捜査 ―3―

悪意の萌芽

 補習やクラブのために登校していた生徒や教師達は体育館に集められており、木場はそこで聞き込みを行うことにした。補習を受けていた生徒を中心に、事件当日の午後に沙絢を見た者がいないか、あるいは“目つきの悪いウサギの絵が描かれた水筒”を見た者がいないかを聞いて回る。

 1時間ほど聞き込みをしてみたものの、結果は芳しくなかった。沙絢の姿を見た者も、水筒を見た者も誰もいなかったのだ。


「うーん……困ったなぁ。児島さんの行動もわからないし、水筒がいつまで1組にあったのかもわからない。これじゃ何が起こったのかさっぱりだよなぁ……」


 体育館を一通り歩いた後で木場は独り言ちた。ここでは有用な情報は得られそうもない。

 迷った挙句、木場は再度校舎内を歩き、話を聞いていない生徒や教師を探すことにした。北側と南側、それぞれの校舎の1階から3階まで隈なく歩き、校内に残っている人間がいないかを探す。だが、すでに全員が体育館に集められているのか、時折捜査員とすれ違うだけで、生徒や教師らしき人の姿はどこにも見られなかった。


 南側の校舎の捜索を終え、1階まで戻ってきたところで木場は早くもぐったりし始めていた。何度も階段を昇ったり降りたりしているのが応えたのだろう。せっかく引いた汗がまたしても身体中から噴き出している。

 時刻は15時。熱気はますます酷烈なものとなって木場に襲いかかってきており、木場は汗と疲労に打ちのめされそうになっていた。少し休まないと情報を集める前に倒れてしまいそうだ。ガマ警部ならサハラ砂漠の中でも3日は生き延びられそうだけど、自分はとても熱帯植物のように生きられそうもない。


「刑事さん? 大丈夫ですか?」


 不意に後ろから声をかけられ、木場はぐったりした顔で振り返った。敦子が不審者を見咎めるような目つきで自分を見ていた。


「あぁ……古賀さん。もう進路指導室で待ってなくていいの?」


「ええ。聞き込みが一段落したので、今日のところは帰ってよろしいとのことでした。それよりも、刑事さんはどうなさったんですか? 何だかとても具合が悪そうですけれど」


 自分はそんなにひどい顔をしているのかと思い、木場は慌てて近くの窓を探した。窓に映る自分は干上がった川にいる魚のような顔をしている。この顔で校内をうろついてよく教師に咎められなかったものだ。


「いや、自分も聞き込みをしようと思って、校内に残ってる生徒や先生がいないか探して回ってたんだけど、歩いてるうちに汗かいちゃって。これから北側の校舎も調べるつもりなんだけど、やっぱり3階分の階段を往復するのはきついね」


 木場が頭を搔きながら言った。話している間にも汗がこめかみを流れ落ちてくる。


「そうなのですか。でも、わざわざ1階まで降りてこられなくても、途中に渡り廊下がありましたのに」


「渡り廊下?」


「ええ。北と南の校舎をつなぐもので、2階の中央辺りにあるんですが、お気づきになりませんでした?」


 2階といえば、ちょうど3年生の教室があった階だ。あの時は1組の教室を目指すことしか頭になく、途中にあったものなどまるで目に入っていなかった。


「えーと……つまり、校舎間の行き来をしようと思ったら、1階まで降りてこなくても、2階の渡り廊下を使えばいいってこと?」


「はい、私も化学実験室に移動する時などは渡り廊下を利用しています。その方が余計な労力を使わずに済みますからね」


 敦子が当然のように言う。つまり自分は、今まさに時間と体力を無駄に消耗したというわけだ。途端に疲労感が増した気がして木場はがっくりと首を垂れた。


「ところで……捜査の進捗状況はいかがですか?」敦子がおもむろに尋ねてきた。


「あぁ、それが困ってるんだよ。児島さんの行動も水筒のこともさっぱりで……」


 そこまで言ったところでガマ警部の仁王のような顔が浮かび、木場は慌てて口を噤んだ。ついさっき釘を刺されたばかりなのに、危うく捜査情報を漏らすところだった。


「水筒?」敦子が眉根を寄せた。


「あぁ……いや、ごめん。何でもないんだ。忘れて」


 木場は取り繕ったが、敦子は引き下がろうとせず、勘繰るような視線を向けてきた。木場は慌てて話題を逸らせようと頭を捻った。


「ええと……あ、そうだ。古賀さんは確か、事件当日の1時間前に学校に来て、教室を開錠したって話だったよね?」


「はい。私が補習を受ける日は必ずそうしております。先生方は自分で開けるのでよいとおっしゃるんですが、先生方のお手伝いをするのも学級委員長としての務めですから」敦子が例の文句を口にした。


「そうなんだ。施錠もするの?」


「はい。補習がある日は、基本的に最後の授業まで受けることにしていますから」


「確かに事件当日も最後まで受けてたって言ってたね。でも、その日は閉めるのを忘れてたんだ?」


 何気なく尋ねたつもりだったのだが、敦子の顔がぴくりと引き攣った。唇を噛み、さも忌々しそうに顔を歪めて腕を組む。


「……ええ、あれは本当に恥ずべき失態ところでした。まったく……学級委員長ともあろうこの私が、自分の仕事を忘れるなんて……」


「あ、ごめん。別に責めてるわけじゃないんだ。自分だってしょっちゅうパトカーの鍵をかけ忘れて怒られてるし」


「いいえ、私がこのような失態を演じたのは昨日の一度きりです。普段の状況なら、私が自分の仕事を失念することなど断じてあり得ませんでした」


 敦子が「一度きり」というところを強調して言った。木場と一緒にされるなど心外だと言わんばかりだ。


「そ、そうなんだ。その日は何か事情があったのかな?」木場がたじろぎながら尋ねた。


「あの日は……そう、不測の事態がありましたから。1限目の補習の際、生徒が1人嘔吐して、急遽1組から2組に教室を移ることになったんです。その後、私は面談のために一旦教室を離れましたが、午後からも補習は2組で行っておりました。補習が終わった際、2組の方はきちんと施錠いたしました。

 それで……私、てっきり施錠を終えたものと思って、そのまま図書室に向かったんです。なぜ1組のことが浮かばなかったのか……自分でも不思議でなりません。よりによってその日に事件が起こるなんて……」


 敦子が深々とため息をついた。1組の施錠がされていれば死体はそこに現れず、自分が死体を発見することもなかった。自らの手で招いてしまった忌々しい事態に憤りを感じているようだ。


「そっか、ごめんね。変なこと聞いて。でも、あんまり気にしない方がいいよ。死体が現れたのは古賀さんのせいじゃないんだから」


 木場は慰めたが、敦子は険しい顔をして唇を引き結んだままだった。自分が務めを果たせなかったことがよほど許せないらしい。

 木場はどうしたものかと考えたが、そこで敦子が思い出したように言った。


「……そう言えば、刑事さん、先ほど、水筒がどうとおっしゃっていましたが……」


 再び話題が危険な領域に戻り、木場は慌てて顔の前で両手を振った。


「あ、いや、本当に何でもないんだよ! ただ……そう、個人的に興味があるだけで!」


「いえ……その水筒というのは、児島さんの水筒のことでしょうか? もしそうでしたら、私、思い出したことがあるんです」


「本当!? どんなこと!?」


 木場が身を乗り出した。これだけ露骨な反応を示せば水筒が重要な証拠だと白状しているようなものだが、本人はまるで気づいていない。

 餌に喰いついた魚のような木場の反応を前に、敦子は焦れるほど間を置いてから言った。


「実は……昨日、2組の教室を施錠した時のことですが、私、念のために1組の教室も覗いてみたんです。誰か残っている生徒がいないかと思って……。そうしたら、そこに松永さんがいました」


「唯佳ちゃん?」


 木場が怪訝そうに聞き返した。敦子が物言いたげな視線をちらりと寄こしたが、そのまま続けた。


「はい。誰もいない教室で、何をしてるのかと不思議だったんですが……」


「あぁ、それは本人から聞いたよ。唯佳ちゃんの面談が14時からで、それが終わってから児島さんと一緒に帰る約束をしてたから、1組で待ち合わせしてたんだって」


「あら……ご存知だったんですね」


 敦子がいやにゆっくりと言った。表情が不満げに見えるのは気のせいだろうか。


「うん。まぁ、結局児島さんは来なかったみたいだけど……。それで、唯佳ちゃんがどうかしたの?」


 敦子はすぐには答えず、頻りに眼鏡をいじり始めた。何故か落ち着きを失っているように見える。

 木場は不可解そうに敦子を見つめたが、不意に敦子が眼鏡をいじるのを止めた。たっぷりと間を置いた後、怜悧な目で木場を見据えて告げる。


「ええ……その時松永さんが、見覚えのある水筒を持っていた気がするんです。あれは確か……児島さんの水筒でした」


「本当に!?」


 木場が素っ頓狂な声を上げる。いきなり左フックをくらった気分だった。


「そ、その水筒ってどんな柄だった!? 何かキャラクターの絵とか描いてあった!?」


「そうですね……。確か、目つきの悪い兎の絵が描いてあったと思います。あんなものを可愛いと思うなんて、最近の女子高生の感性は理解できませんね」


 敦子が嘆かわしそうに首を振る。自分が“最近の女子高生”に含まれているとは考えていないようだ。


 それはともかく、ここに来て水筒の行方が判明した。唯佳が1組の教室にいたのは15時から16時の間。1組に戻ってきた際、沙絢が水筒を忘れていたことを思い出し、本人に返そうと思って自分で持っていたのかもしれない。

 だが、それならなぜ、さっき唯佳はそのことを言わなかったのだろう。単に言い忘れていただけなのか、それとも――。


「……ひょっとしたら、私の見立て違いだったのかもしれませんね」


 敦子が不意に言った。木場が怪訝そうに敦子を見返す。


「見立て違い?」


「はい。松永さんは、見た目通りの天真爛漫な性格だと思っていたんですが……案外、児島さんのようにその性格を演じている部分があったのかもしれません。警察の方々も、無邪気な少女を容疑者としては考えにくいでしょうから」


 木場ははたと真顔になり、敦子の顔をじっと見つめた。敦子が居心地悪そうに再び眼鏡をいじくり始める。


「……何でしょう? 私、何か不躾なことを申し上げましたか?」


「いや……古賀さんの言い方だと、まるで唯佳ちゃんが犯人だと思ってるみたいに聞こえるなと思って」


「私はただ、捜査には公平を期せねばならないと考えただけです。児島さん同様、松永さんも大人を懐柔する術に長けていますから、警察の方にもご忠告申し上げておいた方がいいと思いまして。現に、あなたは松永さんのことを“唯佳ちゃん”などと呼んでいらっしゃる。彼女に親しみを感じている証拠ではありませんか?」


「それは……本人がそう呼んでほしいって言ったから」


「警察の方が、一介の学生の言葉においそれと従うのもいかがなものかと思いますけれど。

 百歩譲って、それが捜査を進めるのに必要なことだったとしても、本人がいないところでまで名前で呼ぶ必要はないはずです。彼女のその振る舞いが、自分を容疑者から外すための打算でないとどうして言い切れます? 自分は天真爛漫な少女で、殺人とは無縁の存在だという意識を植えつけようとしている可能性だってあるではありませんか」


「それは……さすがに考え過ぎじゃないかな。ゆい……松永さんが水筒を持っていたとしても、彼女が毒を入れたと決まったわけじゃない。むしろそこまで彼女にこだわる古賀さんの方が自分は気になるよ」


 敦子が目を見開いた。害虫でも見るような一瞥を木場にくれる。


「まぁ……刑事さん。あなたはまさか、この私が児島さんを毒殺したとでも?」


「いや、そこまでは言ってないよ。ただ、古賀さんの話を聞いていると、どうも松永さんを意図的に犯人に仕立て上げようとしている気がしてならないんだ」


 それは、沙絢の人柄について証言を聞いた時にも抱いた印象だった。敦子の口から語られた沙絢の人物像は、自分の印象操作のために友人を利用する計算高い少女だった。それはまるで、明るい人気者だったという被害者のイメージを意図的に破壊し、彼女という人間の本性をあぶり出そうとした試みのように思えた。そこには学級委員長という立場を超えた、個人的な悪意のようなものがあった。


 敦子が冷ややかな目で木場を見据えた。忠告が聞き入れられなかったことに苛立ちを覚えているのかもしれない。


「……よく、わかりました。結局刑事さんも、先生方と同じだということですね」


 敦子は吐き捨てるように言うと、木場を一睨みし、憤然として立ち去っていった。

 木場は当惑しながらその背中を見送った。絵に書いたような真面目な学級委員長。その潔癖な性格が、行きすぎた正義感へと発展した可能性は本当にないのだろうか。ガマ警部が言ったとおり、指導に従わない不良生徒を、手段を択ばずに排除したのだとしたら――。


 そこまで考えたところで木場は我に返り、ぶんぶんと頭を振った。ダメだ、今は捜査に集中しよう。まずは水筒のことを確かめるため、唯佳に話を聞かなければ。

 木場は気を取り直すと、進路指導室に行くために北側の校舎へと走っていった。

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