捜査 ―1―

日常に忍び寄る影

 7月31日、10時過ぎ。平日の昼間、普段は人通りの少ない道路を、何台ものパトカーがサイレンを鳴らしながら走り抜けていく。犬の散歩をしている主婦や、公園へ向かう途中の老人が足を止め、何事かという顔をして過ぎ去っていくパトカーを見やった。


「何だ、事件か?」


「いやだねぇこんな真っ昼間から。まさか殺人事件じゃないだろうね」


「ちょっと止めてよ、刑事ドラマの見過ぎだって」


「あのパトカー、薙高校の方に向かったけど、まさかあそこで?」


「ちょっと怖いこと言わないでよ。うちの息子もあの高校に通ってるんだから……」


 住民達が不安げな表情を浮かべながら次々と憶測を口にする。平穏だったはずの生活に突然事件の影が入り込み、誰もが混乱し、当惑を隠せずにいた。


 夏休みに入り、昨日までは閑散としていた校内を、今日は警官達が慌ただしく駆け回っている。事情を知らずに登校してきた生徒達は、緊迫した空気の中で走り回る警官達を怯えた顔で見つめ、その場に居合わせた教師達に何があったのかと尋ねた。だが、教師にも詳しい事情は知らされていないのか、生徒達と同じように困惑した表情を浮かべ、要領を得ない説明を返しただけだった。


 その時、正門の方から新たに2人の刑事が走ってくるのが見えた。教師と生徒達はつられてその2人の方を見やった。1人はずんぐりとした体格の中年の男。もう1人は小柄な若い男。共に半袖のワイシャツに身を包み、額に浮かんだ汗を手で拭いながら周囲を見回している。


 教師が中年の刑事と目が合うと、彼はずんずんと教師達の方に近づいてきた。歩くだけで地鳴りがしそうな迫力がある。


「おい、ちょっと聞きたいんだが、3年1組はどこだ?」


 中年の刑事が尋ねた。近くで見ると、仁王像のようにいかつい顔をしているのがわかる。


「あ、えーと……1組なら北側の校舎の2階にあります。あちらの校舎ですね」


 若い男性教師がうろたえながら答え、刑事の背後にある校舎を指差した。刑事は振り返って頷くと、すぐに踵を返してその校舎の方に向かおうとした。


「あ、待ってください! あの、何があったんですか?」


 教師と一緒にいた1人の男子学生が尋ねた。中年の刑事は振り返ったが、その猛禽類のような鋭い眼光に射竦められて男子学生はびくりとした。


「実は殺人事件があったんです。この学校の生徒が殺されてしまって……」


 追いついた若い方の刑事が親切そうに口を挟む。途端に場の空気が凍りついた。


「さ、殺人事件!?」


「うちの学校の生徒が殺されたって……それ、ヤバくない?」


 生徒達が矢庭にざわつき始めた。教師達も顔面蒼白になっている。


「木場! 情報の取扱いには気をつけろと言っておいただろうが! なぜお前はそういつもいつも余計なことをする!」


 中年の刑事の怒号が飛んだ。木場と呼ばれた刑事がひっと声を上げて縮こまる。


「す、すみませんガマさん……。知らないのも不安かと思って……」


「中途半端に情報を出せば余計に混乱を招くだけだ。それに噂が広まり、デマ情報が大量に寄せられて困るのは俺達だ。まったくお前は……刑事の基本だろうが!」


「す、すみません……」


 木場は頭を抱えてその場に丸まった。ガマさんと呼ばれた刑事は盛大に舌打ちをすると、じろりと教師や生徒達の方を見やった。


「言ってしまったものは仕方がない。この学校で殺人事件があったことは事実だが、くれぐれも他言は無用だ。万が一、情報がSNSか何かで拡散することがあれば、お前らを一人残らず留置場で取り調べてやるからな」


 生徒達はこくこくと頷いた。内心、今すぐSNSに投稿したくてうずうずしていたが、この恐ろしい刑事に威嚇されては逸る心も消し飛んでしまっていた。


 中年の刑事は念を押すように今一度睨みをきかせると、今後こそ北側の校舎へと向かった。


「あ、ガマさん! 待ってくださいよ!」


 もう1人の若い刑事が慌てて中年の刑事の後を追う。もはやお馴染みのようになったこの光景。木場がぽかをやらかし、ガマ警部がそれを叱る。このいびつなコンビによる捜査劇が、再び始まろうとしていた。


 


 木場隆きばたかし。28歳。警察官になって6年目、捜査一課に配属されて間もなく4か月になる刑事だ。

 身長160センチと男性にしては小柄で、おまけに童顔、ミーハーな性格と、およそ刑事らしからぬ素質を兼ね揃えている。被疑者に舐められることは日常茶飯事で、木場自身、強面の被疑者の前に出るとたちまち委縮してしまっていた。逆にしおらしい女性にはめっぽう弱く、すぐに相手を信じ込んでは容疑者から除外してしまうという困った一面を持っている。署内で彼を知る人は、何故あんな奴が一課に配属になったのだろうと訝った。あいつを部下に持った人間はさぞ大変だろう。いったい誰がその貧乏くじを引くことになるのかと誰もが憶測を巡らせた。


 その貧乏くじを引かされたのが、先ほどの強面の刑事、蒲田次郎がまたじろう。通称ガマ警部だ。

 今年で53歳になる勤続30年のベテランで、同期が順調に昇進を重ねる中、未だに第一線での捜査にこだわる見た目通りの鬼刑事だ。彼の取り調べを受けた者は、一人残らず泣きながら自白したという伝説がまことしやかに囁かれているが、その真偽を調べようとする勇気のある者は一人もいなかった。

 これまでにも部下を持ったことはあったが、その半数以上が3か月を待たずに異動願い、あるいは辞表を出していた。いるだけで威圧感を与える風体のためか、歯に衣着せぬ物言いのためか。いずれにしても、何人もの部下が来ては去るということを繰り返しているうちに、ガマ警部はいつしか「歩く追い出し部屋」と呼ばれるようになっていた。


 木場がガマ警部の部下になるという人事が公表されたとき、それは天の采配のように思えた。見た目と性格のいずれの点からしても、木場が刑事に向いていないのは明らかだ。人事もそれをわかっていて、敢えてガマ警部の下に彼をやることにしたのだろう。ガマ警部の叱責を毎日受け続けていれば、木場もそのうち自信をなくして辞表を出すに違いない。誰もがそう思っていた。


 だが、このいびつなコンビは意外にも機能していた。4月と5月に起こった2つの殺人事件で2人は捜査に当たり、木場がそれらを解決してみせたのだ。

 いずれも最初からスムーズにいったわけではなかった。木場は捜査方針を無視して一人で突っ走り、ガマ警部は木場の言動のいちいちに頭を悩ませていた。だが、それでも最終的に事件が解決を見せたのは、他ならぬガマ警部の協力があったからだった。ガマ警部自身、刑事としての木場の適性には半信半疑だったが、それでも2件目の事件を解決したときには、型にはまらない刑事だからこそ見えるものがあるのかもしれないと考えを改めもした。だからといって、木場の評価が急上昇したわけではなかったが。


 そういうわけで、今回の事件は2人の3件目の事件に当たる。いつものことながら、現場に降り立つや否や木場は興味深げにきょろきょろと辺りを見回した。


「いやー懐かしいですねー! 高校なんて何年ぶりだろ? でも、意外と自分が通ってた時と変わってないですね」


「お前が通っていたのはせいぜい7、8年前だろう。そう簡単に変わってたまるか」ガマ警部がふんと鼻を鳴らした。


「それもそうですね。ガマさんの頃は、校舎はまだ木造なんでしたっけ?」


「……木場、お前俺をいくつだと思ってる? 俺の時代には校舎はとっくにコンクリートに変わっていた」ガマ警部がむっつりと言った。


「あ、そうなんですか? でも最近の高校は綺麗ですね。自分も公立でしたけど、壁の塗装はあちこち剥げてたし、色ももっとくすんでましたよ」


 木場が感心したように言った。

 現場となった薙高校は特に偏差値が高いわけではなく、入試の答案用紙に名前を書けば受かるレベルの公立高校だ。卒業後の進路は進学と就職が半々程度。進学の中でも半分は専門学校で、大学進学率は高くはない。そのためか、校内には受験に向けたせかせかとした雰囲気はなく、生徒達はのんびりと高校生活を謳歌していたらしい。


「思い出話はそれくらいにして、今は捜査に集中しろ。何しろ生徒が殺されたんだ。犯人が野放しになったままでは保護者も不安だろうからな」


 ガマ警部が苦い顔をして言った。その声色にいつになく心痛が滲んでいるのを感じ、木場はおや、という顔をした。


「そう言えば、ガマさんのところにも娘さんがいるんでしたっけ?」


「……まぁな。だからというわけじゃないが、この事件は他人事のようには思えん」


 ガマ警部が感情を抑えた声で言った。鬼の警部にしては珍しいことだ。


「そうですね! 未来ある若者の命を奪うなんて絶対に許せません! 一刻も早く犯人を捕まえましょう!」


 木場が張り切って言ったが、途端に警部は顔をしかめた。しまった、こいつの気を昂らせるようなことを言うんじゃなかった。捜査に私情を挟むのは禁物だといつも言っているのに、俺としたことが――。

 だが時すでに遅し。木場は鼻息を荒くして猛然と廊下を歩いていった。ガマ警部はそれを見てため息をついた。やれやれ、初っ端からこの調子では先が思いやられる。せいぜい奴が軽率な行動を取らないよう、いつも以上に手綱を握り締めておくことにしよう。

 ガマ警部はそう決意すると、早くも疲れた顔をしながら木場の後を追った。

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