第一章 暗殺遊戯 その3

       †


 アリアローゼ・フォン・ラトクルスはこの国を改革しようとしていた。

 富の不均一、法の不平等、いわれなき差別、それらを是正し、この国に住まうものをすべてに幸福をもたらすのが使命だと思っていたのだ。

 そのためには女王、あるいはそれに近しい存在になるのが手っ取り早いと思っていた。アリアローゼには兄や姉が何人かいるが、彼ら彼女たちを差し置いて王位に就けないか、日々模索していた。

 第三王女、それも妾腹の娘が女王など有り得ない。

 宮廷の保守的な勢力は口をそろえていうが、宮廷はそのような輩だけでなく、この国を改革しようとする人々もいた。俗に〝改革派〟と呼ばれている人々である。彼らは少数であるが、それぞれ大志を持っており、有象無象の保守派よりも遙かに有能だった。アリアローゼは彼らの信を得るため、日々、夜会や根回しに精を出していた。

 今日もロナーク男爵の家に赴き、人脈を構築していたのだが、話が国家百年の計に及ぶとつい長居をしてしまった。日付が変わるほど熱心に議論を交わすとそのまま宿泊することになった。

 その話を聞いたとき、俺は片方の眉をつり上げる。

「予定にないが」

 アリアローゼの忠実なメイドに尋ねる。

「妹ちゃんが来てないことが?」

 前回の夜会で妹がいちゃついてきたことを茶化しているのだろう。性格の悪いメイドだ、本当にアリアの女中なのだろうか。

 ジト目で見つめるが、気にしても仕方ないので話を続ける。

「まさか。妹がいれば護衛どころじゃない。俺が聞きたいのは宿泊の予定はなかった、ということだ」

「そりゃ、予定にないっしょ。予定に入れてないのだから」

「彼女の警備を統括するものとしては困るのだが」

「まあでもこんな夜更けに馬車で帰るよりはいいんじゃない?」

「まあ、そうだが」

 本当はもっと早く話を切り上げてほしかった、と言っても始まらないだろう。

「この屋敷の主は信用できる。国を思う気持ちがなければあのような議論は交わせないだろう」

「でしょ。食事に毒を出される心配も、寝込みを襲われる心配もない」

「しかし、男爵だけあって屋敷は手狭だな」

「あんた、人様の家によくもまあ」

「警備的な観点から言っているんだ。あまり護衛もいないようだし」

「そりゃ、そうだけど」

「緊張感も足りないようだ」

 窓から外を眺めると、門番があくびをしていた。中にはボトルに入れた蒸留酒を飲んでいるものもいた。

「戦力には換算できそうにない」

「そっか、じゃあ、マリーたちが頑張って警護しないとね」

「そういうことだ」

 話がまとまった俺たちは協力して姫様を警護することにする。マリーは彼女の部屋で眠り、その間、彼女の部屋の前で俺が寝ずの番をするという寸法だ。

「てゆか、あんた、寝ないの?」

「寝ない。安心しろ、授業中にたっぷりと寝るから」

「ならいいけど」

 本当はよくはないが、学業よりも護衛のほうが遙かに大切だった。俺は廊下に背を預けると、片目をつむった。

「出た! 必殺、リヒトのヤバイ特技」

「うるさい」

 ヤバイ特技とは右脳と左脳を交互に休める特技である。右脳を休めるときは左目を、左脳を休めるときは右目をつむるのだ。脳を交互に寝かすことにより疲労回復を図る技である。無論、熟睡には遠く及ばないが、それでも脳を休める効果はあった。この特技を駆使すれば三日間は寝なくても済むほどである。

 俺はマリーにヤバイといわれても、通りがかった男爵家の使用人に気味悪がれられても気にせず護衛を続けた。すると深夜、俺の想像通りの展開となる。

 男爵の家はさほど大きくない。さらに王都郊外にある。つまり強襲をしても周囲に気がつかれにくい。王都の護民官に助けを求めても数時間の時差ラグが発生してしまうのだ。その時差を利用すれば、人ならぬもの、〝魔物〟を使役することも可能だった。

 深夜、丑三つ時、つまり午前二時、俺は小さな物音に気がつく。がちゃりとなにかが倒れる音を聞いたのだ。それが門番がなにものかに倒された音だと気がついたのは、俺の耳が地獄耳だからではなく、魔法で聴覚を強化していたからだ。これあるを予期し、探索系の魔法をこれでもかと掛けておいたのである。

「――敵は人間の暗殺者アサシン三人、それにゴブリンが三〇匹 か」

 王都郊外であることをいいことに数で攻めてきたようだ。ゴブリンで屋敷を強襲させ、その混乱に乗じてアリアを討つというのが敵の作戦だろう。

 ちなみに敵は〝バルムンク〟だと思われる。現在、アリアローゼと対峙するものは多いが、その中でも最大にして最強の敵がバルムンクだった。

 ランセル・フォン・バルムンク侯爵はラトクルス王国の財務大臣を務める重臣である。リヒトとエレンの父であるテシウス・フォン・エスターク伯爵と並び称される人物で、治のバルムンク、武のエスタークなどといわれている。

 彼を犯人だと断定するのは、このように大規模の集団を、手際よく集めることができるものが限られているからだ。

 それに彼には動機と前科があった。前日、学院生をけしかけ、アリアローゼを誘拐したのである。特殊な〝素体〟でもあるアリアローゼを欲したということもあるが、それ以上に〝政敵〟となり得る彼女を排除しようとしたのだと思われる。

 今はまだ小さな存在であるが、アリアローゼは将来の大敵となると思っているのだろう。

 その判断は限りなく正しい。バルムンクは糞野郎だが、人を見る目だけはあるようだった。

「それと策謀力も高い」

 アサシンが門番を倒すと、ゴブリンどもが闇夜に紛れて侵入してくる。静かな行軍だ。指揮官の指示が行き届いているのだろう。その指揮官を雇ったバルムンクの目はやはり慧眼だった。

「ただ、まあ、相手が悪かったかな」

 侵入者は手練れであるが、王女を守る〝護衛〟はそれ以上の手練れだった。ゴブリン程度ならば何人襲いかかってきても負ける気がしなかった。

「それにこの事態を見越していたから、〝罠〟を無数に仕掛けておいた。やつらは狩る側ではなく、狩られる側だったと自覚することになるだろう」

 不敵に笑みを漏らすと、腰の神剣に手を伸ばす。聖剣ティルフィングだ。女性人格を持つ無機質に語りかける。

「これからゴブリンどもを切り裂くが、準備はできているか?」

 彼女は元気な声で答える。

『もちろんだよ。やる気満々だよ!』

「そいつはいい」

 ついで反対側の魔剣に話し掛ける。

「グラムよ、先日以来の抜刀となるが、大丈夫か?」

『笑止、我を誰だと思っている。憤怒の霊剣とも呼ばれている我の実力を見せてくれよう』

「そいつは頼もしいな。しかし、今日は派手な魔法剣とかはなしでお願いする」

『ほえ? なんで?』

 ティルフィングはアホの子のような声を上げる。

「姫様は連日の夜会でお疲れだ。今宵はゆっくり眠ってもらいたい」

『え、姫様を起こさず倒すの?』

「できれば」

 魔剣グラムも驚く。

『それは無理ではないか。三〇匹ものゴブリンだぞ、乱闘になる』

「ま、そのつもりでってことだ。一応、姫様の寝所には防音魔法を張った。無論、この付近まで押し入れられれば起きてしまうだろうが」

『じゃあ、この入り口付近で倒すってことか。それならばまあ』

 ティルフィングは納得したようだが、グラムはまだ信じられないようだ。そんな魔剣に聖剣は言う。

『ふふん、グラムはリヒトとの付き合いが短いから分からないようだけど、リヒトは超強いんだからね。見てな、あっという間にゴブリンをミンチにしてしまうから』

『まるで我がことのようだな。戦うのはリヒト殿だろう』

『ワタシとリッヒーは一心同体なのさ』

 ふたりのやり取りを聞き終えると、俺は右手でティルフィングを抜刀し、左手でグラムを抜刀した。そのまま闇に紛れるような形で一階に降りていった。

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