第2話:俺とイジメられっ子


魔法少女と怪人が混在し、争うこの世界。はした怪人の一人であるシルバーは、神妙な顔で腕組みをして、厳かに呟いた。


「これより作戦会議を始める。議題は俺が強くなる方法と、ジジィをギャフンと言わせる方法だ」


真面目な顔で何を言うかと思えば、そんな下らない議論であった。


それを対面で聞いているのは、ご存知カエル顔の怪人アンラッキーである。


こちらは端から巻き込まれただけで、望んでこの会議に参加している訳ではない。


それが証拠にうとうとと舟を漕いで、今にも鼻提灯をぶら下げそうな塩梅である。


「おい、聞いてんのかアンラッキー」


「聞いてるよぉ……けどお前、今何時だと思ってんだよ……」


「まだ日付も変わってねーだろ!お子様かお前は!」


「俺はお前と違って、事務所の雑務サボらんから疲れてるんだよ!」


そんな言い合いの最中、二人の横合いから鋭いツッコミが入る。


「どーでもいいですけど……こんなところで会議なんてしないで下さい!めっちゃ邪魔です!」


その声の主は梔子という名のコンビニ店員。それもそのはず、ここは事務所から程近いコンビニの店内だからだ。


「すんませんホント……うちのバカ懲りないもんで……」


「おい、誰がバカだ誰が」


アンラッキーがぺこぺこと謝る横で、シルバーはふてぶてしくも店員にガンを着けている。


シルバーがここを会議の場としたのは、単純に話をするのに事務所は適していないからだ。


三階建てのビルのうち、一階は物置で二階が事務所、三階は怪人たちの詰め所として使用されている。


シルバーもアンラッキーも三階で寝起きしているが、何しろ二十名にも及ぶ怪人たちが雑魚寝している場所である。


話し声で他の怪人たちが起きては、会議も何もあったものではない。


そして瀧はもっぱら事務所で寝起きしているため、必然使えるのは一階のみとなる。


しかし一階の物置は雑然と様々なものが置かれており、落ち着いて会議するには向いていない。


そこでシルバーは、寝ようとしていたアンラッキーを無理やりコンビニまで連れ出して来たのであった。


「だいたい、なんで俺を巻き込むかなぁ……強くなりたいなら、一人で工夫して一人でやれよ……」


アンラッキーは不服そうに、眠い眼を擦り擦りそうぼやいている。


「二年間そうやって一人で考えて、ろくに進まねぇからお前を連れて来たんだろ」


「やっぱりバカじゃん……」


「なんだとお前やんのかコラァ!?」


会議の趣旨も忘れてシルバーがケンカを始めそうになった時、仲裁に入ったのは例のコンビニ店員だった。


「も〜!ケンカも会議も外でやって下さい!迷惑です!」


二人はレジの前で、シルバーが持ち出したイートインスペースの椅子に腰掛けていた。


営業妨害で訴えられても、文句の着けようがない。


「用がないのに店内でたむろして座り込みなんて、それがいい大人のすることですかっ!!」


最初に出会った頃の様子とは打って変わり、彼女は物怖じしない言い方が板について来ている。


何故なら、シルバーはこのコンビニを瀧攻略のための拠点にしようと、あれから何度も通っていたからだ。


通うと言っても無論のこと、金を持たず店内で騒ぎ立てては追い出されるという毎日である。


警察を呼ばれない方がよほど不思議な有り様だった。


「本当だよ……連れ回される俺の身にもなってくれ……」


アンラッキーがここぞとばかりに同調して、シルバーを非難する。


「だったら俺が強くなる方法をさっさと考えろよ。そしたら俺も帰ってやるよ」


しかしシルバーは、あくまでも自分本位を貫こうとする。


「強くなる方法……普通だと筋トレとか、マラソンとかじゃないですか?」


「真面目に考えなくていいよ……」


存外に素直な梔子は、アンラッキーにそう突っ込まれる。


「筋トレもその他のトレーニングも試したに決まってんだろ。けどそれでも、あのジジィには勝てねぇんだよ」


シルバーは椅子の上でため息をつき、がっくりと肩を落とした。


「へー、お前筋トレなんかしてたんだ。意外とマメなんだな〜」


「これでもけっこう真面目にやってるんだよ。ぶっ殺すぞ」


茶化すようなアンラッキーの言葉に、シルバーは苦々しい顔になる。


瀧の傘下に加わって二年、シルバーは人間のやるトレーニングを一通り試してみたこともある。


持久力を上げるために走り込みをしたり、剣術の型を真似て反復練習してみたりもした。


全ては瀧桜閣を越える、ただその一点のみに集約してのことだ。


しかしそれらの努力も、瀧の実力には遠く及ばない成果しか結ばなかった。


一体どれだけの修羅場を潜れば、あのような老人が出来上がるのか。シルバーには想像もつかない世界である。


「はぁ〜あ、強くなりてぇ〜〜〜」


シルバーは椅子を斜めにかしげ、45度の角度でピタリと止めてバランスを保った。


「おお〜、器用だな。お前大道芸でも食ってけるんじゃないか?」


「床が傷つくから止めてください!」


アンラッキーと梔子からそれぞれ声をかけられ、そろそろ退散しようかとシルバーが思案していた時。


来店を知らせるチャイムが鳴り、コンビニの自動ドアが開いた。


「いらっしゃいま……」


反射的に応対しようとした梔子の挨拶が、最後の一文字を前に止まる。


アンラッキーも無意識に客の方を向いて、ぎょっと目を見開いた。


シルバーだけが、椅子を斜めに傾けたまま天井の蛍光灯を仰いでいる。


二人が言葉を失ったのには、理由があった。


やって来た客は、ニット帽とサングラスとマスクで顔を隠し、真っ直ぐにレジまで走ってきたからである。


そして慣れない所作で懐からカッターナイフを取り出すと、震える声で叫んだ。


「かっ……金を出せ!!レジの中身全部だ!!」


その声を聞いて、シルバーも椅子を傾けたままで目線を正面に向ける。


目の前の人間は、声からして男である。


変声期特有の、高く細い声から低くしわがれた男の声になる途中のもののように聞こえる。


黒のダウンジャケットとスポーツパンツ、おまけにマスクまで黒一色。


カッターを握る手の震えは、一向に止まる気配を見せない。


「おっ、なんだ強盗か。いいぞやれやれ」


シルバーが不安定な格好のままで囃し立てる。


「お前ちょっとは空気読めよ……!!」


アンラッキーはやや腰が引けながらも、シルバーを小声で抑えようとしていた。


「悪いけど、こっちもお仕事だからレジの中身は渡せないの。ごめんね?」


店員の梔子は、ごく落ち着いた態度で目の前の強盗に対処している。


「う、うるさい!こいつがどうなってもいいのか!」


幼い声の強盗は、不運にも一番近くにいたシルバーへカッターを突きつけようとした。


アンラッキーはあからさまにまずいと言う顔をしたが、あえて何も言わずに黙って事の運びを見守った。


普通なら、どう考えても輩にしか見えないシルバーを、人質にしようとは思わないだろう。


彼自身どこか錯乱している感は否めなかったため、下手に止めることをしなかったのだ。


シルバーは興味なさげに椅子をカタカタ揺らすと、カッターナイフを指でつまんで取り上げようとした。


「う、動くな!大人しくしろ!」


しかしすんでのところで、強盗はシルバーへ向けて一歩踏み出してしまう。


結果その二つのタイミングが奇跡的に合致してしまい、思いがけずシルバーの顔面へカッターがぶつかりそうになった。


「あっぶね!」


シルバーがカッターを避けようとしたところ、傾いていた椅子がバランスを崩し、派手な音をさせて後ろへ転倒した。


「あ……ごめんなさい……」


強盗は椅子の倒れる派手な音にびくりと体を震えさせ、身の丈を思い切り竦めた。


アンラッキーも梔子も、倒れたシルバーと椅子を唖然として見つめている。


後頭部からモロに床へ倒れ込んだシルバーは、椅子に座った姿勢のままで、微動だにしない。


強盗は起き上がって来ないシルバーに、まさか死んではいないかと内心で無駄に気を揉んでいた。


「お、おいシルバー……大丈夫か……?」


アンラッキーが恐る恐る声をかけると、ようやくシルバーはむくりと体を起こす。


三人が安堵する間もなく、シルバーは無言無表情で、すたすたと強盗に歩み寄った。


そして強盗の腕を取ったシルバーは、その関節の逆を取り、ガッチリとロックする。


「いっ、いだいいだいいだい!?あああぁぁぁぁぁぁ!!?」


「シルバーくん怒っちゃったので折れるまでやりまーす。ハイ折れるまであと十秒、九、八、七……」


ギリギリと曲がらない方向へ曲げられる関節に、強盗は引きずるような汚い悲鳴を上げていた。


その激痛に、カッターが床にぽとりと落ちる。


このままでは本当に折れるまでやりかねないため、アンラッキーは慌てて仲裁に入る。


「もう止めてやれよぉ、可哀想だろ?」


「そうです、やりすぎですよ!」


梔子からも叱責され、一度は腕を離したかと思われたシルバーだったが、今度は強盗を床に倒してアキレス腱固めを極めた。


「あぁぁぁあああぁぁぁ!!!!」


「どうだぁ、これに懲りたらコンビニ強盗なんてバカな真似すんじゃねーぞ」


まるで強盗を諌めるためにやっているかのような言い方だが、どう考えても100%私怨である。


思う様強盗を痛めつけたシルバーは、スッキリした顔になってようやく彼から体を離した。


「はー楽しかった」


「この状況を楽しむなよ……」


一方の強盗は、床に倒れた体勢で、めそめそと泣いているようだった。


「う……うぅぅぅ……なんで僕ばっかりこんな……」


梔子はそれを、心配そうにレジ越しに見ている。


「強盗なんてしといて、やり返されたら泣くなんて女々しいこったな」


「お前のはどう見てもやりすぎだ」


傲然と立つシルバーに、アンラッキーは呆れた顔をしている。


対する梔子店員は、襲われた直後にも関わらず強盗の方を心配していた。


「大丈夫?この人たち、ちょっと乱暴だから……」


「俺まで含めないでくれよぉ!乱暴なのはシルバーだけ!」


アンラッキーが梔子の言うことを、慌てて訂正する。


しかしそんなやり取りを経ても、強盗は立ち上がろうとしなかった。


見かねた梔子は、レジ横のカップストックから紙コップを取り出し、レトルトのドリップコーヒーを淹れ始めた。


安い値段で温かい飲み物を提供するために、レジに用意されているものである。


ふわりと香ばしい匂いが漂うが、それはレジ向こうにいるシルバーたちまでは届いていない。


やがて紙コップになみなみと黒い液体が注がれると、梔子はレジから出て強盗の前に座り、それを差し出した。


「はい、コレ良かったら飲んで?ブラックだけど」


その優しい声音に、グズついていた強盗がようやく顔を上げる。


「こんなことしたの、何か理由があったんでしょう?お話を聞かせて?」


にこりと笑う梔子に、強盗はようやく床に座って、そのカップを受け取った。


「ありがとう、ございます……」


「ここじゃ何だし、お店の裏に行こうか」


「あっ……もしかして、警察に通報、とか……?」


不安げに言葉を選ぶ強盗に、梔子は首を横に振る。


「そんなことしないよぉ!だから安心して?」


そこまでやってようやく、強盗は落ち着きを取り戻したようだった。


場所をレジ裏のスタッフルームへと移し、強盗と梔子たち三人は集まっていた。


強盗はそこでマスクとサングラスを外し、その顔をあらわにする。


十代の中頃といった顔立ちの、どこにでもいそうな青年だった。


声変わりしたばかりの発声に象徴されるように、その顔にはまだ幼さが目立つ。


頬には誰かに殴られたばかりのような、生々しい青痣がつけられている。


「なんであなたたちもいるんですか?別に帰っても構いませんけど」


梔子はシルバーをじろりと睨んで、この場から立ち去るよう牽制した。


「腐れ縁だ腐れ縁。それともこの足で、警察にタレこんでやろうか?さぞ店の評判も上がるだろうなぁ?」


シルバーはシルバーで、売り言葉に買い言葉をしてケンカ腰である。


もちろんこれはただの脅しであり、怪人である彼が警察を頼るなどということはない。


「まぁまぁ、いいじゃないッスか。ここまで来たら乗りかかった舟って奴ですよ」


それを取りなすアンラッキーも、梔子とシルバーの睨み合いにはほとほと困っているようである。


しばらくそうして睨み合った後、折れたのは梔子の方だった。


ため息をついてシルバーに背を向けると、強盗の方へと向き直る。


シルバーのことは根本から無視することに決めたようである。


「君、名前は?」


梔子が名を尋ねると、青年は体をびくりと震わせた。


「あぁ、ゴメンゴメン。悪気があった訳じゃないんだけど、名前聞いとかないとなんて呼べばいいか分からないでしょ?」


恐らくは通報されると勘違いしたのだろう青年に、梔子はあくまでも優しくフォローを入れる。


しばらく迷った末に、青年は自らの名を小さな声で名乗った。


「……半井なからい翔です」


「うん、翔くんだね?」


梔子はうんうんと頷き、彼を座らせていた椅子の正面にもうひとつの椅子を持ってきて座る。


「おい、俺の椅子は?」


「あなたは立ってなさい!」


再び牽制すると、ゴホンと咳払いをひとつ挟み、梔子はおもむろに尋ねた。


「翔くん。なんで君は強盗なんて無茶なことしたのかな?」


翔はぐっと紙コップを握りしめると、奥歯を噛んで沈黙した。


「言いにくいことだったら言わなくていいけど、せっかくの縁だし何か助けになれることない?」


梔子は膝が触れ合うほどの近さで、青年に声をかける。


シルバーはそれを、つまらない寸劇でもしているかのような興味の無さで見ている。


アンラッキーは青年の後ろで、事の成り行きをはらはらと見守っていた。


しかし青年は、何も喋ろうとしない。泣きそうな顔で沈黙を貫くばかりである。


「……そっか。何かお話できない、重大な理由があるんだね。だったら私は聞かないよ」


梔子は努めて明るい声を出して、青年の膝をぽんぽんと叩いた。


「今日は帰っても大丈夫だから、気をつけて帰るんだよ?今度はちゃんとしたお客様として、うちのコンビニに来てね!」


被害者であることを感じさせないその物言いに、青年は顔を上げて梔子の顔をじっと見つめた。


そして、じわりと瞳に涙を浮かべると声を上げて泣き出してしまった。


「あ、あー……どうしたの翔くん?」


おろおろとする梔子を、シルバーは茶化してからかう。


「あーあ、姉ちゃんが泣かしたー」


「この状況でよくそんなこと言えますねっ!」


混乱極まる場の状況を見て、アンラッキーが助け舟を出す。


「まぁまぁ。今はとりあえずこいつの話を聞いてやろう。それで、なんで突然泣き出したんだ?」


後ろから肩を叩き、アンラッキーは励ますように彼の言葉を待った。


青年はしばらく躊躇った後に、ぽつりぽつりと語り始める。


「俺……学校でイジメられてて……不良グループにボコボコにされて……教科書燃やされたり、裸足で画鋲の上歩かされたり……」


その凄惨な言葉に、梔子はそれだけで口を両手で覆っていた。


「しかも、グループの一人が市議会議員の息子で……学校もまともに取り合ってくれなくて……あいつら今度は、俺に五十万円用意しろって……」


怪人であるはずのアンラッキーですら、同情的な瞳で彼を見つめている。


その渦中にあって唯一どうでも良さそうな顔をしているのが、シルバーであった。


「うち、母子家庭だからそんな金無いし……コンビニで強盗するくらいしか、打つ手がなくって……」


そこまで語ると耐えられなくなったのか、翔青年はまた喉をしゃくり上げて泣き出してしまった。


「ひでぇ話もあるもんだな……」


アンラッキーが腕組みをして、渋い顔をしていた。


「翔くん、それはもうイジメじゃなくて立派な恐喝だよ。警察か相談所に相談しよ?」


梔子も、親身になってなんとか彼を救う手立てを探そうとしている。


しかしどんな提案にも、青年は首を縦に振ろうとしない。


「あいつら、もし警察にチクッたら俺の家に火を着けるって……」


「うわぁ……もう犯罪の域だろ、それ……」


ヤクザの構成員であるアンラッキーですらが、ドン引きするような日常を彼は過ごしているらしい。


梔子は自分に提案できることを出し切ってしまい、困惑の表情で頭を悩ませている。


全員がどんよりとした空気を纏い、次の展開を探しあぐねていた。


しかしシルバーだけは、常に明快な答えしか持っていなかった。


「くだらねぇ〜。自分をボコす奴がいたら、ボコし返すのが常識ってもんだろ。ナニ悩んでんだお前ら?」


キッパリと言い切ったシルバーに、アンラッキーがアホを見る目を向けた。


「お前さぁ……目の前のこの子が、お前みたいに暴力で勝てると思ってるのか?」


そんな言葉にも、シルバーはあくまで強気である。


「勝てるかどうかなんぞ知らん。だが何もせず死ぬくらいならケンカして死ねよ。俺はそのつもりで毎日ジジィに挑んでんだ」


シルバーの言葉に、青年はハッと顔を上げた。


シルバーはただケンカしたいがためにそのような思考に至っただけだが、曇りきった彼の人生には光明のように聞こえる言葉だったのかもしれない。


「暴力で暴力を解決してもなんにもなりませんよ!」


「じゃあどうするんだ。何か代わりの方法があるから、そんなこと言えるんだよな?」


「それはっ……」


言葉を濁らせる梔子の横を通り抜け、シルバーは青年の前に立った。


「まぁとはいえだ。今日明日で勝てなんて無茶な話、さすがに通らんよな。だからここは、俺に任せてみねぇか?」


「……あなたに?」


「俺がそのイジメっ子とやらをぶっ殺……ぶっ倒してやらぁ。金も礼もいらんからよ」


青年の背中をバシバシと遠慮なく叩き、シルバーは軽く請け負ってみせた。


「ちょっ、ちょっと待ったシルバー!!」


アンラッキーはシルバーの服の袖を引くと、梔子と青年まで声が届かない場所まで距離を取った。


「お前、どういうつもりだよ!おやっさんにケンカはご法度って言われてるだろ!」


「ちげーよ。ジジィに禁止されてんのは殺しだけだ、ケンカまでは止められてねぇ」


屁理屈で応じるシルバーを、続けてアンラッキーは一喝する。


「同じことだろ……!どうせお前が手加減なんて出来るはずないんだから……!」


ぎりぎりと歯ぎしりするアンラッキーは、続けて大きなため息をついた。


「何が目的か知らんけど、ただの人間相手じゃお前のケンカ相手にならんの分かりきってるだろ……?」


「そう。そこなんだよ」


しかしシルバーは、それこそまさに我が意を得たりと言わんばかりに、右手の人差し指をビッと伸ばした。


「弱い者イジメは強いやつの特権だ。てことはそいつらの中に、ジジィに並ぶくらいのやつがいるかもしんねぇだろ?」


「……それが目的かよ。お前ホント少しは自重してくれよ」


腰も砕けそうな提案に、アンラッキーはそれ以上の追求を諦めざるを得なかった。


「そうと決まれば、イジメっ子どものところに案内しろ!そいつらどこにいんだ?」


シルバーは遠目にも届くような大声で、翔青年に怒鳴り立てた。


「えっ……あっ、ハイ。この時間ならあいつら、駅前でたむろしてると思います……」


「よーし分かった。そいつらのとこまで連れてけ!!」


青年はシルバーと梔子の顔を交互に何度も見つめると、シルバーの方へと走り寄って行く。


「ま、待って翔くん!行かないで!」


そんな梔子の静止も振り切り、青年とシルバーはコンビニを後にした。


コンビニから駅までは、三十分ほどの距離がある。


その道中の夜の繁華街を、シルバーと青年はトボトボと歩いていく。


「あの……名前、シルバーさん……でしたっけ……?」


青年はおずおずと、間を持たせるための会話に興じてみせる。


「他のやつからはそう呼ばれてるが、どうせ今日しか会わねぇから覚えとかなくていいぞ」


「外国の人なんですか……?」


シルバーの髪と瞳の色に目をやって、青年は続けざまに尋ねる。


「そんなとこだ。それより、イジメっ子てのはどんな奴らだ?」


そう聞かれた途端、翔青年はぶるりと身震いして怯えの表情を見せた。


「怖い奴らですよ……親の権威を傘に着て好き放題して、僕らみたいなスクールカーストの底辺を食い物にしてるんです……」


青年は思い出してまた泣きそうになっているが、シルバーは手を顔の前で横に振った。


「違う違う、そういうことじゃねー。奴らケンカするとき何を使う?刃物か、拳か?」


「あっ、そういうことか……えっと、バタフライナイフとか持ってるのは見たことあります。あとは殴ったり蹴ったり……」


「まぁお前みたいなザコ相手ならそれくらいで十分か。本気出したらもっと強いといいんだがな」


ザコと呼ばれて傷ついたのか、青年は顔を下に向けて落ち込んだ様子を見せる。


シルバーから話しかけることは一切なかったため、二人は駅までの残りの道のりを、一言も話さずに歩いた。


やがて二人は駅前まで辿り着き、その歩みを止めた。


駅舎はさほど広くはなく、自販機やら券売機が見えるのみだ。


ちらほらと人通りはあるが、そのどれもが酔客や風俗の客引きであり、遠からずここから居なくなるだろう。


ここに目当ての不良どもがいると考えただけで、シルバーはウキウキと語気を弾ませる。


「さーて、俺の獲物はどこかな〜」


「えっと……いつもは駅横のビルの間にいると思います、けど……」


「ビルの間だな!!よっしゃ!!」


それを聞いたシルバーは、居ても立ってもいられない様子でビルまで走り出していた。


まるでダンゴムシを見つけた子供のようなはしゃぎ方である。


ビルと駅の間の狭い路地をシルバーが覗くと、そこには目当ての不良たちらしき人影があった。


全部で五名。全員明かりもない暗がりの中で、タバコを吸いながら下衆な談笑に興じている。


「二組のルリのやつさぁ、フェラするときスッゲェ不細工なツラにならね?」


「アイツお前にゾッコンだから、他の野郎にマタ開かねーべ?」


「そりゃお前がゴムケチるからだろ。生でヤろうとすんなし」


そこでギャハハハという、下卑た汚い笑い声が上がった。


翔青年は怯えきった様子で、ビルの隙間から死角になったところで立ち尽くしている。


しばらく観察していたシルバーに、不良たちはずいぶん遅れてから気づく。


「なんだぁ、お前?ケーサツかぁ?」


「補導員にしてはガラ悪すぎんだろ、髪色すげーし」


「酔っ払ったコスプレイヤーか何かじゃね?」


ボソボソと仲間内で喋った後に、リーダー格と思しき男がシルバーの前までやって来た。


頭をスキンヘッドに剃り上げ、チャラチャラとした金のアクセサリーをその胸につけている。


シルバーよりよほどヤクザが似合いそうな面相である。


「すんませーん。俺ら何も悪いことしてないッスけど、なんか用スかぁ?」


タバコ臭い息を吹きかけて、不良はシルバーへ不遜な態度で声をかけた。


不良はシルバーが何も言わないせいか、頭をごりごりと掻いて左右を見回す。


その時、歩道の遠くで待機していた翔青年と、スキンヘッドの不良の目が合った。


「ヒッ……!!」


「なんだぁ、翔じゃねぇかぁ。カネの用意は出来たのか〜?」


その声につられるように、他の不良ちもぞろぞろと駅横の路地から這い出て来る。


「チィ〜ッス」


「翔クン金払いよくてカッコいいね〜」


「キャー、抱いて翔く〜ん!」


「もし払えなかったら、お前の家の前にお前のアタマ燃やすけどな」


ニヤニヤしながら、翔を囲もうと集まってくる。


翔は走って逃げようとしたが、それを止めたのはシルバーの巨大なため息だった。


「ハァ〜〜〜〜〜〜……」


頭を抱えるシルバーに、翔のみならず不良たちまで振り返った。


「お前、こんなザコどもにボコされてたワケ?ザコ中のザコ、キングオブザコじゃねぇか……」


翔はその言葉にギョッとし、不良ちは一様に色めき立った。


「こんな顔色の悪い不健康そうな奴らが強いワケねーだろ……期待外れもいいとこだったな」


期待外れとまで言われて、不良たちは青筋を立ててシルバーを取り囲んだ。


「おっさん、めちゃくちゃ言ってくれるじゃん」


「翔の親戚か何か〜?こいつ一人っ子だよねぇ?」


「そこまで言うならケンカのやり方、教えてもらえませんか〜?」


翔はそれを、不良たちの囲む輪の外から心配そうに見ていた。


不良たちはゾロゾロと連れ立って、シルバーを囲んで路地まで連れて行った。


心配はすれど、翔に路地裏までついていく度胸はない。ただただシルバーの無事を、祈るだけである。


しかしその勝負は、翔の思いとは裏腹に、文字通りのまたたく間に片がついた。


不良たちの一人が声を上げて、突然路地の裏から飛び出して来た。


その一人は、一体今何が起こったか分からないという顔をしていた。


その服は胸のあたりが真一文字に切り裂かれ、体にも薄く切れ目が入っている。


その不良の首根っこを掴んで、シルバーが路地裏から腕だけを出して引っ張りこんでいった。


翔はその時、奇妙なものを見た。


着ている服はシルバーのそれで間違いなかったが、腕の色が鈍色に輝いて見えたのだ。


翔は驚いて路地まで走り、そこで行われていたことを目撃する。


そこにいたのは、先ほどまで落胆した顔で不良の相手をしていた男ではなかった。


全身を鋼の色に染め、鋭利な両の手を体の脇で揺らす何者かの姿があった。


「か……怪人だ……!?」


翔はそれまで言葉を交わしていた男が、未知の怪人であったことに強いショックを受けていた。


普通の人間は、人生の中で自分が怪人と接点を持つなどとは思わない。


しかもその怪人は、自分の見知ったイジメっ子どもを締め上げている最中なのだ。


「ジジィとの約束だからな、殺しゃしねーよ。だが、そこそこ痛い目は見てもらう」


「俺の期待を裏切った罰だ。覚悟しろよ、クソザコども?」


翔青年が目を丸くして不良たちを見ると、その胸の辺りが、みな同じように浅く切り裂かれている。


「ヒッ……ヒィイイ!?」


いの一番に悲鳴を上げたのは、ゴムをケチっていた不良の一人だった。


シルバーはその一人を蹴倒すと、胸に刃を当ててギリギリと裂傷を刻んでいく。


「ギャアァァァァァァ!!!」


深夜の路地裏に、それを咎める者は誰もいない。


凄惨なはずのその光景から、翔青年は目を逸らせずにいた。


不良たちは傷を負わされた一人を残し、一目散に逃げようとした。


しかしシルバーはそれに容易く追いつくと、不良たちを一人一人背中から切っていく。


致命傷には程遠いが、ただの人間が膝をつくのには十分な怪我である。


そうして倒れた順に、シルバーは不良たちの全身をめちゃくちゃに切り刻んでいった。


不良たちは倒れてうめき声を上げ、全員が悲痛な叫び声を上げている。


シルバーは不良の血で汚れた両腕を、ズボンの裾で無造作に拭っている。


そして一人残されたのは、最初にシルバーの前に立ちはだかった、スキンヘッドの不良だけであった。


どうやら狭い路地の立地をうまく利用して、逃げながら他の不良たちに怪我をなすりつけていたらしい。


「さぁて、残りはお前一人だ。さっさと片付けて寝るとするか」


シルバーは首をコキコキ鳴らして、スキンヘッドの不良の前に立った。


スキンヘッドの不良は、がたがたと歯を鳴らして尻もちをつき、シルバーを見上げている。


「お前、最後の一人だから特別に選ばせてやる。斬られるかボコされるか、どっちがいい?」


シルバーは先ほど不良たちの見せたニヤニヤ笑いとは対称的な、冷酷で動物的な笑みを浮かべた。


それはもし肉食獣が獲物を追い詰めたなら、そんな笑い方をするだろうと思われるような笑みである。


スキンヘッドは何度も唾を飲み込み、最終的に路上に頭をついて土下座をした。


「すっ……スンマセンっした!!どうか許してくださいっ!!」


シルバーはそれを、木から落ちた木の葉でも見るような顔で見つめている。


そして背後の翔青年に、くるりと振り返った。


「おい、見ろザコ。これがお前をイジメてた奴の本性だぜ。こんなんに負けてていいのか?」


不様と言えばそれまでだが、そんな輩の言うことを聞いていた翔にはとても笑えない光景である。


何をどうすればいいか分からず、翔は複雑な感情でその光景を見つめていた。


「別にどうでもいいがよ〜、俺ならこんな命乞いするようなヤツには、死んでも負けたくねぇーな」


シルバーは興が削がれたかのように、完全に不良から背を向けていた。スキンヘッドの不良を残し、帰るつもりの歩みである。


しかし、シルバー越しに不良を見ていた翔は気がついた。


シルバーが背中を向けると同時に、スキンヘッドが体を起こして、バタフライナイフを取り出したことに。


「シルバーさん、危ないっ!!」


スキンヘッドがシルバーに切りかかると思った翔は、思わず叫んでいた。


しかしその後のスキンヘッドの行動は、翔の予測を遥かに越えていた。


「へ、へへへ……!!」


スキンヘッドはそのナイフを、自分の肩口に思い切りよく突き刺したのである。


「ぐおっ……!?」


スキンヘッドのその奇妙な行動と同時に、シルバーも同じ側の肩口を押さえた。


「シルバーさん!?」


「こいつ、まさか……!!」


シルバーが苦痛に顔を歪めるや、それまで焦りを隠さなかった不良が、急に余裕のある素振りを見せ始めた。


「へへへ……ダメじゃないか、翔く〜ん……そんな危ない怪人連れてきちゃ〜……」


「俺は人間社会に溶け込んで、たま〜にイバリ散らして悪さするだけで良かったのにさ〜……」


「さすがに本気出さなきゃ、こいつに勝てそうにないじゃん?」


その言葉を皮切りに、スキンヘッドの不良の容姿がみるみるうちに変貌した。


ツルリとしていた頭にはケロイドのような皺が寄り、眼は爛れふさがれ、全身の皮膚に黒い火傷の跡のようなものが現れる。


焼け落ちた火事の現場から発見された、マネキンのようであった。


「俺の本当の名前は、怪人『クロスダイ』。イカした名前だろ?」


「弱い人間を虐げて、カネ巻き上げて殺すのが趣味なんだ」


おぞましい容姿とは正反対の明るい声で、クロスダイはケタケタと笑い声を上げた。


「そ、そんな……だってあんた、学校にもたまに来てたじゃないか……」


翔は絶望的な青い顔で、その場にへたりこみそうになる。


それを嘲笑うように、クロスダイは首を傾けた。


「俺の記憶だと俺の外にも、お前の高校に通ってる怪人いたと思うがなぁ?」


「嘘だ……!!そんなことあるはずない!!」


激昂する翔に、クロスダイはため息をついて応じる。


「自分の物知らずを人のせいにするなよ。目的は知らんけど、学校に紛れてる怪人はそれなりにいるぜぇ?」


「俺の場合は、そこに倒れてる市議のバカ息子に取り入って、金せびるために通ってたんだけどな!!」


大声で語るその隙を、シルバーが見逃すはずはない。


肩の痛みを堪え、クロスダイの心臓へ刀を突き立てようと飛びかかる。


しかし。


「おっとお!!」


クロスダイがそれより早く、自分の脚へナイフを突き刺す。


すると、突き刺した箇所と同じシルバーの部位が、またしても激しい痛みを発した。


「ぐあぁっ!!」


「シルバーさん!!」


クロスダイは、ナイフで穴の空いた足をさすりながら言った。


「おぉ〜痛ぇ。けどもう分かったろ、俺の力は『痛みの共有』だ。俺を攻撃しようとすればするほど、痛みはどんどん増していくぜぇ〜?」


くちゃくちゃな笑みを見せ、クロスダイは勝ち誇って見せた。


「俺の力はな、俺に怪我させた相手と俺の痛覚をリンクさせるんだ。お前が勝つには、最初の一撃で俺の首を飛ばすしか方法はなかったんだよ〜」


言いながら、クロスダイは自分の足の傷を、ぐりぐりと指でほじくり返す。


「ぐうぅぅぅっ……!!」


シルバーが太いうめき声を上げて、その場に膝をついた。


「ハハハッ!!さっきまでの威勢はどうしたんだよ、痛いのはキライか?」


傷穴に差し込まれた指は二本、三本と増えてゆき、その度にシルバーは苦しみの声を上げた。


翔はその横に立って、何か出来る事はないかと目を泳がせている。


「さて、翔クン」


クロスダイはシルバーを無視して、翔の前へ立ちはだかった。


翔はその場に膝をつきそうになるのを、懸命に堪えている。


「お前、どうやら五十万の金は用意出来なかったみたいだな〜」


「まぁそれはそれでいいよ。最初からお前みたいな貧乏人に期待してなかったし?」


息がかかるほどの至近距離で、クロスダイは翔を睨めつける。


「だが、他の人間に俺たちのことバラしたのは良くねぇなぁ。俺の存在が社会に見つかっちまったらどーする?」


ねちっこいその声は、翔の鼓膜に嫌でも張り付いて離れない。


「よって、お前にペナルティを与える。この三下怪人はお前が殺せ」


そう言ってクロスダイは、バタフライナイフを翔へと手渡す。


「そ、そんな……!!出来るはずない……!!」


かたかたと震える翔の肩を、励ますようにクロスダイは軽く叩く。


「そんな難しく考えるなよ〜。人間と同じカタチの怪人は、急所も人間とだいたい同じだ。ノド刺しゃ死ぬって!」


明るいその言い方の裏に、クロスダイの言葉には有無を言わせないものがあった。


翔がちらりとシルバーを見ると、彼は未だに膝を折り、痛みに悶絶している。


クロスダイはそれをしげしげと眺め、興味深そうに喋った。


「思い切ってけっこう深く刺したからなぁ。痛みに耐性のないやつなら、こんなもんだろ」


「こんな弱っちいやつ頼っちまって、お前も災難だったな。ほら、鬱憤晴らせよ」


クロスダイはあくまでも、翔にその手を汚させたいようである。


どうすればいいか決めかねた翔は、思い切ってクロスダイを刺そうかと考える。


しかし、その痛みはシルバーにも共有される以上、迂闊な行動には移せない。


シルバーは刺せないが、刺さないとどんな目に合わされるか分からない。


万事休すかと思われたその時、翔は地に伏せたシルバーと目が合った。


満月を思わせる銀の瞳はまだ光を失っておらず、彼の意思が死んでいないことを示していた。


「……!!」


翔はその眼の光を、信じてみようと思った。


「う、あ……うあぁぁぁああああああ!!!!!!」


翔は雄叫びを上げ、シルバーへとナイフを振りかざす。


そして、ぎらりと光るその刀身を、勢いよく振り下ろした。


真っ赤な鮮血が、路地を舗装するタイルを汚した。


「ギャハハハハハハ!!やりやがった殺りやがった!!こいつ、ほんとに殺っちまったよ!!」


「追い詰められると人間は何でもやるって、マジなんだなぁ〜!!」


クロスダイはひとしきり大笑いした後、違和感を覚えてぴたりと笑い声を止めた。


(おかしいな……?こいつ、首を刺されたのに倒れないのか?)


シルバーは正座の体勢で膝をつき、痛みに臥せっている。


死んだなら倒れるか痙攣するかして、同じ体勢は保てないはずである。


奇妙な現象に、クロスダイはシルバーの顔を横から覗き込む。


「ゲッ!?」


シルバーは、致命傷を負ってはいなかった。


翔のかざしたナイフは、後方で見守るクロスダイから隠すように振るわれ、翔の反対の手のひらを貫いていたのだ。


「お前!!お前お前お前!!なんてバカなこと!!」


ムンクの叫びのようなポーズで逃げようとしたクロスダイを、シルバーが捕まえた。


その手は刃物から人間の手になっており、クロスダイの顔面を覆うように掴んでいる。


「や〜っと隙を見せたなぁ、不細工ボウズ頭ァ!!」


シルバーは言うが早いが、その手のひらに万力のような力を込めた。


「ぎゃああああああああああああ!!!!!!」


「ぐぬぅっ……!!!」


クロスダイの頭蓋骨はメキメキと悲鳴を上げ、絶叫が路地裏の狭い空間にこだました。


それと同じくして、シルバーも歯を食いしばり、その額に太い血管が浮かび上がった。


「なんでっ、お前も痛いのにっ、こんなことっ!?」


「バーカ野郎……こちとらこれより痛ぇ拳骨、毎日食らってんだよ!!」


シルバーはその鋼の体を光らせ、愉快そうに顔を歪ませている。


それは先ほど見せた痛みに歪む顔より、数段恐ろしい歪みを含んでいた。


「そんなバカな!!お前も痛みのショックで死ぬかもしれないのに……あぁぁぁぁぁぁっ!!」


「一緒に地獄へ堕ちようぜ、クロスダイ!!」


クロスダイの頭部が、熟したザクロを思わせるような色となっていた。


「ふぎぃあああああああ……!!」


「うんぐうぅうううううっ!!」


壮絶な我慢比べは、絞るような二人の絶叫に彩られた。


(ヤバい!!このままじゃマジで、この雑魚と心中しちまう!!)


クロスダイは本格的な生命の危機を覚え、シルバーの腕を引き剥がそうと爪を立てた。


しかしそれは、シルバーの鋼色の肌に、薄く赤い線を残したに過ぎなかった。


「やっぱりな……お前、痛みを返す以外の攻撃方法、持ってねーだろ?」


「怪人がナイフなんか持ってやがるから、おかしいと思ったぜ……!!」


ギリリと力を増すシルバーの手に、クロスダイの頭蓋骨がヒビ割れる感触が伝わった。


無論その痛みは、シルバーにも返ってきているはずである。


にも関わらず、シルバーはその手の力を一切緩めようとしない。


「ガァァァァァッ……おっ、お前みたいな雑魚に、やられてたまるかぁぁぁぁぁぁ!!!」


クロスダイは最後の力を振り絞り、シルバーの眼を狙って目潰しを仕掛けようとした。


その手を巻き込むようにして、シルバーの逆の腕の刀が疾走はしった。


クロスダイの頚椎の僅かな隙間を、刀が通り抜けていった。


「あれ……?」


唐突に痛みから解放され、呆けたような顔でクロスダイの表情が固まる。


そのケロイド状の頭部は、胴体から見事に切り離されていた。


二度ほど口をパクパク開閉させて、クロスダイの生首から血が滴った。


それと同時に、胴体の方も膝からくずおれるように、路上にその亡骸をなげうつ。


シルバーはクロスダイの首を投げ捨てると、自分の首を指の腹で撫でつけた。


「……よし。特に痛みはねぇな」


「いや、何でですか!?最後、こいつのクビ真っ二つに切ったのに……」


翔は手を押さえながら、自分の痛みよりも他人の痛みの心配をしていた。


クロスダイが死亡したということは、シルバーも死ぬほどの痛みを感じていて然るべきはずである。


しかしシルバーは、ナイフで刺された時ほど苦痛を感じてはいないようである。


その疑問に、彼は簡単な答えでもって返した。


「こいつが痛みを返してくるなら、痛みを感じるヒマもないほど早く正確にクビを斬りゃあいいだけだ」


その答えに、翔は口をぽかんと開けるしか出来なかった。


寸毫でも太刀筋が狂えば、クロスダイの首に致死の痛みが走り、自分も死んでいただろう。


そのためシルバーは、まず頭を締めつけることで、クロスダイの動きの自由を奪ったのである。


そして彼に最大の隙が出来たのが、目潰しを狙って体が大きく開いた、あの瞬間だった。


種を明かせば一言だが、その腕前はまるで江戸時代の介錯人のようである。


「それより、お前も分かっただろ。弱いヤツがどんな目にあうかよ」


「えっ?」


翔がシルバーと目を合わせると、シルバーはその目で翔の手のひらの傷を見ていた。


「あ……」


翔は反対の手でその深い傷を隠すと、その強い痛みに改めて顔をしかめる。


咄嗟のこととはいえ、自分があんな行動を取れるとは思わなかった。


しかしシルバーは、その行動に感謝するどころか、それは翔が弱かったからだと言ってのけたのだ。


そしてそれは、一抹の真実を含んだものではあるのだろう。


弱いから怪人に反抗できず、自分の手を傷つけるしかなかった。


それは、弱いが故にイジメっ子に従わざるを得なかった、彼の人生の縮図である。


「俺が強かったら、何か結末は変わってましたか……?」


翔は思い切って、シルバーへそう尋ねた。しかしシルバーは、興味なさそうに首をぐるぐる回して言う。


「強かったらそもそも、不良なんぞに絡まれてねーよ。そんで、俺との接点もなかっただろ」


「……確かに」


翔は下唇をぐっと噛みしめ、その顔に悔しさを滲ませた。


「だがまぁ、ただの不良とケンカするよりゃ楽しめた。だからいいこと教えてやる」


「……はい?」


「俺はこの先にいるヤクザの親玉に、ボコされまくって一度も勝ててねーんだ」


「はぁ!?嘘でしょう!?」


翔から見ればただでさえ化け物のようなシルバーを、さらに下す人間がいるとは思えない。


しかしシルバーは、嘘でもなさそうな口調でボヤき続ける。


「嘘だとしか思えねぇよな〜、俺も嘘だって思いてぇよ。だが、マジな話だからなコレ」


「……そうなんだ。世界って広いな」


ほんの数時間のことで、自分を取り巻く周りの環境ががらりと変わってしまったような、そんな不思議な感覚を翔は味わっていた。


「こう言いたかねぇが、俺とお前は立場が同じなんだよ。精一杯背伸びして、強くなるより他に方法はねぇんだ」


「えっ?俺とシルバーさんが、同じ?」


「そーだ。だから弱いモン同士必死こいて強くなって、いつか俺とお前で楽しくケンカしようじゃねーか」


シルバーは人間体になってニヤリと笑いながら、来た道を引き返して歩き始めた。


その言葉は、いま目の前で繰り広げられたような光景を、自分としてみたいということだろうか。


あの凄まじい殺し合いを、自分が演じられると本気で思っているのだろうか。


普段の翔なら、絶対に御免被りたいと思う惨状である。


しかし今の翔には、それが何故か、酷く魅力的なもののように感じられてしまった。


「……ハイッ!いつか、必ず!」


何故か泣きそうな気持ちになって、翔はシルバーへ向かって、勢いよく叫んでいた。


しかしその後、彼とシルバーが再び出会うことはなかった。


不良たちが暴行を受けて入院してから程なく、彼も母親の再婚でこの土地を去ったからだ。


シルバーとの約束を違えてしまった彼は、もうひとつの約束だけは守り抜こうと心に誓う。


それは、強くなること。


転校した先でボクシングを始めた彼は、その粘り強いファイティングスタイルを武器に、プロの頂点まで駆け上る。


穴の空いていた左手は、彼の必殺の左フックを生み出す左腕さわんへと変わった。


髪を銀色に染め、打たれることを厭わないカウンターで相手を斬って捨てる。


七年後、そこには東洋太平洋フライ級チャンピオンとなった、半井翔の姿があった。


リングネームは、『シルバー翔』。


ダサいダサいと言われ続けながら、引退する日までついに変えることのなかった、彼の誇りである。


後に彼はインタビューで、尊敬する人物は誰かを聞かれた時にこう答えている。


「尊敬する人は母で、もう一人はなんて言えばいいか……人じゃないというか」


「けど、俺がボクシングを始めるきっかけになったのは、間違いなくその男です」


「いつかまた会えたら、たぶん路上でも殴り合いすると思いますよ。感謝の意思を表すためにね」


インタビュアーはその答えに目を白黒とさせた。


だが、対するシルバー翔の顔は、それまで見せたのとのない、特別に晴れがましいものだったと関係者には伝えられた。



≪続く≫






【おまけ】


抜き足指し足忍び足。音をさせないように歩くシルバーは、事務所の階段をソロソロと登る。


三階の詰め所まで戻って何食わぬ顔で眠る。それが出来ればシルバーの勝ちである。


しかしその希望は、唐突に開かれた二階事務所のドアに阻まれた。


「おう、シルバー。遅い帰りじゃあねぇか」


「ゲッ……!」


瀧桜閣である。シルバーは露骨に焦った顔をして、そそくさと三階まで上がろうとする。


そのシルバーが横を通り抜けようとした時、瀧はふんふんと鼻を鳴らして呟いた。


「お前、血の臭いがすんぜ。どこぞで喧嘩でもして来やがったか?」


ギクリとするシルバーは、それでも強気で瀧に迫った。


「あ、あんたにはカンケーねぇだろ!!」


「おぉそうだなぁ。俺にゃ関係のねぇこった」


瀧は腕組みし、シルバーを鷹の眼光で睨みつける。


「だがまさかお前、怪人でも何でもねぇ一般人に手出ししちゃいねぇだろうな?」


「ぐっ……そんな詰まらねぇこと、誰がするかよ!!」


「そうかい、なら良かったぜ」


存外簡単に引き下がってくれた瀧に、シルバーはホッと胸を撫で下ろす。


そのまま三階へ上がり寝床に着こうとした彼の背中を、瀧の腕が掴んだ。


「あぁそうだ。こいつぁ俺の勘違いだと思うんだがな」


「な、なんだよ……」


「先に帰ってきたアンラッキーが、お前が人間とケンカしようとしてるってなこと言ってたんだが、何かの間違いだよなぁ?」


「うぐっ……!!」


言い淀んだシルバーの頭頂に重たい拳骨を二発食らわせて、瀧は二階の階段からシルバーを突き落とした。


「ぐわあーーーーーーっ!?」


シルバーの絶叫がこだまして、彼は路上に背をついて転がり落ちる。


「ったく、人様に迷惑かけやがって。罰として今日は他の野郎共の仕事、全部一人でタダ働きしな」


言い終えると瀧は、事務所の中に戻っていった。


巨大な二つのたんこぶを頭に抱え、シルバーはやはりこれほど痛い攻撃はないと、確信したのであった。



【おまけ・おしまい】

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