第8話 脱走を手伝ってください!_後編
「それで、俺はしゃがめばいいのか?」
「ええ、お願い」
男性はさっきのように、私の前に跪いた。それから、私が登りやすいように、背中を丸めてくれる。
「どうぞ、お嬢様。俺の背中を好きにお使いください」
「ありがとう」
私は男性の背後に回って、彼の広い肩に膝を乗せる。
「これはこれで、役得――――」
「・・・・・・・・」
「わかった、変なことは考えないから、睨まないでくれ」
「・・・・どうして睨まれてることがわかるのよ・・・・」
彼は背中で、怒りの眼差しを感じ取ったようだ。
私が彼の肩にまたがると、彼は私を落とさないように、膝を抱える。
「立ち上がるから、しっかり捕まっててくれよ」
「うん」
「よっと」
彼は私が体勢を崩さないように、慎重に立ち上がってくれた。子供が大人に風車してもらうのとは違い、少し不安定だけれど、男性がしっかりと抱えてくれているおかげか、落ちる心配はなさそうだ。
「・・・・誰もいないよな?」
なぜか急に、男性はあたりを気にしはじめる。
「誰もいないわ。・・・・どうして急に気になったの?」
「結婚式の夜に、暗い場所で肩車しているなんて、不審者だと誤解されて事情聴取されてもおかしくないからな・・・・」
「確かに・・・・」
「見る人が見たら、変態行為と受け取られる可能性もある」
「そんなはずないでしょ! どうして肩車が、変態行為になるの!? もし変態行為だと思う人がいたら、その人は想像力がたくましすぎるわ!」
「おい、膝で俺の首を絞めないでくれ」
「あ、ごめんなさい」
不安定な姿勢を怖がるあまり、無意識に膝に力を込めてしまっていた。
「肩車の最中に首を絞められる、なんてのが俺の死因になったら、末代までの恥になる。墓場から、君を恨み続けるぞ」
「大丈夫、安心して。もしあなたがうっかり亡くなったら、塀の蔦をあなたの首に巻き付けるわ。まわりは、あなたが泥酔したあげく、蔦に絡まって死んだと思うはず。それで、あなたの名誉は守られる」
「待って、守れてない。俺の名誉、全然守れてない!」
「あら、女に足で首を絞められて死んだ、なんていう下品極まりない死に方よりも、ずっとマシでしょう?」
「・・・・それは処刑方法は八つ裂きがいいか、釜茹でがいいかと聞くようなものだ。恥ずかしさの方向性が違うだけで、どっちも最低の死に方だぞ。俺にもし子孫がいたのなら、子孫の前に
「・・・・ごめんなさい、私、不見識で、
「土下座の発展形態だよ。
私はそっと、溜息を零す。
「・・・・また、つまらない知識が増えてしまったわ。すぐに記憶から消去することにしましょう」
「そう言わず、覚えておいてくれ。豆知識があるだけで、人生は潤うものだ」
「いくら想像力を働かせても、そんな知識を役立てる場面が思いつかないわ。そもそもいくら私でも、そんなプライドを根こそぎ石に投げ打つような真似はしないわよ。・・・・というか、する人がいるのかしら?」
「俺はしたことがある」
「本当に!? もしかしてさっきの話は、実体験なの?」
「実体験だ」
男性は壁に、手の平を押し当てた。
「塀の上に、手をかけるんだ。できるか?」
男性が爪先だって、塀の上に手が届きやすいようにしてくれた。私は腕を伸ばし、塀の縁をしっかりとつかむ。
「できたわ」
「それじゃ、君の身体を持ち上げるから、塀の上に登れ」
男性は今度は、私の腰に手をかけて、身体を持ち上げてくれる。彼のおかげで私はあっさりと、塀の上に足をかけることができた。
「本当にありがとう」
塀の上に正座して、私は男性にお礼を言った。
「これぐらい、構わないよ」
「それじゃ、これで――――」
「待って、これ、忘れ物」
男性がさっと、私の手を取る。そして指に、何かを嵌めた。
手を引いて、指に嵌ったものを確かめると、それは私が報酬として男性に渡した指輪だった。
「え? だって、これ・・・・」
「たったこれぐらいのことで、こんな高価な物は受け取れない」
「で、でも、私のせいで散々な目に遭ったでしょう?」
「構わない。君のおかげで、楽しい時間が過ごせた。それじゃ、また」
にこりと笑うと、男性は木立の向こうに姿を消した。
「・・・・・・・・」
不思議な気持ちになりながら、私は蔦を縄梯子代わりに、城外に脱出した。
「・・・・さてと」
塀の外に足をつけ、私は一息つく。
思わぬ出来事で、ささやかな楽しさを味わうことができたけれど、浮かれるのもここまでだ。――――頭を切り換え、私は表情を引きしめる。
「――――オディウムに会わないと」
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