第24話

 「ご苦労様」

 その夜もいつものごとく燭台を手にした執事のモルガンが、表情を変えることなく配達物を受け取った。

「多分、豪州のこの会社はアンソニー氏の死亡を知らないのだと思います。では」

「ヒュー、あれを見て!」

 封書を差し出す間、背後に控えていたエドガーが突如ヒューの肩を掴んだ。

「?」

 顔を上げてヒュー・バードは硬直した。肩越しに振り返った執事も息をのむ。

 玄関に立つ三人の真後ろ、闇に沈んだ中央階段の踊り場にボウッと一つ、火の玉が浮かんでいる――

 火の玉はユラユラと揺れて、そして、突然、落ちた!

 ジャラジャラガラガラガラッ……

 玄関ホールいっぱいに耳を弄する音が響き渡って、執事とメッセンジャーボーイは我に返った。

 火の玉が、それを掲げ持っていた人もろとも墜落して階段下の床に叩きつけられたのだ。

「ぎゃあ」

 鈍いうめき声。執事は飛んで行って、まず床に転がるガンドウの火を吹き消した。万が一にも燃え広がって屋敷が火事になるのを恐れたのだ。ヒューとエドガーは倒れている人に駆け寄った。

「この人は?」

 遅れて覗き込んだ執事が告げる。

「ウェルだ」

「この人が、センガ・ウェル……」

 ヒューとエドガーが初めて見る、老衰で徘徊癖のある、グッドヴィル屋敷の家政婦長だ。腰には銀の鎖に下げた幾十もの鍵。本物のシャトレーン。

 頭から鮮血が流れ出している。

「すぐホール医師を呼びに行かなくては――ケネスに命じて来ます。私が戻るまでお二人はここにいてください。ウェルのことをお願いします」

 執事は身を翻した。

「動かさない方がいい」

 抱き起こそうとしたエドガーをヒューが制止した。代わりに膝を突いてウェルの耳元で声をかける。

「ウェルさん、しっかりしてください。すぐにホール医師が来ます」

 エドガーもそれに習った。

「ウェルさん、気を強く持って! 僕ら、ここにいますからね」

「ああ、大天使様、ようこそ」

 ウェルが答えた。薄っすらと目を開け、指を伸ばす。

「ガブリエル様、ミカエル様……お待ちしていました。悪魔は……悪魔はブーツの中に……」

「天使って僕らのこと?」

「シッ、エド」

 ウェルはメッセンジャーボーイたちの腕を掴んだ。

「天使様、悪魔はブーツの……中……」

 そして、目を閉じた。

「きゃあ、ウェルさん!?」

 燭台を持って左棟の自室から駆けつけたエメットの悲鳴。

 続いて、階段の踊り場から下を覗いたリチャードの絶叫。

「ウェル? ああ、なんてことだ、ウェル!」


「足を滑らせたのだと思います。首の骨は折れていませんが頭と腰を強打しています」

 ケネスの知らせで往診用の馬車で駆けつけたホール医師は、診察の後で沈痛な表情で告げた。

「できる限りの処置は施しました。とはいえ、お歳がお歳です。ここ数日は予断を許さない状態です」

 家政婦長は、動かさない方がいいと言う医師の指示で玄関脇の控えの間に寝かされた。以前ここを捜索本部にしていたキース・ビー警部が現場検証を終えて入って来た。

「今回の件も事故以外には考えられない――」

 医師へ連絡後、ケネスは再びニュー・スコットランドヤードへ馬車を奔らせた。

 報告を聞いたキース・ビー警部は、今夜は小型の警察馬車で制服警官2名とともにやって来た。苦々しい顔をしているのは、またしても昨日、屋敷の警護を解除したばかりだったからだ。

「うん? 何か気になることでもあるのかい、ヒュー・バード君?」

 名指しされて、部屋の隅にリチャードやエドガーとかたまって立っていたヒューは顔を上げた。ゆっくりと室内を見回す。

 今現在、部屋には幼い次男以外の、屋敷内に住む全員が集まっている。

「良い機会なので、もしよろしければ、僕から皆さんに伝えたいことがあります。僕とエドガーがこのお屋敷に関わった経緯と、僕が今夜、気づいたことについてです」

 了解して大きく両手を広げる警部。

「どうぞ、聞かせてくれ」

「ケネスさんには昨日、話したんですが、そもそも僕とエドガーがこのお屋敷のメッセージ配達を担うようになった理由は、仲間たちがここへの配達を嫌がったからです。どうかお気を悪くなさらないでください」

 執事のモルガンに軽く一礼してから先を続ける。

「夜番の同僚たちはこの屋敷で怪異を目撃したと騒いでいました。赤いドレスの幽霊、地面から響く奇妙な音、チカチカまたたく火の玉などです」

 最新の医学を身に着けた若い医師が吃驚して問い質した。

「馬鹿な! それで、君たち自身はそれを見たのか?」

「僕は怪奇現象なんて信じません」

 医師の方をまっすぐに見て、きっぱりとヒューは言い切った。

「とはいえ、初日に僕と相棒のエドガーは地面の怪音と明滅する火の玉に遭遇しました。但し、奇怪な音は虫の鳴き声、明滅する火の玉はモールス信号だった――」

「うむ、それについては二人はすぐさま僕に知らせてくれたよ」

 警部が薄い口髭を捻りながら言う。

「しかしながら、近代警察がそんな通報ネタで動くわけにはいかないと申し渡した。もう少し調査が必要だとね」

 興味を覚えたらしく医師は柔らかい口調に戻った。

「それで、その火の玉が発したというモールス信号はなんと言っていたんだい?」

「WATCH DEATHWATCH」

 答えたのはリチャードだ。

「父上が残した冊子にも同じ文言が記されているんです。意味はいまだにわかっていません」

 再びキース・ビー警部が補足する。

「僕が聴取した限りでは、屋敷内の誰もこの言葉の意味を知っている者はいなかった」

「何故、この場で僕がそのことを持ちだしたかというと、今夜、僕は気づいたからです。ウェルさんが持ったまま転落したその龕灯ガンドウ――」

 老女とともに運び込まれ、今はベッド横に無造作に置かれているそれをヒューは指差した。

「モールス信号はそのガンドウから発信されたのではないでしょうか?」

 室内にいた全員が一斉にそれへ視線を向けた。

「リチャードが教えてくれました。このガンドウは日本のアンティークで侍の灯だったと。蓋をずらして火を見えなくしたり元へ戻すことができる」

「なるほど」

 うなづくニュー・スコットランドヤードの若き警部。医師は興味深げに手に取って眺めた。

「ほう、我が国の鉄道員が持つカンテラに似てるな」

「更に僕は気づいたんです。このガンドウを使ってモールス信号は発信され、それを行ったのはウェルさんなのではないかと」

 警部と医師が同時に訊き返した。

「何のために?」

「理由は、まだ僕にはわかりません」

 室内にいる一人一人の顔をヒューは見回した。

「でも、屋敷内でモルガンさん、ケネスさん、エメットさん、全員が謎の文言〝WATCH DEATHWATCH〟の意味は知らないと言っている中、ウェルさんはそれを知っていて、火の玉に託して語らせたのではないかと思いました」

 静まり返った部屋のせいで声がやけに大きく響く。ヒューはひとつ咳払いをしてから言葉を継いだ。

「まず、実際に今夜ウェルさんはガンドウを持って屋敷内を巡回していた。ガンドウは書斎の机の上に飾ってありました。一見、骨董品の置物としか見えない。でもウェルさんはそれが燭台だということも、使い方も知っていた」

「僕と、お爺様、父上も知っていたけどね。モルガン、おまえもだろう?」

「はい、存じています。先代様もエドワード様も御廟内へ行く際、ご使用になっておられましたから」

 ケネスとエメットは同時に首を振る。

「私は知りませんでした」

「私もです」

 両眉を寄せるキース・ビー。

「ふーむ、ガンドウについては、家族と古くからの従者は知っていたが、比較的新しい従者は知らなかった、ということだな」

「ともかく――家政婦長のウェルさんは知っていた。しかもシャトレーンを有すウェルさんは屋敷中のどの部屋へも入れる。どうです、警部、僕の推理は成り立つのではじゃないでしょうか?」

 警部より先に医師が質問した。

「モールス信号は? それも彼女が知っていたというのか?」

「知っていた可能性はあります。ウェルさんはスコットランドの諸島出身だそうですね?」

 モルガンが静かにうなずいた。

「良くご存知で。その通り、ウェルはルイス島の出です」

「ならば彼女の父や兄弟、近しい身内の誰かがモールス信号を熟知する船乗りだったかもしれない。それらの人からウェルさんが教わった可能性は否定できない」

 料理人も相槌を打った。

「私は同郷の出身です。スコットランドの海辺の男たちの職業と言えばほとんど船乗りだ」

「勿論、全てご本人に確認するまで真実はわかりませんが、以上が僕が今夜の出来事に遭遇して気づいたことです」

「ありがとう、ヒュー。君の意見は大いに参考になったよ」

 メッセンジャーボーイに謝意を表してからキース・ビー警部は医師に向き直った。

「ドクター、ウェルさんが回復したら、このことを本人に質問することができますか?」

「できると思います。しかし、意識が戻っても老人性の病気故、過去のことや自分の行動を憶えているかどうかまでは保証できません。最近、ウェルさんは記憶が曖昧になっているので」

 とはいえ、ビクター・ホールは力強く拳を握る。

「勿論、当屋敷の主治医として私はウェルさんが回復するよう全力を尽くします」

 それから、医師はヒューをまじまじと見た。

「それにしても、君は本当に賢い少年だな。君が披露した推理には感動したよ! そう言えばリチャード君が襲われた時も鋭い質問をしていたね?」

 すかさずエドガーが自慢する。

「ヒューのお父さんは教区牧師だったんです。その血を引いてヒューは頭脳明晰なんです」

「そうか、ぜひ将来は聖職者か医学の道に進んでほしいものだ。それとも、警察官かな?」

 医師は横目でキース・ビーを見た。

「君が警官になったらさぞや警部の良きライバルになるだろうな!」

「アハ……ハハハ……」

 キース・ビー警部の笑い声は妙にか細くて弱弱しかった。名誉挽回というのでもないだろうが、やおら大きな声で執事に声をかける。

「そうだ、モルガンさん、アンソニー氏が亡くなる前日のことで改めてお尋ねします」

「はい、何でしょう?」

「あなた自身はあの日、アンソニー氏を訪ねて来た赤いメッセンジャーには会っていないんですね?」

「ええ。その日は、私はどんな・・・メッセンジャーとも応対してはおりません。それが何か?」

「実はアンソニー氏に某少年がメッセージを届けたという新たな情報を入手したんです。我々は現在、メッセージを託した人物について捜査中です。この人物が特定できれば色々なことが一挙に明白になるかもしれません」

 ここで大きく息を吐く。

「残念ながら今のところ進捗状態はかんばしくない。何しろ目撃情報が『頬髭の紳士』だけですからね。今日日きょうびロンドンに頬髭を生やした人物が何人いることか!」

「私もその一人ですが?」

 ゆっくりと執事が言った。

「わがモルガン家は、タウトンの戦い以来、成年男子は頬髭を蓄えるべしというのが家訓でして」

「あ、そうなんですか? そう言えば立派な頬髭ですね! ハハハ、誤解なさらないでください。僕は頬髭やあなたを悪く言ったわけではありません」

 バツが悪そうに言い訳をしつつ警部は執事から離れた。

「では、僕はこれで署に戻る。君たちはどうする? テレグラフ・エージェンシー社まで乗せて行ってやろうか?」

「ヒューとエドは、今夜はここに泊まってもらいます。ウェルの件で色々お世話になったんですから、このままゆっくり休ませてやりたいんです」

 リチャードの言葉に警部はうなずいた。

「わかった。社の方には帰りがけに僕から事情を伝えよう」

 ホール医師も夜通しウェルに付き添うと言うことで警部と警官だけが引き上げて行った。





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