無垢なる少女

 木場に連れられてやってきたのは、敦子とは対照的な雰囲気の女子生徒だった。シャツのボタンは第2ボタンまで空けられ、ゆるく結ばれたネクタイがその上にぶら下がっている。膝上10センチはあろう短いスカートに、ふくらはぎに届かないほどの短い黒のソックスを合わせ、華奢な足がほとんどむき出しになっている。背中まで伸びた茶髪はふんわりと巻かれ、マスカラを塗ったぱっちりとした目は興味深そうに警部を見つめている。


「ガマさん。こちらが、被害者の親友の松永唯佳まつながゆいかさんです」


 木場が唯佳を紹介した。ガマ警部はそこで自分が顔をしかめていることに気づいた。今時の女子高生を前にして、娘も学校でこんな格好をしているのかと心配になったのだ。


「松永さん、こちらは警視庁捜査一課のガマさ……蒲田警部です。自分は部下の木場と言います。今日は松永さんに話を聞かせてもらいたくて……」


「ねぇオジさん、どうしてそんなに恐い顔してるの?」


 唯佳が小首を傾げて尋ねてきた。ガマ警部の眉間にさらに皺が刻まれる。


「ほら、それ。ダメだよそんな顔してちゃ。沙絢も言ってたよ。『人に好かれるコツは、まずニコニコすることだ』って。オジさん、みんなに好かれたくないの?」


「俺は元々こういう顔だ。それに人に好かれようとも思わん。刑事なんぞ、人に嫌われるのが仕事みたいなものだからな」


「そうかな? でもほら、こっちの刑事さんは優しい顔してるよ」


 唯佳が木場を指差した。木場が照れ笑いを浮かべて後頭部に手をやる。


「そいつは例外だ。その顔のせいでいつも取り調べに苦労しているんだからな」


「えー、でもぉ、沙絢がいつも言ってたよ。『人間関係をエンカツにする秘訣は、まず愛想よくすることだ』って」


「刑事が被疑者に愛想よくしてどうする? 相手は犯罪者だ。円滑な関係など築く必要がない」


「えー、でも沙絢が……」


「おい木場、何とかしろ。こいつと話していると調子が狂う」ガマ警部がとうとう匙を投げた。


「あ、はい! えーと、あの、松永さん?」


 木場が当惑しながら唯佳に声をかける。唯佳は両手で顔を包み込んで難しい顔をしていたが、すぐにぱっと顔を明るくして木場の方を振り返った。


「なぁに、刑事さん?」


「あ、その、昨日のことや児島さんとの関係について話を聞きたいんだけど、いいかな?」


「うん、いいよ! 何でも聞いて!」


 唯佳が表情を綻ばせた。花が開いたようなその笑顔に、木場は思わずほっこりする。


「おい木場、くれぐれも手短に済ませるんだぞ。要点だけを聞き出してさっさと帰らせろ」


 ガマ警部が釘を刺した。唯佳のような掴みどころのない人間は苦手なようだ。


「わかりました。えーと、それじゃあ松永さん……」


「あ、それとね刑事さん。その『松永さん』って言い方止めてほしいんだ」唯佳がぴっと人差し指を立てた。「さん付けって他人ギョーギで嫌だし、名前で呼んで?」


「……わ、わかった。じゃあえーと……唯佳ちゃん、昨日学校で何をしてたか聞かせてくれるかな?」


「オッケー!」


 唯佳が満面の笑みを浮かべて親指と人差し指で丸を作る。その弾けるほどの明るさにさすがの木場も面食らった。


「えーとね、昨日は沙絢と一緒に10時から補習を受けたの。補習は2コマあって、終わってから沙絢と一緒にお昼を食べたんだ。

 で、その後13時くらいだったかな? 沙絢がセンセーの面談受けに行って、ユイはその間適当にぶらぶらしてたの。唯佳も14時から面談だったから、終わったら一緒に帰ろうって沙絢と約束してて」


「じゃあ、面談までは児島さんと一緒にいたってことだね。その後はどうしたの?」


「ユイ、面談が終わってから1組の教室に行ったんだ。沙絢とそこで待ち合わせしてたから。でも沙絢全然来なくて、LINEで連絡しても既読つかないし、おかしいなーって思いながら待ってたんだけど、結局来なかったから先に帰っちゃったんだ」


「それは何時くらいのこと?」


「うーんとね、面談が終わったのが15時ぐらいだったでしょ。で、待ってたのが1時間くらいだから……16時くらい?」


「ふうん……。児島さん、どうして待ち合わせ場所に来なかったんだろうね」


「ユイもわかんない。待ち合わせしようって言い出したの沙絢なのに」


 唯佳が不満げに頬を膨らませる。もしかすると、沙絢はその時すでに命を落としていたのだろうか。


「それで、16時頃に唯佳ちゃんは学校を出て、その後どうしたの?」


「うん、そっからは家に帰って、もっかい沙絢に連絡したんだ。でも全然繋がんなくて。ちょっと心配だったけど、どっかに携帯置き忘れたのかなって思って、あんまり気にしてなかったんだ。今日も補習だし、その時会えるからいいかなって」


「今日は何時ぐらいに登校したの?」


「10時ちょっと前くらいかな? ユイ、朝弱いからいっつもギリギリなんだよ。でも来たらパトカーいっぱい停まってて、近くのセンセーに何があったのって聞いても何にも知らないみたいで。だから今度はお巡りさんに聞いたんだ。そしたらいろいろ質問されて。

 で、昨日沙絢と一緒に補習受けてたこととか、連絡取れなくなってること話したらびっくりされて、そのまま進路指導室に連れてかれたんだ」


「じゃあその、児島さんが亡くなったってことは……?」


「……うん。進路指導室で待ってる時に、担任のセンセーが話してくれた。ユイ、正直全然実感ないんだけど……」


 そこで初めて唯佳の顔にかすかに翳りが差した。親友を亡くした直後にしては妙に明るい言動は、現実を受け入れられていないことの表れなのかもしれない。


「唯佳ちゃんは、児島さんと仲がよかったんだよね?」


「うん、ユイと沙絢、1年の時からずっとクラス一緒で、好きな服とか化粧品とか、男の子のタイプとか、全部一緒だったんだ。

 沙絢ね、ユイにいろんな話してくれたの。センセーに可愛がられる方法とか、女の子の友達と上手くやっていくコツとか、『ヨワタリのスベ』みたいなこと? ユイ、沙絢のそういう話聞くの楽しかったんだぁ」


「そ、そうなんだ……」


 木場は困惑を隠せなかった。『世渡りの術』などという言葉を使う唯佳が、あまりにも無邪気な様子だったからだ。滔々と処世術を語る沙絢と、純粋な尊敬を持ってそれを聞く唯佳。双子のような見た目であっても、中身はまるで違った2人の姿が目に浮かぶ。


「ところで、あんたは昨日、被害者が水筒を持っているのを見たのか?」ガマ警部が不意に口を挟んだ。


「水筒? あぁ、沙絢が持ってたやつね。あれ可愛いんだよね。ファニーちゃんの柄で」


「ファニーちゃん?」


「うん、オジサン知らない? 今JKの間で流行ってるキャラなんだけど」


「聞いたこともない。木場、お前は知っているか?」


「さぁ……自分も知りませんね。妹に聞けばわかるかもしれませんけど」


「もー、ダメだよ。ちゃんと流行は追っかけないと。ファニーちゃんってウサギなんだけど、ちょっと目つきが悪くて……」


「いや、キャラクターの話はいい。昨日、被害者はその水筒を持っていたのか?」


「うん、持ってたよ。今あっついもんね。飲み物なかったら喉カラカラになっちゃうし。あ、でも……」


 そこで唯佳が言葉を切った。細い人差し指をふっくらとした唇に当て、何かを思い出す表情になる。


「どうした? 何か気づいたことがあるのか?」ガマ警部が身を乗り出した。


「うん……。そういえば沙絢、昨日水筒忘れてたなって思って」


「何?」


「1コマ目の補習の途中だったかな。授業受けてた子が1人吐いちゃって。それで掃除するからって、隣の2組に移動したの。確かその時、沙絢が水筒忘れてた気がする」


 木場はガマ警部と顔を見合わせた。とんでもなく重要な証言が飛び出してきたようだ。


「えーと……1コマ目の途中で教室を移ったんだよね。だいたい何時頃のことかな?」


「うーん、10時半くらいかなぁ? ホントはずっと1組で補習受けるはずだったんだけど、結局2コマ目も2組で受けたんだ。午後からはわかんないけどね」


「児島さんが水筒を忘れたのに気づいたのはいつ?」


「たぶんお昼の時かなぁ? ユイと沙絢、お昼はいっつも中庭で食べるんだよ。

 で、食べようとしたら沙絢が水筒ないってことに気づいて。でも取りに行くの面倒だからって自販機でお茶買ってたよ」


「その後は?」


「その後はねぇ、沙絢はそのまま面談行っちゃったから、結局取りに行ってないと思うよ」


「つまり……少なくとも10時半頃から13時までは、水筒は1組にあったってことですよね」木場がガマ警部に確認した。


「そうなるな。1組の掃除が終わった時間はわかるか?」ガマ警部が唯佳に尋ねた。


「わかんない。2コマ目が終わった時には誰もいなかったけど」


「つまり、10時半から12時までの間は無人だったということだな。その間、教室に鍵はかかっていなかったのか?」


「たぶん。ユイが面談終わって行ったら鍵空いてたし」


「えっと……話を整理すると、掃除が終わってから12時までは誰でも1組に入れた。つまり、毒を入れるチャンスがあったということですよね?」木場がガマ警部に尋ねた。


「そうなるな。あと問題になるのは午後だ。あの古賀という生徒によれば、補習は午後からも行われていた。午後の補習も2組で行われていたのなら、毒を混入するタイミングはさらに広がることになる」


「午後から補習を受けていた人に話を聞かないといけませんね。古賀さんをもう一度呼びましょうか?」


「あのぉ……刑事さん?」


 熱心に話し込んでいる木場とガマ警部の間できょろきょろと視線を動かしていた唯佳が、そこでおもむろに口を挟んできた。2人が一斉に彼女の方を向く。


「何だ、どうした?」ガマ警部が尋ねた。


「午後からのことだったら、貴弘も知ってると思うよ? 確か午後イチで補習受けたって言ってたし」


「貴弘君?」木場が首を傾げた。


「うん、的場貴弘まとばたかひろって言って、沙絢のカレシなんだ。背高くてイケメンなんだよ!」唯佳が嬉しそうに両手を合わせた。


「あぁ……進路指導室にいたもう1人のことですね」


「ふん、それは好都合だ。さっそく呼んできてくれ。あんたはそのまま待機しておいて構わん」


「はーい!」


 唯佳は元気よく手を上げると、小走りで教室を出て行った。木場は呆気に取られてその背中を見送った。


「……なんか、すごい無邪気な子ですね。高校3年生にしては幼いというか」


「まったくだ。さっきの委員長は随分堅苦しかったが、今度は小学生を相手にしている気分だった。この学校にまともな奴はおらんのか?」ガマ警部が呆れ顔で息をついた。


「被害者の彼氏はどんな子なんでしょうね。的場君でしたっけ」


「さぁな。もう少し普通に話が出来る奴だといいが」


 ガマ警部が憮然として鼻を鳴らす。表情からして期待しているわけではなさそうだ。

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