捜査 ―4―

疑惑

 木場が感慨に浸っていた時だった。急に教室の扉が勢いよく開かれると、書類を手にしたガマ警部がずんずんと教室に入ってきた。木場は思わずしゃんと背筋を伸ばしたが、ガマ警部は容赦なく書類で木場の頭を叩いて怒号を飛ばした。


「木場! どこをほっつき歩いているかと思えば、こんなところで生徒と食っちゃべっていたとはな……。水筒の捜索はどうした!?」


「す、すみません! いや、自分もちゃんと捜査はしてたんですよ! 古賀さんや唯佳ちゃんに話を聞いて、水筒が教室にあった時間帯はわかりましたから!」


「それなら何故さっさと俺のところに報告に来ない!? 他にも調べることは山ほどあるんだ! まったくお前は……いつになったら刑事としての自覚が出来るんだ!」


「す、すみません!」


 木場が平身低頭した。ガマ警部の機嫌が悪いのはいつものことだが、今は特に虫の居所が悪いようだ。渕川からの報告で何かあったのだろうか。


「ね、オジサン、木場さんのこと怒らないであげて。ユイが相談したいってお願いしたんだから」


 叱られている木場を見かねたのか、唯佳が口を挟んだ。ガマ警部がぐるりと唯佳の方に顔を向ける。


「相談だと? 木場、お前は自分の捜査そっちのけで女子高生の相談に乗っていたというのか? まったく……自分の領分をわきまえろ!」


「す、すみません!」


 怒髪天を衝く勢いで声を荒げるガマ警部を前に、木場もさっきの数倍の勢いで平謝りした。唯佳のフォローは火に油を注ぐ結果にしかならなかったようだ。署に帰った後でどんなに恐ろしい仕打ちが待っているかと思うと冷や冷やする。

 ガマ警部は盛大に舌打ちを鳴らすと、唯佳の方に向き直って言った。


「あんたもあんただ。何の相談をしたか知らんが、わざわざ警察の人間を選んで相談を持ちかけるなど捜査妨害もいいところだ。

 まぁ……あんたがそうやって平然としていられるのも、時間の問題だろうがな」


「どういうことですか?」


 木場が尋ねた。ガマ警部の発言の中に、何か不穏な響きを感じ取ったのだ。

 ガマ警部はじろりと木場を見やると、手にしていた書類に視線を落とした。


「渕川から、青酸カリの指紋の検出結果を預かってきた。瓶には2名の指紋が付着していたそうだ。1つはあの野中という教師のもの。これはあの教師が薬品を管理していたことから説明がつく。問題はもう1つの方だ……」


 警部はそこまで言うと、刺すような視線を唯佳に向けた。その迫力に、さすがの唯佳も気圧されたように顎を引く。


「……瓶からは、松永唯佳、お前の指紋が検出された。これがどういうことかわかるか?」


「え……?」


 唯佳の顔に当惑が浮かんだ。ガマ警部は返事を待たずに続けた。


「被害者は、水筒の茶に毒を盛られて殺害された。殺害に使われた毒物というのがその青酸カリだ。その瓶から、あんたの指紋が検出された……。ここまで言えば、さすがにわかるだろう?」


「え……違うよ? ユイ、そんなこと……」


 さすがの唯佳にも状況が呑み込めたようだ。愛らしい顔が見る見る青ざめていく。だが、彼女に反論の間を与えずガマ警部は一歩距離を詰めて言った。


「とにかく、一度署まで来てもてもらおうか。そこで詳しい話を聞かせてもらうことになる」


「ちょ……ちょっと待ってください!」木場が慌てて割って入った。「ガマさんは唯佳ちゃんが犯人だって疑ってるんですか!?」


「疑うも何も、現に指紋が検出されているんだ。この事実を無視することは出来ん」ガマ警部が憮然とした表情のまま言った。


「でも……」


「……違う」


 誰かがぽつりと言った。あまりにか細い声だったので、木場は最初、それが唯佳のものだと気づかなかった。

 木場が振り返ると、唯佳は両手で頭を抱え、小刻みに息を震わせながら激しく首を振っていた。その様子に先ほどまでの無邪気さは少しも見られず、悪夢のごとき現実を振り払おうとするかのように怯えた表情を浮かべている。


「ユイじゃない……。ユイじゃないよ! ユイ、沙絢のこと殺してなんかない!」


 静まり返った教室内に唯佳の悲痛な叫びが響く。ガマ警部がかすかに眉を下げたが、すぐに感情を抑えた声で言った。


「松永唯佳……。署まで同行してもらう。これは命令だ」


 ガマ警部がそう言った瞬間、タイミングを図ったように女性警官が2人教室内に駆け込んできた。両側から唯佳の腕を取り、そのまま連行しようとする。唯佳は抵抗しようと身をもがいたが、一介の女子高生が警官2人に叶うはずもなく、すぐに引き摺られるようにして教室の入口の方へ連れ出された。


「ユイじゃない、ユイじゃないよ!」


 唯佳は身を捩りながらなおも叫び続け、助けを求めるように木場の方を振り返った。木場は思わず駆け出そうとしたが、ガマ警部が片手でそれを制した。そうしている間に教室の扉がぴしゃりと閉じられ、唯佳の姿は見えなくなった。

 遠ざかる彼女の悲鳴だけが、断末魔の叫びのように木場の耳の中で鳴り響いていた。

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