真相

覚悟

 8月3日の10時過ぎ、木場とガマ警部は薙高校の正門前に来ていた。今日も天気は快晴で、頭上からは容赦なく日差しが照りつけていたが、今日の二人は熱さなどまるで気にしていない様子だった。ガマ警部は元々不機嫌な顔をいっそうしかめ、木場も柄にもなく眉間に皺を寄せ、熱気以上に緊迫した空気が2人の間に漂っている。


「……またこの現場に戻ってくることになるとはな」


 ガマ警部がぽつりと言った。眉間に刻まれた皺が深くなる。


「木場、お前もわかっているだろうが、決定的な証拠は何もない。あの娘の証言だけで、奴をどこまで追い詰めることが出来るか……」


「わかってます。でも自分、どうしても見過ごせなかったんです。あの人は生徒に罪を着せようとした。そのせいで唯佳ちゃんがどれほど辛い目にあったか……」


 木場は震える拳を握り締めた。歪んだ童顔にはいつにない憤りが込められている。


「意気込みは結構だが、リスクは覚悟しておくことだ」ガマ警部が苦虫を噛み潰したような顔で言った。


「お前の傍若無人な行動は今に始まったことじゃないが、今回はいささか度が過ぎた。無断で現場の捜査をした挙句、被疑者の取り調べに乱入した。……もっとも、許可したのは俺だから、俺も同罪だがな」


「大丈夫です。全部承知してますから。でも、ガマさんはよかったんですか? 自分に協力してもらえたのは有り難たかったですけど、そのせいでガマさんまで処分をくらうことになったら……」


 木場が心配そうにガマ警部を見つめた。

 今回のガマ警部はいつになく協力的だった。いつもは捜査に私情を挟むなと口を酸っぱくして言ってくるのに、今回は唯佳を心配して気もそぞろになっていた木場を見かね、現場での捜査や取り調べを許可してくれた。それだけでも木場は天変地異が起こったほどの衝撃を受けたのに、ガマ警部は他にもまだ計らいをしてくれたのだ。


 昨日の光景が脳裏に蘇る。取り調べ室から出てきた木場は、唯佳から聞いた一連の話をガマ警部に報告した。ガマ警部は眉間に深い皺を刻み、しばらく何かを考えていたが、やがて黙ってどこかへ行った。数十分経ってから戻ってきた時、ガマ警部の口から告げられた言葉を聞き、木場はまさに天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたのだ。


「……ふん、お前に心配されるとは、俺も焼きが回ったのかもしれんな。だが気にするな。俺が勝手にやったことだ」


 ガマ警部が鼻を鳴らして何でもないように言う。その表情には普段と微塵も変わるところはない。だが木場には、ガマ警部の内側にもまた、自分と同じ感情が煮え滾っていることが想像できた。

 木場の目に映っていたのは、悪を断罪するためにその身を投じ、正義を貫こうとする刑事の姿だった。


 木場は改めて校舎を見据えた。西側校舎の3階、そこにこれから対峙する人物が待っている。初めて会った時はその人間性を疑いもしなかった。だが今は、善良な仮面の裏に隠された本性を炙り出そうとしている。全ての謎が解明された時、彼は果たしてどのような顔を見せるのだろうか。

 木場は表情を引き締めると、ガマ警部と伴に校舎の中へ足を踏み入れた。




 木場がその部屋の扉をノックすると、すぐに室内から足音が聞こえ、その人物が姿を現した。木場達の姿を見るとたちまち人の良さそうな笑みを浮かべる。


「やぁ、これは刑事さん。昨日は失礼いたしました。僕を訪ねてきてくださったそうですが、あいにく体調を崩してしまいまして……。まぁ、立ち話もなんですからどうぞ中へお入りください」


 野中は春風のような笑みを浮かべると、木場達を化学実験室の中へ招き入れた。今日は白いワイシャツにサックスのネクタイを合わせ、上にはやはり白衣を羽織っている。白を重ねたその格好は自らの潔白を強調しているようにも思える。


「今日も暑いですね……。扇風機をおつけしましょうか? あぁそうだ。よかったら紅茶を1杯いかがですか? 実は新作が入ったんですよ。本国から取り寄せたダージリンで……」


 野中はそう言いながら奥の机に木場達を案内しようとした。3日前に紅茶を飲んだのと同じ席だ。だが、野中が歩き出すよりも早く木場がきっぱりと言った。


「扇風機も紅茶も結構です。今日は先生に大事なお話があって来たんです。ティータイムを楽しみながら出来る話ではありませんので」


 雰囲気が先日とは違うことに気づいたのか、野中は意外そうに木場を見たが、すぐに穏やかな笑みを浮かべて尋ねた。


「そうですか……。それで、お話というのは?」


「松永さんが逮捕されたことは、先生もご存知ですよね?」


 木場は真っ先に唯佳の名前を出した。野中がたちまち表情を曇らせる。


「ええ……確か3日前のことでしたね。正直僕も信じられませんでした。よりによってあの松永さんが、児島さんを……」


 野中が額に手を当ててゆるゆると首を振る。生徒による殺人と逮捕という事実にショックを受けている教師にしか見えない。

 

「先生は、本当に松永さんが犯人だとお考えなんですか?」


「……もちろん信じたくない気持ちはありました。ですが、証拠が出たと警察の方からお聞きしましたので、受け入れるしかないでしょう。

 あぁそうだ、できれば面会に行きたいのですが、彼女は今どこにいるんでしょうか?」


 野中が眉を下げて木場を見つめてきた。これもまた、生徒の身を案じている教師の姿にしか見えない。どうやらこの男はかなりの役者のようだ。

 木場は野中の目をまっすぐに見つめると、明瞭な声で言った。


「松永さんは昨日釈放されました。今はもう、身柄は家に帰しています」


 その言葉を聞いた瞬間、野中の顔が一瞬強張った気がした。だが、すぐに何事もなかったように表情を和らげて言った。


「そ、そうですか……。いや、僕はてっきり、まだどこかに収容されていると思ったのもので……。

 いや、しかし驚きましたね。そんなに早く釈放されるとは……。殺人事件の被疑者が、そんなに簡単に釈放されることがあるものなんですか?」


「通常はありません。だいたいの場合、逮捕から48時間以内に警察から検察に身柄を送るんですが、今回はその手続きを取りませんでした。こちらにいるガマ警部が上層部にかけあって、それでこんなに早く釈放されたんです」


「つまり……彼女が犯人ではないと、警察が判断したと?」


「そういうことになります」


 説明をしながら、木場は目を細めて野中の様子を観察した。野中は腕組みをし、意外そうに声を漏らしては何度も頷いている。何とか平静を装ってはいるが、それでも滲み出る動揺を隠し切れてはいない。唯佳が釈放されたことに安堵するよりも、計算外の事態が生じたことに当惑している。


「ところで先生、昨日は病院に行かれてたんですよね?」木場が唐突に話題を変えた。


「え? あ、あぁ、そうですよ。実は僕、昔から胃腸の具合が悪いもので……昨日も朝から病院に行っていたんです。薬を処方してもらおうと思いまして」


「薬……ですか。それはどんな?」


「ごく普通の、錠剤タイプのものですよ」


「薬はいつも医者に処方してもらっているんですか?」


「基本的にはそうですね。予約の都合がつかない場合は市販の薬で間に合わせることもありますが」


「市販の薬というのは……例えばこういうものでしょうか?」


 木場はそう言うと、おもむろに鞄からあるものを取り出した。透明な小瓶に入った、白い粉薬。

 野中は無言でそれを見つめた後、困ったような笑みを浮かべて言った。


「刑事さんは御冗談がお好きなようですね。それは薬品棚にあったシアン化カリウムの小瓶でしょう? そんなものを薬と間違えて飲んだら大変なことになりますよ」


 野中の口調はあくまで穏やかだ。木場は唾を飲み込むと、ゆっくりと言った。


「……だけど松永さんは、これがあなたの胃薬だと言っていましたよ。事件当日、面談の際に、あなたが教卓の上にこれを忘れているのを見たと」


 野中の顔から今度こそ笑みが消えた。両手を背中に回し、探るような視線を木場に向ける。その腹の中で渦巻く感情を想像し、木場の背筋を汗が伝った。


「……刑事さんは、僕に何かおっしゃりたいことがあるようですね」


 野中が表情を消したまま言った。こみ上げる緊張を必死に押さえつけながら、木場はゆっくりと頷いた。


「自分達が松永さんを釈放したのは、他に犯人と疑いのある人物がいたからです。その人物は、松永さんが児島さんの死にショックを受けていなかったことや、実験室の鍵を紛失した当日、彼女が学校に来ていたという情報をそれとなく警察に伝え、彼女への疑いを植えつけようとした。そして彼女に罪を着せるため、青酸カリの小瓶に彼女の指紋を付けるように仕向け、実験室の鍵を彼女の鞄に入れた……。そのチャンスがあったのは1人しかいません」


 木場はそこで言葉を切った。青酸カリの小瓶を下ろし、反対の手で野中をまっすぐに指差す。


「児島さんを殺害した真犯人……それはあなたですね、野中誠さん」

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