刑事の在り方

 3年1組の教室に行ったところで、木場は無事に渕川と会うことが出来た。眼鏡をかけていない渕川は誰かわからず、最初は冴えない教師の1人だと思っていたが、向こうから話しかけられてようやく本人だと判明した。

 木場が眼鏡を渡すと、渕川は生き別れた息子と再会した母親並みに喜び、ピンセットで細胞を扱う生物学者のような手つきでそれを耳にかけた。そこでようやくお馴染みの渕川の顔が戻ってきた。


 渕川に捜査の進捗状況を聞くと、目新しい情報はないとのことだった。すでに現場の捜査や関係者からの聞き込みは終わり、間もなく署に戻るところらしい。

 渕川は眼鏡の角度を直しながら教室から出て行こうとしたが、不意に何かを思い出した様子で言った。


「ああそうだ。背の高い男の子が校舎内をうろついていると思いますが、会っても何も話さないようにしてくださいね」


「背の高い男の子?」


「ほら、被害者と交際していたという生徒ですよ。マトマ君とか言った」


「あぁ……的場君ですね。何も話さないようにって、どういうことですか?」


「彼、捜査員を見るなり『唯佳は今どうなってるんだ』って訊いてくるんですよ。捜査情報は漏らせないと言うと、今度は『使えないオッサンだな』などと言う始末で……。まったく、誰がオッサンですか! 私はこう見えてもまだ32歳ですよ!?」


 渕川が憤慨した様子で鼻息を荒くする。若さを強調する時点ですでに手遅れではないかと木場は思ったが、黙っておいた。


 だが、貴弘が唯佳のことを気にしていたというのは意外だ。一昨日会った時点では他人に興味がなさそうな素振りを見せていたのに。どういう心境の変化があったのだろう。木場は貴弘を探しに行くことにした。


 


 貴弘はすぐに見つかった。西側校舎の2階を探し終え、階段を昇ろうとしたところで鉢合わせしたのだ。貴弘はかなり面食らった様子で、現れたのが木場だとわかるとちっと舌打ちをした。


「何だ、オッサンか。脅かすなよ……」


 木場はできるだけ愛想よく貴弘な話しかけようとしたのだが、その台詞を聞いた途端に笑みを浮かべようとした顔が強張った。おいおい、渕川さんならまだしも、自分までオッサン呼ばわりはないだろう。自分はまだ25歳で、何なら大学生に見られることだってあるのに。そう突っ込もうとしたところでガマ警部の仏頂面が頭に浮かび、またペースを乱されてはいけないと思い直して尋ねた。


「あ、えーと、渕川さんから聞いたんだけど、的場君、唯佳ちゃんのことを知りたがってるんだって?」


 唯佳の名前を出した瞬間、貴弘の顔に一瞬動揺が走ったが、すぐに元の無愛想な顔に戻った。


「……別に、気にしてなんかねぇよ」


「そうなの? でも的場君、捜査員を捕まえて唯佳ちゃんがどうしてるのか聞いて回ってるんだよね? 心配だからじゃないの?」


「心配なんかしてねぇよ。ただ、知ってる奴が殺人犯だって言われたら気分悪いだろ。だから……ちょっと聞いてるだけだよ」


 貴弘がポケットに手を突っ込んでそっぽを向く。その様子は意地を張っているだけのようにも見える。


「そうなんだ。でも……このまま行くと唯佳ちゃん、危ないかもしれない」


 ぽつりと漏らした木場に対し、貴弘が聞き捨てならないといった表情で眉を上げる。そこでようやく渕川からの忠告を思い出し、木場は慌てて両手で口を覆ったが時すでに遅し。貴弘は探るような眼差しをして木場ににじり寄ってきた。


「危ない? どういうことだよ?」


「あ、いや……何でもないんだ。ちょっとした独り言だよ」


 木場は取りなすような笑みを浮かべたが、それで貴弘が納得するはずもなかった。眼光をますます鋭くしてさらに木場に詰め寄ってくる。


「何でもないはずあるかよ。なぁ、唯佳が危ないってどういうことだよ?」


「いや、その……」


「はっきり言えよ。あいつどれくらいヤバいんだ? 死刑になんのか?」


「いや、死刑はさすがにないと思うけど……」


「だったら何だよ。警察の奴らみんな帰っちまったみたいだし、これで捜査終わりってことなのか? なぁ、どうなんだよ。あいつ、マジで有罪になんのか?」


 木場がどれだけ追及をかわそうとしても貴弘は執拗に尋ねてくる。口では何と言っていても、やはり唯佳のことが心配なのだろう。

 木場は少し迷ったが、中途半端に情報を与えられても不安になるだけだろうと思い、正直に状況を伝えることにした。


「死刑はともかく、有罪になる可能性は高いと思う。決定的な証拠が2つも出てきてるんだ。本人は否定してるけど、警察はまず間違いなく唯佳ちゃんの反抗と見てる。このまま行けば今日中には検察に送られていずれは裁判になるだろうね」


「マジかよ……」


 貴弘が顔をしかめて頭を掻きむしった。昨日は感情の見えにくかった顔に明らかな焦燥感が浮かんでいる。貴弘は唯佳の無実を信じているのだろうかと思い、木場はもう少し話を広げてみることにした。


「的場君は、唯佳ちゃんが逮捕されたことをどう思う?」


「どうもこうもねぇよ。何かの間違いに決まってんだろ」貴弘が噛みつくように言った。


「どうしてそう思うの?」


「んなもん、あいつ見てりゃわかんだろ。あんなふわふわした奴が人なんて殺せるかよ」


「でも、証拠が出てきてるんだよ? それに的場君、言ってたよね。児島さんは見た目とは全然違う性格だったって。松永さんもそうだったって可能性はないのかな?」


 敦子やガマ警部に言われた言葉を、木場はあえて口にしてみた。貴弘は明らかに不快そうに眉根を寄せると、そのまま木場の方に詰め寄ってきた。長身の貴弘に見下ろされるとなかなか迫力があり、木場は思わず後じさった。


「アンタ、何が言いたいんだよ? 唯佳が沙絢みたいにキャラ作ってたってのか?」


「いや……わからないけど、そういう意見もあるみたいだから」木場はたじろぎながら答えた。


「アイツはそんな頭よくねぇよ。いっつも沙絢の後くっついて、沙絢の真似ばっかしてたんだ。あいつが沙絢のこと殺すなんてあり得ねぇよ」


 貴弘がきっぱりと言った。唯佳に不利な証拠や供述があると言われても、彼女の無実を信じる気持ちには少しも揺らぎがないようだ。


 木場自身、できることなら唯佳の無実を信じたかった。唯佳のあの無邪気さは演技などではなく、彼女の素のままの姿だと。だが証拠は、彼女が沙絢を毒殺したという事実を物語っている。


「ねぇ、的場君。事件当日のことで、何か気づいたことはないかな? 誰かがおかしな行動をしてたとか……どんな些細なことでもいいんだ」


 木場が祈るような思いで尋ねた。唯佳の無実を信じている貴弘なら、何か彼女に有利になるようなことを思い出してくれるかもしれない。


「んなこと言われても……」


「お願いだよ。このままだと、唯佳ちゃんが本当に児島さんを殺したことになってしまう。でも自分は嫌なんだ。このまま唯佳ちゃんを検察に引き渡したくない」


 貴弘が怪訝そうに眉根を寄せた。そのまままじまじと木場の顔を見返してくる。


「アンタ、言ってることおかしくねぇか? 唯佳を逮捕したのは警察だろ? なのに警察のアンタが唯佳を犯人と思えないってどういうことだよ?」


 貴弘の疑問はもっともだ。木場はしばらく考えた後、ゆっくりと言葉を口にした。


「……自分は、彼女が児島さんを殺したとは、どうしても思えないんだ。それがどうしてかって聞かれたら、直感としか言いようがないんだけど……。

 ただ1つはっきりしてるのは、唯佳ちゃんが今すごく心細い気持ちでいるってことだ。取り調べの様子を見てきたけど、唯佳ちゃん、あんなに明るかったのが嘘みたいにしょげかえってた。無理もないだろうね。児島さんが亡くなって一番悲しんでいるのは唯佳ちゃんのはずなのに、その児島さんを殺したって疑われてるんだから……」


 眩しいほどの唯佳の笑顔が脳裏に浮かぶ。親友を亡くしたにしてはあまりにも明るく見えた言動。だけど木場は、あれは唯佳の本心ではないだろうと思っていた。あの笑顔の裏には、きっと底知れないほどの悲しみが眠っている。ただそれを現実として受け止められていないために、普段と変わらない振る舞いをしていただけなのだ。


「証拠があるから犯人だって言うのは簡単だ。でも自分は……そうやって辛い立場に置かれてる人の気持ちをわかってあげたい。他の全員がクロだって思ってても、自分だけは、その人がシロだって信じてやれる存在でありたい。それが刑事としてふさわしくない行動だってことはわかってる。でもそれが……自分がありたいって思う刑事の姿なんだ」


 木場はそう言って話を終えた。人気のない校舎には話し声も足音も聞こえず、蝉も今日は大人しくしているのか辺りは静かだ。音のない校内では言葉が余韻となって反響し、床に落ちて溶けていくような気がした。

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