第30話

 薬屋は屋敷の門前で二人を下ろして去って行った。


「わーい、ヒュー! エドガー!」

 真っ先に駆け寄って来たのはジョイスだ。

「妹――ミミちゃんはいないの?」

「ごめんよ、今日は僕たちだけなんだ」

 落胆したもののジョイスはすぐ機嫌を直した。満面の笑顔でメッセンジャーボーイの腕を取って走り出す。

「来てよ、凄いんだよ、兄様がひよけい・・・・を直したんだ! 勿論、僕は蜜蜂たちに朝一番にそのことを教えたよ!」

 ジョイスに引っ張られて庭の奥へ進むと今度は兄が歓声を上げて出迎えた。

「ヒュー、エド、来てくれたんだね? さぁ、見てくれ!」

 日時計は美しく復活していた。

「素晴らしい……!」

「これが日時計……!」

 腰ぐらいの高さの石の塔は昨日までと全く趣が違う。燦燦と降り注ぐ夏の太陽の下、不思議な存在感とともに輝いていた。

「君に教わった通り昨夜、夜の内に指針をキッチリ北極星に合わせたよ。どうだい?」

「完璧だよ!」

 錬鉄製の三角計の指針が取り付けられただけで周囲の景色まで一変して見える。

 庭の左端の小高い築地部分に日時計は置かれているので、斜め奥に池が、更にその向こうに木立に抱かれた廟を望むことができた。日時計のまっすぐ奥には東屋がある。振り返って玄関方向へ視線を向けると蜜蜂の巣に行き着く――

「モルガンは、今日は用があって出かけてるけど、僕は、朝の内にちゃんと記録帖を見せてもらって確認した。それによると――」

 リチャードは昨日同様、指を指しながら丁寧に教えてくれた。

「僕の記憶は間違っていなかった! 日時計に改装前、ここには噴水と小さなタイル張りの池があった。その周囲はつげで模様を描くノッドガーデンだった。屋敷左側の庭園とシンメトリーをなして、こちら側もいかにもイギリス庭園そのものだったのさ」

 誇らしげに赤い金髪が揺れ、水色の瞳が輝く。

「日時計を置くに当たってお祖父様はタイル張りの泉と噴水は撤去した。柘は抜いて平らな芝生にしてそれを取り巻くように低い樹木を丸く植えた」

 広々と明るく開けた周囲をそぞろ歩く若きグッドヴィル夫妻の姿が見えるようだ。それから、この庭に集うグッドヴィル家の友人たち……貴族の若者が意中のレディに愛を囁く姿までも。

 一体いくつの恋がこの日時計の周囲で成就したことやら。

 改めて日時計とその周辺を見回して感嘆の声を上げるメッセンジャーボーイズ。

「なんて素敵なんだ!」

「僕も、噴水もいいけど、日時計の大ファンになったよ! この感じ、凄くいい!」

「ありがとう。何もかもケネスのおかげだよ。一番よく付くにかわは兎の骨だと言って、昨日は一日かけて煮出してくれた。彼はホントに我が家の宝だ。どんな物でも隠し持っていて、求めればなんだって用意してくれる」

 貴族の少年は落ち着き払って空を見上げた。

「さあ、これで、今日は天気もいいから父上の懐中時計の時刻3時2分が来るのを待つだけだ!」

「今は何時? この時計、さっきからちっとも動いてない気がするけど、せっかく兄様が復活させたのに、まさかまた壊れたんじゃないよね」

 少々心配そうに鼻に皺を寄せて問う弟。

 ヒューは微笑んで解説した。

「大丈夫だよ、ジョイス。日時計はね、機械ぜんまい仕掛けの時計と違って、お日様が作る〝影〟で時刻を告げるんだ。お日様はゆっくり動くだろ? 影もゆっくり動く。決して壊れているわけじゃない」

「ふーん、じゃ、時刻は、今は、この天板に刻んである1時ってこと? 何分なのかは何処を見たらわかるの?」

「〈分〉か? そこまで細かくはわからないんだよ」

「そうか、お日様は大雑把・・・なんだね!」

 幼い次男の言葉に皆で大笑いする。

 その後で、じっと日時計だけを見ているのに飽きたジョイスは提案した。

「ねぇねぇ、せっかく皆がお庭に集合したんだからさ、鬼ごっこをしようよ!」

「そいつはいい、やろう!」

 即座に同意したエドガーの横でヒューが申し出た。

「リチャード、良かったら、僕は書斎に行ってもいいかな? 3時には戻って来るよ。あそこで、もう一度じっくり考えたいことがあるんだ」

 リチャードは快く承知した。

「いいとも。鬼ごっこの相手は僕とエドに任せてくれ。君は気になること――謎の解明に思う存分、専念してくれ」

「よぉし、僕が鬼だ、捕まえるぞ!」

「本気で来いよ、エド!」

「キャー! エドが鬼だぁ、キャーー……」

 早くも響き渡る明るい声を背中に聞きながらヒューは柱廊から屋敷内へ入って行った。


 書斎の扉を閉める。丸テーブルと椅子――懐かしい幽霊たちと会いたがった先代奥方の降霊セット――に腰を下ろした。

 テーブルの上には新しいランプ、補充されたインク壺を据えた筆記道具の銀の皿、リチャードの父が雑記帳に転用した樫の装丁の冊子が乗っていた。

 元々、降臨した幽霊の言葉を残すための冊子、そこに、亡くなった父エドワード氏の言葉が記されていたことが、今日は今までになく強くヒューの心をさざめかせる。

 先代ヘンリー卿に続いて脅迫されていたエドワード・グッドヴィルは、万が一自分が死んだ時のために、もっと言えば、殺されていなくなった時を想定してこれをしたためたのかもしれない。だとすればこの冊子には残して行く息子たちのために重要なことが書かれているはずだ。

(今、俺はグッドヴィル家の当主が二代に渡って脅迫されていた事実を知っている――)

 ヒュー・バードは使命感に似た決意を憶えた。今日こそは、絶対、正しく読み解いてやるぞ!

 だが、焦ってはダメだ、落ち着いて、ひとつずつ考えて行こう。

 まず、先刻の馬車の中での薬屋との会話について。


 ―― 静かな溺死。


 池で亡くなった4人は殺されたのだろうか? しかも池ではない、陸……水の無い場所……屋敷の中で?


 ―― 屋敷の中なら、殺人者は屋敷の中の人になるね?


 これを言ったのはエドだった。

 

 (屋敷の中の人……)

 ヒューはポケットからカードを取り出した。武器庫の鎧櫃よろいびつの中、日時計の破片に付けられていたそれ。モルガンの父が執事時代に書いた文字が記されている。

 何故、このカードがこんなに気になるんだろう?

 鎧櫃の中に納められていたせいで保存状態が良くさほど古びていない。むしろ綺麗で、文字も昨日書いたようにはっきりしている。沁みひとつない。

「?」

 ポケットの中にまだ何か残っている? 吃驚してヒューはそれを引っ張りだした。

「なんだ、リボンか」

 キース・ビー警部に脅迫状の束を渡した時、束ねていたリボンを解いて封書だけ手渡して、こっちはまた無意識にポケットに突っ込んだんだな。

 摘まみ上げたまま指が止まる。

 このリボン、何処かで見たことがあるぞ。いつ、どこでだった?

「あ」

 ミミに渡してくれとケネスが持たせてくれたボンボン、それを入れたレースの包みを縛っていたあれだ。


 ―― リボンはもらったんです。女の人は綺麗な物をたくさん持っていますね!


 屋敷内の女の人って誰だ? ウェルとエメット、どっちのことだろう? 

 記憶が薄れ徘徊している年老いた家政婦長か、若くて綺麗なメイド……

 エメットの方が有り得る気がする。だが、エメットのだとしたら、何故、エメットのリボンが脅迫状を括るのに使われていたのだろう?

 落ち着け、ヒュー、これは重大なことだ。軽々に答えに飛びつくべきじゃない。じっくり考える必要がある。

 静かな溺死者たち、先代執事の書いたカード、脅迫状の束、お洒落なリボン、そして、エドワード氏が残した3時2分で時を止めた懐中時計とこの冊子……

 グッドヴィル一族の秘密、真実の宝……

 だめだ、いろんなことがゴチャゴチャになっている。

 でも、全てはたった一つを指し示しているのだ。

 日時計の影のように、たった一つの方向、たった一つの答えを。


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