第2話 狂王



 ――――私は、カーヌス神聖王国で生まれた。



 名前は、ルーナティア・リーベラ。これでも貴族の生まれで、代々、国王に仕えてきた、リーベラ家の令嬢だった。



 カーヌス神聖王国は、広大な国土と、強大な軍事力を持つ、西の大国だ。周辺には強国が並び立っていて、大陸は栄えている。



 強国が一か所に集まれば、争いが起こるのは世のならい。だけどカーヌス神聖王国は長い歴史の中で、ただの一度も、他国の侵略を許したことはない。



 この国を支配する王族、カルデロン家が、大陸の歴史上累を見ない、強大な力を持っていたからだ。



 ――――ドラゴンレーベン。その紋章を持つ者は、ドラゴンを召喚し、使役する力を持つ。



 ドラゴンレーベンは代々、カルデロン家の長子に引き継がれてきたらしい。左手の甲に宿るそれを、天に掲げ、ドラゴンの登場を願うと、黒雲の割れ目から黒色の鱗に覆われたドラゴンが、堕ちてくるように現れるのだ。


 実際に歴代国王は、その力で外敵を打ち払ってきた。



 だけど強大すぎる力は、外敵を打ち払うことには長けていたけれど、内政には影を落とした。



 カーヌス神聖王国は、長く平和だった。



 けれど徐々に、王族であるカルデロン一族の横暴さが目立ちはじめる。絶対王政の上に胡坐あぐらをかき、酒池肉林に溺れ、政治はないがしろにされた。



 国王の監視の目がないことをいいことに、閣僚達も自己の利益ばかり追求するようになり、その腐敗は重税という結果になって、国民に押しつけられるようになる。


 未来を憂いて、国民が政治の腐敗を糾弾すると、強大な力を持つ国王は今度は、圧政で国民を苦しめ、さらには外敵を退けるために使ってきたドラゴンレーベンの力を、内政に向けるようになった。



 時には、虐殺が起こることもあった。



 ――――狂王きょうおう。狂気的な政治を行う国王を、恐怖と憎悪を込めて、国民はそう呼んだ。


 だけど国民にとっては幸いなことに、狂王きょうおうの支配は、どれも短命だった。


 歴代の狂王きょうおうがなぜ早世したのか、薬物説や病気説など諸説あるけれど、はっきりした原因はわかっていない。


 統治は数年で終わり、平穏になったかと思えば、また次の狂王きょうおうが現れる。そんなことが、数百年ほど続いた。



 そしてカルデロン一族の支配が続いて、三百年後、カーヌスは、歴史上最悪の国王を王位にいただくことになる。



 ――――十三代目国王、エセキアス・カルデロン。



 私の、夫となった人物だ。



 金髪碧眼、顔立ちは美形で精悍せいかん、背は高く、身体は鍛えられている。カーヌスでは理想とされる髪色や顔立ちで、笑うと目元が柔らかくなり、その笑顔で女性達を魅了する人だった。


 さらにエセキアスは、表向きは好青年らしい振る舞いをしていたため、国民からは完璧な王子だと思われていた。



 だが実際には裏の顔があり、近しい者には幼い頃から、狂暴な一面を見せていたらしい。



 気に入らないことがあると暴言を吐き、暴れ、従者に暴力を振るうことは日常茶飯事だったそうだ。さらには、素行を諫めた召使いを、斬りつけたことまであったらしい。


 だけど、それらの不祥事はカルデロンの力で揉み消されたため、多くの人々は、エセキアスの表向きの仮面に騙されていた。



 私も、その一人だ。



 結婚式を終えた直後、彼は私にたいして、本性を剥き出しにする。



 二人きりになったとたん、彼は私を殴りつけた。何度も、何度も、執拗に。



 どうして殴られるのかわからないまま、私は暴力に耐えて、気を失うしかなかった。


 後から知ったことだけれど、エセキアスは私ではなく、私の異母妹のエレアノールとの結婚を望んでいたらしい。だけどリーベラ家が差し出したのは、私だった。彼はそのことに、腹を立てていたのだ。



 ――――それが私が最初に目の当たりにした、エセキアスという人間の異常な狂暴性だった。



 その夜受けた暴力が原因で、子供が産めなくなった私は、北の塔に幽閉されることになる。それ以降、政治はおろか、公の場には一度も顔を出さなかった。



 だからそれから先の出来事はすべて、実際に私が自分の耳目で確かめたことではなく、侍女から又聞きしたものだ。



 侍女によると、エセキアスは名ばかりの存在となった王妃の代わりに、スカーレット・メルトネンシスという女性を愛人にして、彼女に爵位まで与え、側に置いていたそうだ。


 美女をはべらせてもエセキアスの暴力性が治まることはなく、それどころか年々悪化し、国民はますます、圧政に苦しめられることになる。



 その結果、国民の生活は酷税によって過酷を極め、餓死者が道に溢れて、各地で暴動が相次いだ。



 だけどエセキアスが自分の考えを改めることはなく、行動を起こした人々をすべて捕縛され、処刑されてしまう。


 大臣達も、ただこの状況を眺めていたわけじゃない。国民の惨状を訴えた者は地位を奪われ、エセキアスを咎めた者は、その場でエセキアスの手によって、斬り殺された。


 結果、エセキアスのまわりには媚びを売る人しか残らず、なし崩しにカーヌスの政治体系は瓦解していって、政治は機能しなくなった。




 やがて、暴徒と化した人々がオレウム城を包囲すると、エセキアスはドラゴンの力を使って、町を焼き払ってしまう。人々はもちろん、家屋も一瞬で灰燼と化し、一帯は焼け野原となった。




 私は何もできず、塔の上から、炎の海となってしまったカーヌスの町を見下ろしていた。火の粉を浴び、黒煙が海原のように波打つ様子を、ただ見つめることしかできなかったのだ。



 棚引く黒煙の柱の合間を、両翼りょうよくを広げたドラゴンが悠々と飛翔していた。



 やがてドラゴンはまだ無傷の塔に目を付け、近づいてくる。



 逃げようとは思わなかった。――――逃げ場がないことはわかっていた。



 ドラゴンが大きく顎を開くと、喉の奥で踊る炎が見えた。



 そして放たれた炎の塊が、塔すら炎の色でくるむ。



 焼かれるよりは、と、私は塔から身を投げた。



 吹き上がってくる熱風が渦を巻いて、私の身体すら巻き取る。近づいてくる地面を見て、私は目を閉じた。



 ――――それが、私の最期の記憶だ。



 ――――最期の記憶になる、はずだった。

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