第3話:俺と二つ銀
「さいっしょはグー!!ジャンケンポン!!あいこでしょ!!あいこでしょ!!あいこでしょっ!!!」
「っしゃあぁぁぁぁぁああああああ!!!!勝ったぁぁぁぁぁあああ!!!!」
代田組の組事務所に、シルバーのひときわ大きな叫び声が轟いた。
右手をチョキの形にして天に掲げ、あからさまに勝ち誇っているシルバーは、どこからどう見ても賢そうには見えない。
「カァーッ、ま〜たシルバーの勝ちかよ〜」
「お前運だけはホントいいよな〜」
ブツブツと文句を言いながらシルバーを囲うのは、代田組の構成員の怪人たちである。
全員人間型になっており、そのほとんどは怪人だと見分けがつかない。
一体彼らがなぜジャンケンなどしているかというと、事務所の電話番を誰が担当するか揉めたためである。
彼ら怪人たちに任されるヤクザ業務の中で、電話番は比較的楽な種類に分類される。
相手方に失礼のない受け答えをする緊張感はあれど、電話がかかって来なければそれも杞憂でしかない。
ましてやここまで個人電話の普及した現代に、事務所の電話が鳴ることはあまりなかった。
さらに今日は、瀧が私用で留守にしており、みな羽根を伸ばせる機会と躍起になっていたのだ。
そんな状況を、瀧憎しと常々脳を沸かせているシルバーが、見逃すはずはない。
結果、十名ほどで始まったジャンケン大会に、見事シルバーは勝ち残った。
「あーあ、急におやっさん帰ってくればいいのに」
「おやっさんにもケンカじゃなくて、ジャンケンで挑んだ方がいいんじゃねーか?」
そんな憎まれ口を叩きながら、敗北した怪人たちはゾロゾロと事務所から出ていく。
その背中に中指を立てて、シルバーは悠々と椅子に腰掛けテレビを着けた。
事務所に詰めていなければならない時、シルバーはローカルニュースを流して事件の報道がないかを確認する。
もちろんそれは、怪人被害が発生した場合にすぐさま現場へ急行し、ケンカに交じるためである。
しかし今日は、いつもの報道番組とは趣向の違う番組を放送しているようだった。
画面には「昭和事件録」というテロップが流れ、ナレーターが物々しい声で原稿を読み上げ始めた。
『
『新生児の母親、病院関係者を含む八名が惨殺されたこの事件は、日本の怪人被害史上類を見ない残酷なものとして記録された』
『我々取材班は、当時の被害者遺族へ匿名でインタビューすることに成功し……』
シルバーは背もたれに深く背中を預け、だらしない格好でそれを見ている。
「ほ〜ん……怪人が病院をねぇ……」
あまり頭の良くないシルバーだが、ナレーターの説明するところを聞いて、事件の概要だけはうっすらと理解できた。
夜半、警報装置を無力化した病院に何者かが侵入し、赤ん坊の母親など計八名が鋭い刃物で体を裂かれて殺された。
その際全ての死体から、キッチリ同じ重さの体の一部が切り取られていた。
その場にいた新生児は全員連れ去られ、その後の消息は知れない。
事件後、人間の手では不可能なほど捏ね回され、圧着された二台のパトカーが現場付近から発見された。
その異常性から、警察は怪人の犯行と断定し、捜査を早々に打ち切った。
放送された内容は、そんなところであった。
途中までは真面目に見ていたシルバーだったが、さほど時間もかからず興味を失っていった。
シルバーには、弱い赤子を手玉に取ろうなどという怪人の思考は理解出来なかったからだ。
怪人としての性質の差もあるのだろうが、簡単に殺せる相手を簡単に殺して、何になるのだろうと思う。
瀧のいない緩みもあってか、シルバーは呑気にアクビなどしてみせる。
「あ〜ヒマだぁ〜。なんか荒っぽいことでも起きね〜かなぁ〜」
しかしそう簡単に何か起こるはずもなく、シルバーは椅子の上で伸びたまま、すやすやと眠りに落ちてしまった。
それからしばらくして、その惰眠は無理やり中断させられることとなる。
シルバーがいびきをかいて寝ている最中、事務所のドアが音を立てて派手に開き、瀧が帰ってきたためであった。
「おうシルバー、おめぇボサりくれてんじゃあねぇぞ。ちゃんと仕事しやがれ」
言うやいなや、瀧はシルバーの座っていた椅子を乱暴に蹴り倒した。
「ぐあーーーーっ!?」
青天の霹靂がごとき奇襲を受けたシルバーは、ものの見事にひっくり返り、後頭部を強かに打ちつけた。
「テメージジィ、何してくれてんだボケェ!!」
「阿呆、電話番も出来ねぇひよっこが何のたまいやがる。こちとら何遍電話したと思ってんだ?」
瀧はシルバーから椅子を強奪すると、代わりに自分がそこへ座った。
シルバーはそれを下から睨みつけ、今にも噛みつかんばかりの様子である。
「だが、喜べシルバー。今日はお前の好きな荒事を持ってきてやったぜ」
「あん?」
荒事と聞いて俄然興味を持ったシルバーは、床へ直に座りながら瀧の言うことを聞いた。
瀧は椅子に片足を乗せると、着物の袂からタバコとマッチを取り出して火を点ける。
「今日、本家から連絡があった。ちっとばかしうちの組に、頼みてぇことがあったらしい」
「本家っつーとあれか、なんちゃら会ってヤクザの掃き溜めか」
シルバーは真面目くさった顔で、とんでもないことを口走った。
「掃き溜めか、ちげぇねぇ」
しかし瀧はそれを咎めるでもなく苦笑しながら、タバコの煙をくゆらせている。
瀧が組長を務める代田組は、
その仕事が回されれば、絶対に嫌とは言えない立場にいるのが瀧なのだ。
「最近、うちのシマで
「なんでもこの頃ァ、3Dプリンターってので簡単に
瀧は紫煙を目で追うようにして、言葉を巡らせている。
「
「しかもこれみよがしに、うちと反目してる組にばかり
「そろそろ
ざっと説明すると、瀧は机の上の灰皿に、タバコの火を押しつけて消した。
シルバーはそれを黙って聞いていたが、話が終わると口の端を歪めてニヤリと笑う。
「いいのかよ。俺に頼むってことは、相手の生死は問わないってことだろ?」
怪人に是非もなしとばかりに、シルバーは当然のことのように尋ねている。
「あぁ、お前なんぞに殺れるもんならな」
しかし瀧は、それをあっさりと承認する。
その物言いに不自然さがあることに、シルバーはまだ気がついていなかった。
「ジジィのお墨付きなら、どんだけ大暴れしても問題ナシってこったな!!」
シルバーはよくよく考えもせず、手足を伸ばしてストレッチを始めた。
そして勢いこんでドアを開けると、階下の道路まで一気に駆けて行こうとする。
「シルバー」
その背中に、瀧は言葉を浴びせた。
「なんだよ。人が殺る気マンマンなとこに、水差すんじゃねーよ」
勢いの削がれたシルバーへ、瀧は説いて伏せるような言い方で含みを持たせた。
「この世にゃ色んな人間がいるってこと、よぉく勉強してくるこった」
「はぁ?」
その言葉の意味するところは、シルバーにはまだ分からない。
ただ、次に瀧が発した言葉は、さすがのシルバーも否応なく聞かざるを得なかった。
「あとお前、敵の
「……あ」
「アンラッキーに地図を持たせてある。案内してもらえ」
「んなもんいらねーよ、敵の居場所はどこだ?」
「千仁町は
それを聞いたシルバーは、後のことは考えぬとばかりに事務所を飛び出した。
結局アンラッキーに付き添いを頼むことはせず、それがために彼は目的地まで、通常の倍の時間を用することとなった。
まずもってシルバーは、瀧の命じた仕事を一度としてまともにこなしていないため、無一文である。
普通なら電車か車を使って移動する距離を、彼は徒歩で行く。そのため、異様なまでに時間がかかった。
そして彼には、土地勘というものがあまりない。
強い怪人の噂を聞けば興味本位で出向くことはあったが、瀧に出会ってからは基本的に事務所周辺が生活圏内であった。
さらに道行くチンピラにガンをつけては要らないケンカをし、到着時間はさらに遅れた。
これからカチコミに向かうには、あまりに自覚のないシルバーだった。
結局彼は三時間もの長きをかけて、目的地であるハイツ白郷まで辿り着いた。
そこはヤクザの事務所や詰め所などではなく、ごくありふれたアパートである。
「ったく、えれぇ時間かけさせやがって……こんなところに半グレどもなんかいるのかよ?」
自分の責任を棚に上げ、シルバーは至ってマイペースにハイツ白郷の敷地へと入っていった。
瀧の言っていた313号室の前まで来ると、シルバーはゴキゴキと肩を鳴らす。
ドアノブを回すと、当然そこには鍵がかかっていた。
「ま、そりゃそうだよな」
シルバーは一人頷くと、ドアの前で肉体を怪人体へと変貌させる。
そして利き腕を刀状に変形させ、ドアを袈裟斬りに二回切りつけた。
薄いドアは派手に破壊され、シルバーはズカズカと遠慮なく土足で室内へと上がっていく。
「なんじゃあ!?」
「どこのもんじゃワレェ!!」
室内は薄暗く、弱々しい蛍光灯の灯りがついているだけであった。
そこには数名の人影があり、雑然とした室内には様々な機械や段ボール箱が置かれていた。
「んん……?」
シルバーが暗がりに目を凝らすと、どうもその部屋には筋者に見えない人間も何名か混ざっているようだった。
肌の浅黒い青年が数名、シルバーの姿に驚いて身を隠したのが見える。
シルバーの知らない事実であったが、実はこの半グレ集団、インドや東南アジアからの理数系留学生を騙して銃の制作に携わらせていた。
結果的にシルバーがここを襲撃したことで、そのような学生を助けたことになったのである。
「ワレェ、怪人か!!人外がこんなところに何の用じゃ!!」
独特の訛りを耳にして、シルバーは内心で高揚した。
「オメーらが銃を売るのを渋ったヤクザが、俺に潰して来いとよ。良かったな、もう汚ぇ商売しなくて済むぜ?」
シルバーのセリフに、半グレどもは明らかに怒りの表情を見せた。
手にしたのは、恐らく自分たちで作ったものであろう、オートマチックの拳銃である。
設置してある機械のどれが、目当ての銃を密造するためのものか、シルバーには分からない。
とりあえず分からないものは全て壊せばいいという安直な判断をして、シルバーは手近な機械を真っ二つに断ち割って見せた。
「野郎!!」
半グレの一人が、シルバーへ向けて発砲する。
それを刀で軽く受け止め、シルバーは弾を横へ逸した。
銃を構えた半グレたちは、次々と銃弾をシルバーへと放つ。
「んなもんで俺が止められるかよ!!」
しかしシルバーは、その弾丸を全て華麗に弾き飛ばすと、まずは机の上の機械を手当たり次第に壊し始めた。
プラスチックや伝導体のパーツが粉々に散り、精密な機械はあっという間にゴミへと化した。
それに激昂した半グレはシルバーを取り囲み、留学生たちは部屋の隅でガクガクと震えていた。
半グレは全員で三人、狭い室内でシルバーの前後を囲んだ。
それぞれに銃をかまえたり、ナイフを体の前で構えたりして交戦の備えを見せている。
しかしそんなものは、シルバーにとって物の数ではない。
銃を構えた者の手首を、音もなく切り落とす。
ナイフを構えた人間の胴を、横薙ぎに切り裂く。
そして背後から迫る一人を、振り向きもせず刺し貫いた。
敵の攻撃を避けながらそれだけのことをするのも、このレベルなら造作ないことである。
「なんだぁ、その程度か?もっと俺を楽しませてくれよ〜」
床に膝をついて呻く半グレたちを、シルバーは爪先で床に蹴り倒していく。
処置がよほど遅れない限りは、彼らも死ぬことはないだろう。
立ち上がって反抗する気配を見せない半グレたちに、シルバーはため息をついた。
「もうちょい骨のあるやつだと思ってたら、とんだ腑抜けじゃねーか。ジジィに文句言ってやろ」
そこでシルバーはひとまず、残された機材を目に見える物から順に、叩き壊すことに決めた。
最初に壊して見せたのは半グレたちを挑発するためで、机にはまだ半分ほど機械が乗せられたままである。
半グレたちの銃の密造の拠点がここだけなら、一通り破壊しておけば瀧の言いつけは守ったことになるだろう。
シルバーが腕を振るうと、机の上に形あるものは何も無くなっていく。
しかしそれは、何の度胸も座っていない外国人留学生たちを怯えさせるには、充分すぎる異様であった。
「ヒィィィ!!」
留学生の一人が、シルバーの脇をすり抜けて外へ逃げ出そうとした。
極度の緊張感に、耐えきれなくなってしまったのだろう。
「なんだなんだ。心配しなくてもお前らなんか襲ったりしねーよ」
シルバーは仕方なく、そこで破壊の手を止めて帰ろうとしかけた。
その足が止まったのは、外へ逃げたはずの外国人留学生が、まだそこに留まってっていたからだ。
「オヤブン!!オヤブーン!!」
見ると彼は、隣の312号室のドアを叩き、誰かを呼んでいる様子である。
「親分だぁ?」
シルバーはそれを聞き逃さず、青い顔の留学生をドアの前から強引に突き飛ばした。
「なんだよ、食い足りねぇと思ったらまだ獲物がいるんじゃねーか」
それまでの暴力にも飽き足らず、シルバーは怪しく舌なめずりをしてみせる。
先ほどと同じ要領でドアを切り裂くと、彼はその室内へと侵入した。
そこは先刻までの部屋とはまた別の意味で、異常な部屋だった。
一部屋しかない室内には物が何もなく、代わりにトレーニング機器がそこら中に散乱している。
鉄アレイ、バーベル、握力グリップ、砂を詰めた袋、棒状の何か。
そのほとんどが、シルバーには用途の知れないものばかりである。
その殺風景な部屋の窓際で、ひとつの影が上下に運動していた。
窓からの光が逆光になり、シルバーからはよく見えないが、何らかのトレーニングをしているようである。
「誰でぇ」
その影は、トレーニングを中断することもなく、無造作にシルバーへそう問いかけた。
「……代田組のモンだ。てめぇらゴミを掃除しにきた」
シルバーが言うと、ようやくその影はトレーニングの動きを止めた。
上下していたのは、天井に一本の棒を渡し、そこで懸垂していたからのようであった。
男は、上半身裸であった。
顔にはサングラスをかけ、長い髪を後ろでまとめて縛っている。
隆々と膨らむ筋肉は、日本人のそれには到底見えない。
しかし、シルバーがまず最初に注目したのはそこではなかった。
(こいつ、片腕がないのか……)
シルバーの思うとおり、男の左肘から先は欠損しており、存在していなかった。
残された腕で、延々と懸垂を続けていたのだろうか。だとしたらやけにインパクトの強い男である。
男は汗まみれの体を床に落ちていたタオルで拭い、シルバーから数メートルほどの距離を置いて立った。
「隣がやけに騒がしいと思ったら、瀧のじいさんの使いだったかい」
歯を見せてニカリと笑う男に、シルバーは不満を顕にした。
「人をジジィの召使いみてぇに言うんじゃねー!俺はお前らとケンカしに来ただけだ!」
そんな大声が空回りに聞こえるように、男はカラカラと機嫌よく笑った。
「威勢のいい小僧……いや、怪人だな。じいさん、バケモン集めて何かしてると聞いたが、本当だったか」
「俺の名は
瀧の坊主と呼ばれたことにムッとして、シルバーは名乗った。
「……シルバー、怪人シルバーだ。間違っても瀧の坊主なんて呼ぶな、タコがよ」
それを聞いて、輪島は再び愉快そうに大声で笑った。
「シルバーか、いい名じゃあねぇか。俺とお前で同じ銀、二つ銀って訳だ」
「すまねぇな、シルバーさんよ。お前も瀧のじいさんに、頭押さえられてるクチみてぇだな」
輪島はサングラスを外すと、汗で体表のテカる体を強調させる。
その瞳は柔和で人懐っこさを感じさせるものの、どこかに肉食獣の獰猛さを秘めているようでもあった。
「俺も瀧のじいさんには恨みがあるんでなぁ、お前の気持ちはよっく分かるぜ」
のしのしと歩いて近づく輪島に、シルバーは警戒を強くした。
「それ以上近づくな!近づいたら切る!」
シルバーの言葉は、輪島の全容が掴めない焦りから来ていた。
まるで陽炎のように輪島の姿が茫洋として、一向に焦点を結ばないのである。
瀧にケンカを売った時でさえ、そのような現象は起きなかった。
果たしてこの男に、自分の剣戟が通用するのだろうか。
簡単に切り倒してしまえる気もすれば、逆にこちらが簡単に殺されてしまうような気もする。
瀧の持つ刺すような威圧感とはまた違う、押し包むような圧迫感を感じさせる男であった。
そんなシルバーの様子を知ってか、輪島はあくまでも淡々と言葉を選んでゆく。
「俺も元は代田組でな、瀧のじいさんの舎弟分だったんだ。この腕だって、じいさんを庇うために無くしたもんよ」
「だがじいさん、俺に感謝するどころか、俺にヤクザを辞めろとのたまいやがった」
「そして冷や飯食わせた挙げ句俺を追い出して、自分は代田組の次期組長よ。信じられるか?」
輪島はシルバーの背を透かして瀧の姿を見ているように、その目に憎しみの炎を宿していた。
その光がふっと掻き消えると、輪島はまた白い歯を見せて笑い、シルバーに語りかける。
「シルバー。お前、俺の下につかねぇか?」
「あぁ?何言ってやがんだ、脳ミソカスカスか?」
シルバーは、その言葉の内容を精査することなく、即座にキレて返す。
「なんも難しいこたねぇだろ。お前が鉄砲玉任されるってこたぁ、瀧のじいさんに信頼されてるってこった」
「お前がこっち側につけば、じいさんの寝首掻くのも簡単だ。違うか?」
あまりにも度の外れた提案に、シルバーは呆れて構えた両腕を下ろす。
「俺ァ隣の半グレども半殺しにした張本人だぞ。そいつらが納得すんのか?」
「決定権は俺にしかねぇ。俺が白と言えば、あいつらはウンと首振るしか出来ねぇよ」
そして輪島は、シルバーが怪人だということを知らぬかのように、ズイと迫ってくる。
「どっちにしろ、今回卸す分の銃はもう作ってある。俺を殺すかこっちにつくか、答えは二つに一つだ」
それに対してシルバーは、一歩も引くことなく輪島を正面から睨みつけた。
「あいにく、俺はジジィの人柄に惚れてる訳じゃねぇ。この手でジジィを殺すために代田組にいんだよ」
「俺を従わせたければ、俺にケンカで勝ってからにするんだな」
すると一際大きな笑い声を上げて、輪島が体を揺らした。
「人柄に惚れてる訳じゃねぇ、か。そうだなァ、任侠が情で繋がる時代なんざ、とうの昔に終わったんだ」
そして輪島はズボンの尻からドスを抜き取ると、その白鞘を歯で噛んで抜き払った。
「交渉決裂、だな。せいぜい後悔しないよう足掻くといい」
言い放ち、輪島の体はゆらりとシルバーに接近していた。
「うおっ……!?」
早い動きではないのに、それはシルバーの視界から消え去るような動きとなった。
まるで酔拳のように、輪島の体は左右に揺れてシルバーの的を絞らせない。
右から切りかかっても、左から切りかかっても、簡単に避けられてしまいそうな凄味があった。
この時、輪島の動きに動揺してシルバーが先に刃を振るっていれば、そこで早くも戦いの幕は引かれていた。
しかしシルバーは辛抱強く、輪島の動きの意図を探ろうとした。
(どこから来る……右か、それとも左か……?)
しかしその予想は、どちらもハズレとなった。
輪島は体を右に傾けると、持っていたドスをシルバーの間合いの外から投げつけたのだった。
(何っ!?)
まさか武器を捨てるような暴挙に出るとは思わず、シルバーはガードに徹するしか出来なかった。
追い詰められた敵がそのような行動に走るなら、シルバーはまだ理解出来た。
しかし、まさか初手から自分の武器を放るなど、誰も予測出来ないだろう。
しかも輪島は隻腕である。その彼が、こうも容易く武器の優位を捨てるとは、さすがのシルバーも想像だにしなかったのだ。
もしもシルバーが迂闊に切りかかっていれば、輪島のドスは腹部に突き刺さり、致命傷となっていた。
「楽しいだろう?ケンカってのは、何が起きるか分からねぇから楽しいんだ」
言いながら、輪島はシルバーの懐へと入り込んだ。
シルバーは刀の間合いの内側で、輪島の頭を断ち割ろうと上段から腕を振るう。
しかしそれもまた、信じられない方法で輪島は受けて見せた。
輪島はその広々とした色黒の額で、シルバーの振り下ろす刀を受け止めたのだ。
「ハァ!?バカかてめぇ!?」
シルバーが驚きの声を上げて、刀を押し込めようと力をこめる。
しかし鋭利な刃は、額の肉を浅く切ったのみで止まり、骨まで断ち切ることはなかった。
「俺の石頭ァたいそう頑固でなぁ。瀧のじいさんにしこたま殴られて、こんなになっちまったよ」
そしてシルバーの胴体へ、強烈な膝蹴りを見舞った。
「ぐふっ……!!」
みぞおちへまともに蹴りを食らったシルバーは、腹を押さえて数歩たたらを踏む。
輪島はそれを見て、愉しげにニヤリと笑ってみせた。
輪島の一連の行動は、一見無茶でありながらその実とんでもなく合理的であった。
まず彼はドスを投げることで、シルバーの行動を防御に専念させた。
そして続けざまに間合いに入ることで、自分の胴体への攻撃を防いだのだ。
至近距離に入られた場合、シルバーの長い腕刀では、後ろに下がりながらしか有効な斬撃は入れられない。
そして輪島はその前の短いやり取りで、シルバーの直情的な性格を見抜き、初手から後ろへ引くことはないと踏んだのだ。
その上で、上段からの打ち込みなら額で受けることが出来ると、ノーガードでの戦いに臨んだのである。
結果、素手と刀という圧倒的差がありながら、戦いの主導権は輪島が握っていた。
尋常でない胆力とケンカの技量がなければ、到底成し得ないことであった。
「弱っちぃなぁ。お前本当にあのじいさんの手下か?」
輪島は言いながら、トレーニング用の鉄アレイをその手に握った。
「そんな根性じゃあ、じいさんに勝とうなんて百年経っても無理な話だぜ」
そしてその鉄アレイを、体をくの字に曲げたシルバーの頭部へ容赦なく叩きつけた。
「ぐあぁっ……!!」
重さ十キロはある鉄アレイは、鈍い音をさせてシルバーの頭部へめり込む。
それを輪島は、シルバーが完全に倒れるまで続けようとした。
次第にシルバーの頭部は腫れ上がり、血袋のようにずぐずぐになってゆく。
輪島はそれでも一切の油断なく、鉄アレイでシルバーの頭部を殴り続けた。
普通の人間なら、その時点で死ぬか意識を失うほどの大怪我を負っていただろう。
しかしその時、怪人であるシルバーは恐るべき執念を見せた。
後頭部に打撃を受けながら、シルバーは低い姿勢で輪島の足を切りつけようとしたのだ。
「おっと、まだそんな力が残ってやがったかよ」
輪島は鉄アレイを投げ捨てると、牛若丸のようにひらりと後ろに跳び退き、その斬撃を躱す。
ようやく止んだ輪島からの攻撃に、シルバーはふらふらと立ち上がった。
「へっ……こんなもん、スカージオの頭突きに比べりゃ屁ともねーな」
急所に重い打撃を受けたにも関わらず、シルバーは血の混じった唾液を吐くと、戦闘の構えを取った。
とはいえその顔面はひどくボロボロで、目からも鼻からも血の筋が垂れ下がっている有様である。
事実シルバーの視界は、霞みがかって既にほとんど見えなくなっていた。
「怪人ってのは思ったよりしぶといもんだな。それとも、瀧のじいさんによっぽど灸を据えられたかい?」
輪島は言いながら、先ほど自分が投げたドスを拾っていた。
「ヘッ……灸を据えられたのは、あんたの方じゃねぇのかよ。やけに力がこもってるじゃねーか」
血に塗れながら、シルバーはそれでも減らない口を叩く。
「そうだな……殴られ蹴られ腕は持ってかれ、散々な人生だった。だがそれも、今日で仕舞いだ」
「足元もおぼつかないテメェに、俺のドスは受けきれねぇ。降参してこっちに下るなら今のうちだぜ」
言うと輪島は、腹の横にドスを構え、シルバーへ突進する構えを見せた。
「あんたこそ、ここまでが俺の本気だと思わねぇこったな。じゃねぇと取り返しのつかねぇ痛い目見ることになんぞ」
シルバーも右腕を前に出し、半身になって戦闘の構えを取った。
視野は未だに回復しておらず、輪島がどこにいるかもハッキリと見えてはいない。
朧気な輪郭が、じわりと滲むように見えているだけである。
先に仕掛けたのは、輪島の方だった。
右腕全てを巻きつけるようにして、刃が逸れないよう固く固定する。
そしてただ愚直に、真っ直ぐシルバーへと進んできた。
先ほどまでの左右のフェイントは使わず、当たった箇所にドスを突き立てる、それだけの攻撃である。
しかしその単純な攻撃を避けられるだけの余力を、シルバーの体は残していない。
輪島本人の言うとおり、今の体では受け切ることも困難だろう。
そこでシルバーは、ある一計を案じた。
輪島の攻撃にじりじりと下がったように見せかけて、足であるものを探したのだ。
そして足にそれが触れると、輪島の顔面へ向かって、思い切りよく蹴り上げる。
それは先ほどまで、輪島が自分の後頭部を殴りつけていた鉄アレイであった。
十キロもあるそれが、シルバーの強靭な脚力によって、下方から輪島の顔面へと飛んでいく。
しかし輪島は、それを予見していたかのように体勢を低くして避けて見せた。
「甘ェよぉ!!」
低くした体でシルバーの脚を掬うように、輪島は猪のような猛進を見せる。
鉄アレイで速度を削いでいたはずが、シルバーはその動きを大きくかわすだけで精一杯だった。
輪島からの追撃は来ず、壁に当たった彼のドスが深くまで突き立った。
刀身の根本まで壁に埋まる、凄まじい威力である。
それが隻腕の男のしたことだとは、事情を知らぬ者は信じないだろう。
そしてそれほどに隙の多い攻撃でも、シルバーは輪島の背中から斬りかかることが出来ない。
消耗した体では、素手の輪島にすら返り討ちにされるのが関の山だからだ。
しかし、このまま逃げる選択ばかり続けていても、ジリ貧になるのは明白だ。
勝負を打開しうるものは何かないか、シルバーはこの場の全てを注意深く探っていた。
「どうだ、シルバー。ホンモノのケンカってのは楽しいだろうが」
輪島は深く突き立ったドスを、軽々と壁から引き抜いた。
「なーんも楽しくねぇ。ジジィとの勝負の方が、よっぽど楽しめるわ」
強がりはほとんど反射的にシルバーの口から出てくるが、一方的に攻められて楽しめるはずがないのも事実である。
「お前程度で、あのじいさんといい勝負出来るたぁ思えないがね。強ぇだろ、あの野郎は」
ドスを片手に構え直して、輪島はまた突進する体勢を取る。
「さてな。自分がケンカの相手してもらえなくなったから、妬いてやがんのか?」
それは、ほとんど無意識に出た、単なる挑発であった。
しかしその言葉に、それまで余裕を保っていた輪島の顔から、さっと血の気が引いた。
ぼやけたシルバーの視界でさえ、その色の変化が捉えられるほどの変化である。
「テメェごとき若造に、分かることなんざ一つもねぇよ」
そして輪島は、その声に微かな怒気を孕ませながら、再度シルバーに突進した。
その時シルバーは、言い様のない違和感に包まれていた。
(なんだこいつ、雰囲気が変わった……?)
(そういえばこいつ、さっきから……だとしたら……)
シルバーはその違和感の正体を確かめるために、輪島の突進を敢えて避けず、両腕の刀身で受け止めた。
重く、早いドスの刺突が、シルバーの体を窓際まで押していく。
シルバーが満身の力を込めなければ、押し切られて臓腑をぶちまけてしまいそうだった。
しかしシルバーは、ギリギリのところでその刃に堪えながら、輪島へ軽く声をかけた。
「可哀相になぁ。あんた、ジジィにお情けかけられたんだ」
「なんだと……?」
低い体勢から、輪島はシルバーを猛獣のように爛々と光る瞳で捉える。
「ジジィがあんたを見捨てたのも、組を辞めさせたのも、ぜーんぶ腕ェ無くしたあんたが哀れだったからじゃねぇの?」
「うるせェ……!!」
「じゃあ何故テメェは半グレなんかしてる。ジジィにケンカも売れなくなったのは、自分でもそうだと思ってるからだろうが!!」
「黙れ、バケモンが!!」
より強い力を込め、輪島のドスがシルバーに迫った。
シルバーは徐々に押し込まれ、その背中を窓につきそうになっている。
「テメェみてぇなガキが、知ったふうなクチ聞くんじゃあねぇ!!」
「その腹かっ捌いて、中身並べて天日に干してやらぁ!!」
もはや理性の欠片もなくなった輪島に、シルバーは押されていた。
これが本当に隻腕の男の力かと疑うほど、輪島の膂力はそれまで戦った者の中でも群を抜いていた。
ふらつく足に力は入らず、かろうじて耐えることが出来ているだけだ。
しかしシルバーの頭は、押されながらも冷静だった。
「どうした、小僧。威勢の割に足が追いついてねぇようだなァ!!」
輪島はいよいよシルバーの腹を裂こうと、全身に力を込めた。
ついにシルバーは、窓のある壁際まで追い込まれてしまう。
しかしその時シルバーは、輪島のことを見てはいなかった。
シルバーは、輪島越しに自分が入ってきたドアを見ていた。そして、腹からの怒りを込めて叫んだ。
「おい、ジジィ!!テメェ何しに来やがった、人のケンカにちょっかい出すんじゃねぇ!!」
すると、輪島の全霊を込めたドスから、ふっと力が抜けるのを感じた。
輪島は思わず振り返り、ドアの方向を見ていた。
しかし、そこには誰もいなかった。
それと同時に、シルバーの体からも、輪島のドスを支える力が消えていた。
肩透かしを食らった輪島は、壁に向かって手をつきそうになる。
そのよろけた体へ向けて、シルバーは人差し指を一本立てていた。
腕全体を刃にしては、至近距離で振るうことが出来ないと、先ほど学習していた。
指一本だけをナイフ大の刃物とし、輪島の腹へと突き刺す。
「ぐぶっ……!!」
そしてそれを、横方向へ思い切り引いて、輪島の腹を裂いた。
輪島はドスを落とし、床に尻をついた。腹の傷は深く、押さえても押さえても血が湧いて出る。
輪島は、正座のように座り込みながら、傲然と自分を見下ろすシルバーと目を合わせた。
「てめぇ、シルバー……ブラフとは、やるじゃねぇか……」
シルバーは、輪島の血のついた指を舐めて拭っていた。
口から摂取した血液の分だけ、彼の負った傷が僅かに修復される。
「なんて汚ぇマネを、とでも言うかい?輪島さんよ」
輪島は、寂しげにふっと笑って返した。
「そんな情けねぇこと、誰がするか……」
そして再び、シルバーのことを見上げた。
「輪島ァ。あんた、言うほどジジィのこと嫌っちゃいないだろ」
シルバーがそう思ったのは、輪島が戦闘中、やけに瀧について言及していたからだ。
最初は強い憎しみからそうなっていると思ったが、輪島が怒りを覚えたあの瞬間から、シルバーの考えは変わった。
輪島は、瀧がここへ来るのを心待ちにしているように思えたのだ。
「さてなぁ……今となっちゃあ、自分が何を思ってあの人に反目してたか、もう分からねぇや……」
「始めは殺してぇほど憎かった……今でも憎いは憎い……だがそれ以上に、越えたかった……あの化け物を……」
輪島の体から、徐々に血の気が失せていくのが、シルバーにも分かった。
「腹は切ったが
シルバーの提案に、輪島は自嘲気味に笑った。
「甘えたこと抜かすな……負けた人間にかける情けは、恥だと知れよ……」
「お前こそ、いざって時に急所も切れねぇ甘チャンじゃあ……瀧さんには一生かかっても勝てねぇぞ……」
輪島は落ちていたドスを再び強く握りしめると、シルバーから斬られた腹をなぞるように、素早く横に一閃させた。
「ば、バカ野郎!!何やってんだ!!」
「お前がトドメも刺せねぇ甘チャンだから……自分で自分のケツ拭くしかなくなったじゃねぇか……」
どろりと臓物はこぼれ、血と汚物で床は汚れた。
「シルバー……よぉく覚えとけ……銀はいくら磨いても、金にはなれねぇんだ……」
「俺は待つばかりで追えなかった……その始末がこのザマよ……」
「あぁ……瀧さんよぉ……なんで俺を捨てたんだよ……なんで……俺を………」
そこで輪島の意識は途切れ、体が前のめりに床へ崩れた。
シルバーはこの日初めて、身を切られた訳でもないのに、どこかが痛むような感覚に苛まれた。
壮絶なその最期は、間違いなくシルバーの意識に、深く刻まれていた。
(にしても……トドメも刺せねぇ甘チャンだと?勝手なこと言ってくれるぜ)
シルバーは、輪島の死体を前にして、自分の手のひらを見つめた。
最後の攻防で、シルバーは間違いなく輪島の心臓を狙ったはずだった。
にも関わらず、気づけば指は心臓でなく、輪島の腹に刺さっていた。
これが己の甘さなのかと、シルバーは奥歯を強く噛みしめる。
それを払拭しない限りは、瀧に勝つどころか、まともな戦闘すらままならない。
次に戦うとき、それが誰であれシルバーは、本気で殺す覚悟を持って臨むことを心に誓う。
しかしシルバーはこの時、
後にこれが単なる甘さを越えた、シルバーの明確な弱点として露呈することに。
その後シルバーは、三時間かけて辿った道を、一時間で事務所まで戻った。
怪我は313号室の3Dプリンタの残骸を食べることで、既に治癒している。
半グレどもも留学生たちも、血みどろのシルバーの顔を見て怯えきっていたが、それももはや彼の関知するところではない。
全ては終わった。半グレの一味は壊滅し、白奪会の敵対組織に銃が出回ることもないだろう。
しかしそれでも、心の中のもやもやとしたものはどうしても晴れない。
事務所のドアを開けると、出かけた時と同じ場所に座り、瀧が競馬新聞を捲っていた。
シルバーは新聞越しに瀧と対面すると、一言で報告する。
「終わったぞ」
それに対し瀧は、
「そうか、ご苦労」
たったそれだけを返して、会話は終了した。
聞きたいことは山ほど頭に巡ったが、シルバーの中からちょうど良い言葉は何も出て来なかった。
なぜ輪島をヤクザから遠ざけたのか。
憐憫か、それとも何らかの私怨があったのか。
なぜ自分がハイツ白郷へ出向いて、相手をしてやらなかったのか。
ざっと浮かんだだけでも、それだけの疑問が浮かんで来た。
しかし、瀧は何も言わない。何も聞くなとすら言っては来ない。
シルバーに分かっているのは、あそこに輪島がいるのを瀧が知っていたということだけだ。
それを知りながら何の説明もせず、自分に手を汚させたというのなら、それにそれ以上の意味は何もないのだろう。
そう思わなければ、シルバーに人間の複雑な思考は、理解出来そうになかった。
やがて、黙って立っていることさえ面倒になったシルバーは、考えることを諦めた。
「どこ行くつもりでぇ」
「疲れた。寝る」
事務所を後にしようとするシルバーを、瀧は初めて引き止めた。
「何をほざいてやがる。テメェは今からクルマの洗車だ、とっととしろ」
「ハァ!?俺はたった今半グレども潰して帰って来たばっかだぞ!!」
当然の文句も、瀧はどこ吹く風と取り合わない。
「お前が一人で飛び出すから、アンラッキーが心配して後を追って、まだ帰って来てねぇんだよ」
「あいつが自分の仕事おっぽって出てったなら、その穴は誰が埋めるってんでぇ」
シルバーは奥歯を噛んで、涼しい顔をする瀧をすごい眼で睨みつけていた。
百万遍でも言いたいことは浮かんだが、そうすれば飛んでくるのは間違いなく瀧の拳骨であろう。
腑に落ちないものを感じながら、シルバーは
≪続く≫
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