終章

再訪

 8月24日の午前10時過ぎ。午前中にもかかわらず気温はすでに37度を越え、外は相変わらずうだるような熱気に包まれている。まだ夏休み期間中の高校には生徒の姿も少なく、部活のユニフォームにショルダータイプのスポーツバックを合わせた生徒が時折行き交う程度だ。


 そんな人気のない薙高校の正門前で、木場は額の汗を手の甲で拭いながらそびえ立つ校舎を見上げていた。

 ここに来るのは3週間ぶりだ。以前来た時はきびきびとした足取りで校内を歩く捜査員の姿が何人も見られたものだが、今は当然捜査員の姿はなく、生徒や教師などこの場に相応しい人間の姿だけがある。その光景は、すでに事件が過去のものとなり、薙高校が日常を取り戻しつつあることを示唆しているように木場には思えた。


 野中の逮捕は、薙高校にセンセーショナルな嵐を巻き起こしたようだ。現役教師が生徒を殺害したというだけでも衝撃なのに、その犯人が生徒想いで評判の教師だというのだから、生徒達の受けたショックは計り知れなかった。ショックのあまり精神に不調をきたす生徒が後を絶たず、保護者からは抗議の電話が殺到し、学校側は保護者への謝罪と、生徒のメンタルケアに追われることになった。


 そんな混乱から今日で3週間が経った。まだまだ事態が鎮静化したとはいえないが、薙高校は少しずつ本来の姿を取り戻しているようだ。できるだけ早く事件のことを忘れ、生徒達が日常に戻れるようにという計らいなのか、補習や部活も再開されつつあるようだ。


 そうした情報を木場が知っているのは、唯佳が教えてくれたからだ。

 野中を逮捕してから数回、警察宛てに唯佳から電話がかかってきた。唯佳は木場に直接会ってお礼がしたいと言い、警察まで出向くと申し出たが、木場は断った。被疑者として取り調べを受けた際の萎れた花のような唯佳の姿を思い出し、彼女を再び警察に来させてその時の記憶をほじくり返したくなかったのだ。

 だが唯佳はなおも粘り、警察の前で待ち伏せしかねない勢いだったため、とうとう木場の方が折れて自分が高校まで出向くと言った。仕事の調整をして、ようやく半休が取れたのが今日のことだった。


 木場は改めて薙高校の校舎を見上げた。この事件は生徒達の心に深い傷を残すことになった。中には一生その傷を引き摺る子もいるだろう。

 一番心配なのはやはり唯佳だ。電話口で話した限り、唯佳はいつものようにあっけらかんとした調子だったが、野中の逮捕にショックを受けていないはずがないだろう。唯佳は沙絢と違い、野中のことをそれなりに慕っていた様子だった。その野中が親友の沙絢を殺したという事実だけでも十分ショックだろうに、あろうことかその罪を自分に着せようとしたのだ。表面上は明るく振る舞っていたとしても、唯佳は傷ついているに違いない。


 唯佳と会って、自分はどんな言葉をかければいいのだろう。無実が証明されたことを喜ぶべきか、それとも悲惨な目なあったことを慰めるべきか、どちらとも結論が出ないまま木場は待ち合わせ場所の教室へと向かった。

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