第一章 暗殺遊戯 その2

 さて、そのような最悪の出逢いをしたエレンとアリアであるが、それ以降、角を突き合わせることはなかった。妹は入学試験や手続きで忙しかったのだろう。むしろ、俺とも会う機会はほぼなかった。静かすぎてこっちに来ているのを忘れた、といえば臍を曲げるので口にはしないが。

 ただ、兄として常識論は言うが。人目も憚らず抱きついてくる妹に距離を取るようにうながす。

「エスターク家の御令嬢がはしたないぞ」

 学院の敷地内で子供のような真似をするのは控えてほしい、と諭す。

「なにをおっしゃるのです。私と兄上様は兄妹ではありませんか」

「普通、兄妹は人前で抱き合うことはない」

「人前でなければよろしいのですか?」

「よくないよ」

 そのように否定するとエレンは頬袋に詰めものをしたかのように不平を漏らす。

「リヒト兄上様の意地悪。私がこうしてやってきたというのに」

「それなんだが、よくここまでやってこれたな」

「入学試験のことですか? それならば満点で合格しましたよ。特待生エルダーでしたっけ? 満場一致でそれに選出されました」

「いや、そっちのほうは疑っていない」

 エレンの実力は誰よりも俺が知っていた。彼女は英才の宝庫と謳われたエスターク家の中でも白眉と称されるほどの実力を秘めている。その実力は、兄たちは言うに及ばす、女性の中では歴代最強と言ってもいいほどの才能を秘めているのだ。特に剣術に秀でており、魔法を使わない勝負ならば一〇本やれば一回はいい一撃を貰ってしまう。だから彼女が特待生エルダーになってもなんら不思議ではなかった。

「俺が不思議に思っているのはエスターク城の連中がよく許可をしたな、という意味だ」

 父親も義母も義兄たちもエレンのことを深く愛していた。末娘ということもあり、猫可愛がりしていたのだ。

「ああ、そちらですか、ええと、そちらのほうはあれです。いつもの我が儘おねだりモードで切り抜けました」

 心なしかエレンの目が泳いでいるような気がする。

「もしかして父上に内緒でここまでやってきたのか」

「まさか、家長の許可なく王立学院に入学できるわけがありません」

「まあ、たしかにそうだが」

「……父上のサインを偽造したなんてとても言えない……」

「なにか言ったか?」

「いえ、なにも。相変わらず兄上の御髪は素敵ですね、と言ったのです」

 エレンは俺の髪を撫でる。

「寝癖を付けていると王女の護衛失格だからな」

「さすがは兄上様です」

 エスターク家の誉れですわ、と続けるが、嫉妬も忘れない。

「リヒト兄上様、兄上様とあろうものがなぜ護衛などなさるのです」

「王女の護衛は誉れじゃないのか?」

「もちろん、名誉ある仕事ですが、兄上様ならばもっとよい仕事があるはずです」

「たとえば?」

「たとえばですが、エスターク家の当主とか」

「それは兄上たちに任せるよ」

「ならば近衛騎士団の団長とか」

「それは俺には荷が重すぎる」

「そのようなことはないと思いますが」

「ちょうどいい、と言ったら失礼に当たるかも知れないが、俺には領地や国は重すぎる。俺のひ弱な腕では女の子ひとりくらいしか支えられないのさ」

「ならばその女の子を私に」

「それは検討しておく」

 言下に断るような愚かなことはしなかったので、妹は納得するが、疑問を引っ込めたわけではなかった。

「王女の護衛の件はひとまず納得しますが、兄上様の階級の件は納得できないのですが」

「階級?」

「はい。この学院は特待生エルダー一般生エコノミー下等生レツサーという階級に分かれていると聞きます」

「そういえばエレンは特待生エルダーになったんだったな。おめでとう」

「おめでたくありません、兄上様が特待生エルダーだと思ったから頑張って満点を取ったのに」

「まさか最下級の下等生レツサーになってるとは夢にも思わなかったか」

「なぜ、手を抜いたのです」

「本気でやってこれなんだが」

 己の下等生レツサーの制服に視線をやる。そこにはの証があった。

「まさか、私が何年、兄上様の妹をやっていると思っているのです」

「生まれたときからだからかれこれ一四年くらいか」

「それと六ヶ月です」

「相変わらず細かいな」

「私は物心ついたときから兄上様を見つめていました。兄上様は魔法の力を隠して育ってきましたが、その内には莫大な魔力があります」

「過大評価だな」

「魔術の知識は智の賢者よりも勝ります」

「しょせんペーパーテストだ」

「剣術の腕前は聖騎士を上回る」

「剣士科ならば評価されるんだがね」

「幸か不幸か、兄上様は魔法剣士科」

「そういうこと」

「しかし、私の知る限り、兄上様は魔法剣士としても魔術師としても最強の存在です。特待生エルダーですら足下にも及ばない実力を持っているのに」

「世の中、広いものさ。案外、の中に最強の逸材が紛れているかも」

「それはありません。先日、特待生エルダー十傑を何人か見てきましたが、皆、兄上様に遠く及ばない人材でした」

「エレンの色眼鏡越しだからなあ」

 俺も特待生エルダーは何人か見てきたが、さすが王立学院の試験で上位の成績を修めたやつらだけはあって皆、才能があった。生まれ持った魔力の量が常人とは違うし、幼き頃から鍛練を積んでいる。さらに俺のように〝神剣〟と呼ばれている聖剣や魔剣を持っているものまでいる。

 腰に下げている己の聖剣と魔剣を見つめる。白い聖剣はティルフィングと呼ばれている聖なる剣、神話より伝わる魔法の剣で、「錆びも刃こぼれもせず」「石や鉄を布のように裂き」「狙った得物は逃さない」といった能力を持っている。

 一方、黒い剣は魔剣グラムと呼ばれている。先日、悪魔化したのヴォルクから奪取した剣だ。魔剣グラムの能力は「英雄の動きを真似する」「毒竜に対する特攻」であるが、ティルフィングと同等以上の力を持っているのは明白であった。

 俺が見てきた限り、この二本を上回る剣はそうそうに存在しないはずであるが、世の中、上には上があるのも事実。例えば王家が所有するという伝説の剣エクスカリバー、湖の乙女が鍛えたとされる伝説の神剣、あらゆるものを穿ち、切り裂く宝剣であり、その鞘には不死の魔力が込められているという。

 病弱なものを多く排出するラトクルス王国の国王が長年、この国に君臨していられるのは最強の神剣エクスカリバーのおかげと言っても差し支えがなかった。

 特待生エルダーの中にはそのような伝説クラスの神剣を持っているものもいるかもしれない。さすればティルフィングとグラムを所有している俺ですら後れを取る可能性は充分あった。

「ま、後れを取ろうが、負けようがどうでもいいのだけど」

 俺の使命はお姫様の命を守ること。特待生エルダーどもを倒すことでも、特待生エルダー十傑にマウントを取ることでもない。無論、彼らがお姫様に襲い掛かってくれば話は別だが、そうでなければ敵対する理由はなかった。

「そもそもこの王立学院の出資者は王家。王女様と敵対する理由はないしな」

 無論、中にはヴォルクのような生徒もいる。お姫様と敵対する勢力の走狗となって襲いかかってくるような愚かものもいる。だが、もしもそのようなやつが現れても、また排除するだけだった。そのものがどのような〝力〟を持っていようが、こちらとしてはお姫様を護るという選択肢しかないのだ。

「つまり深く考えても無駄ってことだな」

 ひとり小声でつぶやく。

 そもそも護衛というものは選択肢が少ない。護衛は能動的に攻める仕事ではないのだ。常に後の先を取るのが護衛の仕事だった。対処療法的な仕事であるともいえる。俺は思考を放棄するとエレンに視線を移した。

「俺が下等生レツサーになったのはみずから望んでのこと。エスタークでも無能として扱われていたしな」

「……兄上様」

「無能扱いは慣れているんだ。むしろ、になってちやほやされるほうが性に合わない。それは分かるよな?」

「はい。兄上様は目立つのがお嫌いですから」

「分かっているじゃないか。俺としては麗しの妹君と一緒に学院に通えるだけで幸せだよ」

「お兄様……」

 少しだけだがエレンの表情が明るくなる。

「私は特待生エルダーの寮に入れられてしまいましたが、毎朝、一緒に登校してもいいですか?」

「もちろんだとも。俺も毎朝、アリアの寮に行くしな。三人で登校しよう」

「嬉しいです。夢だったのです。毎朝、兄上様と一緒に手を繋いで散歩をすることが……三人というのが引っかかりますが」

「機嫌が直ってよかった。さて、妹様にもっとご機嫌麗しゅうなってもらうための秘策があるのだけど、聞いてくれるか?」

「なんですか?」

「実は王立学院にはお洒落なカフェテラスがあるんだ」

「まあ」

「そこでエレンが好きなパンケーキの店を見つけた。ベリーがたっぷり添えられて、生クリームがたっぷり掛けられているんだ」

「素敵です」

 エレンは破顔するとそこに行きたいと所望した。

「もちろんさ、王女様から過分な給料も貰っているし、ご馳走しよう」

 そのように言うと、

「護衛も悪いものではないかもしれませんね」

 と笑った。現金というよりは自分を納得させるための妥協の言葉なのかもしれない。そのように我が妹の心情を忖度すると、お洒落なカフェテラスに出向いた。エレンの顔よりも大きなパンケーキを二枚、注文する。

 ふわっふわのパンケーキにはたっぷりと生クリームが掛けられており、これでもかとベリーのジャムが添えられていた。俺は甘党ではないが、妹と食べる甘味はとても甘酸っぱかった。

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