第9話 白煙の森と魔王城



 ――――遠乗りはいいものだ。



 馬の背に乗り、夜明けの瑠璃色が染め上げる道を一心に駆け抜け、風を浴びていると、どこまでも逃げたい衝動に駆られる。



 夜明けの光は、馬のたてがみまで美しく輝かせ、私は思わず、その毛並みに触れていた。



(こんな風に、自由になれたらいいのに)



 今思えば、私の人生は、箱に閉じ込められていただけの一生だった。子供時代はリーベラ家の屋敷に、嫁いでからは、オレウム城の北の塔に閉じ込められていた。



 ――――いや、自分の意志で閉じこもった。何もかもがつらかった。



 こんな開放感を味わった瞬間は、数えるほどしかなかったように思う。



 だけど、解放感は長くは続かない。




 ――――目の前に、目的地である白煙の樹海が広がっていた。




 その樹海には一年中、白煙のような薄黒い濃霧が蔓延はびこっている。だから、白煙の樹海という名前を冠しているのだ。迷う人が多いので、近隣の住人も、この樹海にだけは近づかないのだという。



 馬を下り、私は樹海の前に立ったけれど、すぐには中に入らなかった。


 魔王の使い魔にうながされるまま、この森に足を踏み入れていいのだろうか。今さら、そんな躊躇いに囚われてしまったからだ。



「・・・・!」



 すると空から、黒い鳥が舞い降りてきて、私の肩に留まる。



 ――――オディウムの使い魔、ムニンだった。



『森の奥へ』



 ムニンは、一言だけ呟く。



 それで心が決まって、私は白煙の樹海の中に足を踏み入れた。



 ――――内部は、まるで白い海のようだった。すべてが白くけぶり、木々の輪郭は霧の中に頼りなく立ち尽くしている。



 木々もどこかしょぼくれて見えて、枝は天を目指すどころか、地面に根を張ろうとしているように、下へ垂れ下がっていた。



 濃霧が漂う世界の中、ムニンが私の肩から飛び立って、道を示してくれる。



 足が止まりがちになると、ムニンは頭上を旋回して、私を急かした。



「・・・・私をどこに連れていくつもりなの?」



『魔王様の居城きょじょうです。樹海の奥にあります』



 私は耳を疑う。



「そんなはずない。だって魔王討伐の際、騎士団が白煙の樹海を何度も捜索したけど、オディウムの城は見つけられなかった。もし白煙の樹海に城があったのなら、騎士団が気づいているはず」


 魔王討伐はまず、魔王の居城きょじょうの捜索からはじめられた。魔物達の根城になっている場所があらかた捜索されたけれど、結局、居城きょじょうは見つけられず、オディウムの討伐も果たせなかったのだ。



『――――魔王の居城きょじょうは、確かにここにあります』



 だけどムニンは、同じ言葉を繰り返す。



 そして私達は、森の中の湖にたどり着く。



 またムニンは私の肩から離れると、白樺しらかばの木で囲われた湖の縁に降り立つ。



『この中に』



 短い言葉では意味がわからず、私は小首を傾げた。


 するとムニンは、お辞儀のように頭を前に倒す。その仕草から、覗き込め、という意味を読みとり、私は湖の中を覗き込んだ。



 湖面は鏡面となって、森の景色を写し取っている。その景色はとても幻想的で、同時に不気味だ。ここが冥界の入口だと言われても、私は驚かない。



 ――――だけど湖に、おかしな点は一つもなかった。



「この湖が何?」



 ムニンは答えず、飛び上がった。急上昇したかと思うと、急下降してきて、湖の中央に降り立つ。


 ムニンの足は、湖の中に沈むことはなかった。一羽のからすが着地した場所に生じた波紋が、やがて大きな輪になっていく。



「・・・・!」



 するとその波紋の輪に沿って、湖面に別の景色が浮かび上がった。




 ――――湖面から白い色が取り払われると、深い水底に存在する、巨大な城が見えた。




「・・・・まさか、湖の底に、城が?」


『オディウムの様の招待を受けた者にしか、居城きょじょうは見えません。・・・・捜索にやってきた、カーヌスの兵士達は実に愚かでした。彼らは水底を探ろうとせず、浅い部分だけ適当に棒でつつき、去ってしまった』



 表情もなく、声にも抑揚がないのに、なぜかムニンは笑っているように視える。



 湖の表面は、魔法で外の景色だけを映す鏡にして、水底が映らないようにしてあるのだろう。



「で、でも、どうやってあの城まで行けばいいの?」



 白く見えていた湖だけれど、波紋が広がり、水面が鏡面ではなくなると、透明度が高いことがわかった。水深はかなり深いようだ。



 湖に沈んでいる城に行くには、水中に入るしかないのだろうか。でも私は泳げないから、躊躇してしまう。



『すべては、幻です』



 そう言いながら、ムニンはちょんちょんと、細い足で湖の上を歩き回る。



 不思議なことに、彼の歩みは水面に波紋を投げるばかりで、その黒い身体が湖に沈むことはなかった。



 そしてムニンは、私の足元までやってくる。



「もしかして――――」



 それである可能性に気づいて、私は意を決し、湖の中に足を踏み出した。



 突き刺さるような冷たい感触が、膝下まで浸食する。



 だけどそれ以上深く、身体が沈んでいくことはなかった。



 視線を下げると、私の足の下を悠々と泳いでいく魚が見える。



 ――――でも、その光景は現実じゃない。湖の水深は現実でも、私が立っている場所だけは、城の入口に繋がる通路がある。その通路は、幻術で隠されているのだ。



『私の後に続いてください』



 ムニンは飛ばずに、歩くことを選んだ。私に、幻術に隠されている、通路の位置を教えてくれようとしているのだろう。


 おそらく通路から足を踏み外せば、湖の中に転落してしまうだろう。だけどどこまでが通路で、どこからが湖なのか、幻術で隠されているため、私にはわからない。


 私は通路から落ちないように、用心深く、ムニンがたどった道順を追いかけた。



 そして、ある地点でムニンは立ち止まる。



「・・・・!」



 振動を感じ、よろめいた瞬間、水の中から何かが張り出してきた。それは水を散らしながら、私の前に立ちはだかる。



 巨大な洞穴のようなそれの奥には、地下に降りていく階段が見えた。魔王城の入口のようだ。



『行きましょう』



 ムニンはようやく飛び立ち、入口の奥の闇に溶けていった。



「・・・・・・・・」




 ――――もう、後戻りはできない。




 私も覚悟を決めて、魔王城の中に踏み込んだ。

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