第一章 忌み子の追放 その3

    †


 伝統にのっとり、決闘が行われることになった。

 俺は自室に戻ると、そこで決闘の発案者である妹に苦情を申し立てる。

「エレン、おまえはどうしてそんなに俺を困らせるんだ」

「リヒト兄上様と一緒にいたいからです」

 彼女はそう言うと俺の胸に飛び込む。花のような香りが俺のこうをくすぐる。彼女の黒髪をでながら、その肩に両手をやり、距離を取る。

「こら、はしたないぞ」

「はしたなくなどありません。きょうだい同士の触れあいです」

「おまえのハグはなまめかしいんだよ」

「古代のエスターク家では近親そうかんが盛んに行われていたそうです」

「古代は、だろう。今は家訓で禁止されているはずだ」

 エスターク家の家訓をそらんじる。

「エスターク家家訓集、第四五条 修正七項 聖歴六九九年著述 二親等間の婚姻を固く禁ずる」

「まあ、そんな家訓があったなんて知りませんでしたわ」

 わざとらしく白を切る姿はわいらしいが、悪い娘なので額に指弾デコピンを加える。

「痛いです。リヒト兄上様」

「お仕置きだ」

「抱きついただけでひどいです。もしも本当にお仕置きをするならば、みだらなお仕置きがいいです。官能小説のような」

 さあ、私を淫らに、激しくせっかんしてください、と俺のベッドに大の字になるエレンにさらにお仕置き。今度は頭をげんこつでぐりぐり。

「い、痛いですわ、リヒト兄上様。か、かんにんしてください」

 涙目になる妹、可哀かわいそうなのでお仕置きはここまでにするが、一言、注意はする。

「もう過ぎたことだから言わないが、〝家訓〟をねつ造までして俺に決闘をやらせるのは感心しないな」

 ギクッ! という擬音が漏れ出そうなくらいエレンは表情を固まらせる。

「──なんのことでしょうか?」

「そのままの意味だよ。たしかにエスタークの家訓に決闘追放の条項はあるが、あれは落とし子には適用されない」

「…………」

「よくもまああの場であんなに堂々とうそをつけるな。すごい肝っ玉だ」

「──リヒト兄上様をまもるためですわ」

「気持ちはうれしいけど、妹に噓をつかせたくない」

 そう言うと俺はエレンを抱きしめる。家族のハグだ。兄と妹のハグ。

「……ずるいです。こんなときに優しくするなんて」

「こうすればもう変なことはしないだろう」

「……はい。──ところでどうして私が噓をついていると分かったんですか?」

「エレンは噓をつくとき、鼻をヒクヒクとさせる」

 自分の鼻を慌てて押さえるエレン。顔を真っ赤にさせるが、賢い彼女はすぐにそれが噓だと悟る。「もう、リヒト兄上様!」と頰を膨らませるので、種明かし。

「鼻は冗談だよ。俺はエスターク家の家訓をすべて覚えているんだよ」

「まさか!?」

 ときょうがくする妹。

「リヒト兄上様の記憶力が天才的ということは知っていますが、このぶあつい古文書を全部覚えているというのですか?」

「ああ」

「信じられません」

「ならばそらんじてみせよう。エスターク家家訓集、第八条 修正七項 聖歴七一一年著述。エスターク家のものは借りを返す。繰り返す、エスターク家のものは絶対に借りを返す」

「…………」

 沈黙する妹。一言一句違っていないのでエレンはぐうの音も出ないようだ。

「……さすがリヒト兄上様です。その記憶力、三国一。その推察力もです」

「どうも」

「ならば私の意図も分かるでしょう。私はマークス兄上様にけんを売り、決闘で追放の是非を決めさせたいんです」

「さすがにそれは分かる。なぜ、エレンがそうしたいのかも」

「リヒト兄上様とずっと一緒にいたいからです」

「気持ちは嬉しい」

「しかし、それには問題が。決闘に勝たねばなりません」

「それは難しいな。なにせ俺は〝無能な落とし子〟だから」

「噓です。リヒト兄上様は無能ではありません。マークス兄上様など片手で倒せます」

「過大評価だ」

「過大評価なものですか。私は知っているのですよ。リヒト兄上様が神剣を抜けることも」

「…………」

「問題なのはリヒト兄上様が勝つ気でいるか、それだけです。兄上様はわざと負けて追放を選びそうな気がします」

「…………」

 そう寂しげに漏らす妹のエレン。

 完璧な上に正しい指摘だったので沈黙によって答えるしかない。

 俺は再び、妹を家族として抱きしめると、時計台の鐘の音が鳴るのを待った。正午の鐘が鳴る。午後一時には決闘が始まるから、準備をしないといけないだろう。

 エレンはそれ以上なにも言わず、決闘の支度を手伝ってくれた。


    †


 時計の針が午後一時を指したとき、決闘は開始される。

 練兵場の中央で戦うわけだが、戦う前に「武器」を選択するように言われる。

 剣、やり、フレイル、鎖鎌なんでもそろっていた。

 自由に選んでいいそうなので、剣を所望する。

「ほう、剣か。良い物を選んでおけよ。あとで負けの言い訳にはされたくないからな」

 次兄のマークスは嫌みたらしく言うが、気にせず剣をチェックする。

 すると「とある」ことに気が付いたのでマークスに抗議しようとしたが、貴賓席から俺をにらむ視線に気が付き、やめる。

「……剣に仕掛けをしたのは上か」

 剣にはもろくなるようにヒビが入れられていたのだ。これでは決闘中に折れて使い物にならないだろう。

「まあ、勝つつもりはないからどうでもいいのだけど」

 それにヒビくらいどうにでもできる。

 俺は剣に魔力を送り込み、強化する。無論、無詠唱で誰にも悟られずに。

 マークスはおろか、審判ですら俺が魔力を送り込んだことに気が付かないだろう。それくらい素早く魔法を完成させられるのだ。

 強度が増した剣を振るうと、空を切る。うむ、なかなかに良い出来映えだ。そう思った瞬間、時計の針が午後一時を告げる。

 決闘開始の時間。

 そのまま練兵場の中央でマークスと剣を合わせると開始の合図を待った。

「なんだ、兄上も剣ですか」

「我がエスターク家では剣も使えて一人前だ。おまえは剣が得意だそうだからハンデだな」

「有りがたいことです」

 俺がそう言うと開始の合図が鳴り響く、

「ほざけ!」

 とマークスは一歩飛びだし、剣を振るう。その一撃はなかなかに決まっていた。

 もしも並の戦士ならばそのまま斬撃をもらってしまうかもしれないが、こちらは幼き頃より剣を枕元に置き修行を重ねた身だ。スローモーションにしか見えない。

 このままやつの攻撃をかわし、反撃したい衝動を抑えながら、半歩後ずさると、やつの斬撃がやってくる。やっとの思いで防御するていを見せる。

「……く、さすがは兄上……」

 相手を立たせるための言葉であるが、口にするのも馬鹿らしいので棒読みになってしまう。ただ、観客が三流ならば主演男優のほうも三流なので、気が付かれることはなかった。

「ふはははー! 恐れいったか! 俺様の剣技に酔いしれろ!」

 ぶんぶんと剣を振り回す。

 隙だらけな様にあきれてしまうが、それでも追い詰められる振りをする。

 俺の疑似的な危機に妹のエレンは、

「リヒト兄上様、なにをしているのです。本気を出してください!」

 必死に懇願する。

 その姿を見るとどうしても心を痛めてしまうが、それでも心を鬼にして負ける。

 俺は追放されたい。義母上たちは俺を追放したい。需要と供給が一致しているのだ。それに逆らうことはできない。

 そう思い、わざと斬撃をらおうとよろけてみせた。

 そこにマークスが斬撃を加え、俺は死なない程度のダメージを貰う。それですべてが解決するはずであったし、そうするつもりであったが、それはできなかった。

 よろけようとした瞬間、足をつかまれる感覚を味わったからだ。

 否、俺は足を摑まれていた。

 見ればざっくりと地面が割れ、そこから霊的な手が伸びていた。

「……これは《呪縛》の魔法か」

 見れば義理の母親がにたりとしている。さらに会場には数人の魔術師がおり、呪文を詠唱していた。

「……そういうことか」

 どうやら義母上は俺を追放したいのではなく、殺したいようだ。

 追放では飽き足らずにきものにしようとしているようだ。

 だから剣に細工をし、会場に魔術師を配置し、妨害しているのである。

 なぜ、そこまで俺を憎むのだろう。

 ──心当たりはありすぎた。

 父の正妻ミネルバはとても嫉妬深い性格で、父のめかけである母につらく当たっていた。いや、おそらく、俺の母を殺したのは彼女だろう。それは城の人間ならば誰でも知っている常識でもあった。

 彼女は幼い俺を折檻し、隙あらば殺そうと手ぐすねを引いていたのだが、やっとそれを実行する機会を得たというわけだ。

 夫であるはくしゃくが家を留守にする隙、俺を追放し、護るものが誰もいなくなる隙。それを待ち望んでいたのだろう。本当ならば俺を追放したあと、暗殺者を送るつもりだったのだろうが、エレンが決闘を提案したものだから、作戦を変更したようだ。

 あるいはミネルバにとって今回の決闘は渡りに船だったのかもしれない。

 決闘ならば、決闘中になにが起こっても不問に付すというのはこの国の伝統であり、国法でもあるのだ。

「……まったく、そこまで恨まれて光栄だな」

 口の中でそう漏らすと、決意を固めた。

 俺の選択肢はふたつ、このまま黙ってマークスに斬られるか、あるいはマークスを斬るか、である。その二択しかない。

 ここまできたからには血を見ずに解決することはないだろう。

 そう思った俺は、後者を選択した。血を分けた兄を斬ることにしたのだ。

 練兵場の入り口を確認する。兄を斬り殺したあとの逃走路を確保したかった。

 決闘中の殺人は合法だが、マークスを殺した俺がそのまま許されるわけがない。

 兵士に捕らわれ、八つ裂きにされるだろう。義理の母はサディズムのごんだった。

 兄を殺したあとは、即座の逃亡を選択する。

 俺の選択は正しいが、その行動が実行されることはなかった。なぜならば泣きながらミネルバに抗議する妹が視界に入ってきたからだ。

 賢い上に鋭いエレン。彼女は俺の剣に細工がされ、呪縛の魔法が掛けられていることを即座に察し、母親に抗議をしていた。

 泣きながら母親に詰め寄るエレン。妹の涙を見るのは何年ぶりだろうか。

「……そうか、あのとき以来か……」

 俺の母親が死んだ日、葬式で唯一泣いてくれたのがエレンだった。とっくの昔に涙がれ果てた俺の代わりに泣いてくれたのが彼女だった。

 エレンはミネルバに猛抗議をし、ミネルバはそんなエレンの頰をはたいていた。それでも決闘を中止するように懇願する。

 その姿を目に焼き付けてしまった俺は、第三の選択肢を採る。

 俺を斬り殺そうと剣を構えるマークスの剣を、魔力を込めた剣ではじき飛ばすと、足に魔力を送り込む。

 ぼん! と会場の四方から俺を呪縛していた魔術師に魔力を逆流させ、気絶させる。

 あとは手に火球を作り俺を焼こうとしている兄上を説得するだけだった。

 それには《火球》が出来上がるのを待つほうが効果は高いだろう。

 兄上にたっぷり時間を与えると、彼が投げつけた火球を真っ二つに斬り裂き、喉元に剣を突き立てる。その光景を見て、マークスは冷や汗を流し、絶句し、ミネルバは「ば、馬鹿な──」ときょうがくの声を漏らした。

「我が兄マークスよ、そして裏で手ぐすねを引く義理の母ミネルバよ!」

 俺の高らかな宣言に、会場は沈黙する。名指しされた当人たちは冷や汗をかきながら俺を見つめる。

「俺はおまえたちの言うように、〝能なし〟だ。落とし子だ。だから黙って追放されてやる。しかし、追放はされるが、妹を泣かすのは許さない!」

 妹のエレンは泣きはらした顔を俺に向ける。

「いいか、俺は今、この場にいる全員を斬り殺すことだってできるんだ。だが、そんなことはしない。なぜならば妹が悲しむからな。おまえらの血の一滴は妹の涙一滴に劣る!!」

「…………」

「俺にとって妹はすべてだ。俺はこの家を出ていくが、もしも妹になにかしたら、おまえらの指を全部切り落としてやるからな」

 そう言うとマークスの首の皮を剣先でなぞる。わずかだが血が漏れ出る。

 恐怖にうめき声を上げるマークスに、

「分かったかね? 兄上」

 と言うと、彼はこくこく、とうなずいた。

 ミネルバのほうも汗をにじませながら頷くと、決闘の勝敗は定まった。

 あとで勝敗に難癖を付けられるのが嫌だったので、マークスに指弾デコピンを入れるように命令すると、彼は恐る恐る俺の額にデコピンを入れる。

 俺は大げさに、わざとらしく吹き飛ぶと、

「ああー、なんて一撃なんだー。負けた、負けた。参ったー。エスターク家の次男には勝てない」

 と倒れ込み、審判を睨み付ける。審判はびくつきながらマークスの勝利を宣言する。

 すべてが丸く収まったことを確認すると、墓場のように静まりかえっている練兵場をあとにした。

 そのまま自室に戻ると、まとめてあった荷物を持ち、エスターク城をあとにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る