第7話 脱走を手伝ってください!_前編



「・・・・ふう」



 男性の気配が感じられなくなったところで、私は一息つき、オレウム城を取り囲む高い塀を見上げる。



「次は、これをどう攻略するか、よね・・・・」



 寝室を抜け出す、という最初の難関は、偶然居合わせた親切な男性の存在によって、切り抜けることができた。



 だけど私にはまだ、突破しなければならない壁――――文字通り、壁があった。



 ――――城を取り囲んだ、高い塀という難関が、私の眼前にそびえていた。長方形の四面しめんの高さは、おそらく三メートルほどあり、それを乗り越えないと、私は外に出られない。



 とはいえ、城の裏手の塀は手入れが行き届かず、壁には蔦が、唐草模様のような自由な曲線を描いている。


 蔦を縄代わりに使えば、登ることができるはず――――私はそんな、雑すぎる計画を立てていた。



「・・・・っ!」



 蔦をつかみ、体重を乗せようとすると、蔦がぶつりと切れる。



 ――――当たり前だ、細い蔦に、私の体重を支えるだけの強度があるはずがない。数本を束ねてみたけれど、やはり切れてしまった。



「・・・・どうすれば」



 困り果て、私は塀沿いの立木に目をつける。


 木に登り、塀に向かって手を伸ばしてみるものの、指先はかすりもしない。


 下から見上げた時は、木立と塀の距離は近いように見えた。



 だけど、実際手を伸ばしてみると、私の腕の長さでカバーできるほど、距離は短くなかった。



「うー!」



 犬のように低く唸りながら、必死に外壁に手を伸ばしてみたものの、やはり指先さえかすらない。



「・・・・!」



 その時、静かに下草を踏む足音が聞こえた。私は息を呑み、見つからないように、木の葉の覆いの中に引っ込んだ。そして、息を詰める。



 やがて、グラスを持った男性が現れた。彼は塀沿いを歩きながら、グラスを揺らし、氷が鳴る音を聞いている。彼がグラスを持ち上げると、ガラスや氷が月光の雫を受け取り、きらきらと煌めいた。




 ――――そこにいたのは、さっき私を助けてくれた赤髪の男性だった。




「あっ!?」



 思わず、驚きの声を発してしまう。



「・・・・!」



 すると頭上から落ちてきた声に驚いたのか、男性の肩が揺れた。



 ――――また、目が合ってしまう。



「き、奇遇ね。また会うなんて」



 他に言葉が思いつかず、そう言うしかなかった。



 すると男性は、楽しそうに笑う。



「確かに奇遇だ。今度は、木登りに挑戦してるのか? ・・・・面白いな。結婚式でみんなが浮かれてる日に、暗い場所で一人黙々と、壁を下りたり、木登りに挑戦してる女性がいるなんて。何が君をそこまで駆り立てるのか、その理由が知りたい」


「・・・・・・・・」



 また、からかわれてしまった。被害妄想かもしれないが、今度は男性の目の奥に、奇行に走る女へ向けた、憐れみさえ宿っている気がして、その目を直視できない。



「それで、何をしてるんだ?」


「あ、あなたには、関係ないでしょ」


「ええ、確かに。・・・・お邪魔のようですから、俺はこれで失礼します」


「ああ、待って! ごめんなさい、お邪魔じゃないから、ここに残って!」



 必死に訴えると、動き出そうとしていた男性の足が、ぴたりと止まった。



「こ、厚顔なのはわかってるけど――――もう一つ、頼みを聞いてくれないかしら?」



「・・・・・・・・」



「塀を越えるのを、手伝ってほしい」



 さんざん無様なところを見せたうえ、失礼な態度をとった相手にたいして、私はまた頼みごとをしようとしている。怒られて、置き去りにされても、文句が言えない状況だった。


「・・・・ふむ」



 だけど男性はまったく怒りを見せず、少し考えている様子だった。



「とりあえず、降りてきてくれ。この距離じゃ、声が聞こえにくい」


「・・・・わかった」


「手を出して」



 男性が手を差し伸べてくれたので、私はその大きな手の平に、自分の手を重ねる。



「わっ・・・・!」



 男性はさらに手を伸ばして、私の手首をつかむと、強引に引っ張った。私は体勢を崩して落下したけれど、男性がしっかりと抱きとめてくれる。



「び、びっくりした・・・・」


「すまない、でもゆっくり降ろすのは時間がかかると思ったから」



 男性の手を借りることで、私は真っ直ぐ立つことができた。一息ついて呼吸を整えてから、私はあらためて、男性と向かいあう。



「それで? どうしてそこまでして、城を出たいんだ?」



 恐れていた質問が、男性の口から出てきた。



「・・・・理由は言えない」


「・・・・・・・・」



 男性の目が、疑惑の色を帯びる。



「り、理由は言えないけど、ある程度の謝礼なら払えると思う。こ、これならどうかしら?」



 鋭さを増した視線に慌てて、私は籠の中から、指輪を一つ取り出して、男性の眼前に突きつける。



「あ、あなたがお気に召すかわからないけど、売ればそれなりのお金になると思うの」



 高価な赤い宝石があしらわれた金の指輪だから、売ればかなりの額になるはずだ。



「・・・・・・・・」


 私が男性の手の平に指輪を置くと、彼は指輪をつまみ、まじまじと値踏みした。



「・・・・そ、それじゃ足りない?」



 男性の表情が読めなくて、私は不安になる。



 すると男性はにこりと笑って、私の前に片膝をついた。




「喜んでお受けしましょう、お嬢様」




「ありがとう!」



 不安の反動で、私は思わず飛び跳ねてしまった。男性はさっと立ち上がり、真っ直ぐ私を見る。



「それで、俺は何をすればいいのかな?」


「足場になってもらえるかしら?」


「・・・・・・・・」



 男性の顔から、さっと表情が消えた。



「・・・・足場か」


「ええ。・・・・不満?」


「なんかこう、正門を強行突破、みたいな派手な脱出方法を思い浮かべてたんだが・・・・」


「そんな大事にできるわけないじゃない! 私はひっそりと、ここから出て行きたいの!」


「・・・・今から、前言を撤回することは――――」


「できない」



 男性は溜息を吐き出す。




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