第一章 忌み子の追放 その4

    †


 このようにして見事、俺の追放が決まる。

 ああ、清々した。

 と街道を歩いていると、後方から猛烈な勢いで馬車が近づいてくることに気が付く。

 最初、追っ手かと身構えるが、追っ手ではないとすぐに気が付く。

 馬車の主が麗しの妹君だと判明したからだ。

 彼女は勢いよく馬車の扉を開けると、俺目掛け、突進してくる。

 兄の剣は止まって見えたが、妹の体当たりはとても素早い。それでもけられないわけではないが、あえてなにもせずに彼女の好きなようにさせた。

 首に抱きつき、全体重を掛けてくるご令嬢。

「リヒト兄上様、リヒト兄上様!」

 涙ぐんでいるし、惜別の感情にあふれていたが、俺を止める気はないようだ。実の母親の殺意をの当たりにしてしまえば、無理に止めることなどできないのだろう。

 鼻水まじりに俺を抱きしめてくる。しばし、それを許すと、彼女の感情が収まるのを待ち、言葉を懸ける。

上の行動を見ていただろう。俺と彼女はひとつ場所にいてはいけないんだ」

「……はい。それは分かります」

「じゃあ、お別れだ」

「それは嫌です。私も一緒に旅立ちます」

「エスターク家のお嬢様が?」

「幼き頃から剣を習っておりました。その技量はリヒト兄上様も知っているはず」

「もちろん、しかし、エレンは枕が替わると眠れないことも知っているよ。以前、伯母の家に遊びにいったとき、眠れなくて夜泣きして、夜中に家に戻ったことを忘れたか?」

「子供の頃の話です」

「一ヵ月前も女中がお気に入りの枕を破いてしまって騒いでいたじゃないか」

「で、でも……」

「なにが言いたいのかといえば、城の外に出るということはそういうことなんだ。鈍感に生きなければいけない。でも、エレン、おまえは繊細過ぎる。冒険者やようへいにはなれない」

 自分のことを知り尽くしているエレンは反論できなかった。

「……お兄様と離ればなれになって、生きていく自信がありません」

「離れても心は一緒だよ」

「……本当ですか?」

「本当だ」

「ならばその証拠を──」

 彼女は目をつむると、唇を差し出す。キスをせがんでいるようだ。

 その桃色の唇はわく的であったが、往来で妹とキスをするのははばかられる。

 なので額に唇を寄せると、「今はこれで我慢してくれ」と言った。

「……はい」

 と納得するエレンがわいらしかったので、彼女に希望を与える。

「俺はこれから旅に出る。冒険者になるか、傭兵になるか。それは決めていないけど、落ち着いたら手紙でも書くよ」

「本当ですか!?」

 ぱあっと顔を輝かせるエレン。その笑顔は向日葵ひまわりを連想させる。

「本当だ」

「毎日書いてくれますか?」

「ああ」

「約束ですよ!」

 気軽に指切りげんまんをする。彼女は「リヒト兄上様が居を構えたら、ぜったい、引っ越しますからね」と続ける。俺はそれに生返事をする。

 冒険者にしても、傭兵にしても、それほど甘い世界ではない。ちゃんと食べられるようになるのに数年、家を構えるようになるのに十年は必要だろう。

 かなりの年月を必要とするはず。そうなればエレンもいいお年頃。きっとどこかに嫁いでいるだろう。リヒト兄上様と結婚したい! と公言する彼女だが、きょうだいの情愛など一時的なもの、大人になればそんなときもあったわね、と笑って思い出す日がくるはずであった。

 そのとき、エレンと笑って語り合えるような仲でありたい。

 にこやかに茶を飲める環境を作りたい。それがエスターク家を出る俺の望みだった。

 義理の兄や母は意地の悪い人間だったが、身内には甘い。俺がいなくてもエレンにはよくしてくれるはず。

 それに家長である父親は、なかなかの傑物。唯一の娘であるエレンを溺愛していたし、悪いようにはしないはずだ。

 そんな計算が働き、交わした約束だが、エレンは喜んでその約束を受け入れてくれた。エレンのからす色の髪を見ていた俺はとあることを思い出し、彼女に願いを託す。

「そういえば鶏小屋にいる俺の使い烏に餌をあげておいてくれないか。餓死させるのは忍びない」

 エレンは「リヒト兄上様だと思って大切にします」と宣言すると、そのまま馬車に戻り、エスターク城に戻っていった。


    †


 さて、このようにして実家と決別し、旅立ったわけであるが、荷物を背負うと違和感を覚える。いや、本当は背負う前に気が付いていたのだけど、あえて気が付かない振りをしていたというか……、俺の荷物の中に明らかに見慣れぬものが突き刺さっていた。

 それは我が家の武器庫にある神剣であった。

「……もしかしてこれってティルフィング……?」

 どこからどう見ても神剣ティルフィングのように見えるが、間違いであることを祈りながら、抜いてみるとなつかしいはくじんが見える。陽光の下、反射する光はまばゆいばかりに美しい。

「おいおい、どうしてエスターク家の家宝が……」

 と思っていると、先ほどの妹の笑顔が思い出される。

「……あいつだな」

 別れぎわ、なにかこそこそとしていると思ったら、こんな置き土産を残していたというわけか。

「今頃、エスターク城は上を下への大騒ぎなんじゃないかな」

 吐息が漏れ出る。

 賊が侵入した! と騒ぎまくる衛兵長の姿が思い浮かんだが、その想像は外れている、と誰かが教えてくれた。

『安心しなってリヒト。君の妹はそこまで馬鹿じゃない。ちゃんとにせものの神剣とすり替えてくれたから』

 それは助かる、と言いたいところだが、俺は身構える。気配を感じさせずにしゃべる人物がいるなど、尋常ならざる事態だと思ったのだ。

 思わず腰の長剣に手が伸びるが、その声は『安心して』と言い張る。

「面妖な……、どこから声が聞こえるんだ……」

 気配を探るが、周囲には猫の子一匹いなかった。耳を澄ませる。声の発生場所は、荷物だった。さらに集中すると、どうやら神剣自体が音を発しているようで──。

「まさか、この神剣、しゃべれるのか?」

『ぴんぽーん! 大正解です』

 陽気な女の子の声だった。

「……妙に軽い性格だな」

『失敬な。ワタシは神剣ティルフィング。エスターク家に代々伝わる秘宝だぞ』

「君を最初に手にした人物は?」

『エスターク家の初代当主、ブラムス・フォン・エスターク』

「彼の母親の名は?」

『サマンサおばさま』

「……正解だ」

『ちなみにブラムスとワタシはまぶだち。あいつがまだ女の子のおっぱいも触ったこともない年齢のときから一緒に戦っているんだ。伝説ではこの国の建国に尽力した功臣ってことになってるけど、ほんとはね、すごい弱虫なんだ。仲間たちからは小便垂れのブラムスと呼ばれてた』

「ご先祖様の貴重な情報をありがとう」

『どういたしまして。始祖だからって立派な人物じゃないってことだね』

「妙にリアリティある情報から察するに、この声の主がティルフィングであることは間違いなさそうだが、疑問がある。俺は子供の頃から君を見かけてきたが、君は今までいちどもしゃべらなかった。どうしてだ?」

『いやー、実はワタシ、三年寝太郎でね。ずっと眠っていたんだ。そしたらあの娘、ええと、黒髪のれいな……』

「エレン」

『そう、エレンがワタシを持ち出してね。久しぶりに太陽光を浴びちゃった。そしたらセロトニンがドバドバ出て目覚めちゃったというわけ』

 そんなしょうもない理由で目覚めた上に、いったい、何年寝ていたんだ、と突っ込みたくなるが、突っ込んだら負けのような気がするので、ティルフィングをつかむ。

『お、大胆だね。しかもワイルド。そういうの嫌いじゃないよ。わくわくどきどき』

 そう茶化す神剣だが、俺がきた道を戻ろうとしていることに気が付いた彼女(?)は大声で叫ぶ。

『う、うぉ、リヒト、まさか君はワタシをエスターク城に戻そうとしている?』

「そのまさかだよ。俺は落とし子だが、犯罪者じゃない。泥棒はしない」

『ちょ、ちょい待ち! これは泥棒じゃないよ』

ぬすっとたけだけしいという言葉、知っているかな」

『こちとら無機物。知ってるわけないじゃん。でもね、ワタシの所有者が君だけってことは知っている。たしかにワタシはエスターク家の武器庫に保管されていたけど、ほこりをかぶっていたでしょ? この数百年、ワタシを使いこなせるものがいなかったからだよ。そんな中、君は平然とワタシを抜き放ったんだ。要は君ならばワタシを使いこなせる。イコール所有者ってわけ』

「でも、盗みには変わらない」

『剣自体がいいって言ってるんだからいいじゃん! まったくもう、リヒトは据え膳食わぬは男の恥って言葉知らないの?』

「無機物のくせにどうしようもない言葉は知ってるんだな」

『そうだよ。それに今、この剣を返しに行ったら、大変なことになるよ。リヒトは実家とひともんちゃくを起こして旅立ったんでしょう? 今度はそのままろうに入れられるか、討伐軍を向けられるよ』

「妹の立場が危うくなるやもしれない」

『それはない。もしもばれても君の妹が手を貸しただなんて誰も思わないよ。君の妹は一族中から愛されているからね。ばれるようなヘマをするとも思えないし。要領のいい子だよ』

「──一理あるな」

 意地悪な義理の母、それに彼女の血を色濃く引く長兄と次兄の顔が浮かぶ。彼らは俺をかつのように嫌っていたが、妹のエレンは可愛がっていた。同じ血族として優遇していた。

「しかし、万が一が」

『そのときは素直に返せばいいでしょ。ワタシもエスターク家の人たちに君が盗んだって言い張るよ。そうすれば少なくとも妹ちゃんには累が及ばない』

「……なるほど、まあここは穏当にかたづけたほうがいいか。今度、エレンと出会ったときにそっと返しておくよ」

『やりぃ、さっすが、ワタシのマスター』

 ゆあ、まい、ろーど、と異国の言葉で俺を称揚する神剣、腰に装着すると街道を歩くことにした。

『ねえねえ、目的地はあるの?』

「ある。北のほうに大きな街がある。そこに冒険者ギルドがあるらしいから、そこに登録したい」

『おお、冒険者になるのか。そりゃ、すごい』

「稼ぎはよくないだろうけど、取りあえず手に職を付けないと」

『堅実だねえ。お嫁さんのなり手が列を成すと思うよ』

「女に興味ない」

 そう断言すると、そのまま北へ向かった。

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