魔王になったけど、夫(国王)と義弟(騎士団長)が倒せない!

炭田おと

第1話 笑ってはいけない魔王就任式



「・・・・さあ、あの椅子に座ってくれ」



 そう言って、角を持つ少年の姿をした亜人あじんが、そううながしてきた。



 そこは石で囲まれた、湿度の高い空間だった。石の柱以外には何もなく、灰色の石壁が、空気を氷のように尖らせている。



 奥は台座のように高くなっていて、階段が玉座の前に続いていた。



「あの椅子こそ、代々、魔王と恐れられてきた存在が座ってきた玉座だ」



 代々、この大陸の人々から、魔王と恐れられてきた存在が腰かけてきた椅子――――まさかその椅子に座る瞬間が訪れるなんて、今までの人生で一度も、想像したことすらなかったことだった。



「みんな、その瞬間を待っている」



 玉座のまわりには、大勢の亜人あじん達が集っていた。



 ――――竜頭人身りゅうとうじんしんや、虎頭人身ことうじんしんなど、様々な姿をした亜人あじん達。彫像のような筋骨隆々の肉体を持つ、魔王軍の兵士達が、聖堂を支える柱のようにずらりと並んでいる光景は、とても壮観だ。



 彼らはその逞しい身体の上に鎧を被せ、剣や槍、斧など、それぞれの武器を持っている。



「あんたがあの玉座に座れば、新しい魔王が誕生したと、みなが認めたことになる。それで戴冠式は終わりだ」



 ――――玉座に腰を下ろせば、私は彼らに、次の魔王と認められる。大陸の人々が恐れ、忌み嫌い、憎悪している、悪の枢軸の首領しゅりょうになるのだ。



(私が、魔王と呼ばれる日が来るなんて・・・・)



 躊躇したものの、すぐに私は考えを翻す。



 ――――狂王きょうおうから国を救うためには、力が必要だ。



 たとえそれが、邪悪な力だったのだとしても。



「・・・・座るだけでいいの?」


「ああ、それで魔王戴冠式は終わり。あんたは晴れて、新しい魔王として認められるってわけさ」


「それだけ? すべきことは、たったそれだけでいいの?」


「それだけで十分」



 言われるまま、私は玉座に向かって、一歩踏み出した。



 一歩一歩進むたびに、ヒールがこつこつと音を鳴らす。緊張で手足が強ばり、筋肉が引き攣ってしまいそうだった。


 でもここは、魔王になるものとして、威厳を保たなければならない。緊張を押し殺して、私は階段に足をかけようとした。



「・・・・っ!」



 踏み段に足を乗せた、つもりだった。



 でも、この空間に蔓延はびこる湿度のせいか、ヒールが滑って私は踏板を踏み外し、無様に角に顎をぶつけてしまう。



「ぶっ!」


 ――――背後から、誰かが吹き出した声が聞こえた。



 勢いよく振り返って、魔王軍の兵士を見る。



 数人が、必死に笑いを堪えていた。口を開けまいとして、頬をひくひくと痙攣させている。



「・・・・・・・・」



 私は痛みと恥ずかしさを堪えて、急いで立ち上がった。そして気を取り直して、階段を上る。


 あと二段というところで、私はまたつまづいてしまった。



 ――――衝撃で片方の靴が脱げ、飛んで言ったあげく、強面のトカゲの兵士の頭に着地する。



「ぶはっ!」



 そこでこらえきれなくなった兵士が一人、笑い声を散らす。



 その兵士は他の兵士に頭を叩かれ、慌てて自分の手で口を塞ぐけれど、それでも笑いは止められないようで、肩が震えていた。



 私は腹立ちを抑えながら、最上段で身体を反転させ、玉座に腰を下ろした。ドレスのスカートが玉座の腰かけに収まりきらずに、蕾のようにふわりと広がる。石の玉座は氷のように冷え切っていて、接している部分から体温を奪われていった。



 その段階でもまだ、笑いを堪えている者がいた。ムッとしつつ、乱れた髪を治し、スカートの裾を伸ばす。



「・・・・これでいいの? 魔王戴冠式は終わり?」


「終わりです、ボス!」



 魔王軍の兵士達は、いっせいに私の前に跪いた。



 ――――情けない戴冠式になってしまったものの、私はこれで、魔王という称号を得た。



 言葉では表しきれない感情がせり上がってきたけれど、みんなの手前、無表情であるように努めた。



「褒めてください、ボス! 俺達、笑ってはいけない魔王戴冠式を、無事、耐えきりましたよ!」



「・・・・・・・・」



 ――――だけど私のそんな感動は、兵士の一人が言い放った、〝笑ってはいけない魔王戴冠式〟という言葉で粉微塵になってしまう。



 私の靴を頭部に食らったトカゲの兵士は、まだその靴を帽子のように被ったままだった。動いてはならないと思っているのか、トカゲの兵士は、頭に乗った靴を取ろうとしない。



「あなた」



 私は、笑ってはいけない魔王戴冠式と言ってのけた、豚に似た頭部を持つ兵士を指差す。


「はい?」


「名前はなんていうの? 所属は?」


「所属?」


「あなたが所属する、部隊のことよ」


「あ、そういうの、魔王軍にはないんで」


「ないの!?」


「魔王と、後は全員、一兵卒です」



 頭痛を覚え、私はこめかみを押さえる。


 魔王軍では指導者や、片腕として働いていた人物以外は、すべて同列に扱われているようだ。


 私は軍隊の仕組みについて詳しいわけじゃないけれど、そんな素人の私から見ても、序列がない組織は奇妙なものに感じられた。


 だけど序列がなくても、今まで問題なく運用できていたのだから、改変する必要はないのだろう。



「――――とにかく、あなたは降格よ。一兵卒からやり直しなさい」


「ひどいっ!」



 その兵士は、今にも泣き出しそうな声を上げる。魔王軍に階級がないのなら、降格という言葉には何の意味もないのだけれど、それでも彼は降格と言われて悲しいようだ。



「とにかく、これで戴冠式は終わりだ」



 最初に私に声をかけてくれた、角を持つ亜人あじんが、台座に上がってくる。



「それで、魔王になった気分は?」



 私は深呼吸して、ここに至るまでの出来事を、一つ一つ思い出していった。

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