範として

 2階の慌ただしさに比べると、1階は人の出入りがなく閑散としていた。進路指導室は階段を上がった目の前にあり、扉の前には番兵のように1人の警官が立ちはだかっている。木場達は近くの空き教室を借り、そこで1人1人事情聴取を行うことにした。


「進路指導室に誰がいるのか、あの警官に聞いてきますね!」


 木場はガマ警部にそう言うや否や、進路指導室の前に控える警官に向かって突進していった。警官に訝しげな顔をされながらも何とか話を聞き出すと、再び猛然とガマ警部のところへ戻ってくる。


「今、あの部屋で待機しているのは3人です。1人は死体を発見した生徒、後は被害者の彼氏と親友だそうです。誰から話を聞きますか?」


「そうだな、まずは死体発見時の状況を聞きたい。死体を発見した生徒を連れてきてくれ」


「わかりました!」


 木場は勢いよく頷くと、再び進路指導室に向かって突進していった。


 


 木場が連れてきたのは1人の女子学生だった。長い黒髪を飾り気のないゴムでひっ詰め、化粧気のない顔にレンズの細い眼鏡をかけている。第1ボタンまできっちりと留められたシャツの襟元には深緑色のネクタイが結わえられ、膝下まで下ろされたスカートにはきっちりと襞がついている。見るからに優等生然とした出で立ち。制服を気崩すことなど考えたこともないのだろう。


「ガマさん、こちらが死体を発見された生徒さんです。名前が……」


「お初にお目にかかります。私、児島さんのクラスの学級委員長をしております、古賀敦子こがあつこと申します。このたびは死体発見時のお話を伺いたいとのことでしたので、謹んでご協力させていただきます」


 敦子は木場の紹介を遮って言うと、背筋を伸ばし、きっちりと腰を折ってお辞儀をした。出鼻をくじかれた木場が呆気に取られて敦子を見つめる。


「ふん、死体を発見したばかりだというのに、随分と冷静だな?」ガマ警部がじろりと敦子を見た。


「学級委員長たるもの、教室内のトラブルに対しては冷静に対処せねばなりませんから、このくらいは当然のことです」


 敦子がきっぱりと言うと、冷然とした目で警部を見返した。警察を前にしても物怖じする様子は微塵も感じられない。


「……えーと、殺人事件は『教室内のトラブル』で済むほど可愛いものじゃないし、学級委員長が対処することでもないと思うんだけど……」木場が恐る恐る指摘した。


「それでも私は学級委員長ですから、教室内で起きた事件の解決にご協力を差し上げるのが務めです。一介の生徒のように、犯人が逮捕されるのを黙って待っているわけには参りません」


「はぁ、そうですか……」


 木場が気の抜けた返事をした。この古賀敦子という生徒は、学級委員長としての立場に相当なプライドを持っているようだ。


「……まぁ、捜査に協力してもらえるのは何よりだ。ではまず、昨日のあんたの行動を聞かせてもらおうか?」ガマ警部が気を取り直すように尋ねた。


「はい。私は昨日、朝の10時から補習の予定でしたので、9時には学校に到着して教室を開錠いたしました。その後、11時から野中先生の面談を受け、お昼を挟み、13時から15時まで再度補習を受けておりました。その後、15時からは図書室で自習をし、17時ごろに帰宅いたしました」


 敦子がするすると答えた。機械が台本を読み上げているような淀みなさだ。


「補習を3つも受けた上に自習……勉強熱心なんだね」木場が感心して言った。


「受験生ですから当然のことです。私はのほほんとしている人達とは違うんです」


 敦子がつんと取り澄まして言った。自分が愚かな発言をした気になり、木場は縮こまる。


「それで、今朝の行動は?」ガマ警部が促した。


「はい。今朝も10時から補習を受ける予定になっておりまして、いつものように1時間前に到着して、職員室へ鍵を借りに参りました。

 ただ……教室に行ったところ鍵が開いておりまして、私はおかしいと思いながら扉を開けました。中に入って、誰かいないかと教室を見回してみたら……後ろに、その、人が倒れているのが見えて……」


 その時のことを思い出したのか、さすがの敦子も言い淀み、不快そうに眉根を寄せた。


「死体はどんな格好で倒れていた? 仰向けか? うつ伏せか?」


「うつ伏せでした。だから私、最初は児島さんだということも気づきませんでした。制服を着ていましたから、この学校の生徒だということは把握出来ましたけれど」


「それで? 倒れている生徒を見つけてあんたはどうしたんだ?」


「私……まさか死んでいるなんて思いませんでしたから、その人のところに駆け寄って、大丈夫ですかと声をかけたんです。でも、いくら揺さぶっても反応がなくて、おかしいと思って顔を覗き込んでみたんです。そうしたら……」


 敦子が身震いした。死体と目が合った時の恐怖を思い出し、木場が同情した視線を彼女に向ける。


「その後は? 警察に通報したのか?」


「いえ……とにかく人に知らせなければと思って、職員室に人を呼びに行きました。野中先生の他、何人かの先生がいらっしゃったので、一緒に教室に来ていただきました。警察への通報は先生がされたと思います」


「野中というのは、担任の化学教師のことだな?」


「はい……先生も相当ショックを受けておられるようでした。まさか自分のクラスの生徒が殺されるなんて……想像もされなかったでしょうから」敦子が頬に手をやってため息をついた。


「あんた自身はどうだったんだ? 学級委員長として、自分のクラスの生徒が殺されたことにショックを受けていないのか?」


「もちろん、『あれ』を発見したことはショックでした。あんなもの……低俗なドラマの中にしかないものだと思っていたのに、まさか実物を見ることになるなんて……」


 敦子が忌々しそうに眉を顰める。沙絢の死にショックを受けているというよりは、自分が死体を発見する羽目に陥ったことを憤っているようだ。


「古賀さんは、児島さんと仲良くしていたわけではなかったの?」木場が尋ねた。


「私が? まさか。あの人は私とは対極の人間です。学級委員長として指導することはあっても、仲良くだなんて……」


 敦子が吐き捨てるように言った。そんなことを口にされるだけでも心外だと言わんばかりだ。


「学級委員長の古賀さんと対極となると……児島さんは素行が悪かったってことなのかな?」


「ええ、不良といっても差し支えありませんでした。遅刻は日常茶飯事、授業中はいつも居眠り。ですが人当たりがよかったせいか、たびたび校則違反を起こしているのにもかかわらず、先生からは何のお咎めもありませんでした」敦子が嘆かわしそうに首を振った。


「つまり、児島さんを殺すような動機を持つ人はいないってこと?」


「はい。私の知る限り、児島さんを嫌っていた人はいませんでした。明るくて人懐っこい性格でしたから、生徒だけでなく先生からも可愛がられていました。

 もっとも……私に言わせれば、それはあの人の本性ではなかったと思いますが」


「どういうこと?」


 木場が訝しげに尋ねた。敦子は冷涼な目で木場を見据えると、蔑むように言った。


「児島さんは処世術として、『明るくて人懐っこい性格』を演じていたということです。児島さんは、自分がどういう言動をすれば人に愛されるかがわかっていた。校則違反を繰り返しているのにお咎めがないのも、彼女が人好きのする性格を演じていたからです」


「つまり……児島さんは、計算して自分のキャラクターを作っていたってこと?」


「おそらく。もしかすると犯人は、児島さんの『見せかけ』に弄ばれた人間かもしれませんね。彼女の本性に気づき、騙されたことに激怒して殺害した」


「ふむ……だが妙だな。あんたは被害者と親しくしていたわけではなかったんだろう? それなのにどうして被害者の性格が見せかけだとわかる?」ガマ警部が訝しげに尋ねた。


「洞察力があればすぐにわかることです。特に、児島さんといつも一緒にいるあの人と比べればその差は一目瞭然ですから」敦子が事もなげに言った。


「あの人?」木場が首を傾げた。


「松永さんです。児島さんの親友の」


「あぁ、今進路指導室で待ってもらってる子だね」


「はい、松永さんは外見も性格も児島さんとよく似ていました。一緒にいると双子みたいで、2人して何をしても笑って許されていました。

 ただ、お2人を見ていると、松永さんは元々がそういう性格なのに対し、児島さんのそれは作り物めいて見えたんです。おそらく児島さんは、松永さんと一緒にいることで、自分を松永さんと同類に見せかけようとしていたのではないかと」


「ふうん……。にしても古賀さん、児島さん達のことよく見てるんだね」木場が感心して息を漏らした。


「学級委員長ですから、クラスの人間関係を把握するのは当然のことです」


 敦子がお決まりの文句を口にする。だが木場はそれだけだとは思えなかった。敦子の沙絢に対する洞察には、学級委員長が不良生徒を監督する以上の、何か執念のようなものがある気がしてならなかった。




「どうだ? 木場。あの古賀という生徒の証言は」


 敦子を進路指導室に返し、空になった教室でガマ警部が尋ねてきた。


「そうですね……。何というか、かなり『委員長!』って感じでしたね。自分が高校生の頃を思い出しましたよ。放課後帰ろうとすると、モップ持って自分の前に立ちはだかって、『木場君、今日掃除当番でしょう?』なんて言われちゃって。いやぁあの時は怖かったですねぇ」


「お前の昔話は聞いとらん。証言内容について答えろ」


 ガマ警部がぴしゃりと言った。木場が叱られた子どものように首を竦める。


「そうですね……。正直に話しているように思えました。死体を発見した時の状況はよくわかりましたし、被害者の性格についての話はかなり興味深かったです」


「そうだな。ただ奇妙なのは、何故あの娘がそこまで被害者のことを気にしていたかということだ。不良生徒ということで目をつけていたのかもしれんが……」


「あ、それ自分も思いました。被害者のことを毛嫌いしてる割によく見てるなって。古賀さん、被害者と何か個人的な関わりがあったんでしょうか?」


「わからん。だが、あの娘が言っていた、『被害者の見せかけに弄ばれた人物』というのは、案外自分のことを差しているのかもしれんな」


「え……じゃあ、古賀さんが犯人の可能性もあるってことですか?」


 木場が目を丸くして尋ねた。人気のない教室で、眼鏡のレンズを怪しく光らせながら、水筒に粉を入れる敦子の姿を想像する。


「不良生徒を排除するのが学級委員長の務めだと考えているなら、あるいはな」


 ガマ警部が面白くもなさそうに言った。本気でそう考えているわけではないようだ。


「とにかく、今は情報を集めるのが先だ」ガマ警部が話を戻した。「被害者の水筒に毒が混入されたタイミングがわからん以上、アリバイを探ることも出来ん。先に残りの2人の話を聞くとしよう」


「わかりました! じゃあ次の人を連れてきますね! えーと、被害者の親友と彼氏でしたね。どっちから話を聞きますか?」


「そうだな。古賀の証言に出てきた、松永という女子生徒に話を聞きたい」


「親友の方ですね! わかりました!」


 木場は勢いよく頷くと、クラウチングスタートを切ったように教室を飛び出して行こうとしたが、勢い余って教室の扉に頭をぶつけた。


「あいてっ!」


 木場が額を抑えてドアの前に屈み込む。それを見たガマ警部が額に手を当ててため息をついた。あの古賀という学級委員長、教室内の問題を解決する前に、このそそっかしい若造を何とかしてもらえないだろうか。 

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