【第2巻 7/19発売!!】最強不敗の神剣使い2 剣爛武闘祭編

第一章 暗殺遊戯 その1


       †


 俺の名はリヒト・アイスヒルク。

 ほんの一ヶ月前まではリヒト・エスタークを名乗っていたが、今はアイスヒルクの姓を名乗っている。

 母親が再婚をしたわけではない。俺の母親はすでに故人で再婚することはできない。それではなぜ、エスタークの名を捨てたのかといえばそれは銀色の髪を持つ少女のせいであった。

 件の少女、アリアローゼ・フォン・ラトクルスを見つめる。今宵、夜会に出席する彼女はお姫様のように着飾っていた。――否、事実、彼女はお姫様なのだが。

 そう、俺にアイスヒルクという詩的な姓を与えたのは彼女だった。ラトクルス王国第三王女、リクレシア人の王にしてドルア人の可汗の娘、この国の国姓を持つ少女が俺にアイスヒルクの名と使命を与えてくれた。

 名門エスターク家でくすぶっていた俺に、生きる目標のなかった俺に目的を与えてくれたのだ。

 貧民街で炊き出しをする王女の姿が脳裏に浮かぶ。俺に剣を向け、騎士叙任をしたときのことを思い出す。

アリアという少女はたぐいまれな美しさだけでなく、この世界を変える信念の持ち主だった。彼女はその清廉にして力強い意志によって世界を変えようとしていたのだ。

 この世界に平和と安寧をもたらすこと。

 この世界から貧困を撲滅すること。

 この世界に自由と秩序をもたらすこと。

 一七に満たない少女がそのような大志を抱き、実際に行動によってそれらを実現しようとしていたのだ。

 それはエスタークという古き家の因習に囚われていた俺に衝撃をもたらした。もしかして自分はこの人を護るために生まれたのかもしれない。この人の力になるために特別な〝才能〟を神から与えられたのかもしれない。

 そのように思った俺は実家から拝借してきた神剣を彼女に捧げた。血肉どころか魂まで捨てる覚悟を固めた。

 俺の人生はアリアローゼという名の少女を護るためにあると悟ったのだ。以来、俺は陰日向なく彼女を護ってきた。生命を賭して彼女を護衛してきたのだ。先日もバルムンク侯爵という彼女の宿敵と対峙することになったのだが、そのときも聖剣ティルフィングと魔剣グラムの力を引き出すことによって返り討ちにすることができた。

 過去と邂逅していると、アリアのメイドであるマリーという名の少女が話し掛けてくる。

「ちょっと、リヒト、なにぼけーっと突っ立てるのよ」

 紅毛のメイドさんは俺を指さしながら非難の声を上げる。なにもしていないのが気に入らないようだ。

「たしかに俺はなにもしていないが、護衛とはそんなものだろう」

 正論を返すと、彼女は己の腰に手を添え、溜め息を漏らす。

「マリーが言いたいのはそういうことじゃないっしょ」

「手伝う姿勢が大事ということか?」

「まさか、たしかに猫の手も借りたいほど忙しいけど、ならばほんとに猫の手を借りるわよ」

「その心は?」

「少なくとも猫は足を引っ張らない」

「たしかに」

「あのね、マリーはあんたにお姫様の世話を任すなんて酔狂なことは求めない。お化粧は愚か、ドレスの着付けも分からないでしょう」

「その通り」

「マリーが求めているのはお姫様の心のケア」

「というと?」

「女が綺麗に着飾っていたらなんていえばいいと思う?」

 そのドレス、いくらした? ――ではないことだけはたしかだろう。たしかに俺は朴念仁に分類されるタイプであるが、野人ではない。貴族の城で育ち、それなりの教育も受けてきた。それに俺には年頃の妹もいるのだ。女性の扱い方はそれなりに慣れていた。というわけでマリーの勧めに従って王女様の艶姿を褒めることにする。

 夜会に向けたドレスアップを終えた王女のもとへ向かうと、彼女の姿を見つめる。

 銀色の糸で紡ぎ上げたかのような美しい髪、古代の彫刻家が魂を込めて彫り上げたかのような整った肢体。全身から生命力と気高さが滲み出ている。

 ――美人の一言では言い表すことのできない存在、それがアリアローゼであったが、語彙が貧弱な俺はこのように評すことしかできない。

「――とても綺麗だよ、アリア」

 と。

 その言葉を聞いたアリアは百合の花が開いたかのような笑顔を向けてくれた。

「ありがとうございます、わたくしの騎士ナイト様」

 その笑顔は同質量の黄金より価値があった。


 その後、俺はお姫様を夜会に送り届ける。ロナーク男爵に招かれてのものであったが、実はアリアは夜会の類いが好きではないようだ。美しく着飾った貴族たちと話をするよりも市井の民と交わることを好むのが我がアリアローゼ姫だった。

 しかし、それでも参加するのは、政治は根回しが大事だったからだ。このような夜会でコネクションを構築し、有益な人材の信を得なければ国は改革できないのだ。姫様は理想家ではあるが、夢想家ではない。地に足を付けた改革を望んでいた。なので俺は夜会の端に陣取ると、彼女が貴族連中と談笑するのを眺めていた。

 しばらくは真面目に姫様を観察していたのだが、途中で姫様以外の者や物も観察するようになる。ここは貴族の夜会。不審者が侵入する可能性は限りなく低い。また姫様の親派が多数派だったので暗殺の危険性も少ないだろう。それに彼女の横には常に紅毛のメイドさんが寄り添っていた。

 紅毛のメイドマリーは可憐なメイドに見えて固有の武力を持つ。なんと彼女は忍者でラトクルス流忍術の使い手なのだ。東方の蓬莱という島国から伝わった不思議な術を使いこなすメイドさんが彼女の真の姿だった。

「まあ、マリーが横にいるならば問題はなかろう」

 そう思った俺は意識を完全にパーティー会場に移す。

「民の血税はこういうところに使われているのだな」

 豪華なパーティー会場を見た俺は、ありふれた感想を口にする。

 姫様は華美な夜会が嫌いだというが、それは俺も同じ。エスターク城にいた頃は定期的に参加させられていた。妾腹の俺であるが、一応、エスタークは名乗らされていたので、客人を持てなさなければならなかったのだ。夜会に出席するたびに義母や義兄たちに虐めの洗礼を受けてきたことを思い出す。

「最悪の思い出だが、悪いことばかりでもなかったな」

 意地悪な義母、性悪の兄たちの顔は忘れないが、それ以上に鮮烈な思い出もある。エスタークの夜会には必ず参加していた美姫の姿を思い出す。

 黒曜石を溶かして紡ぎ上げたかのような黒髪、人形のような美しい顔立ち。一族の中でも唯一、俺の味方だった少女を思い出す。

「エレン・フォン・エスターク」

 俺のたったひとりの妹。腹違いの肉親。

 一族で唯一、俺を庇ってくれた少女、唯一、俺を愛してくれた少女。

「リヒト兄上様知っていますか? うふふ、知らないんだろうなあ。私、お兄様が大大大好きなんですよ」

 微笑みながらそのような言葉をくれる少女。向日葵のような笑顔を俺に向けてくれる可憐な少女。母を亡くし、孤立していた俺に温もりを与えてくれたのが妹のエレンだった。ただひとり、愛してくれたのが彼女だった。

「もしもエレンがいなければ俺は今頃――」

 野盗かなにかに落ちぶれていたかもしれない。あの空虚で冷たい城で唯一の希望が彼女だった。ゆえに家出もせずにずっと留まっていたのだ。もしもエレンがいなければ幼少期に家を飛び出し、野盗になって人を殺すか、野盗に殺される人生を歩んでいただろう。

 だから時折、思う。もしかして今の自分はすべて夢幻なのではないか、と。

 今、俺がこうして温かい場所にいるのも、夢のように華やかな夜会にいるのも、すべては幻想なのではないか、と。

 本当の俺は今、この世界のどこかで野垂れ死にしようとしている野盗で、死の間際に見る幻想でこのような光景を見ているのでは、そう思ってしまうことがあるのだ。今、目の前に広がる光景は哀れな人生を歩んできた俺に、神が慈悲で見せてくれた光景なのでは、そのように思ってしまうのである。

 現実と夢の境界線が曖昧になったためだろうか、俺は夢を見てしまう。会場の奥から黒い髪の少女が現れたのだ。

 その少女は子供の頃から見慣れた少女だった。俺を救ってくれた少女、俺がこの世で最も大切にしたいと思っている少女。今、一番逢いたいと思っていた少女だった。

 ――無論、幻影であるが。

 ただその幻影は妙にリアリティが有り、動きが機敏だった。美しいドレスを纏っているというのに駆けるような速度でまっすぐにこちらに向かってくる。満面の笑みと喜びを称えて俺の胸に飛び込んでくる。

「リヒト兄上様!」

 弾むような声で俺に抱きついてくる。少し重たい。

「最近の幻は質量を持つのかな?」

 思わずそのようにつぶやいてしまうが、先日、妹が俺を追って王立学院に転入してきたことを思い出す。

「――そういえば我が妹君もエスタークを飛び出してきたのだった」


 妹と王女様が初めて会ったときのことを回想する。

 妹がこの学院にやってきたとき、一波乱あった。いや、彼女が一波乱起こしたというべきか。押しかけ女房のような形で王立学院に転入してきたエレンであるが、彼女は殊勝さや遠慮とは無縁だった。側で目をぱちくりとさせているアリアを掴まえるとこのように言い放った。

「あなたがリヒト兄上様を籠絡したという王女様ですね」

「籠絡とは失礼ね」

 とはメイドのマリーの言葉だが、アリアローゼは「いいのです」と一歩前に出るとたおやかに微笑みながら、

「初めましてエレンさん、よろしくお願いいたします。わたくしはこの国の第三王女、アリアローゼと申します。どうかアリアと呼んでください」

 にこりと手を差し出すが、妹がその手を握り返すことはない。

それどころか王女の御手をはね除け、舌戦に突入する。――詳細は割愛するが、一国の王女にしてはいけない態度を取り続けたのは言うまでもないだろう。

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