて、人でも殺しそうな顔してたから」


当たらずとも遠からずなことを言い出し、少女はシルバーの全身を、上から下までジロジロと見た。


「……あなた、もしかしてシルバーさん?」


シルバーの返答を待つこともせず、少女はその名前を正確に言い当てた。


「あぁ?ナニモンだてめぇ?」


意外な出来事の連続に、シルバーは柄にもなく面食らってしまっていた。


「やっぱり!銀色の髪に銀の瞳、刃物みたいなギラギラした目付き!そうじゃないかと思ったよ」


にこりと笑って、少女はベンチから立ち上がった。


「お兄さん、ついてきて。私、あなたに用があるかも」


「あぁ!?」


シルバーはその誘いを無視して、逃げ帰ろうとした。


どう転んでも厄介なことにしかなりそうになかったからである。


しかしその逃亡は、再び服の裾を握られたことで失敗に終わる。


どれほど振り払おうとしても、やはりシルバーに彼女の手を振り解くことは出来なかった。


「そんなに邪険にしないでよ。別に追い剥ぎか何かじゃないんだから」


そう言うと彼女は、シルバーの服の裾を握ったまま歩き出した。


あくまでもにこやかな彼女には、有無を言わさない強引さがある訳では決してなかった。


裾を掴む力以外に刺々しさはなく、子供を宥めているようにすら聞こえる。


それなのに、何故かシルバーはその言葉に抗うことが出来なかった。


強制力というよりは、無意識に敵意を削がれ、絆されているような感覚に近い。


彼からすれば、追い剥ぎの方がまだマシというような心境である。


いつもなら無視するその言葉を、シルバーは聞き入れてしまっていた。


シルバーの正体を知るこの少女は、何者なのか。


いや。そんなことは、推測するまでもなく分かっている。


人へ擬態した彼の正体を知るのは、怪人か魔法少女のみである。


仮に一般人へシルバーの正体が知れていたとしても、あんな風に声をかけてくる女はまずいないだろう。


例外的に、コンビニ店員の梔子はシルバーへ向かって文句を言いに来るかもしれない。


それにしたところで、彼女のように親しげに話しかけて来ることは、まずないと言っていい。


容姿、年齢ともに、魔法少女の条件は満たしている。


となれば、十中八九シルバーの予想は間違っていないはずである。


そうだとすれば、ここで彼が背後から少女へ斬りかかっても、何も問題はない。


しかし、シルバーはそれをしなかった。


(こいつ、スキがねぇ……!)


いつ襲いかかるか窺っていたシルバーだったが、少女の細い後ろ姿には、微塵の油断も感じられなかった。


思えばバス停で服の裾を引かれた時も、事前にその気配を察知することすら出来なかったのだ。


今ここで切りかかっても、容易く組み伏せられてしまうという直感だけが働いている。


その後も決定的な隙は一切生まれず、やがてシルバーは妙なことに気がついた。


少女の歩く道は、シルバーがよく見知った通りだったのである。


少女はしばらく歩いた末にとあるビルの前に立つと、その中へ消えていこうとする。


シルバーはそのビルのことを、よく知っていた。


「おい!!お前、そのビルが何なのか知ってんのか!!」


シルバーは大声で、階段を登って二階へ上がろうとする少女へ怒鳴った。


「もちろん、知ってるよ。白奪会系暴力団、代田組の事務所でしょ?」


少女は、そのビルの中身を正確に把握していた。


そこはシルバーが籍を置いている、代田組の所有するビルだったのだ。


見目麗しい魔法少女(推定)が、こんな社会の裏側に属する場所へ、何の用があるというのか。


厄介なことにしかならないというシルバーの予感は、どうやら見事に的中してしまったらしい。


すると、少女が階段の半ばまでたどり着いたところで、二階の事務所のドアが荒々しく開け放たれた。


「シルバーッ!!テメェ今までどこほっつき歩いていやがったッ!!」


中から姿を現したのは、瀧桜閣である。


あれだけ大きな声で少女に呼びかければ、事務所まで響いて当然だった。


「やっべ……!!」


迂闊なことをしたのに気がついたシルバーは、足早にその場から逃げようとする。


しかし逃げる直前、その瀧の様子がおかしいことにシルバーは気がついた。


「お嬢……!!」


カッと目を見開いた瀧は、即座に膝を割って少女の前に頭を下げた。


「いらっしゃるんなら、連絡下されば迎えに上がったもんを……!!」


シルバーは、初めて見るその瀧の慌て様に、ただただポカンと口だけを開けている。


どんな怪人にもチンピラにも頭を下げたことのない瀧が、今その白髪混じりの鬢を簡単に少女へ見せてしまっている。


しかし少女は、強面の老年が自分へ頭を下げても、狼狽える様子すら見せない。


シルバーに対した時と同じように、朗らかに笑うのみである。


「ごめんね、おじいちゃん。ちょっとしたサプライズだったんだけど、ビックリさせちゃったね」


少女のセリフに、今度はシルバーが驚いて目を剥いた。


「おじいちゃんだぁ〜?」


その言葉に、瀧は気まずそうにしながら一言だけ呟いた。


「……こいつぁ、瀧譽たきほまれ。俺の孫娘だ」


瀧はそれだけを言い残し、事務所の中へと戻っていった。


シルバーはその後を追うように、事務所の前へと足を運ぶ。


しかし、その階段を登るのには、若干の気まずさがあった。


ビルの三階からは、常駐していた代田組傘下の怪人たちが、何事かとこちらを窺っている。


シルバーの声も瀧の怒声も、届いていたに違いない。


そのまま踵を返して消えようかと思っていた矢先、瀧が事務所の中からまた姿を現した。


「お嬢、ちっとばかし事務所で待っていちゃあもらえやせんか。俺はこいつらに、事情を説明せにゃあならねぇ」


瀧の告げる言葉に、孫と言われた少女、譽は軽く了承した。


「いーよー。じゃあ待ってるね!」


そこだけ切り取って見ると、本当に孫と祖父にしか見えない。


異常なのは、瀧の立つビルがヤクザの組事務所であることと、その周囲に擬態した怪人たちが群がっていることだけである。


瀧は三階への階段へ足をかけると、シルバーにも声をかけた。


「シルバー、オメェも何か言いてぇことがあるだろ。来な」


それまで組に寄りつかなかったことに怒ることもなく、瀧はごく自然にシルバーを呼びつけた。


三階のタコ部屋へ集められた怪人たちは、瀧を囲んで丸く円になって座っていた。


その中には、シルバーの安否を心配していたアンラッキーの姿もある。


「お前、今までどこ行ってたんだよ!」


小声で話しかけるが、今はそれどころでないことは重々承知のはずである。


シルバーが腕を組んで何も答えないのを見ると、重いため息をついて瀧へ向き直った。


「おやっさん、どういうことなんです。俺たちおやっさんに孫がいるなんて、一度も聞いたことなかったですぜ?」


そうだそうだと、周囲の怪人から同意の声が漏れる。


「別に話すことでもあるめぇよ。それにあれは、俺の血の繋がった孫じゃねぇ」


「譽は死んだ先代組長、素卯鷺山しろうろざん親分の遺したたねよ。俺は単に、親分に代わって譽を預かってるに過ぎねぇんだ」


その言葉に、複雑な背後関係を察した怪人たちは静まり返った。


どういう事情があるのか、なぜ少女を預かるに至ったのか。


そこまで立ち入った話を聞いてよいのか、判断しかねたのである。


その沈黙を破ったのは、他ならぬシルバーだった。


「どーだっていいんだよ、そんなこたぁよぉ」


シルバーは、瀧の鋭い視線と目を合わせ、二人は数秒睨み合う。


横ではアンラッキーが泡を食っていたが、双方ともにそんなことは気にしていないようである。


「ジジィ。てめぇの孫は、魔法少女だな?」


シルバーの放つ言葉に、周囲の怪人たちがざわめいた。


瀧だけが平静を保ち、その言葉を聞いている。


「アイツ、名乗ってねぇのに俺の名前を知ってやがった。少なくとも俺の特徴が割れてなきゃ、名前なんて分かるはずもねぇ」


「そしてこんなこと言うのも何だが、あいつは立ち上がった俺を引っ張って、無理やり座らせるバカみてぇな腕力を持ってた」


「怪人相手にそんなこと出来んのは、魔法少女だけだろ。てめぇまさか、孫かわいさに俺たちの情報、流したりしてねぇだろうな?」


シルバーは怒りに牙を剥き、瀧はそれを受け流していた。


瀧は煙草を着物の袂から取り出すと、灰皿もないのにそれへ火をつける。


「ゲスの勘繰りも大概にしろや。誰がそんなしょうもねぇことするもんかよ」


「てめぇらの親は、この俺だ。親が子を売るなんざ、金輪際あっちゃならねぇだろうがよ」


しかしシルバーは、組んでいた腕を頭の後ろに回し、懐疑的な目を向けた。


「どうだかなぁ。本物の孫と俺たちを計りにかけりゃ、どっちが重いかなんて簡単な話じゃねぇのか?」


シルバーは疑惑の目を向けるが、瀧はそれに煙草の紫煙でもって答えた。


「信じろなんてこた言わねぇ。お前らを集めたのは、譽の負担を軽くしてぇからだってのは嘘じゃねぇんでな」


「だが俺がその気なら、お前らとっくに刻んで海の底だってこと、忘れんじゃあねぇぞ」


「恩情があったからじゃねぇ、損得抜きでお前ら木っ端怪人の面倒見るつもりで手ぇ出したんだ。そこに欺瞞はねぇよ」


瀧の言葉と共に、短くなった煙草から灰がぽとりと落ちた。


「ケッ。ありがてぇ〜こった。瀧の爺様が手を出さねぇから、俺たちゃ今日も生きていられますってワケだ」


シルバーの皮肉に、色めき立ったのはアンラッキーだった。


「おい、シルバー!言い過ぎだぞ!」


シルバーはそれをどこ吹く風と受け流し、怪人たちの作る輪の外にはみ出た。


「ま、どっちにしろ俺ァ代田組からはいずれ出てく身だ。そっちはそっちで好きにやりゃいい」


「シルバー……!!」


アンラッキーはまだ何か言い足りなそうにしたが、シルバーがそれに聞く耳を持たないのは明白だった。


仕方なくアンラッキーは瀧に向き直り、今度は瀧へ疑問をぶつけることにしたようだった。


「しかしおやっさん、なんでお孫さんは、今回わざわざこんなとこまで足を運んだんです?」


瀧は煙草の吸い殻を床へ直に擦りつけると、何か思案している顔になった。


「さぁそこだ。譽がわざわざこんなところまでやって来た理由わけは、俺にも分からん」


「普段会うときは、お前らにバレないよう事務所の外で会ってたんだがな」


アンラッキーは顎に手を当てて、譽の意図を推察しようとする。


「なんかよっぽど急な用事でもあったんですかね?」


しかし瀧は、それすらも分からんと言ってのけた。


「ともかく今は、譽の話を聞いてみるしかあるめぇよ。お前らがお天道さんに恥じるような真似、してなきゃいいだけの話だ」


それを聞いた代田組の怪人たちは、一斉にシルバーの方を見た。


「な、なんだよ……なんか文句あんのかコラ」


文句はなくとも、皆の視線が雄弁に言いたいことを物語っていた。


その時、部屋の外で階段を鳴らす音がし、タコ部屋のドアが開かれた。


「おじいちゃーん。もうお話終わった?」


譽であった。待ちきれなかったのか、三階まで上がってきてしまったようだ。


怪人たちはシルバーからそちらへ目を移し、座っていた瀧は煙草をしまい、立ち上がった。


「ちょうど今終わりやした。お嬢の話は、下で窺いやす」


ぺこりと一礼すると、瀧は階段を下る少女の後へついていった。


怪人たちはそれを見守ろうとしていたが、譽の一言によってギョッとすることとなる。


「おじいちゃんだけじゃなくて、他の怪人の皆さんも話を聞いてもらえますか?もちろん、シルバーさんもね」


床に寝そべって話を聞いていたシルバーは、釘を刺すような譽の言葉にふいと横を向いた。


「シルバー……どう考えても緊急事態なんだから、言うこと聞けよ〜」


アンラッキーが宥めすかしても、シルバーはその場から動こうとしない。


ついには瀧がシルバーの前に立ち、その頭に拳骨をくれることとなった。


「動けと言われたら、さっさと動かねぇか!!このダボが!!」


瀧の一喝を前にして、ようやくシルバーはその重たい腰を上げることとなった。


二階の事務所は、代田組総勢二十名が集まるには少々手狭であるが、今はそれに文句を言うものすら誰もいない。


瀧を筆頭に怪人たちが居並び、譽を椅子に座らせ取り囲んでいる。


その最後方には、シルバーが不満げな顔をして頭にコブを膨らませていた。


彼女の背後には、雄々しい筆致で書かれた『捨身飼虎』との書が掲げられている。


そして譽の前には、無骨な湯呑に淹れられた日本茶が、暖かな湯気を立てていた。


恐らく、瀧自身が一番初めに事務所へ戻った時、譽のために淹れたのだ。


事務所には簡易な給湯器こそあれど、茶を飲むのは瀧だけである。


ヤクザの組長が平服し、他人のために茶を淹れることなど、本来あってはならない。


それだけに孫であるこの譽が、並の人間でないということは彼らにも理解できた。


「それでお嬢、今日の御用入りはなんでござんすか」


完璧なヤクザ口調になり、瀧は譽の前で改まった。


「うん、今日は通達があって来たの。電話や手紙じゃダメらしいから」


通達、という不穏な単語に、背後の怪人たちも顔色を変えた。


「もう聞いてると思うけど、私は組織に属する魔法少女の一人よ。今日はその組織から代田組へ、ある通達があったの」


「魔法少女統括組織、『永延聖常生女学園えいえんせいじょうせいじょがくえん』からの通達です」


譽はそれまでの柔和な顔から一転して、厳しい乙女の顔を見せた。


通称『学園』と呼ばれるその組織は、この街のどこかに存在する魔法少女を統べる団体である。


この街で活動する魔法少女たちは、ほとんどがその学園に籍を置く者たちだった。


上位の魔法少女ともなれば、屈強な上級怪人でさえ難なく倒すことが出来ると、怪人たちの間でも専らの噂となっている。


「我々『学園』は、これまであなた方代田組の動向を、逐一観察していました」


それを輪の一番外で聞いていたシルバーは、我が意を得たりと言うようにブーイングを放った。


「ほれ見ろ。やっぱりジジィと魔法少女は繋がってたんじゃねーか」


譽はそれに、笑顔で応じる。


「そう取られても仕方ないけれど、そうじゃないの。我々学園とおじいちゃんは、何の関係もない」


「魔法少女の祖父が結果として怪人を集めてたっていう、ただそれだけ。誤解させたなら、ごめんなさいね」


シルバーはそのように他人から謝罪されたことがなかったため、何も言えずに口ごもってしまった。


譽は改めて襟を正すと、瀧と怪人たちに正面から向き合った。


「学園は、更生目的ではなく、武力行使の手段として怪人を集めていると見なし、長らく代田組をマークしていました」


「これは、私が瀧桜閣の孫であることとは全く関係ありません。怪人が徒党を組むということは、それだけ危険なことだと理解してください」


ハキハキと物を言う譽は、先ほどまでの温和な雰囲気を毛ほども残してはいなかった。


それはまさしく、事務的に、事実だけを伝える魔法少女のそれであった。


瀧も神妙な面持ちで、孫娘の話す言葉を聞いている。


「学園は瀧桜閣の意を汲み、一年の猶予を持ってその動向を探りました」


「結果、あなた方代田組の怪人たちに、人間への害意はないものと判断します」


「よって今後も人間に害を与えないことを条件に、特例として代田組の在籍怪人を、我々の討伐対象外とすることに決定しました」


譽を囲っていた怪人たちから、どよめきが上がった。


瀧からもどことなく、ホッとしたような雰囲気が微かに漂っていた。


それは少なくとも、今後彼らが魔法少女にだけは命を狙われる危険が無くなったということだからである。


しかしその後、譽は少し肩を落として、残念な報告も付け加えねばならなかった。


「ただしそれは、ひとつの例外を除いてという、付記事項あっての特例です」


「代田組に属する怪人の中に、看過出来ない凶暴性を持った怪人が一人いますね?」


瀧を含む全員の視線が、タコ部屋の時のように一人の怪人へと集まった。


「怪人シルバー、あなたは戦闘を好み人を巻き込むことを厭わない、危険な精神性を持っている」


「あなただけは放置すれば人への害となると判断され、今回の措置の適用外とする決定が下されました」


輪の外でそれを聞いていたシルバーは、ニヤリと不敵に笑った。


「どーせそんなこったろうと思ったぜ、話が上手すぎらぁ。俺のクビ持って帰って、見せしめにしようって魂胆だな?」


シルバーなりの分析を持って、彼は譽と相対した。


確かに今ここでシルバーを討ち取れば、代田組のみならず、徒党を組もうとしている他の怪人への牽制にもなるだろう。


シルバーと譽は、視線を交じらせ火花を散らす。


その間に割って入るように、瀧が譽へ声をかけた。


「待ってくだせぇ、お嬢。こいつぁバカで出来の悪い怪人ではあるが、この組に入ってから人を殺したことは一度だってねェはずだ」


「人殺しが悪いってんなら、俺だって若い走りに何人も殺してる。どうかこの瀧の顔に免じて、勘弁してやっちゃあくれやせんか」


腰を低くし、頭を下げる瀧に、しかし孫である譽は情を一分たりともかけなかった。


「おじいちゃん、残念だけどシルバーさんの危険性は、複数の魔法少女の証言の上に成り立ってるの」


「スカージオ、ラヴリーインフェルノ、ロマンティックダイバー。皆口を揃えてシルバーさんを戦闘狂と称してる」


「それにね、おじいちゃん。シルバーさんはここへ来る前、人の乗ったバスを襲おうとしてたんだよ?」


「たまたま私がいなかったら、どれだけの被害が出ていたか分からないの」


瀧はそれを聞いて、シルバーへ怒りの目を向けた。


「シルバー……てめぇそれは本当のことか!?」


だがシルバーは、さして悪びれる気もなさそうにしている。


「怪人が人を襲って、何が悪いってんだよ。それとも、俺たち善良な怪人に、迷惑かけるなとでも言うつもりか?」


「俺とお前ら、どっちが怪人として正しいか、そこのお嬢ちゃんにも聞いてみろよ」


その言葉に、譽は僅かに眉根を下げた。


「残念だけど、今回の件は間違いなく、おじいちゃんの不手際でもあるわ」


「怪人を従えるなら、自分の目の届くところに、常に置いとくべきだったね」


瀧はぐっと唇を噛み締めると、座る譽よりさらに頭を低くして詫びた。


「申し訳も立たねぇ……俺ァこいつが、俺の命を狙ってる限り他を襲うことはしねぇと、高ァ括ってやした」


「ついてはこの不始末、代田組組長瀧桜閣がシルバーの命を奪ることで、許してもらえやせんでしょうか」


言うと瀧は、懐に収めていたドスをスラリと抜いて、その手に握った。


「シルバー。おめぇ、越えちゃならねぇ一線を越えちまったようだな……」


振り向いたその眼は尋常ならざる殺気を帯び、まさしく鬼の形相と呼ぶに相応しかった。


その迫力たるや、止めようと群がった他の怪人が、足を止めて人垣を作るほどであった。


「おっ、やるかジジィ。こっちはあんたと殺り合うことだけが目的だったんだ。ちょうどいいぜ!」


シルバーは願ってもない状況に、嬉々として怪人体になろうとした。


「待って、おじいちゃん」


その喧嘩に、譽は待ったをかけた。


「止めねぇでくだせぇ、お嬢。俺は今、自分への情けなさでハラワタ煮えたぎってるんでさぁ」


今にもシルバーへ飛びかかりそうな瀧へ、譽はあくまでも落ち着いた様子で語りかける。


「今回のシルバーさんの件には、ある条件がついてるの」


その場にいた全員が、譽のことを見ていた。


「学園は私に、シルバーさんと戦って具体的な危険度を測るように言ってきた」


「スカージオの時は、おじいちゃんが割って入ったせいで、正確なところが分からなかったでしょう?」


「彼女はシルバーさんのことを『放置しても問題ナシ』と報告していたけど、その後のインフェルノの報告だと『上位怪人を迎撃し、退けた』と報告されてる」


上位怪人とは、十中八九ダービードールのことだろう。


シルバーは、あの変態怪人がそんな上位カテゴリーに位置する怪人だったのかと、今さらながら不思議に思っている。


「要するに、成長の幅が広すぎて一貫性がないんだ、シルバーさんって。それって私たち学園側からしても、ちょっと面倒くさい怪人なんだよね」


「本当ならただ討伐するだけでいいんだけど、おじいちゃんの下にいるっていうのが、余計シルバーさんの立場を難しくしてるの」


そこで一旦言葉を切ると、譽は瀧の目をまじまじと見つめた。


「もしも私が戦って、危険度の高い怪人だと判断すればそのまま討伐してもいい」


「逆に危険度の低い怪人だと判断すれば、シルバーさんも他の代田組の怪人と、同じような扱いになるってこと。オーケー?」


譽は、瀧の目を見つめながら、一つ一つ吟味するように語りかけてゆく。


「お嬢、そいつぁ……」


瀧は、譽の言わんとすることを理解していた。


譽が戦い、シルバーの危険度を測る。それはつまり、シルバーの生殺与奪が譽に一任されているということだ。


譽はシルバーへ本気を出さず、今後魔法少女から狙われることを避けるよう言っているのである。


瀧は思わず、シルバーの方を振り返っていた。


「んだよ、そのツラはよぉ。俺にわざと負けろとでも言いてぇのか?久々にまともなケンカ出来るってのに、手なんか抜くはずねぇだろ」


シルバーにもその意図は伝わっていたようだが、言われた通りにするつもりはないらしい。


「ま、そう言うと思ったけどね。じゃあとりあえず屋上行こっか」


譽は自分の提案を無下にされても、さしてショックではないようだった。


彼女は椅子から立ち上がると、怪人たちの輪を抜け、ビルの屋上へと歩いてゆく。


シルバーは肩をぐるぐる回すと、譽を追い越さんばかりの勢いでその後に続く。


瀧とその他の怪人たちも、それを見守るために屋上までの階段を登っていった。


狭い屋上の中央で、シルバーと譽は向かい合っている。


屋上の出入り口には、事の成り行きを見守る瀧と、怪人たちがひしめき合っていた。


シルバーはすでに全身鋼色の怪人体となっているが、譽は未だに魔法少女へ変身する様子がない。


「おい、とっとと魔法少女になりな。そのカッコじゃ魔法も使えねぇだろ」


シルバーは指摘するが、譽はそのままの姿で後ろに手を組んだ。


「とりあえず、変身はナシでいいかな。あと、両手も使わないで戦ってあげる」


シルバーは、瞬間湯沸かし器がごとく額へ青筋を立てた。


「ハァ?舐めてやがんのか、コラ。マジでやらねぇとぶっ殺すぞ!!」


譽は困ったような顔で、そのような顔をした割には大胆な事を言ってのける。


「分からないかなぁ。今は私の方が格上で、あなたは挑戦者なの。チャンピオンは初めから全力なんて出さないんだよ?」


シルバーはその挑発に、却って冷静になりながら刀を構えた。


「そうかい。変身もせずに殺されましたなんざ、言い訳にもならねぇと思うがな」


もはやシルバーの頭には、彼女を切り刻むことしか残っていない。


瀧ですらが、譽は慢心しているのではないかと奥歯を噛んだほどだ。


先手を取ったのは、いつものようにシルバーだった。


測るように詰めていた間合いを一気に殺し、譽へ向かって刃を素早く振り下ろした。


意表をついたという程ではないが、両手を封じた相手になら妥当だと思われる攻撃である。


譽はその攻撃を、横飛びに跳躍することで避けた。


しかしシルバーはその回避を読んで、譽の着地点で再度刀を振るった。


着地したばかりでは、二度目の跳躍が困難であることを見越しての攻撃だった。


譽は刃が触れる寸前、上体を地に擦らんばかりに反らして、その斬撃を躱した。


そして屋上のコンクリートに手をつくと、足を跳ね上げ、シルバーに対して蹴りを見舞っていた。


その蹴りは三撃目を繰り出そうとしていたシルバーの左腕を蹴り払い、彼の体のバランスを崩すことに成功した。


上半身を跳ねさせて、譽は地面から起き上がる。


そしてシルバーが体勢を立て直すのを待たず、その腹部に強烈な前蹴りを食らわせた。


「がふっ……!!」


見た目にそぐわぬその重い蹴りに、シルバーは数歩後退った。


譽はその間合いを詰めるようにシルバーまで接近すると、今度は鮮やかな飛び膝蹴りを繰り出す。


伸びやかな軌道のその蹴りは、シルバーの顎を綺麗に捉えていた。


たまらず倒れたシルバーに、周囲の怪人が騒がしくなる。


瀧はそれを、物言わぬ静かな顔で見つめている。


「ね、シルバーさん。イイこと教えてあげよっか」


譽はシルバーからの反撃も気にせず、その間合いに入って倒れるシルバーを上から見下ろした。


「シルバーさんは強いよ。たぶんおじいちゃんに迫るくらい強くなってる。けど、それは人間レベルで強いってだけ」


「魔法少女が本当に厄介だと思う怪人はね、物理法則すら無視して、人の動きを超越するんだよ」


「今のあなたじゃあ、人間の達人レベルなの。本物の怪人は、とても人間の域には収まらないんだから」


シルバーはそれを、倒れたままで黙って聞いている。


シルバーには、譽の言うことがよく理解出来た。


恐らくはその物理法則すら超越した怪人というのが、ルールを得た怪人のことなのだろう。


そしてルールを会得しなければ、変身すらしていない譽に、ここで善戦することさえ叶わない。


(どうする……考えてたヤツを使ってみるか……?)


シルバーは、かつての戦いの中で考案しつつあったルールを、譽で試すべきか思案した。


本来なら別の怪人か魔法少女で、試してみるつもりで温めていたルールである。


ここで使うのはおあつらえ向きと言えるが、問題なのは瀧もこの場でシルバーを見ていることだ。


瀧を殺すために考えたルールを、瀧の前で明かすには早すぎる。


瀧ほどの手練なら、見せてしまったルールに対策を講じることも、容易なはずである。


「どうしたの、早く起き上がって来てごらんよ?」


譽はわざとシルバーの周りをうろつき、彼が復帰するのを待っていた。


本来は倒れている間に、追撃することも出来ただろう。


敢えて待ったのは余裕からか、それともシルバーを侮っているからなのか、はたまたそれ以外の意図があるのか、その場にいる誰一人として理解出来ずにいる。


「ナメんなぁ!!」


シルバーは叫び、譽へ向かって足を振り上げた。


ちょうど足の横を歩いていた譽は、その蹴りの直撃を食らいそうになる。


シルバーの足は、彼の腕と同じく刃に変わっていた。


譽はその鋭い蹴りから、すんでのところで逃げおおせた。


足先は彼女の腕を掠め、衣服を僅かに削ぎ取ってゆく。


(……!?)


その時シルバーは、彼女の肉体の言い知れぬ違和感に気がついた。


「へぇー、足も刃物に出来るんだ。危ない危ない」


譽が距離を取ると、シルバーもようやく倒れていた体を起こす。


先ほどの違和感を胸に押し込め、シルバーは再び攻撃体勢に入った。


「立ちながらじゃあバランス悪いんで使えねぇがな。あんたの足技、マネさせてもらったぜ」


結局シルバーは、考案していたルールを譽に使うことはしないと決めた。


その代わり足までを武器にして、それまでのオーソドックスな攻撃に変化をつけることを覚えた。


「ようやくここからが本番ってとこだね。それじゃあ私もそろそろ、腕使うの解禁しちゃおっかな〜?」


譽は両腕を体の横で伸ばし、指を開いたり閉じたりして自由に動かせる構えを取った。


「そうこなくちゃな。いつまでも手ぇ抜かれてたんじゃ、こっちも飽き飽きするとこだ」


シルバーは右腕を前にして、譽へ踊りかかる。


剣戟は音を鳴らし、譽の足技は何度もシルバーを捉える。


その打撃音が響く度、シルバーの刃も彼女をあと少しのところまで追い詰める。


ありとあらゆる攻防の基本のようなやり取りが、無数に二人の間で交わされあう。


それを遠目に見ていたアンラッキーは、二人の戦いに普段のシルバーと違うものを感じていた。


アンラッキーの目には、これまで戦っていたどの時よりも、シルバーが楽しんでいるように写ったのである。


「おやっさん、これって……?」


瀧を見ると、組んでいた腕をほどき、バリバリと音をさせて頭を掻いた。


「やられたな……お嬢は端っから、シルバーを試すつもりなんざなかったんだ」


その言葉に、アンラッキーは不可解な顔で応じる。


「ありゃガス抜きだ、シルバーのな」


そこまで言うと瀧は、屋上に背を向けてこの場を立ち去ろうとした。


「おやっさん、どこへ?」


「事務所で待ってらぁ。お前らも解散していいぞ」


短く言い残して、瀧は本当に屋上から去ってしまった。


そして瀧が消えたのを合図に、一人また一人と、代田組の怪人たちも屋上を後にする。


戦う二人は、もはやギャラリーがいなくなっていることにさえ気が付かない。


高かった日が落ちていき、夕日となり、夜に近くなるまで、二人は闘争を続けていた。


最後に残ったアンラッキーだけが、その一部始終を全て見守っていた。


「おっと、もうこんな時間か」


やがて時が経過し、屋上の景観が翳りを帯び始めた頃、ようやく譽は構えを解き、顔を上げた。


「シルバーさんストップ。そろそろ私、帰る時間だから。今日はこれでお終いね」


ちょうど譽の間合いの外にいたシルバーは、油断なくゆっくりと両腕を下ろした。


「ん、いい子だね」


子供相手にするような微笑みを見せる譽に、シルバーは噛みついた。


「あーチクショウ、結局変身させることも出来なかったかぁ!!」


シルバーはどさりとその場に腰を下ろし、譽は大きく伸びをする。


シルバーが怪人体でさえなければ、まるで青春映画のワンシーンのような絵面である。


「どう、少しはスッキリした?」


「あぁ?スッキリなんてするかよ、てめぇも殺せてねーのによぉ」


「その割に、憑き物の落ちたような顔してるじゃない」


言われてシルバーは、まだ怪人体から変えていない、自分の顔の皮膚に触れた。


「闘争本能の強いあなたみたいな怪人は、戦えないこと自体がストレスになっちゃうの」


「好戦的な怪人だっていうのは前情報で分かってたけど、バス停で出会った時は本当に酷い顔してたよ?」


譽はシルバーの前まで来ると、尻を地面に着かずに腰を下ろした。


「これからあなたの闘争欲求が溜まったら、私に連絡するといいよ。学園の仕事がない時は相手してあげるから」


「その時は今度こそ、魔法少女に変身して戦ってあげる」


シルバーはその言葉を、なにがしかの調教師のようだと思いながら聞いている。


「ただし、私の連絡先はおじいちゃんしか知らないから、おじいちゃんの言うことはちゃーんと聞いてね?」


イタズラな笑みを覗かせる譽に、シルバーは苦い顔をした。


「俺をジジィの下に置いとくために、こんな手の込んだことやりくさったのか。面倒くせぇやつ」


譽は笑いながら、ひとつ付け加えた。


「まぁ私も、おじいちゃんの部下をみすみす殺したくはなかったしね」


「部下じゃねーっつうの!!」


「フフフ……さ、あなたも切り替えてそろそろ戻ったら?お友達も心配してるよ?」


譽は立ち上がると、アンラッキーのことを示してみせた。


アンラッキーは話が終わったことを察し、シルバーの元へ駆け寄って来ている。


「友達ねぇ……怪人にダチも何もねぇもんだがな」


「いいじゃない。怪人同士仲良くしたって」


そして譽は、もう一度伸びをしてから、シルバーへ告げた。


「それじゃ私、おじいちゃんにまだ話があるから。あなたたちはゆっくり休むといいよ」


シルバーは不審な顔をすると、譽に尋ねた。


「これからまだ話があるってのかよ?」


「あぁ、大丈夫。こっちは個人的な話だから、学園絡みの話はもうお終いだよ」


手をピッと上げて挨拶の代わりとし、譽はシルバーたちを置いて、先に階下の事務所へと下りていった。


ドアの前で微かなため息をつき、譽は事務所のドアを開ける。


「お待たせ、おじいちゃん」


その向こうでは、数人の怪人と瀧が、たむろしていた。


譽は瀧にだけ伝わるよう、目配せを送る。


瀧はそれを見て、残っていた怪人たちにタコ部屋へ戻るよう指示し、人払いをした。


「お嬢、お疲れ様でござんした」


譽が来たときと同じ様に、瀧は膝を割って深々と頭を下げる。


「やめてよ〜、別に大したことした訳じゃないから」


譽は椅子に座ると、瀧にも座るよう促した。


瀧は促されるまま椅子に座ると、自分の方から話を切り出した。


「シルバーへの采配、痛み入りやす。本当ならお嬢の役目は、俺が背負わにゃあならねぇはずだった」


またしても頭を下げようとする瀧を、譽は止める。


「学園にはシルバーさんの危険度は、さほど高くないって報告しておくね」


「重ね重ね、手間ァ取らせて申し訳ありゃあせん」


「彼、欲求を溜めやすいだけで、そんなに危ない子じゃないと思うなぁ」


シルバーを危険でない怪人だと評したのは、瀧含めて譽が初めてであった。


「それより聞いて?私、今度弟子を持つことになったの!」


「弟子……魔法少女に、子弟の契りがあるんで?」


「そうそう。ジャンキーナイトっていう娘でね、いい子だからちゃんと育ててあげたいと思ってる」


「左様で……お嬢も大人になりましたな」


目を細める瀧は、すっかり祖父の顔となっている。


「でも、魔法少女ってこんな仕事だからさ……私もいつまで相手してあげられるか、分かんないじゃん?」


譽は、顔を上げて真っ直ぐに瀧を見た。


瀧はその美しい面に、ハッと目の覚めるような思いがした。


烏頭うずあたると薬袋真透みないますみ、そういう名を名乗る魔法少女が来たら、話を聞いてあげてほしいんだ。たぶん、ちょっと長い話になると思うから」


譽はそう言うと、困ったような顔で少し笑った


「それは……お嬢、約束したと、そういうことですかい」


「そう。おじいちゃんなら、分かってくれるよね?」


譽の雰囲気に、瀧はその表情を曇らせた。


譽の表情は、極道として長らく渡世を歩いた瀧の、よく見知った顔。


己の死期を、そして死に場所を、悟ったものの表情であった。


一体譽に何があったのか、何が起ころうとしているのか、瀧には皆目見当すらつかない。


唯一ただひとつ、彼が身を置く極道の世界では、死を覚悟した者を止めることは、何にも勝る侮辱であった。


それだけはすまいと分かっているからこそ、譽は包み隠さず、瀧に語る気になったのだろう。


虚を突かれた瀧は、何も言葉にすることが出来ない。


「もう頼んじゃったの、だからそのうち遊びに来てくれるよ。その時はいいお茶菓子でも出して、歓迎してあげてね?」


瀧は膝の上に置いた拳を、ぐっと握りしめた。


何の因果で、己が孫娘の死花を看取ってやらねばならないのか。


そういう思いを、瀧は拳に握ってやり過ごそうとしている。


「シルバーさんには悪いことしちゃったかな。もしかしたらこれを最後に、もう会えないかもしれないし」


「その時はちゃんと、おじいちゃんが彼を止めてあげてね。それが、シルバーさんにとってベストだと思うから」


真摯な眼差しで、譽は瀧の固く結ばれた手を握った。


この娘は、自分が去ろうとしている今でさえ、残された者のことを考えようとしている。


それも今日出会ったばかりで因果の薄いはずの、シルバーのことを思って。


他の怪人には瀧という拠り所があるが、シルバーにはそれがない。譽はそのことを見抜いたのだと、瀧は内心で感服していた。


シルバーを芯の強い怪人と見なし、それ故に放任していたことを、瀧は恥じることしか出来なかった。


「……お嬢の敷く世はきっと善いもんになるでしょう。今後も、きっと」


瀧は握られた手を握り返し、それだけをようやく腹の底から絞り出した。


こんな娘だからこそ報われてほしい、報われねばならない。瀧は心底から、そう思っていた。


「なんか、調子狂っちゃうなぁ。こんなつもりじゃなかったんだけど。そろそろ帰らないとだから、私行くね?」


握られた手をいつまでも離そうとしない瀧に、譽は優しく声をかけた。


「車ァ出させますんで、せめて乗って帰ってくだせぇ」


「いいってー。それより歩いて帰りたいから、誰か話し相手貸してくれる?」


譽は瀧に向かって、可愛らしくウィンクをした。


瀧はそれにしばしの黙考で応じた後、立ち上がって声を張った。


「シルバー!!お嬢がお帰りだ、途中まで送って差し上げろ!!」


遠いタコ部屋まで響いた声は、そこにいたであろうシルバーまで届いていた。


「あー!?なんで俺がんなことしなきゃならねんだよ!!」


階上から下りてきたシルバーは、ドアを開くなり文句を垂れる。


「組にも寄りつかねぇで遊び歩いてたんだ、たまにゃ言うこと聞きやがれ!!」


それに怒鳴り返す瀧は、まるで頑固親父そのものである。


あまりに親子然とした二人の会話に、譽は思わず笑みが溢れていた。


「来たとき初めて会ったバス停まででいいよ。よろしくね、シルバーさん」


「チッ……まぁいいや。バス停までだな?」


シルバーにしては珍しく、すんなりと瀧の言うことを聞いた。


シルバーなりに譽に対して、何か思うところがあるのかもしれない。


「デートなんて魔法少女になってから初めてかも〜。しっかりエスコートしてよね?」


「ケッ、くだらねーこと述べてんじゃねぇよターコ」


そのような悪態こそ恋人のようだとも気づかず、シルバーと譽は日が完全に落ちつつある街へと繰り出した。


それは、事情を知る者が見れば異様な光景だった。


怪人と魔法少女が、肩を並べて歩いているのである。


街の雑踏は夜のそれになっており、行き交う人々も仕事帰りの者が多く見受けられる。

 

シルバーは歩道のタイルを踏みしめながら、横にいる譽のことを考えていた。


と言ってもそれは、今ここで譽に襲い掛かったら果たして勝てるか、というようなものである。


先ほど戦った時と条件は変わらないが、相変わらず譽には一分の隙もない。


しかしシルバーには、一つ気になっていることがあった。


「おう、姉ちゃん。バス停行くならこっちのが早ぇーぞ」


シルバーはわざと、人目のない路地を選んで歩いた。


「へぇ、何回かここには来たことあるけど、こっちが早いなんて気づかなかったな」


譽は、シルバーを牽制するかのように言葉を選ぶ。


彼女もシルバーが、何らかの意図を持ってそこに誘い込んでいることに気がついたようだ。


シルバーは路地の中程で立ち止まると、不意に空を見上げた。


譽は距離を取るでもなく、シルバーの間合いの中で彼のすることを眺めている。


「あんた、腕どうしたんだ?」 


シルバーは唐突に、譽にそう告げた。


それまで何事にも動じなかった譽に、毛一本ほどの微かな動揺が生じる。


シルバーはその隙に怪人体へ変わると、彼女の足へ向けて自分の足を振り下ろした。


「……ッ!!」


シルバーの靴から鈍色の錐のような刃が飛び出し、譽の靴を貫く。


しかしシルバーの足先に、譽の肉を抉る感触は伝わって来なかった。


「……どーいうこった?」


人の姿に戻ることもなく、シルバーは譽に問いかける。


答える代わりに、譽は曖昧に微笑んで見せるのみである。


シルバーは黙って、譽の右腕に着けられていたアームカバーを掴み、強引に捲る。


その下に人の腕は存在せず、象牙色のパイプのようなものが一本、通されていた。


一見すると単なる日焼け予防のためと思われたそれは、彼女の腕の異変を隠すためのものだった。


「こいつぁ義手か?」


シルバーが腕を離すと、譽はようやく口を開く。


「……何時から気づいてた?」


「事務所でケンカした時だ。俺の足が腕に掠った時、肉でも骨でもねぇ妙な感触がしたからな」


シルバーは続けて、靴に刺さっていた自らの指を抜き取った。


その下に本来あるべきはずの足の指は無く、大きく欠損している。


「ほんでよくよく観察してみりゃ、歩く時の重心のバランスがほんの少し狂ってんのも分かった」


「腕もねぇ足もねぇ。そんなガタの来た奴に勝てねぇなんて、俺もヤキが回ったもんだぜ」


シルバーは譽に背を向けて、つまらなそうに頭を掻いた。


譽は悲しげな笑みを見せると、シルバーに捲られた袖を元に戻しながら語る。


「何ていうかなぁ……私の魔法は緊急時になると、自分の肉体を犠牲にしちゃうの」


「出動の頻度が高いほど、ピンチになる確率も上がる。だからもう体はボロボロ」


「それでも何とか踏ん張って来たけど、そろそろ限界が近いのかなぁって思ってるとこ」


シルバーは、それを納得いかないという顔で聞いている。


「分からねぇな……なんでそこまでして、他人のために戦おうとするんだよ」


譽はそれに、誇り高い表情を宿して答えた。


「それが魔法少女の生き方だからだよ。あなたが、闘争を忘れて生きることが出来ないのと同じ」


暗い路地で、二人は数秒見つめ合う。


「ジジィは、お前の体のこと知ってるのか?」


「知るはずないでしょ?知ってたら、学園に殴り込みかけに来ちゃうよ」


確かに瀧なら、怒りに任せてその程度のことはやりかねない。


「けど、安心して?この程度の怪我でシルバーさんに情けをかけられるほど、私も弱虫じゃないから」


「私に遠慮して街の人に迷惑かけるくらいなら、溜め込んだもの吐き出すために、ちゃんと私を呼ぶんだよ?」


まるで慈母のように、譽は自分を頼るよう胸に手を当てる。


「たりめーだ!そんなハンデで変身すらさせられなかったんだ、いつか借りは返してやっからな!」


シルバーとて、彼女に遠慮するつもりは全くなかった。


「ちなみにこの靴、おじいちゃんからのプレゼントだから。穴空けたのバレたら、あなたもタダじゃすまないかもね?」


それは暗に、シルバーへ口止めを促す言葉だった。


「何も喋りゃしねーよ。俺に得することなんざ一個もねぇからな」


「ん、ありがと」


それはいかにも虚しい、感謝の言葉だった。


己が身を窶し、戦う術を持たぬ人のため日夜怪人と鎬を削る魔法少女。


シルバーはその真髄の一つを、譽に見たような気がした。


「さて、と。お見送りはここまででいいよ、後は一人で帰れるから。ちゃんと事務所に帰って、おじいちゃんに挨拶しといてね?」


譽はそれだけ告げて、暗い路地から光のある表通りへと歩いていく。


日陰者のシルバーには、それがいかにも眩しい光景のように見えた。


「……俺は、ジジィを殺そうって怪人だぞ!そんな俺がジジィの側にいて、お前はいいのかよ!」


シルバーは初めて覚える感情のままに、譽の背中へ向けて叫んだ。


「大丈夫、あなたにおじいちゃんは殺せない。だってあなたの太刀筋、おじいちゃんのにソックリなんだもん」


振り返った譽の笑顔は、儚くも夢の如き美しさを湛えている。


たまさかに通り過ぎる車のライトが、それを悲しく彩っては消えて行く。


見送るシルバーの記憶の底に、いつまでも色鮮やかに残り続けるような、それはそんな種類の笑顔であった。



≪続く≫

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