情報整理
「立派な人ですよね、野中先生って」
化学実験室の捜査を終え、部屋を出たところで木場が呟いた。
「自分、教師になった友人がいるんですけど、授業以外にも事務仕事が山ほどあって、休みもろくに取れないっていつも嘆いてました。でも、野中先生はわざわざ夏休みの時間を使って生徒と1時間も面談してる。いい先生だなって思いますよ。まだ若いし、見た目も爽やかだし、生徒からも人気があるんだろうなぁ」
「ふん、確かにまともな人間ではあるようだ」ガマ警部が鼻を鳴らした。「だが、青酸カリに最も近づきやすい人間であったことも事実だ。薬品棚の鍵は常にあの教師が管理していたんだからな。それに、奴は被害者に会った最後の人物でもある」
「え……じゃあガマさんは、野中先生を疑ってるんですか? あんなにいい先生なのに?」
木場が信じられないように尋ねた。人気のない実験室で、神父のような笑みを浮かべながら水筒に粉を入れる野中の姿を木場は想像する。が、すぐに頭を振ってその映像を追いやった。いくら何でも無理があるだろう。
「わからん。だが、奴が一見清廉な教師であるからといって、容疑者から外すことは出来ん」
ガマ警部が渋い顔で言った。容疑者が絞り込めず、珍しく混迷しているようだ。
木場は今一つ納得がいかなかったが、気を取り直して手帳を見返した。
「えーと……渕川さんに教えたもらった人達への聞き込みは一通り終わりましたね。情報がいっぺんに増えたんで、ちょっと混乱してますけど」
「ふむ、少し整理してみるか。まず、昨日から今日にかけての関係者の行動だが……」
「あ、自分メモに取ってます! ちょっと待ってください。もうちょっと見やすくまとめますから……」
木場はそう言うと、近くにあった消火栓ボックスの上に手帳を広げ始めた。何やら一心不乱に書きつけた後、手帳を持ち上げてガマ警部に差し出す。
「お待たせしました! 生徒達と、野中先生の行動を図にしてみました!」
ガマ警部は目を細めて手帳に書かれた文字を読み取ろうとしたが、いかんせん字が小さくて読みづらい。そろそろ老眼鏡が必要かもしれないと思いながらガマ警部は内容を解読しようとした。
[関係者の行動]
〇7月30日
○古賀敦子
10時 補習(1組)
10時半 1組から2組へ教室移動
11時 面談
12時 昼食
13~15時 補習(2組)
15~17時 図書室で自習
17時 帰宅
○松永唯佳
10時 補習(1組)
10時半 1組から2組へ教室移動
11時 補習(2組)
12時 中庭で昼食
13時 校内をぶらつく
14時 面談
15時 1組で沙絢を待つ
16時 帰宅
○児島沙絢
10時 補習(1組)
10時半 1組から2組へ教室移動
11時 補習(2組)
12時 中庭で昼食
13時 面談
14時以降 不明
○的場貴弘
10時 面談
11~13時 野球部の部室で時間を潰す
13時 補習(2組)
14時 帰宅
○野中誠
10時 面談(貴弘)
11時 面談(敦子)
12時 昼食
13時 面談(沙絢)
14時 面談(唯佳)
15~21時 執務室で事務作業
〈7月31日〉
○9時
敦子、登校。1組の教室を開け、死体を発見する。
野中、出勤。敦子から死体の発見を知らされ、警察に通報。
○10時
唯佳、貴弘、登校。
「ふむ、読みづらさはともかく……内容自体は悪くない。お前にしては上出来だな、木場」
ガマ警部が珍しく感心した。木場が照れくさそうに「いやぁ」と言って頭に手をやる。
「この図によると、被害者は面談の後から行方がわからなくなっている。1組には16時までは松永がいたから、死体が教室に現れたのはそれ以降ということになるな」
「その時間に学校にいた人というと……古賀さんと野中先生ですね」
「あぁ。だが、学校にいなかったからといって、容疑者から除外する理由にはならん。被害者の水筒に毒を入れたタイミングがわかっていないんだからな」
「あ、そうですね。えーと、水筒に関する情報は……あ、これだ! 唯佳ちゃんの話ですね」
木場はそそくさと手帳を捲ると、そこに書かれた情報を読み上げた。
[被害者の水筒]
1組から2組に教室移動をした際、沙絢は1組の教室に水筒を忘れた。昼休みに気づいたが、取りに帰らなかった。
「昼休みが終わった後、児島さんはそのまま面談に行った。面談が終わったのが14時くらいだから……それまでは水筒は1組にあったってことですよね」
「被害者以外の人間が水筒を持ち去っていないとすればな。掃除が終わって以降、1組の教室は使用しておらず、鍵もかかっていなかった。つまり、誰にでも毒を入れるチャンスはあったということだ」
「あ、そうか。じゃあ問題は、水筒がいつまで1組にあったかってことですね」
「そういうことだ。後は、凶器の青酸カリと薬品棚の鍵についてだが……」
「野中先生の話ですね! ばっちり書いてますから、ちょっと待ってください……」
木場がものすごい勢いで手帳を捲り、目的のページを見つけると、嬉々としてその内容を読み上げた。
[凶器の青酸カリ(シアン化カリウム)]
化学実験室の薬品棚に鍵付きで保管されている。使用量や残量は「受払簿」で管理している。犯行で少なくとも10グラムは使用されていた。指紋鑑定中。
[薬品棚の鍵]
実験室の鍵とセットになっており、野中が管理している。4日前の補習で野中が教室に白衣を忘れた際、紛失した。現在も捜索中。
「薬品棚に危険な薬品があることは生徒も知っていて、毒物は一目でわかるようになっていた。棚の鍵は4日前に紛失し、今も見つかっていない……。これってつまり、生徒が犯行をするのも可能ってことですよね」木場が憂鬱そうに呟いた。
「あぁ、未成年者による殺人など、まったく気が重くなる話だが……」ガマ警部が苦々しげに息を吐いた。
「うん、でもこれで情報がすっきりしましたね。えーと、次に調べることは……」
「まずは水筒についての情報をもう少し集めたい。被害者の水筒はいつまで1組にあったのか、誰かが持ち歩いているのを見た者がいないか、他の生徒や教師にも確認してみることにしよう」
「そうですね! それから……」
「渕川のところに行って、青酸カリの指紋の鑑定結果を聞く。薬品棚の鍵の捜索状況も確認しておいた方がいいな」
「あ、それ! 自分も今同じことを考えてました。後は……」
「被害者の午後からの行動だな。被害者はいつ毒入りの茶を飲み、いつ死体となって教室に現れたのか? 調べることは山ほどある」
「な、なるほど! さすがガマさん、勉強になります!」
「……木場、お前本当に、自分でも考えていたんだろうな?」ガマ警部が疑わしげな視線を向けてきた。
「もちろんですよ! 水筒と、指紋と鍵と、後はえーと……被害者の行動ですよね! 結構調べることがあるな……」
「ふむ、ここからは二手に分かれるとするか。俺が渕川のところに行くから、お前は生徒や教師達に聞き込みをしてこい。くれぐれも捜査情報を漏らすんじゃないぞ」ガマ警部が凄みを効かせた。
「わ、わかってますよ! 自分、やる時はやりますから!」
木場は手帳をズボンのポケットに押し込むと、廊下を猛然と駆け抜けていった。あたふたと廊下を走る姿は男子高校生のようだ。あいつを1人にして本当に大丈夫だろうかとガマ警部は早くも心配になった。
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