ありのままで

 木場が薙高校に到着した頃には、太陽が天高く昇り、容赦ない直射日光を地上に浴びせかけていた。アスファルトがじりじりと焦げつき、うだるような熱気が足元から上がる。

 だが、今日の木場は暑さにも負けずぴんぴんしていた。現場での捜査を許された――厳密にはガマ警部の温情があっただけで、正式に許可されたわけではないが――ともかく、現場に来ることを許された時点で、照りつける太陽に負けないほど木場の心は煮えたぎっていた。


 木場は手始めに、西側校舎1階にある職員室に行ってみることにした。2日前の捜査では、結局沙絢の午後からの行動はわからなかったため、今日出勤している職員に改めて沙絢の目撃情報を尋ねようと思ったのだ。青酸カリの瓶や実験室の鍵について、野中にもう一度話を聞きたいという算段もあった。

 だが、職員室に行ってみても教員や事務員の姿がちらほらと見えるだけで、野中の姿は見当たらなかった。実験室の方にいるかと思い、近くにいた事務員らしき女性に尋ねてみたが、野中は休みを取っているとのことだった。


「休みって……まだ捜査が終わってないのにですか?」木場が非難がましく言った。


「野中先生は普段から体調を崩されやすいんです。今日もお身体の具合が悪く、病院に行かれるとのことでした」


 事務員の女性がにべもなく言った。そう言われてはそれ以上追及することもできず、木場は仕方なく他の職員達に話を聞いて回ることにした。

 だが、聞き込みの結果は芳しくなかった。教員達は、遅い者は21時頃まで残っていたという話だったが、沙絢の姿を見た者は1人もいなかったのだ。もちろん、死体を教室まで運ぶ人物を見た者もいない。期待したような手がかりが得られず、木場は暗澹たる気持ちで職員室を後にした。


「……児島さんが自分で1組に行ってお茶を飲んだのか、それとも誰かが死体を運んだのかはわからない。でも、唯佳ちゃんとの待ち合わせに現れなかった以上、児島さんは15時の時点で殺害されていた可能性が高い。問題はそれを証明できないことなんだよな……。唯佳ちゃんが15時に児島さんにお茶を飲ませて、死体を置いて帰ったって可能性もあるし……」


 腕を組み、童顔の額に皺を寄せ、ぶつぶつと独り言を呟きながら木場は廊下を歩いていた。どこかに見落とした手がかりはないか、脳みそを絞って思い出そうとするが一向に妙案が浮かばない。やはりガマ警部なしでは知恵が回らないのだろうかと考えていると、後ろから誰かに声をかけられた。


「……刑事さん? いかがなさいました?」


 木場は足を止めて振り返った。敦子が職務質問をする刑事のような目つきでこちらを見ていた。独り言を言いながら歩き回っていたせいで、昨日に続いて不審者と思われてしまったようだ。


「あぁ古賀さん。どうしたの? 今日も補習?」木場が表情を緩めて尋ねた。


「いえ、さすがに事件があった直後ですから、補習は中止になっています。ただ、勉強を休むわけには参りませんから、図書室で自習をしていたんです」


「そうなんだ、偉いね。自分なら事件のことが気になって勉強どころじゃなくなりそうだけど」


「まぁ、一般の方はそうかもしれませんね。ですが私は他の方とは違いますから。いつまでも事件の捜査などにかかずらい、神経を摩耗するわけには参りません」


 敦子がきっぱりと言った。殺人事件の捜査よりも受験の方が大事だと言わんばかりだ。


「それよりも、刑事さんはどうなさったんです? さっきからずっと1人で譫言を呟かれていますが」


「あぁ……ちょっと行き詰っててね。時間があまりないから焦ってるんだ」


「そうなのですか? 容疑者は逮捕されたと聞きましたから、てっきり事件はもう解決に向かっているものと推察しておりましたが」


 敦子が無表情で言葉を継ぐ。唯佳が逮捕された事実は生徒達にも伝わっているようだ。


「古賀さんは、最初からゆい……松永さんのことを疑っていたんだったね。彼女が逮捕されたことについてどう思う?」


「疑っていたと断定されるのは語弊がありますけれど。まぁ、彼女1人を容疑者から除外する謂れはないと考えておりましたから、警察の方が捜査に公平を期してくださって安心しておりますわ」敦子が淡々と言った。


「ショックじゃないの? 自分のクラスメイトが逮捕されたって聞いて」


「それは……多少は衝撃を受けましたけれど、何しろ物証があるということですから、事実として受け止めるほか致し方ありません。

 もっとも……私のように、合理的な判断が出来る方は多くはないようですが」


「どういうこと?」


 木場が怪訝そうに敦子を見つめた。敦子はこれ見よがしにため息をつくと、嘆かわしそうに首を横に振った。


「彼女……松永さんが逮捕されたという事実を知った時、皆開口一番に言っていました。あの松永さんが殺人などするはずがない。それもよりによって、あれほど仲がよかった児島さんを殺すなどあり得ないと……。生徒だけでなく、先生方まで口を揃えて同様のことをおっしゃるものですから手に負えません。物証があるから逮捕されたのだと私が申し上げても、聞き入れてくださる人は1人もいませんでした。それどころか、冷静でいられる私の方がおかしい、私が松永さんを陥れたのだとまで言い出す人が出る始末で……。

 彼女は逮捕されてもなお周りから愛され、かたや私は血も涙もない人間として扱われる……。まったく……これでは私の方が悪者みたいではありませんか」


 敦子が珍しく愚痴っぽい口調で言う。その口調に憤りが込められているように感じ、木場は珍しそうに敦子を見つめた。少し考えた後、敦子に向かって尋ねる。


「あのさ、今の話を聞いてちょっと思ったんだけど……もしかして古賀さん、唯佳ちゃんのことが羨ましいの?」


 敦子が目を剥いて木場を見返した。とんでもなく愚かな発言を聞かされたといった顔をしている。


「……羨ましい? 学級委員長の私が、不良生徒の代表のような松永さんを? どのような思考回路があれば、そのような突拍子もない発言をなさる気になるんです?」


 敦子が嫌見たらしく聞き返してくる。だが木場も怯まなかった。


「その不良生徒の代表みたいな唯佳ちゃんが、学級委員長の古賀さんよりもいい扱いを受けていたとしたらどうだろう? 古賀さん、今言ったよね。唯佳ちゃんより自分の方が悪者みたいだって。普段の生活の中でもそういうことがあったんじゃないの?」


「それは……」


「例えば、こういうことはなかった? 唯佳ちゃんと児島さんが何か悪いことをしたとする。古賀さんは学級委員長としてそれを叱ろうとするけど、先生達がそれを止める、みたいなことは?」


「それは……ええ、何度もありました。遅刻したり、掃除当番を放棄したりといったことですね。校則違反を野放しにしていては風紀が乱れますから、私は学級委員長として当然、あの人達への指導を試みました。ですが先生方からは、大したことではないのだから多めに見てやれなどと言われ……」


 敦子が嘆かわしそうにため息をつく。正しい行動をしているはずなのに、それが受け入れられないことへの憤りが顔にありありと浮かんでいる。


「古賀さんは学級委員長として、クラスをよくするために一生懸命だった。でも、先生達はそんな古賀さんの努力には全然気づかないで、いつでも唯佳ちゃん達の味方だった。そういうことなのかな?」


「……ええ。まぁ、先生方には自覚はないのだと思いますが。私はあの人達のように可愛げがありませんから。いつも正論を振り翳して、何かにつけて学級委員長という言葉を持ち出して……。正直なところ、先生方も疎ましく感じておられたのかもしれません。私にまともに接してくださったのは、野中先生くらいなものです……」


 敦子が頬に手を当ててため息をつく。先ほどまでの威勢のよさは消え、堂々とした姿がいつもより小さく見えた。


「野中先生は、その、唯佳ちゃん達をひいきするようなことはしなかったの?」


「ええ……周りの先生方があの人達に甘くする中、野中先生だけは、あの人達への指導を放棄することはありませんでした。何度もあの人達を呼び出しては、辛抱強く面談を重ね……私の意見にも真摯に耳を傾けてくださいました。

 野中先生はいつもおっしゃっていました。『古賀さん、あなたは何も悪くない。あなたはクラスを良くするために、正しいことをしているんだ』……と。私が学級委員長を続けてこられたのは……先生がいてくださったからと言っても過言ではありません」


 敦子が染み入るように言った。敦子にとって野中は、不良生徒の矯正という目的で結ばれた同志のような存在だったのかもしれない。


 木場は敦子を見つめた。どうやら自分は彼女のことを誤解していたようだ。この古賀敦子という生徒は、堅苦しくて融通が利かない、冷血な学級委員長なのだと思っていた。

 でもそうではなかった。彼女はただ、自分に与えられた役割を果たそうと一生懸命だっただけなのだ。唯佳や沙絢のことを異様に注意深く見ていたのも、彼女達の本性を炙り出すような発言をしたのも、そこに悪意があったからではなかった。全ては、彼女の生来の生真面目さと、自分にはないものを持った人間への羨望が引き起こした行動だったのだ。


「……ごめんね」


 木場がぽつりと言った。敦子が怪訝そうに木場を見返す。


「自分も正直、古賀さんのこと、ちょっと取っつきにくいって思ってた。礼儀正しいし、言ってることはみんな正しいんだけど、それが逆に窮屈な感じがしてさ。ゆ……松永さんみたいに、ちょっと抜けてるとこはあるけど、柔らかい雰囲気の子の方が話しやすいっていうのはあった。でも……そうやって見た目で判断されて、古賀さんはきっとすごく辛かったんだろうね」


 自分が唯佳を何度も“ちゃん”付けで呼ぶのを聞いて、敦子はどんな思いだったのだろう。野中以外の教師と同じように、知らず知らずのうちに彼女をひいきして、結果として敦子を苦しめてしまっていた。それが木場にはやりきれなかった。


「……いいんです。私はあの人達のようにはなれませんから。たとえ周りから煙たがれたとしても、私は学級委員長でいるしかないんです」


 敦子が諦めたように息をつく。その寂しげな表情を見て、木場はふと思いついて言った。


「ねぇ、自分、思ったんだけどさ……。古賀さんはその、学級委員長のイメージにこだわりすぎてるんじゃないのかな」


 敦子が当惑した視線を寄こす。木場は自分の考えを伝えようと、何とか言葉を捻り出そうとした。


「古賀さんは自分が学級委員長にしかなれないって思って、そのイメージに自分を当てはめてるのかもしれない。いつでも自信満々で、正しくあろうとしてさ。

 でも、今弱音を吐いてるみたいに、そうじゃない古賀さんだっているわけだよね。そういう学級委員長っぽくない一面を、もっと見せてもいいんじゃないかな。そしたらみんなも古賀さんのことをわかって、古賀さんのことを好きになるんじゃないかな?」


 敦子は木場をまじまじと見つめた。突然道で外国人に話しかけられ、異国の言葉を何とか理解しようとしている人のようだ。


「ですが……そんなことが許されるものでしょうか? 自信のない学級委員長など、誰も追従しようなどと思わないのでは?」


「いや、逆だよ。現に自分、古賀さんの本音を知って安心したくらいだし」


 木場が歯を見せて笑った。敦子はまだ困惑した表情を浮かべていたが、不意に真顔に戻って尋ねた。


「ところで刑事さん、こんなところで一生徒の相談に乗っていてよろしいんですか? 先ほど時間がないとおっしゃっていたようですが」


「あっ、そうだった! 今何時だ……? うわっ、もう14時だ! 早く渕川さん探さないと!」


 ようやく本来の目的を思い出し、木場は転がるようにして校舎の中へと走って行った。敦子は呆気に取られた様子でその背中を見送っていたが、やがてふっと表情を綻ばせた。


「……変わった人だとは思っていたけれど、本当、おかしな刑事さんね。捜査のことを忘れて、生徒の悩み相談に乗るなんて……。

 ……でも、あの風変わりな刑事さんのおかげで、少しだけ肩の荷が下りた気がするわ」


 人気のない廊下で敦子は独り言ちる。

 角の取れたその表情は、昨日よりもずっと自然体に見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る