第4話:俺とワークショップ・レクチャー
その日は、シルバーが最も忌避する、平凡な日常と言って差し支えない一日だった。
晴れ渡る空、白い雲、平穏な街並み、道行く人々の語らう声。
そのどれもが、ケンカする相手もいないシルバーを苛立たせるのに十分なものである。
普通の人間が感じる爽やかさなぞ微塵も知らず、唾棄すべき平和に胸糞悪さだけを巡らせながら、シルバーは歩く。
彼は今、ある用事を済ませるためにいつものコンビニへと向かっていた。
「いらっしゃいま〜……なんだ、またあなたですか」
コンビニを訪れたシルバーは、店員の梔子にすぐさま嫌な顔をされる。
「あんたいっつも店番してんな。休みないのか?」
「あります〜あなたには関係ありません〜」
べっと舌を出す梔子は、とても客を相手にしている態度には見えない。
「おいおい、客にそんな態度取っていいと思ってんのかよ」
「これまで一度も買い物したことのない人を、お客さんとは言いません」
そっぽを向く梔子に、シルバーは得意げになって対する。
「ところがどっこい、今日はちゃんとした客なんだなぁ」
シルバーはレジに肘をつくと、上着のポケットからくしゃくしゃの千円札を取り出した。
「あら珍しい。カツアゲでもしたんですか?」
「んなわけあるか、ジジィの使いだよ。タバコ切らしたから買ってこいってよ」
不満を漏らすシルバーに対して、梔子はくすくすと小さな声で笑っている。
「今どき子供でも、お使いでそんな得意げにしませんけど?」
「あぁン?誰がガキだって?」
顎を見せるように梔子へガンをつける彼は、間違いなくただのチンピラにしか見えない。
「いつもの自分を省みてから言ってください。それで、タバコはどの銘柄ですか?」
「めいがら?」
シルバーは子供でもしないような呆けた顔をして、梔子の言ったことをオウム返しにした。
「銘柄ですよ、銘柄。まさか、どのタバコ買うか聞いて来なかったんですか?」
梔子は、レジ後方に設置された棚を指差しながらシルバーへ尋ねた。
「言っときますけど、うちでもこれだけの種類のタバコがあるんですからね?」
「マジか……その棚ぜんぶタバコかよ……」
シルバーはげんなりした様子で、軽く数十種はあろうかというタバコの棚を見回した。
「あなた、そこの角のビルのヤクザさんですよね。近いんだからもう一回聞いてくればいいんじゃないですか」
「いいやもう面倒くせぇ。んなことしたらまたジジィにどつかれちまう。適当なのあんたが見繕ってくれや」
「適当って……後で何か言われても、文句言いっこなしですからね?」
梔子は一応の予防線として、判断の責任をシルバーに負わせようとした。
「じゃあ、このタバコの棚の番号、あなたが選んでください。それ売りますから」
「あーハイハイ、じゃあ1番」
一秒たりとも考えず、シルバーは即答する。
「1番って……これ、女性の吸うタバコですけど……」
「構わん構わん。どうせジジィのこった、俺が何買ってきても文句言うに決まってら」
シルバーは半ば不貞腐れたような態度で、適当にタバコを選んだ。
その真剣みのなさに、梔子も文句すら言えず呆れ返っている。
「言っときますけど、返品も不可ですからね。後で揉めても、私は関与しませんよ?」
「元から巻き込むつもりなんてねーよ。さっさと売れ」
そこまで言われて、梔子はようやく棚から一番のタバコを取り出した。
「まったく……いつもの付き添いの人がいれば、少しは話が通じるのに……」
「アンラッキーのことか?あいつなら今日は集金に回ってるぜ」
「あぁ……あなたそういうの向いてなさそうですもんね」
「おい、どういう意味だソレ」
「別に〜」
梔子はそらっとぼけながら、レジの台の上にタバコの箱を置いた。
「釣りはいらねぇ、とっときな」
「ちょっとぉ、そういうの困ります!後でレジの計算合わなくなるんですからね!」
シルバーは千円札を出しながら、台の上のタバコを受け取ろうとした。
しかし、タバコを取ろうとした指は虚しく空を掻いた。
「んっ……おい、タバコは?」
「はい?ちゃんとそこに置きましたけど?」
梔子は千円札をレジに入れるためタバコを見ておらず、シルバーは梔子の言葉を聞き流すため目線を上へ上げていた。
その一瞬に、タバコは影も形も無くなっていた。
「あれ……ない……?」
「おいおい頼むぜ店員さんよ〜、カネだけかっぱらって商品渡さねぇつもりか?」
「何言ってるんですか。あなたこそ難癖つけて、タバコ代ちょろまかそうとしてませんか?」
言い合いをしながら、梔子はレジの下や棚の影をくまなく探す。
その背後にピタリと吸い付くように、『何か』がいた。
「……!?」
シルバーはギョッとして、その生物を凝視してしまった。
それは、赤鬼のような顔をした小男だった。
肌はペンキで塗ったように赤く、額には小さな角が見えている。
上背は梔子の腹ほどまでしかなく、それでいて顔付きは中年男性のように老けて可愛げがない。
服は着ておらず、下半身は羊毛のような真っ黒い毛で覆われていた。
その小男が、黄ばんだ汚い歯を覗かせて、シルバーのことを見ている。
「おいっ、店員!誰だそいつは!」
それまでそこに居なかったはずの不気味な男を、シルバーは指差して怒鳴る。
腰をかがめてタバコを探していた梔子は、シルバーの妙な様子に首を後ろへ向けた。
しかし梔子が背後を見た瞬間、その小男の姿はシルバーの目の前から消えていた。
「……なんですか、そいつって。誰もいませんけど」
「いや、いたんだって!なんか変な、気持ち悪いヤツが!」
梔子は呆れた様子で、見つからないタバコを探すために床を這っている。
「マボロシでも見たんじゃないですか〜。それとも、危ないおクスリでもやってるんですか?」
そう言ってシルバーの相手をする梔子の背後に、また例の小男が現れる。
今度はどこから持ってきたのか、コンビニの商品のアイスをぺろぺろと舐めていた。
「おいっ!!またいる、またいるぞお前の後ろ!!」
「だからぁ、もういいですって。それよりあなたも、タバコ探して下さいよぉ」
梔子が立ち上がろうとすると、またしてもその小男は姿を見せなくなった。
そうして小男は出たり消えたりを繰り返し、シルバーを翻弄し続けた。
「くっそ……どこ行ったんだアイツ……!!」
梔子は途中から、シルバーが本気でおかしくなったのではないかと心配していた。
それほどまでに小男は、梔子の死角となる位置を絶妙に維持して移動していたからだ。
シルバーはキョロキョロと店内を見回し、鬼のような小男を探索する。
すると今度は、コンビニの自動ドアの外側に、小男はいた。
コンビニの自動ドアは、客が出入りすると来店を示すチャイムを鳴らすはずである。
しかしその時、梔子もシルバーもそのチャイムの音色を聞いていなかった。
小男は自動ドアの外で、手に持った小箱をシルバーへ見せびらかすように動かした。
「あっ!!」
それは、シルバーが購入したタバコの箱だった。
そして小男は挑発するように中指を立てると、目の下を指で広げてあっかんべーをして見せる。
「野郎〜〜〜!!待ってろ、今すぐそのド頭ぶっ飛ばしてやる!!」
シルバーは店の外へ走ると、小走りに逃げ出す小男を追いかけた。
「あっ……ちょっとあなた、お釣りまだ渡してないですよ!?」
後に残された梔子は、シルバーの後ろ姿へそう声をかけるしか出来なかった。
「おい待てテメェ!!タバコ返せコルァァ!!」
ガラの悪い巻き舌を披露しながら、シルバーは街を走る。
行き交う人がシルバーの顔と小男を、何事かという風に交互に見ている。
しかし小男との距離は、一向に縮まらない。
シルバーの足が遅いわけではないのに、小男は常に一定の距離を保ちつつ、シルバーに先行して駆ける。
しかもそれだけでなく、小男はシルバーが追っている途中にも、唐突に姿を消すことがあった。
その姿を見失い、シルバーが周囲を見回すと、遠く離れた場所で小男が手招きしているのが見える。
まるではぐれた子供を誘導しているかのようで、シルバーはますます激昂する。
「ナメてんのかボケェ……絶対追い詰めて殺す!!」
そして彼は小男の後を追いかけて、実に10kmもの道のりを走破した。
普通の人間ならば体力が尽きるか、とうに諦めて追うのを止めているかのどちらかだろう。
ちなみにこの時タバコのことは、すでに頭からさっぱりと消え失せている。
執念なのかバカなのか図りかねる、シルバーの真骨頂であった。
そうしてシルバーが10kmに及ぶマラソンの果てに辿り着いたのは、古めかしい市営住宅の跡地だった。
バブル期に建てられ使われたものの、老朽化とバブルの崩壊により住民がみるみる減り、やがて放置された建造物である。
塗装は剥げ落ち、外観からしても朽ちているのがひしひしと伝わる。
五棟あるうちの端の一棟に小男は駆けて行き、鍵のかかったガラス扉を音もなく通り過ぎる。
「待ぁぁぁてやぁぁぁ!!このボケェぇぇぇぇ!!」
シルバーは怪人体になると、そのドアを叩き切って小男の後を追った。
屋内でも小男の速度は全く落ちず、シルバーは階段でも廊下でも追いつくことが出来ない。
やがて小男は、屋上へと続くドアの前で足を止めると、再びその姿を消した。
「オラァ!!」
シルバーが乱暴にその扉を破壊すると、そこには奇妙な光景が広がっていた。
宅地の屋上には、ふつう貯水槽や避雷針くらいしか存在しないはずである。
しかし、そこにはそれらの他に、一軒の掘っ立て小屋があった。
粗末な木の板を接ぎ合わせて、かろうじて家の形を保っているような小屋である。
今日び山の炭焼き小屋でも、もう少しまともな造りをしているだろう。
「なんだこりゃ……?」
人間の建造物について詳しくないシルバーでも、それが本来この場所にそぐわないものであることは何となくピンと来た。
「もしかして、さっきの赤いやつの巣か?」
小男の姿が見えないからには、その小屋に逃げ込んだ可能性が高い。
シルバーは怪しみながら、罠を警戒して慎重にその小屋の戸を開いた。
「うぉっ……!?」
その中に一歩足を踏み入れた瞬間、シルバーはとてつもない違和感に包まれた。
その内部は外観から想像もつかないほど広大で、王宮の玉座と見紛わんばかりだった。
しかしそこに広さほどの絢爛さは存在せず、むしろ埃っぽさとカビ臭さが拭いようもなく漂っていた。
床には古めかしい絨毯が敷かれ、その上には無数の木製の机が置かれている。
その机の上には、シルバーの読めない言語で書かれた本がこれでもかと乗せられている。
また別の机の上を見れば、怪しい色をした液体が並々と注がれたフラスコや、歪な形の鋭い刃物(メス)がある。
そしてそれらの作る影を埋めるように、壁には大量の燭台が掛けられ、蝋燭の火が灯されていた。
何よりシルバーの目を引いたものは、その天井にあった。
天井は、紐を通された人間の頭蓋骨で、埋め尽くされていたのだ。
「なんじゃココは……」
荒くれ者のシルバーでさえ、呆気に取られるような光景が、そこには繰り広げられていた。
「んっ、んんっ……」
辺りを忙しなく見渡すシルバーの耳に、その時咳払いの音が聞こえてきた。
シルバーが思わずその音のした方向へ身構えると、机の奥の隙間に埋まるようにして何者かがいた。
それは襤褸(ぼろ)を纏った、老人のようであった。
皺とシミだらけの顔は、シルバーが見た老人の中で最も老いているように見える。
粒のように小さな瞳は、シルバーの姿をきちんと捉えているかさえ判然としない。
机の上に枯れ木のような左腕を伏せ、老人は右手でシルバーの背後を指差した。
「……?」
シルバーが振り返ると、そこには茶ばんだ羊皮紙に、日本語でこんな文言が書かれていた。
『当店、怪人体デノ入店ヲ禁ズ』
そして当の老人は、またひとつ咳払いをしてみせる。
屋内の様子に混乱していたシルバーは、慌てて人間体へと体を変化させた。
「何者だ、あんた。こんなとこで何してやがる!」
シルバーは机の奥の老人を指差すと、ずかずかと遠慮なく近寄っていった。
「何者だはこっちのセリフじゃがの」
老人は、そんな生意気な様子にため息をついて、向かって来るシルバーへ冷ややかな目線を投げかけた。
「人にものを尋ねる時は、まず自分からと教わらんかったか?」
至極当然な言葉にムッとしつつ、シルバーは己の名前を明かした。
「俺の名はシルバー、あんたは?」
老人は机の上で手を組み、厳かに名乗った。
「ワシの名は『ワークショップ』。支援型怪人のワークショップと言えば、聞いたことあるじゃろ」
「支援型?」
シルバーは初めて聞いた言葉に、ハテナを浮かべる。
それを見たワークショップは、やれやれといった風に露骨に首を振ってみせた。
「はーっ、怪人のくせにワシを知らんとは、にわかもいいとこじゃのう。はーっ!」
煽るような言い方にあからさまにイラッとするシルバーを尻目に、ワークショップは話を続けた。
「支援型怪人ちゅうのは、直接戦闘を行わず後方支援に徹する怪人の総称じゃ」
「ワシはここを訪れた怪人への情報提供や、強化改造手術なんぞを主にやっておる」
その言葉に、シルバーの顔が色めき立った。
「強化改造!?そんなこと出来るのか!?」
「あぁ、要望があればのぅ」
シルバーは机に体を乗り出すと、老人に食ってかかるように言った。
「その手術、俺にしてくれ!どうしても勝ちたいヤツがいんだよ!」
すると老人は、眼前のシルバーへ向けて指を三本立てて突き出した。
「人の首三つ。手術してほしくばワシの前に持ってくることじゃ」
さらりと言ってのけた老人に、シルバーがグロテスクなものを見たような顔になった。
「人の首だぁ?んなもん、どうしようってんだ?」
するとワークショップは、そうするのがさも当然だと言わんばかりに説いて伏せた。
「食うに決まっとるじゃろ。怪人のクセに何を言うとる」
「やっぱり食うのかよ。じゃあ、天井のアレ全部お前の食った人間か」
シルバーが天井に飾ってある髑髏を指差すと、ワークショップはそれすらも肯定してみせる。
「じゃが勘違いするなよ。食うには食うが、それは人間の脳から情報を吸い出すために食うとるだけじゃ」
「どっちにしろ、ろくな趣味じゃねぇな。食べカスをわざわざ飾る必要なんざ一個もねーじゃねぇか」
シルバーは口から舌を出して、何かを吐くようなジェスチャーをしてみせた。
そんなシルバーへ、ワークショップは気になる言葉を告げる。
「それに。見たところお主はまだ、改造手術を受ける段階にすら至っておらん。首を持ってきたところで追い返しとるわ」
「あ?どういう意味だよそれ」
「お前はまだ怪人ですらない、ということじゃよ。いうなれば青二才、徒花、ミジンコ以下じゃ」
それだけの罵倒を投げかけられ、シルバーはぐっと唇を噛んだ。
「お、おいおいじぃさん。言ってくれるじゃねぇ〜か……俺のどこが青二才だってんだ?」
「それを教えてほしくば首三つじゃ。さっさと持ってこんかい」
周到なことに、その答えにさえ人の首をかけて、ワークショップはシルバーを挑発した。
「ったく……俺の周りのジジィってこんなのばっかりかよ。だからジジィは嫌いなんだよ」
シルバーは天を仰ぐと、面倒くさそうに床へ直に腰をついた。
「ここまで言われて、ワシに食ってかかりもせんとは本当にポンコツだの」
またしても挑発するワークショップに、シルバーは返した。
「お前知らねーのか。ジジィはな、強ぇんだぞ?」
「……ハァ?」
シルバーの持論に、ワークショップが妙な生き物を見る目になった。
「俺はお前みてぇなジジィ何人か知ってるが、これが全員バカみてぇに強いんだ」
「ましてやあんた、口先だけじゃなく相当ヤル口だろ?ケンカだきゃあ場数踏んでるから、分かるんだよそういうのは」
「だから何言われようと、ジジィには下手なケンカ吹っかけられねぇんだよ。死にたかねぇからな」
シルバーはそう言って、床にぐたりと横たわった。
シルバーがそう思っているのは、ひとえに瀧の存在があるからだ。
彼とて普通に道を歩く老人までもがくまなく強いとは、さすがに考えていない。
しかし、彼が戦った老人は、瀧の他には輪島佐銀しかいない。
輪島は老人と呼ぶには少し早い年齢だが、シルバーは人間の年齢にあまり頓着していなかった。
そのため、『老人は強い』という偏った認識になってしまったのである。
「フッ……その心掛けは関心じゃが、弱者の言い訳に変わりはないの」
ワークショップは嘲るように、地面に横になるシルバーを見つめている。
しかしその顔が、ふとした瞬間に真剣なものへと変わった。
「お主、ワシのことを知らんと言っておったな?」
「あぁ。支援型怪人なんざ、今日初めて聞いた言葉だ」
するとワークショップは、顎を片手で撫でて不思議そうに眉間に皺を寄せた。
「ワシの店は、ワシのことも知らん人間に探せるような場所には出しておらんわ」
「ワシに用のある怪人が、探して探してようやく見つけ出せるという場所にしておるはずじゃがのぅ?」
そこでシルバーは、ようやく当初の目的を思い出した。
「そーだじぃさん!ここに変な怪人が来なかったか?」
「来とらんぞ、今日の客はまだお主一人じゃ」
シルバーは立ち上がって、額に指で角のジェスチャーを表した。
「そんなはずねぇよ。真っ赤な肌で、デコにこんくらいの角生えてる怪人がここに来たろ?」
「ずっと追いかけて見失うはずねぇんだから、ここに逃げ込んだしかあり得ねぇんだよ」
するとワークショップは、シルバーの一連の言葉にフムと頷いた。
「そりゃ、デコイチじゃの。お主デコイチに呼ばれたかえ」
「デコイチぃ?」
それは、シルバーの初めて聞く怪人の名前であった。
「デコイチは、逃げ足に特化した怪人でな。些細な悪事を働いては、瞬間移動を駆使してすぐ逃げよる」
「誰にも捕まらんし誰にも殺せやせん。デコっパチの怪人ゆえに『デコイチ』と呼ばれておる」
見た目そのままのネーミングに、シルバーが妙な顔をした。
「俺ァてっきり、あんたが化けてたのがデコイチだと思ってたぜ」
その言葉を聞きもせず、ワークショップは喉の奥で、虫を潰してみせるかのようにククッと笑った。
「しかし……そうか、デコイチが主をここに呼んだか。あ奴の目的はいつもよう分からんのぅ」
「呼ばれたつもりはねーんだが?」
「そのつもりはなくとも、まんまとここにおるじゃろがい。全てはデコイチの策略じゃよ」
ワークショップは顔の皺を不気味に歪めて、にたりと笑う。
「さればデコイチの導きに免じて、今回だけは対価ナシで、主に怪人の強さの真髄を指南してやるとするかのぅ」
「マジか!!首持って来なくていいのか!?」
「今回だけじゃぞ。それに、ワシが教えるのは怪人としての基本中の基本だけじゃ」
そしてワークショップは、机に手を置いてシルバーへ向けて語り始めた。
蝋燭の燃えるジジッという音が、静かに二人の耳へと届いた。
シルバーは期待に胸を膨らませ、ワークショップの言葉を今か今かと待っている。
「さて、始めるかの。質問は挙手にて受け付ける」
「おう」
「まずシルバーよ。お前に尋ねるが、お前は怪人として強くなるために、これまで如何なる努力を重ねてきた?」
「そりゃ……筋トレしたり走り込みしたり、剣の素振りしたり……」
指折り数えて己のしたことを反芻するシルバーを、ワークショップは辛辣な口舌で切って捨てた。
「アホぅ。伸びない怪人の典型のような間違いしおってからに」
「なんだとぉ?」
「ワシら怪人の肉体は、どんな傷を負ってもたちどころに修復するじゃろが。人間のような筋力の超回復は起こらんわ」
何か反論しかけたシルバーだったが、ワークショップの口にしたことが正論だったために口籠ってしまう。
「人間の真似事なぞせんでも、ワシら怪人は簡単に人間より強くなることが出来るわい」
「なんだよ、その方法は。もったいぶらずに教えてくれよ」
前のめりになるシルバーを片手で制して、ワークショップはぽつりぽつりと語っている。
「その前に、我々が魔法を行使する際に使われるエネルギーについて、お主は知っておるか?」
「んなもん、この学のねぇ俺が知ってる訳ぁねぇだろ」
何故か自慢げなシルバーを無視して、ワークショップは続けた。
「あくまでも人間の物理学での名称じゃが、我々の行使する力は、人間が『反物質』と名付けた物体に極めて近い」
「『反物質』……?」
耳に馴染みのない言葉に、シルバーは首を傾げる。
「反物質とは、物質の反対の性質を持つ物での。物質に触れると、莫大なエネルギーを放出して対消滅する性質を持つ」
「その際に放出されるエネルギーは、反物質数グラムで街一つ消滅させるほどと言われておる」
得々と語るワークショップの話を遮り、シルバーが挙手した。
「はーい。そもそも『物質』ってのは、どういうやつのことなんだ?」
やや呆れたワークショップは、それでも律儀にシルバーへ返答した。
「そこから分からんか……まぁよい。物質というのは、この世に形ある全てのものとでも思うておれ」
「この机もあの蝋燭もその本も、手に触れられるものも触れられぬものも全ては『物質』じゃ」
何か分かったような分かっていないような顔で、シルバーはうんうんとうなずく。
「よく分からんが、俺たち怪人が魔法を使えるのも、その反物質のおかげってこったな?」
しかしワークショップは、そこで会話の梯子を外した。
「と、思うじゃろ?」
「違うのか?」
ワークショップは人差し指をピンと立て、物を教える知恵者の顔になる。
「よう考えてみぃ。形あるものが全て物質なら、ワシらの体も物質と言える」
「ならば、反物質エネルギーと肉体が反応してしまい、存在することすら出来んことになるじゃろうが」
尤もな言い分だが、シルバーは腑に落ちないという顔で文句をつける。
「じゃあその『反物質』なんてもんは、そもそもないってことになるんじゃねーのか?」
しかしワークショップは、それを言下に否定する。
「そこを説明すると、ワシら怪人の起源にまで遡らねばならなくなるでの。今はとりあえず『ある』とだけ思うておれ」
「はーい……」
相変わらず難しい話は分からないという様子のシルバーを、ワークショップは置いてけぼりにした。
「さらに言うと、そもそも怪人の体に反物質エネルギーを溜め込む臓器のようなもんは存在せん。改造手術の際にそれは確認済みじゃ」
「怪人の体は、地球の生物に準じておる。それこそどこも代わり映えしないほどにの。では、反物質エネルギーはどこに存在するか?」
そこまでを語り、ワークショップはシルバーの頭を指差した。
「反物質エネルギーは、我々怪人の意識の中に存在し、意思に沿う形で行使されるんじゃ」
力強く言いはしたものの、シルバーはそれを聞いてポカンとした顔をしていた。
「まぁ、主には分からんじゃろうな。しかし、反物質エネルギーは確かにそこにある」
「我々怪人が認知し、観測した時にのみ現れ効力を発揮するエネルギー。それが反物質力じゃ」
「では、その反物質力を効果的に認識し、利用するためにはどうすればよいと思う?」
ワークショップはシルバーに問いかける。
「分からん!」
一秒もかからぬ即答であった。
しかしそれすら織り込み済みで、ワークショップはシルバーへ言葉を含ませた。
「簡単なことじゃ。己の使う能力にルールを定め、制限をかければ良い。もしくは、リスクを背負うと言い換えてもよいぞ」
それでようやく、シルバーは少し分かったような顔をしてみせた。
「具体的には、どういう風にやりゃあいいんだ?」
「例えば火を吹くという能力を持った怪人ならば、連続使用を禁じたり、着火までに手順を踏むとかじゃの」
「そして、ルールやリスクが大きく複雑になるほど、リターンもそれに比例して強力な能力となる」
それに対してシルバーは、相変わらずの落ち着きのない声で異を唱える。
「待てよ。制限なんかかけちまったら、自分の思うように魔法が使えなくなるんじゃねぇのか?」
そこでワークショップは、我が意を得たりとばかりに笑ってみせた。
「さっき言うたじゃろ。『反物質力は意思に沿うエネルギー』じゃとな」
「自分の能力にわざと制限をかけると、無意識に『ここまでしたなら魔法の効果は上がるはず』という思い込みが生まれるのよ」
「この辺りは、ダイエットや神頼みなんぞと同じようなことじゃの」
まるでこの世の理を全て把握しているかのように、ワークショップは怪人の原理を詳らかにしてゆく。
「そして意思に沿う力『反物質力』は、そのポジティブな思い込みを現実の物へと変えてしまうんじゃよ」
「結果、魔法の効果は飛躍的に上がり、ルールやリスクを負わない場合とは比べ物にならないほど強力になる」
「ワシはこれを、『見返り効果』と呼んでおる」
ワークショップはそこで、一旦言葉を切ってシルバーの反応を窺った。
室内には相変わらず、蝋燭の燃える音しかしてはいない。
しかしシルバーは、その音すら聴力の外へ追い出すかのように集中していた。
それを見たワークショップは、再度シルバーへ声をかける。
「ここへ来たとき、ワシはお主にまだ怪人ですらないと言ったろうが」
「お、おう」
「あれはお主の体付きを見てのことじゃ。ルールを定めリスクを負うた怪人は、肉体からしてそうでないものとは全く違うものとなる」
「なるほど、『反物質力は意思に沿う力』だからか!」
ようやく理解の追いついたシルバーに、ワークショップは静かに頷いた。
「己の意識がよほど堕落した自己を望んどらん限り、反物質力はまず意思に沿うて本人の肉体から作り変える」
「お主も慣れてくれば、ルールを持った怪人かそうでないかの見分けは簡単につくようになるぞ」
そこでワークショップは、もう一つの情報をシルバーへ提示した。
「そして重要なのは、反物質力の定義は魔法少女たちにも当てはまるということじゃ」
「奴ら、もとは人間だろ?反物質力なんて関係あるのか?」
言い得て妙な意見であるが、ワークショップはそれにも明確な答えを示した。
「正確には、魔法少女の所持するレガリアじゃの。お主、誰ぞか魔法少女と戦ったことはあるか?」
「あー……スカージオって奴となら、戦ったことあるぜ」
その言葉に、ワークショップは僅かな驚きを顔に滲ませる。
「あのスカージオとか。よう生きておったのぅ……あ奴のレガリアは、身につけた髑髏のヘルメットじゃ」
「装着している間は頭部を如何なる攻撃からも守り、経口毒や催眠、洗脳なんぞも無効化する厄介なシロモノよ」
シルバーは改めてあの時の戦闘を思い出し、苦い顔をした。
「じゃが反面、あのレガリアが守るのは首から上だけじゃ。頭以外の防御力は、普通の人間の半分以下にも満たぬ」
「必然的に、攻撃も頭部で行わなければならなくなる。正に諸刃の剣という奴よの」
シルバーは、指で顎を撫でながら言った。
「なぁるほどな……それが怪人の『リスクを負う』ってことと同じになるのか」
「頭ァ固くすれば、他が弱くなる。それがスカージオの背負ったルールなんだな?」
シルバーは珍しく、あまり良いとは言えない頭でちゃんと理解していた。
「意外と飲み込みが早いのぉ。結構結構」
「ちなみに、じぃさんはどんなルールで動いてんだ?」
シルバーが問うと、ワークショップは僅かに考えてから返答した。
「ワシのルールは魔法少女との戦闘不可じゃな。この店に魔法少女が現れれば、ワシは抗う術を持たん」
「あとは店の開店を週に一度、24時間に限定し、支援型じゃが他の怪人に発見されにくいリスクを負うようにしておる」
しかしそこで、ワークショップは背筋もゾッとするような邪悪な笑みを浮かべた。
「まぁ尤も、ワシが禁じておるのは『魔法少女との戦闘』だけじゃ」
「一見の怪人が無礼な真似をすれば、捻り潰すくらい訳なくやってみせるわい」
語尾にヒヒヒという悪魔じみた笑いをつけて、ワークショップはシルバーへ語った。
「お主がここへ来たとき礼を欠いておったら、今頃どうなっておったかのぅ?」
「やっぱりあんた、ヤベージジィじゃねぇか……」
シルバーは老人に対する己の持論が間違っていなかったことを、今さらながら再認識した。
ワークショップはそこまで語ると姿勢を正し、椅子の背もたれに深く体を預けた。
「ふぅ……少し喋り過ぎたわい。これでワシの教えられることは全てじゃ。あとはお主の工夫次第で、いくらでも能力は伸びるじゃろ」
話を締めたワークショップを横目に、シルバーはぶつぶつと同じことを言葉にして繰り返している。
「ルールとリスク、ルールとリスク……か……やってやろうじゃねぇか」
「俺の体に見合ったルール、必ず見つけて絶対に強くなってやらぁ!」
バシッと両の手を打ち合わせて立ち上がると、シルバーは出口へ向かって走り出した。
「じぃさん、サンキューな!おかげでジジィに勝つ計画が出来たぜ!」
「また会うことがあったら、そん時ゃあ手土産に人間の首でも何でも持ってきてやるよ!」
そう言い残し、シルバーは埃を蹴立てて小屋を後にしていった。
この数時間後、タバコのことをすっかり忘れていたシルバーは、例の如く瀧にしばかれることとなる。
「忙しない奴じゃのぅ……」
残されたワークショップは、彼の巻き上げた埃を、ぱたぱたと手で扇いで避けていた。
「さて、と……そろそろ出てきたらどうかの」
騒がしい男のいなくなった小屋の中で、ワークショップは居住まいを正した。
その背後の暗がりから、唐突に一つの影法師が現れる。
音もなくぬるりと、いかなる存在感も感じさせることはない。
すらりと背の高い、魔法使いの着るローブのようなものを羽織った影である。
顔はローブの作る影に完全に隠れ、血色の悪い唇だけが見え隠れしている。
「相変わらず暗いとこがお好きだのぅ、デスサイズよ」
現れた影のことを、ワークショップはデスサイズと呼んだ。
名を呼ばれた影は、ワークショップの近くの椅子にぎしりと腰を下ろす。
椅子の鳴る音がしなければ、重さのない本当の影のようにしか見えない男であった。
「手間をかけさせてしまったね、ワークショップ」
デスサイズと呼ばれた男は、細く骨ばった長い指をローブの裾から伸ばし、椅子の手すりを握りしめながら言った。
「手間というほどのこともないわ。無知な若造に、先達が入れ知恵してやっただけのことよ」
「どうせデコイチも、あんたがけしかけたんじゃろうと思ってな」
横目でじろりとデスサイズを睨み、ワークショップは宙の塵を吸い込むように呼吸している。
「私の意図を汲んでくれて助かったよ。やはり持つべきは有能なる友人だね」
そんなワークショップを、デスサイズは手放しで誉めてみせる。
見た目にそぐわぬその朗らかな言葉は、彼を知らぬ者が見れば違和感しか覚えないものだった。
わざとらしいその称賛に、ワークショップは喜ぶどころかため息すらついた。
「デコイチのすることは分からんが、あんたのすることはもっと分からん」
「私の目的はいつでも一つ、『強い怪人を多く世に送り出すこと』のみだよ」
白々しいそのセリフは、ワークショップにさえ信用に足るものでないと思われている。
「しかし、なんだってあんたはあんな若造に肩入れするのかね」
「見たところ、取り立てて指導したくなるほどの逸材とも見えんかったがのぉ」
そんなワークショップの素朴な疑問に、デスサイズは別の質問を持って返した。
「
デスサイズは、ぎしぎしと微かに椅子を揺らしながらワークショップへ問うて来た。
「おう、覚えとるわ。確か、どこの馬の骨とも知れん怪人が産婦人科で暴れた事件じゃろ」
「まさか、あの小僧が事件の犯人だとでも言うつもりかね?」
あり得ないと言いたげな様子で、ワークショップはデスサイズを
「さすがにそうとは言わないが、あながち無関係とも言い切れないね」
そこで一旦言葉を切り、デスサイズは不穏なことを言ってのけた。
「あの事件は、怪人の起こしたものではない。全て人間の仕業だよ」
「……なんじゃと?」
訝しがるワークショップに、デスサイズは意外な人物の名前を口にした。
「あの事件の主犯は、シルバーの師匠であるヤクザ、瀧桜閣だ。怪人の仕業に見せかけたのも、彼が意図的にやったようだね」
ワークショップは、その小さな瞳を驚きで目一杯見開いていた。
「……それが事実なら、とんでもないことじゃぞ?」
「あぁ。人間と怪人のパワーバランスが、根本から覆されることになるだろうねぇ」
言葉とは裏腹に、デスサイズはその事実を楽しげなもののように受け止めている。
「なんであんたは、そんな大層なことを知っとるのかね?」
「それはいわゆる、企業秘密ということで頼むよ」
そしてデスサイズは、不気味に椅子を鳴らしてつぶやいた。
「興味深いじゃあないか。人間の身で怪人のような所業をした男の下で、本物の怪人が何を学んだのか」
「それを見届けるために、シルバー君には簡単に死んでもらっては困るんだよ」
フフフと笑いながら、デスサイズは揺れない椅子をぎしぎしと揺らす。
「……あんた、割りと酔狂なところがあるからのぅ。他の怪人はあんたの玩具と違うぞ?」
ワークショップはそれを、やや呆れた顔で見つめている。
「そんなことは些末なことさ。シルバー君は今日ここで、君に怪人としての基礎を学んだ」
「最後の仕上げは私が担当しよう。それまで、彼が息災であることを祈ろうじゃないか」
芝居かかった口調でそんなことを言うデスサイズを、ワークショップはイタズラ坊主を見るような目で見続けていた。
≪続く≫
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