替えの利く関係

 唯佳を進路指導室に戻して間もなく、1人の男子学生が教室に現れた。

 身長は180センチ近くあるだろうか。シャツの裾をズボンから出し、第2ボタンの間からがっしりとした胸板が覗いている。ズボンのポケットに手を突っ込み、首を回す姿はどこか気だるげだ。前髪の短いツーブロックの髪形はさっぱりとしていて、いかにも女子高生が好みそうな雰囲気だ。こちらをまっすぐに見据える目つきは鋭く、相手の力量を推し量ろうとしているように思える。


 木場の時代にもこんな高校生はいた。校則に引っかからない程度に制服を気崩し、髪形にも気を遣う。そんな絶妙なバランスが女子からの絶大な支持を受ける。その上高身長、シャープな顔立ちが加わればその人気は芸能人にも匹敵する。木場が貴弘から受けたのはそういう印象だった。自分とは無縁の世界にいる人間。


 自分が卑屈になっているのに気づいて木場は咳払いをした。高校生を相手に張り合ってどうする。ここは大人として、冷静に事を進めなければ。そう思って落ち着いた口調で話を始める。


「えーと、的場貴弘君だね。児島さんの彼氏の。今日来てもらったのは……」


「彼氏?」


 貴弘が眉を上げた。整った顔に侮蔑したような表情が浮かぶ。


「俺、あいつとはもう切れてるから、今は彼氏じゃないんだけど」


「あ、そうなの? 唯佳ちゃんは彼氏だって言ってたけど」


「あぁ……はっきり言ってなかったのかもな。別に言う必要もないし」


 貴弘がさもどうでもよさそうに言って首筋を掻く。話題に出すことすら面倒だという雰囲気が表情と仕草から窺える。


「別れたのはいつぐらいのこと?」


「夏休み入ってからだから、1週間前くらいかな。……って何、警察ってそんな個人的なことまで聞くわけ?」貴弘が眉根を寄せた。


「これも捜査の一環だ。あんたが一時被害者と交際していたことは事実なんだろう?」ガマ警部が口を挟んだ。


「そうだけど……。ふうん、そうやって人のプライベートにずかずか踏み込んでくんのか。嫌な仕事だな、警察って」


 貴弘が嘲笑するように鼻を鳴らした。木場はむっとして貴弘を見た。この高校生、少し生意気なんじゃないだろうか。ここは人生の先輩として一発喝を入れた方がいいかもしれない。そう考えて息を深く吸ったところでガマ警部がすかさず切り込んできた。


「木場、お前は黙ってろ」


「え、まだ何も言ってませんよ?」


「顔を見れば大方のところは予想がつく。『この生意気な若造に一発喝を入れてやろう』とでも考えていたんだろう?」


「え、何でわかるんですか!?」木場が目を丸くした。


「ここ数か月でお前の思考パターンが見えてきたからな。だがこいつはお前が説教を垂れたところで聞くようなタマじゃない。ここは俺に任せておけ」


 ガマ警部はそう言ってのっそりと貴弘の方に一歩近づいた。貴弘が警戒するように身を引く。ずんぐりとしたガマ警部の背丈は貴弘の胸の辺りまでしかなかったが、ガマ警部は身長差などまるで気にしていない様子で貴弘を見上げた。


「おいお前、的場と言ったな。お前が警察をどう思うが知ったこっちゃないが、お前がだんまりを決め込んだところでこっちはお前が口を割るまで待つだけだ。この不愉快な時間をさっさと終わらせたいのなら、協力した方がお互い時間を無駄にせずに済むと思わんか?」


 貴弘は答えなかった。ポケットに手を突っ込んだまま、挑発的な目でガマ警部を見返す。ガマ警部の鋭い眼光を前にしても物怖じする様子はない。だがガマ警部の方も引く素振りは全くなく、一触即発の空気が辺りに漂った。

 睨み合いがしばらく続いた後、最初に折れたのは貴弘の方だった。ガマ警部から視線を外し、根負けしたようにため息をつく。


「……わかったよ。それで、何を聞きたいわけ?」


「まずは昨日から今日にかけての行動だ。特に昨日の午後のことを聞きたい」


「昨日の午後な。ちょっと待てよ、思い出すから……」


 貴弘は片手をポケットから出してこみかみを掻いた。ガマ警部は表情1つ変えずに話の続きを待っている。

 そんな2人の様子を見つめながら、木場は情けなさが込み上げてくるのを感じた。自分はいつもこうだ。冷静に対処しようと決めた矢先、相手のペースに呑まれてすぐに感情的になってしまう。ガマ警部のように淡々と物事を進められる日はいつになったら来るのだろう。


 木場の内心の反省など知る由もなく、貴弘はぽつぽつと語り始めた。


「ええと……昨日はそう、10時前くらいに学校に来たんだ。担任の面談があったから。俺、13時から補習だったんだけど、面談終わってから時間空くからさ。面談午後からにしてくれって担任に頼んだんだけど、他の奴の都合でそこしか調整つかないからって言われて」


「10時から面談があって、その後13時から補習を受けたと。面談が終わったのは何時頃だったの?」木場が気を取り直して尋ねた。


「30分くらいだって思ってたんだけど、進路とかクラスのこととかいろいろ聞かれてたら、1時間くらい経ってた気がする。……ったく、夏休みにわざわざ面談なんてしなくていいのにな」貴弘が面倒くさそうに頭を掻いた。


「終わったのは11時くらいってことだね。補習が始まるまではどうしてたの?」


「部室にいた。俺、野球部なんだけど、6月に引退したばっかでさ。部室に誰かいるかなって思って行ったんだけど、練習休みだったみたいで、誰もいなかったから適当に時間潰してた」


「では、その間は1人だったわけか?」ガマ警部が鋭く尋ねた。


「うん。え、何、俺疑われてるわけ?」貴弘が目を剥いた。


「ただの形式的な質問だ。それで? 午後からの補習はどこで受けたんだ?」


「どこでって……教室だよ。2組の」


「2組?」木場が身を乗り出した。


「うん。俺、最初1組の方に行ったんだよ。昨日まではずっと1組で受けてたから。そしたら2組に変更になったって張り紙がしてあって」


「午後からの補習は、最後まで2組でやってたの?」


「うん。俺は1コマしか受けてないけど、誰も移動してなかったし、ずっと2組でやってたんだと思う」


「じゃあ、1組の教室は午後からも使ってなかったわけだね。その日の補習は何時まであったの?」


「さぁ……たぶん15時までだった気がする。ちゃんと覚えてるわけじゃないけど」


「つまり、13時から15時の間も、誰でも1組には入れたというわけだな。もっとも、その間も水筒が1組にあったかはわからんが……」


「誰かが持っていった可能性もありますしね。的場君は見てない? 児島さんの水筒、1組に忘れてあったやつなんだけど」


「水筒? 知らねぇよ。俺、1組には行ってないからな」


「ふうむ……それで? 補習が終わった後はどうしたんだ?」ガマ警部が尋ねた。


「別に、用もないからすぐ帰ったよ」


「被害者には会わなかったのか?」


「会ってない。あいつらが補習受けてたの午前中だしな」


 どうも貴弘は水筒のことは何も知らないらしい。当てが外れて木場は落胆したが、今度こそ感情を外に出すまいと真面目な顔を作って情報を手帳にメモした。


「……昨日の行動についてはこんなところか」ガマ警部が唸るように言った。「では、今朝の行動について教えてもらおうか?」


「今朝は……10時前くらいに学校に着いた。でも警官が大量にいて、何か面倒くさそうだったし、帰ろうかなって思ってたら警官に捕まって、それでいろいろ聞かれた。沙絢のことも聞かれて、ちょっと前まで付き合ってたって答えたら急に慌て出して、そのまま進路指導室連れていかれた」


「じゃあ貴弘君も、そこで児島さんが亡くなったことを聞いたの?」木場が尋ねた。


「うん。唯佳はびっくりしてたみたいだけど、俺は別に何とも思わなかった」


「何とも? つい最近まで付き合っていた相手が死んだというのにか?」ガマ警部が非難するような視線を向けた。


「俺、あんま人に執着するタチじゃねぇんだ。人間関係なんて替えが聞くもんだって思ってるから、悲しいとか寂しいとかも感じねぇし」


「……随分と冷めた見方をするんだな。被害者との付き合いは長くなかったのか?」


「うーん、付き合ってたのは3か月くらいかな。あいつから告白してきて、顔がタイプだったから付き合いだしたけど、正直あんま上手くいってなかった」


「というと?」


「あいつ、すげぇ嫉妬するんだよ。俺がちょっと他の女子と喋ってたらすぐ怒り出して、勝手に携帯とか見るし。監視されてるみたいで気分悪くてさ。だから俺から別れた」


「児島さんは納得したの?」木場が尋ねた。


「いや、怒ってた。自分は別れるつもりないとか言って、しばらくLINEとか電話とか来てたけど全部無視してた。そしたらそのうち来なくなったけど」


「じゃあ、今はもう児島さんとは何の関わりもないってこと?」


「だからそう言ってるだろ。あいつとはもう関係ねぇんだよ。何でこんなことに付き合わされなきゃいけないんだよ」


 貴弘が不快感を露わにした。一刻も早くここから解放されたがっているらしい。


「そういえば、的場君は唯佳ちゃんとは仲がよかったの?」木場が思いついて尋ねた。


「唯佳? まぁ割と。あいつ、沙絢と違って裏表なかったから、一緒にいて楽だったし」


「ほう、被害者には裏表があったと?」ガマ警部が鋭く尋ねた。


「うん。俺も付き合うまでは、沙絢も唯佳みたいなふわふわしたタイプなのかなって思ってたけど、実際は全然違って。あんな嫉妬する性格とか知らなかったし、それに……何つうか、何でも自分の思い通りにならないと気が済まないみたいなとこがあった」


「相手をコントロールしたがってたってこと?」木場が口を挟んだ。


「そうそう。だから俺のことも好きにしたかったんだと思う。でも俺、そういうのマジで無理だから。あいつとは根本的に合わなかった」


「ふうん……。なんか、だんだん被害者の人となりが見えてきましたね」


「あぁ、見かけによらず、かなり狡猾な性格だったようだな。あの委員長の洞察も、あながち間違いではなかったということか」


 ガマ警部はそう言って黙り込んだ。明らかになった被害者の人間性を前に、容疑者となり得る者を考えているのかもしれない。


「なぁ、もう行っていいか? 俺、知ってることは全部話したからさ」貴弘が痺れを切らしたように身体を揺すった。


「ん? あぁ、そうだな。今のところはこれで十分だ。もう帰っていいぞ」ガマ警部が頷いた。


「さっさと片づけてくれよな。俺、面倒なのマジで嫌いだから」


 貴弘はそれだけ言うと、だるそうに肩を揉みながら教室を出て行った。扉を閉めるのも面倒だったのか、入口の引き戸は中途半端に半分だけ開けられたままだ。 


「まったく……最近の高校生はみんなあぁなのか? 淡白というか、無愛想というか……」ガマ警部が嘆かわしそうに言った。


「いやぁ、自分の時にもあそこまで達観した子はいなかったですねぇ。『人間関係は替えが聞く』なんて、高校生の台詞とは思えませんよ」


「それにしても、被害者の死にあれほど無関心だったのは奇妙だがな。奴の性格だといってしまえばそれまでなんだろうが……」


「え……まさか、ガマさんは的場君を疑ってるんですか?」


「被害者はあの小僧とは違い、粘着質な性格だったようだからな。的場は被害者とは切れたと言っていたが、被害者の側はそうは思っていなかったのかもしれん」


「別れ話がもつれて殺したってことですか?」


 木場が信じられない思いで聞き返した。人気のない教室で、いかにもだるそうに首を回しながら、水筒に粉を入れる貴弘の姿を想像する。


「あくまで可能性の話だ。まぁ、あの小僧が殺人なんて面倒事を起こすとは思えんがな」


 ガマ警部がため息をついた。容疑者を俊敏に嗅ぎ分けるガマ警部の嗅覚も、今回は発揮されずにいるようだ。


「まぁ、生徒への聞き込みはこんなところでいいだろう。後は被害者の担任だな」


「確か、捜査に立ち会って化学実験室にいるんでしたね」


「あぁ、聞き込みのついでに、実験室や薬品棚も調べておいた方がいいだろうな」


「そうですね! ではさっそく行きましょう! えーと、化学実験室は……」


「南側の校舎の3階だそうだ」


「南側……ってことは反対側の校舎ですね。階段の上り下りしたら汗かきそうだなぁ」


 時刻は間もなく13時。今いる教室は窓が北側にあるため、それほど日差しは強くない。だが、南側に移動すれば直射日光が容赦なく照りつけ、さらなる暑さに襲われることになるだろう。せっかく汗が引いたところだったのに、またシャツの背中を濡らすことになるのだと思うと木場はげんなりした。


「木場、若いくせに泣き言を言うな。俺が若い頃にはクーラーすらなかったんだぞ」


「うぅ……だって今はガマさんの時代より暑いじゃないですか。今日なんて38度もあるんですよ!?」


「38度だろうが40度だろうが俺は一向に平気だがな。この程度で泣き言を言っていたらそのうち干からびるぞ」


「うぅ……だって自分、昔から暑いのが苦手で……」


「心頭滅却すれば火もまた涼し、だ。さっさと行くぞ」


 ガマ警部は取り合わずにずんずんと教室を出て行く。木場は生気をなくした顔で窓の外に視線をくれた。日陰のない校内は見るからに暑そうで、耳触りな蝉の鳴き声がいっそう暑さをアピールしてくる。

 木場は恨めしそうに日陰のない校舎を見つめていたが、やがて諦めてため息をつくと、肩を落としてすごすごと教室を後にした。

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