第6話 神には二種類ある

 やあ、おいらです。


 順調に塾生が減っていますな。まあいいことだ。僅かな講義で全てを理解し、巣立って行ったのであろう。あとは自力で勝負してほしい。


 今日は宗教の話なんだけど、これが非常に難しい。世界には様々ま宗教があり、三大宗教と言われる、キリスト教、イスラム教、仏教であってもさらに細分化されているし、当然、その三つには含まれない宗教もたくさんある。さらに新興宗教なども含めるとどれくらいあるかは各自検索しようね。


 民主主義国家においては大抵、信仰の自由が認められているので、どの宗教を信仰されようが構わないが、いわゆる「原理主義」という、他宗教を認めず、攻撃、テロリズムを行う宗教は各国足並みを揃えて排除しなくてはならない。

 共産主義においては宗教は原則禁止であるが、歴史の古い国ほど、庶民はなにかしらに祈りを捧げているようだが、その国家の成立以前に国教としてあった宗教は見逃されても少数派の宗教は弾圧されているようだって、はっきりいえば中華人民共和国だよ。ノースコリアの庶民なんてのは表立っては金の三代を神のように崇めているけれど、隠れて神仏に祈ってるのかね? おいらは拉致されたことも料理人になったこともないし、そもそも、あの地域を国家として認めてないからさ、わからない。


 日本人の宗教観というのは外国人から見たら異様なのは知っているよね? 簡単にいうと節操がない。初詣は神社(日本神道)、結婚式はカトリックかプロテスタントが人気でクリスマスにはキリスト教の預言者の誕生日の前日にはしゃぎ、大晦日は寺で除夜の鐘を叩く(仏教)。お葬式も坊さん呼んで仏式が多い。で、自分の家が何教なのか知らない若い人はかなり多い。はっきりいえば日本人は無宗教というか宗教に無関心。しかし、何か困った時や受験の時なんかは「神様、仏様、稲尾様(?)、キリスト様、アラー様」と誰彼なく祈る。欲張りだね。


 しかし、いま地球上にある宗教のどれを信じても構わないけれど、せいぜい心の拠り所程度にしておいた方がいい。なぜなら、それらの宗教の神仏は全て、だからだ。


 真の神というものは、人間の脳をフル活用しても、世界中のスーパーコンピューターを駆使しても、一体なんなのか、わからないものであると、おいらは考えている。


 そしてその神は決して人間を救ってくれたり、願いを叶えてくれるものでもない。どちらかといえば、大災害を起こしたり、不条理な事件事故を起こすなど、人間に危害を加えることで、その姿の一端を垣間見せることが多い。

 いくら科学が発達しても大地震や突然の大噴火などを予測できないのは、神が人智を超えているからだ。

 信心深くてよい人が通り魔に殺されたり、大量殺人を犯すような人間が一国の支配者になる。全て、不条理だ。神をあえてなにかに例えるならば、これはあくまでおいらの考えだが「宇宙の果ての向こう側」ではないだろうか? これは永遠に人類がたどり着けるものではないし理解することは不可能だ。諦観すべきである。


 それでも、人間は生きていかねばならない。だから、その生活の心の拠り所として、「人間が創造した神仏」を信仰することは正しいと思う。


 ではまた……はあるかな?

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